一章『俺はもう、穹戯なんてやめたんですよ……』
あれから、無事に女の子を鷺沢女学園まで送り届けた岬と昼休みに合流し。いまはもう、放課後を迎えていた。
「渚ー。今日は早く終わったからもう放課後なんだよー」
「知ってるよ」
「はぁー、やっと今日が始まるんだぁ。何しようか、何食べようか、無限の可能性が私を襲うよ」
俺の机の前で岬は朝と打って変わってハイテンションだ。
「相変わらずだな……」
「ほんとだよねー」
俺の首肯に反対側の席に座っていた女の子が声を上げる。
同じクラスメイトの一色まどかだ。
クラスのムードメーカー的存在で、よく誰かと話しているのを見かける。
紺色の髪は整えられ水色のカチューシャでしっかりと止められてはいるが、少しばかり耳の横にはねっ毛が残っている。おそらく癖っ毛なのだろう。
顔もどちらかと言うと可愛い方。男女の垣根もなくどちらとも仲良くしている印象だ。
たしか、フライング部のマネージャーをしていたはずだ。
「わたしも岬の友達やってて不安になるレベル」
まどかが岬を見て苦笑をもらす。
「岬は低血圧だからな。朝はほとんど眠ってるようなもんだし……」
ちらと視線を送る。
岬は未だになにを食べるか悩んでいるらしかった。
ほんとうにオンとオフが激しいやつだ。
「あっ、そうそう」
その声に顔を元の位置に戻すと、まどかが椅子ごと身体をこちらに動かしてきた。
「そういえば渚くん。聞いたよ? 昔、穹戯やってたんだって?」
「まあ……子供の時に、ちょっとだけ……」
「経験者は大歓迎〜! どう? 渚くん、うちのフライング部に入部してーー」
「俺は、入らないよ」
「えっ……」
思った以上に大きい声が出てしまい、思わず顔を上げる。
まどかは気難しいような地雷を踏み抜いてしまったような、なんとも言えない表情を浮かばせていた。
「その、ごめーー」
謝ろうとした瞬間。機械的な音声が俺たちの間に割って入る。
『二年A組の夕凪さん、夕凪さん。秋月先生がお呼びです。至急、職員室までお越しください』
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
しばらくした後。
「あの、それじゃあ秋月先生に呼び出しされたから俺はもう行くな……」
「あ、うん……それじゃあね」
お互いにごまかすような苦笑いをし合う。
そうして俺は逃げるように教室から出て行った。
他の教師は出払っているのか、人気のない職員室で俺は唯一、そこに残っていた教師を問い詰めていた。
「まどかに昔のことを教えたのって秋月先生ですか?」
「なんだ? 藪から棒に」
秋月先生は作業をしていた手を止めると、白衣を翻しながら椅子ごと顔を向ける。
「なんだ? って、俺が昔に穹戯やってたこと流したのって秋月先生ですよね」
ため息を吐きながら、秋月先生を頭からつま先まで眺め下ろす。
ラフなTシャツにジーンズの短パンという教師らしさのかけらもない恰好に、そのうえからなぜか白衣をまとった奇天烈ファッションである。
いや、生徒指導兼、保健の先生でもあるのだから白衣は至って正しい恰好なのかもしれないが……。
どうしてこのままの恰好で怒られないのだろうか。
生徒にも人気があるから余計に不思議である。
秋月先生は視線を俺から窓の外へと向ける。
「まあ、いい頃合いだと思ってな」
「いい頃合いってーー」
抗議を続けようと思ったが、途中で言葉を遮られる。
「そういえば、渚。今朝は珍しく飛んで来たんだな」
「見られてたんですか……」
「なにか変わったことでもあったのか?」
「あれは、色々と事情があって仕方なく」
詮索するような視線を向けられ、バツが悪そうに視線を逸らす。
「って、そんなことを言うために俺をここに呼んだんですか?」
俺は話題を変えるようにそう言うと。
「そういえば、渚に少しばかり頼み事があってな」
秋月先生は思い出したように、ごそごそと引き出しの中を漁り始める。
「たしか、ここにあったはずなんだが……」
しばらく探していたが、ようやく見つかったのか一枚の封筒を机の上に置く。
花の刺繍が施された小綺麗な封筒にはご丁寧にシーリングスタンプまで押されている。
「私の知り合いが務める学校に穹戯を始めたいというやつがいてな。そこのコーチを渚にお願いしたいらしい」
「なんで、俺なんか……」
「さあな。でも、渚にも悪い話じゃないと思うぞ」
「なんでそう言い切れるんですか」
「私の勘だ」
「勘って……。俺はもう、穹戯なんてやめたんですよ。いまさら、人に教えるなんて……」
そこまで言って、封筒をぐいっと胸に押し付けられた。
「まぁそう言うな。一度、見に行ってからでも遅くないと私は思うが?」
「……わかりました。見に行くだけですからね」
俺はため息を吐くと、しょうがなしに封筒を受け取る。
「いい返事を期待しているよ」
「見に行くだけなんで……」
そうして俺が踵を返す間際、
「渚!」
秋月先生に引き止められる。
「なんですか?」
「二人だけの時は昔みたいに姉さんと呼んでくれてもいいんだぞ」
悪戯をする子供みたいな笑みを浮かべるのを見て、俺は苦笑する。
「呼びませんよ」
そう言って今度こそ俺は職員室を後にした。




