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十三章『御宅訪問』

 翌日。俺は綾瀬に渡された地図に従って目的の場所まで来ていた。

「……なんだ、こりゃ?」

 神戸、(なだ)区。

 六甲(ろっこう)山の麓に広がる閑静な高級住宅地に、その大豪邸は立っていた。

「こ……神戸の一等地だぞ? これ全部が一軒のお屋敷なのかよ……?」

 てっきり小学生の部屋にお邪魔するだけの気持ちだったのだが。

 いや、新幹線に乗っている時点で何かおかしいとは思っていたのだが。

「おい」

「ッ!?」

 背後からドスの利いた声を掛けられて振り向くと、そこには黒スーツとサングラスでビシッと決めた女性が立っていた。

 若くてスタイルのいい美人……だが、明らかに堅気(かたぎ)には見えない。やばい、帰りたい。

「夕凪渚先生……で、いらっしゃいますね?」

「腹違いの弟です」

「お(たわむ)れを」

 サングラス美人さんに肩を掴まれると、悲鳴を上げるまもなく門の中に押し込まれた。

「先生のご到着だ!」

 先生と呼ばれることに多少の気恥ずかしさを覚えながら門を潜ると……そこは異空間だった。

 玉砂利を敷き詰めた前庭で、同じような黒服サングラスの集団がずらりと左右に並び膝に手を置いて「お疲れ様ですッ!!」コールと共にお辞儀をしている。

 おい、こんな光景『カイジ』とかでしか見たことないんだが……。恐怖っ……!!

 鷺沢女学園に通ってるぐらいだから、綾瀬もとんだお嬢様だとは思ってはいたが。想像の斜め上を超えてきた。ぶっ飛びすぎだろッ!!

「先生、(あるじ)がお待ちです。どうぞ屋敷の中へ」

「おなかいたいんですけど?」

「行け」

「はい……」

 後ろから追い立てられるように先へと行く。

 塵一つ落ちていない廊下を歩いた先に目的の部屋があった。途中、逃げることを一瞬だけ考えたが後ろからさっきの黒服サングラス美人さんが音も無くついてきているのでそれは不可能だった。

「どうぞ、こちらになります」

 俺の前を歩いていた黒服スキンヘッドの男性が(ふすま)を引くとーー

「あら、来たみたいね」

「お前が七海の言ってた男か」

 そこには肌を刺すような気配を(まと)った男性と黒衣に身を包んだ綾瀬がいた。



「……」

 テーブルには豪華な料理がずらりと並び、綾瀬と父親は自分の皿に肉を盛ったりしていた。

 ところが、俺はといえば綾瀬の横でちびちびとジュースを飲むことしかできないでいた。

 綾瀬の父親が怪訝そうに眉を潜める。

「どうした。食べないのか?」

「いえ、いただきます……」

 漆器(しっき)に盛られた高級そうな料理を前に、俺は息を呑み込む。

 料理のひとつに箸を伸ばして口に入れるが緊張しているせいで味など分かるはずもなく。もっとちゃんとした場所で食べたかった。

 そんな俺を見て綾瀬がクスクス笑う。

「まったく、ガチガチじゃない。そんなんじゃ、ろくに味も分からないんじゃない?」

 まったくその通りなのだが。

「いや、仕方ないだろ。いきなりこんな場所に呼ばれでもすれば誰だって緊張ぐらいする」

「あなたが緊張するなんて意外ね」

「お前は俺をなんだと思ってんだよ……」

「小さな女の子に優しいロリコンかしら?」

「お前なぁ……」

 綾瀬と言い合っていると。

「ガハハハハッ!!」

 綾瀬の父親が盛大に笑い出した。

「な、なにか可笑しかったですか?」

 何か粗相をしてしまったのかと、若干びくつきながら様子を伺う。

「いや。すまねぇ、そんなわけじゃねえんだけどよ」

 綾瀬の父親はそう言って首を振る。

「こんなに楽しそうな七海を見たのは久しぶりでな。七海から聞いてた通りの男みてぇだな」

「綾瀬から話を?」

「ちょっ!? お父様その話は……」

 綾瀬が遮るのを無視して言葉を続ける。

「おう。こいつ、最近口を開けばお前さんの話ばっかりでよ。一緒にショッピングに行っただの、小学生に優しすぎるだの、ちゃんと私にも目を向けてくれているとか、私に合ったメニューを組んでくれるだとかばっかりでな」

