序章『ひっ、人が、空を飛んでますうぅぅぅ!」
「次のニュースです。白鷺高校のスカイウォーカー、佐藤 誠選手がまたしても国内大会で優勝しました。今回で三度目。三回連続の優勝になります」
朝食を摂りに下へ降りてくると、リビングに備え付けられた液晶テレビが、本日も事務的に速報を垂れ流していた。
リポーターらしき女性がムササビのような膜が腕のあたりについた競技服に身を包んだ爽やかそうな男性にマイクを向けている。
「優勝おめでとうございます。これで通算三度目の優勝、三回連続での優勝になりますがーー海外からのスカウトも来ているとのことですが、もうすでに日本ではなく世界を視野に入れて練習しているのでしょうか?」
「いえ、海外からスカウトしてもらうことはありがたいことですが、日本にも気になっている選手はいますね」
「というと?」
「それはーー」
再びリポーターから選手に画面が変わる瞬間。
ーーぷつん。
リポーターの女性が画面から消えた。
強制的にテレビの電源が消されたのである。
八月に入ってすぐの月曜日の朝。向かいのテーブルに腰掛けて同じように朝食を摂っている人物がテレビの電源を消したのだ。
「もうすぐ、登校する時間なんだから悠長に朝食を摂ってる時間はないんじゃないのか?」
そう言って父親はリビングにかけられた時計を指し示す。登校時刻の十五分前だ。
「やべっ」
そういえば今日は生徒指導である秋月先生が朝の点呼をする日だ。
遅刻したらどんな罰があるかわかったもんじゃない。あの人は独自のネットワークを使って様々な生徒の恥ずかしい個人情報を持っているという噂がある。遅刻すればどんな黒歴史を暴露されるかわかったもんじゃない。
俺は急いで朝食を口にかきこむと、用意を済ませて通学鞄を肩に引っ下げて立ち上がるーーと、そのまえに。
俺はリビングにある仏壇の前まで行って手を合わせる。
「それじゃあ、行ってくるよ。母さん」
数秒、黙祷したのち踵を返すと、そのまま玄関で靴に履き替える。
「それじゃあ、行ってくる」
リビングに向かってそう叫ぶと父親から『気をつけるんだぞぉ』と気のない声が返ってきた。
俺は父と二人暮らしで、母は俺を産んでからすぐに死んでしまったらしい。
ーーらしい、というのは俺がまだ小さかったこともあって母の顔をよく覚えてはいないからだ。
だが別段、寂しかったというわけでもなく。父親は母の分まで明るかったし、親戚にもお姉ちゃんみたいな人がいたのでそこまで寂さは感じなかった。
昔はその人によく遊んでもらったり、穹戯を教えてもらったりもしてたっけ。と、そんなことを考えながら高校への道のりを急いでいるとーー
「ない……ないないない、もぉう。家のカギ、どこにいっちゃったのぉ……」
その声に強制的に思考が遮られる。
「なんだ、あれ?」
声のする先、コンクリートブロックで影になっている浜辺の隅へと視線を向けると、なにやらあたふたしながら砂浜を掘り返している女の子がいる。
「あれがなかったら、家に入れません……」
見るからに困っていそうだが、こちらも早く行かないと困ったことになるわけで。
声をかけるべきかどうか迷っていると、
「ふぇっ……?」
唐突に顔を上げた少女とばっちし目が合ってしまった。
ここで知らない顔をして行くのも後味が悪い……。
しょうがなしに少しばかりため息を吐きながら近づいて行く。すぐに見つければ問題ないだろう。
「なぁ、きみ。探し物があるならーー」
「手伝ってくださるん、ですか?」
「あ、あぁ……」
「あ、あの。ありがとうございます。そういえば、おばあちゃんが『この島は人情の島やけん、心配せんでよかよ』って言ってました。やっぱりこの島の人は親切なんですね」
「うん、まあ……そうだな」
起き上がりこぼしよろしく俺に何度も何度も頭を下げてくる少女に苦笑しつつ。改めて少女の顔を見やる。
見た目は小学生くらいだろうか。華奢な身体つき。女の子らしい柔らかそうな顔立ちに、優しげに垂れた瞳。ソフトクリームみたいに甘ったるい調べだ。全体的に柔らかそうな印象の少女。
ふと、少女の白を基調とした制服に目が止まった。
「きみ、もしかして鳶沢女学園の生徒?」
「はい、そうですけど? つい最近、転入してきたばかりなんです。でも、どうして知ってるんですか?」
「ここではそれなりに有名だからな」
鳶沢女学園。小中一貫校で莫大な資金力があるというお嬢様校。敷地も広く様々な設備も充実しており、その学び舎に通う生徒は誰もがどこかのお嬢様ばかりらしい。校風として生徒の自立性を重じており、生徒が本気でやりたい事には財力をもって労力を惜しまないという。後世の育成に特化した学園だ。
だから、そんなところに通っているこの子もどこかのお嬢様なんだろう。