「言わないでって、言ってるのにぃ……」

 耳まで真っ赤になった綾瀬が恥ずかしそうに顔を隠すようにして俯く。

 意外だ。もっと愚痴に近い事を言われていると思っていたのだが。

 見た目と違って、この人も一人の父親なのだろう。自分の子どもが嬉しそうにしていればこちらも嬉しくなる。なんだか緊張していたのが馬鹿らしくなってくる。

 そんな事を思っていると。

 綾瀬の父親は袴の裾を伸ばして居住まいを正すと、俺の方をまっすぐ見つめる。

「んで、オマエから見てどうだ、七海は。見込みはありそうか?」

「才能はあると思います。特に負けん気の強さと心の強さには目を見張るものがあります」

「そんなものが穹戯と関係があるのか?」

「あります!」

 俺は力強く宣言する。

 どんな逆境に立たされても挫けない心。その心さえ持っていればたとえどれだけ敗北を重ねたとしても這い上がってまた一歩強くなることができる。

 俺も穹戯の世界で伸び盛りの選手が心を挫けてやめていく姿を何度も見てきたから。そして、それは俺も同じだ……。

 綾瀬の父親は怪訝そうに眉を寄せる。

「だけどよ。それはプロとして食っていけるもんなのか? ちっと、調べさせてもらったが最近始まったスポーツなんだろう?」

「そうですね。仮に今の穹戯の日本王者の佐藤 誠(さとう まこと)選手ならそれだけで食っていけると思います。でも、入賞できないのなら賞金が貰えないので厳しくなると思います」

 ですが……と言葉を続ける。

「穹戯はこれから発展していくスポーツだと思っていますし。現に海外ではスポンサーからお金も出ています。綾瀬さんにスポンサーが付けば選手として生活することも難しくないと思います」

 綾瀬の父親は首を振る。

「正直に言うとな。俺はそんな不安定な世界に七海を送り込むには反対なんだ。できれば辞めさせたいと思ってる」

「お父様!?」

「だが、そんな大人の事情で子どもの芽を摘むのも不本意だ。だからよ、オマエがそう認めているなら夏の大会で三位以内に入ることできれば七海が穹戯を続けることを許してやる」

 俺と綾瀬の顔を交互に見やる。

「なっ、そう言う簡単な話じゃ……」

「小学生の大会で三位以内にも入れないようじゃ、しょせんその程度の才能ということだろう。本当に才能があるのなら三位以内は難しくないはずだ」

 んな無茶な……。

 俺が口を開こうとしたところでーー

 綾瀬は父親を挑戦的に睨んだ。

「望むところよ。お父様がそうおっしゃるならやってやろうじゃない」

 だから俺も決意を固めた。

「分かりました。綾瀬を夏の大会で三位以内にまで行けるように鍛え上げてみせます」



 それから中断していた食事へと戻った。

 緊張が抜けてきたおかげでだんだんと味も分かるようになってきていた。

 綾瀬が席を立った時のことである。

 凛にも食べさせてやりたかったと思いながら箸を進めていると。

「……七海は不憫(ふびん)な娘なんだ」

 俯いた綾瀬の父親は、搾り出すような声で言った。

「家内が亡くなって以来、男で一つで育てているんだが……どうにも男一人ではついつい厳しくなってしまう」

「そんなことは……」

 自分と似たような境遇だったという事を知り、俺は少しばかり動揺する。

「七海は家内が亡くなってから、他人と距離を置くようになり何事にも興味を示さなくなってしまってな。つい最近は学校の友達に誘われて穹戯に多少興味を持つようになったんだが、伸び悩んでいたんだよ」

「そうなんですか」

 俺はただ頷くことしかできなかった。

「そんな時にどこの馬の骨とも知らない男が突然コーチとして入ってきたもんだから初めはそいつの愚痴ばっかりでよ」

「すいません」

 謝る俺を見て綾瀬の父親は首を振る。

「でもよ、そいつは穹戯のことにとことん前向きで、反発してた自分のこともちゃんと見ていてくれたんだとよ。それが七海には嬉しかったみたいでな」

 綾瀬の父親は「だからよ……」と言葉を続ける。

「夕凪先生……」

 まっすぐにこちらを見つめる。

「七海のこと、なにとぞ、なにとぞ、よろしくお願いします」

 綾瀬の父親は深々とその場にひれ伏した。

 その姿は資産家でもなく権力者でもなく、ただひたすら一人の娘のことを想う優しい父親でしかなかった。



 家まで送ってくれるという綾瀬の父親の申し出を丁重かつ迅速に辞退し、俺は黒服の皆さんのお辞儀アーチを潜り抜けて屋敷を出た。再び「お疲れ様ですッ!!」の大合唱。

 そして、

「鷺沢さん!」

 屋敷を出るとすぐに鷺沢 小鳥(さぎさわ ことり)に電話をかける。

「何ですかありゃ!? 思いっきり極道ファミリーじゃないっすか!」

『人聞きの悪いことを言わないで頂きたいのですが』

 鷺沢女学園の理事長は涼やかな声で言う。

『鳶沢女学園は正統な学び舎ですよ? 反社会勢力と繋がりがあるわけがないじゃないですか』

「でも! あれは間違いなくーー」

『確かに綾瀬さんの父親は神戸では名の知れた博徒でしたが、もう引退しておられます。警察にも廃業届を提出済みで、現在は建設業、芸能プロダクション、警備会社、パチンコ球遊器開発などの事業を手広く営んでおられる真っ当な実業家で、会社の取締役には警察OBの方々も名を連ねております。その辺りは誤解なきよう』

 大人って汚えよ……。

 と言うのが一時間前のことである。

 そうして今は神戸から帰ってきたところなのだが……。

「別に綾瀬は送ってもらえばよかっただろ」

「あなただって断ってたじゃない」

「いや、そういうことじゃなくてだな」

「いいのよ。あなたと一緒に帰りたい気持ちだったの」

 あの後、屋敷を出る時に何故か綾瀬も一緒について来たのだ。

 綾瀬がいそいそと伺うようにこちらを見上げる。

「ねぇ。どう思った?」

「どう思ったってなにが?」

「私があんな所に住んでるってことよ」

「別にお前がどこに住んでいようともお前はお前だろ? 何も変わらないから安心しろ」

「ほんと、あなたって変な人よね。私があんなとこの子だって知ると、他の子はみんな怖がって蜘蛛の子を散らすように私から離れていくのに」

「いい親父さんじゃないか」

「そうね。私の自慢のお父様……」

「なら、その父親に認めてもらえるように頑張らないとな」

「…………」

 返事がないので綾瀬の方へ振り返ると。

「ーーッ!」

 思わず息を飲む。

 だって、綾瀬の表情は小学生とは思えないほど大人なびていてこちらを見つめる頰には薄く朱がかかっている。

 いや、頰が朱く見えるのは背後にある夕陽がそうさせているのかも知れない。

 綾瀬はずずいっと俺に身体を寄せてくる。

「見捨てちゃ、ヤだからね?」

「安心しろ。俺が絶対お前の望みを叶えてやるよ」

 そうして綾瀬は(ささや)くように唇を動かす。

「あと、私のことも七海って呼びなさいよ……」

「突然なんでだよ」

「凛のことだって下の名前で呼んでるじゃない。私だけ苗字のままなんて不公平でしょ……」

「そういうもんか?」

「そういうものなの」

「そ、それじゃあ……」

 俺は「ごっほん」と咳払いをすると。

「な、ななな、七海」

 俺の様子に綾瀬はプッと笑い出す。

「キョドっちゃって、なによ……。全然締まらないじゃない。それに、女の子に「お前を幸せにしてやるなんて」そんな台詞、言うなんて私じゃなかったらセクハラなんだからね」

「捏造されてるんだよなぁ」

 そうしてクスクス笑うといつもの七海に戻る。

 その表情を見てこいつはいつも通りの方が似合っているなと思った。


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