改めて少女を眺めていると少女の背後、砂浜の隅っこの方に太陽の光を反射して光っているものを見つけた。駆け寄ってよく見れば、鍵がついたキーホルダーのように見える。
「そういえば、探してたのってこれじゃないのか?」
それを拾って渡してやる。
「あ、それです。ありがとうございます。でも、どうして探してるのが、カギだなんてわかったんですか?」
「きみが自分で言ってたからね……」
「そ、そういえば、そうでしたね」
俺から鍵を受け取ると少女はほっとしたように息を吐いた。
それにしても何か大事なことを忘れているような気もするが……。
そんなことを考えていると、
「渚ー。なーに、やってんのー?」
上空から声が聞こえた。いや、別にこれは比喩でもなんでもない。本当に俺たちの上から声がするのだ。
「ふぇっ……?」
隣にいた少女は呆けたような声とともに上空を見上げるとーーその大きな瞳を一段と丸くした。
制服を着た少女が空中に漂うようにふわふわと浮かんでいるのである。
「ひ、人が……空をとんでますうぅぅぅうぅぅぅぅ!!」
驚いている少女を他所に彼女はよろよろと降りてくる。
整った顔立ちに、長い睫毛に縁取られた気の強そうなアーモンドの瞳。両の髪をくくっている藍紫色のレースがついたリボンからは手入れが行き届いた髪がよく映えている。
浜辺まで降りてきた彼女に俺は呆れた視線を向ける。
「おい、岬。降りる時は停留所で降りろって」
だが、俺の注意などどうでもいいように岬はあくびをもらす。
「てかさぁ。早く学校行った方がよくない?」
「あ、やべっ! 忘れてた」
スマホで時間を確認すると登校時間まであと八分しかない。
「早く飛んで行こうよぉ〜」
「停留所はあっち。それじゃあ行くぞ。きみも急いだ方がいいんじゃないのか?」
そう言って少女の方を見ると、なぜかもじもじしている。少女は恥ずかしそうに口を開くと。
「で、どうやって飛ぶんですか?」
「「は?」」
飛行用の停留所は、海に面した平地より少し高くなっている場所に作られることが多い。
たとえ、飛行に失敗したとしても落ちて怪我をしないようにということらしい。
そんな場所にてーー
「この島の制服を着てるってことはフライングシューズの説明は受けてるはずだよね」
岬がとんとんとつま先で地面を蹴りながら、かかとを示す。
「フライングシューズ? あっ、この靴のことですね」
「使ったことは、ないよねぇ。しょうがない、ペアリングで飛ぶか……」
「学校はどうするんだよ」
「私はこの子を送ってから行くから、渚から秋月先生に報告しといてよ。あの人、正当な理由があれば怒らないはずだから」
「わかったよ……」
しょうがなしに了承すると。
岬は停留所に立って左右を確認する。
「周りは大丈夫。飛行禁止のランプは付いてない」
そう言ってかかとにある電源ボタンを押すと、プリズムをまとった羽のオブジェクトが出現する。
その様子を少女は物珍しそうに見ていたが、
「ほら、早く捕まって」
「は、はい」
岬に促されるまま、おずおずといった様子で彼女の手をつかむ。
それを確認すると、岬は俺を横目で見やる。
「渚も」
「はいはい」
背に腹は変えられない。しょがなしにシューズの電源を起動させる。
「それじゃあ、いくよ。1、2、飛ぶにゃん」
「わっ、わっ! わわわあぁぁぁあぁぁぁぁ!!」
岬の合図と同時に二人の身体が宙に舞う。
手を引っ張られた少女はのったのったと溺れたあひるのように両足をばたつかせる。
俺はその姿に苦笑しながら彼女たちの後を追いかけた。
「だ、だめです、だめです、絶対だめです。これ、落ちます。落ちますよぉぉぉ」
案の定、停留所から飛び立ったと同時に少女は騒ぎ出した。
「……うるさいなぁ……むにゃ、むにゃ」
「寝ないでくださいっ!」
「寝てないよぉ〜」
まだ寝たりないのか、岬は眠たそうに目を擦る。
俺は苦笑して、
「安心していいよ。フライングシューズを起動している間は絶対に落ちない構造になってるから」
そう言って少女の方を見る。が、水平に飛んでるわけだから考えればわかったことなのだが、少女のスカートの中が風に巻き上げられてもろに見えてしまう。
「ーーっ!」
少女は恥ずかしそうに股を閉じる。
俺は見ないように目を晒しながら続ける。
「だから安心して空の散歩を楽しむといいよ」
そう言うと少し安心したのか周りを確認する余裕もできたみたいだ。
上には手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じられる青空。下には太陽の光を反射して宝石のように煌めく海がどこまでも広がっている。
「この靴があれば、どこへでも飛んでいけそうですね」
「どこへでも、か……」
不意に少女が呟いたその言葉に思わず視線を晒してしまう。
もう一度、少女の横顔を見るとそこには無邪気な笑顔が浮かんでいた。
今の俺にはその笑顔が異様に眩しかった。




