逃走の果てに
「こんな時間にすまないな」
「気にすんな。ほれ、飲め」
憲兵で友人のジールはグラスへ、琥珀色の蒸留酒を注ぎ差し出してきた。
深夜にもかかわらず突然押しかけたうえに、快く迎え入れてくれた親友に感謝が堪えない。
「ぱぱぁ……ねんねしないのぉ?」
脇の寝室から寝間着姿の小さな女の子がトテトテと出てくる。
ジールに目元がそっくりな、彼の五歳になる娘だった。
「ごめんな、起こしちまって。パパのお友達が来たからさ」
「おともだち? 夜にあそぶのはだめなんだよぉ?」
「ま、まぁ、そうなんだけど……」
ジールが無垢で正直な娘の指摘に困り果てている。すると今度はジールには勿体ないぐらいの美人な奥さんが現われて娘の肩を抱く。
奥さんはロイドへはおしとやかな笑みを浮かべて会釈した。しかし視線がジールに戻った途端、目元が吊り上がった。
ジールは必死に謝るようなそぶりをする。そうして奥さんと娘に寝室へ戻ってもらったのだった。
家族持ちはなにかと大変そうだとロイドは思う。しかしそれをひっくるめても、こうして家族があることがうらやましいと思う彼であった。
「悪いな、本当に」
「だから気にすんなって。お前が常識人だってのは分ってるし、そんなお前がこんな時間に、しかも女連れで駆けこんでくりゃただごとじゃないことぐらい分かるって」
「……ありがとう。助かる」
「とりあえず!」
ジールがグラスを掲げ、ロイドも倣った。グラスを打ち鳴らし、一口で蒸留酒を飲み込む。
きついアルコールが全身へ瞬時に行き渡り、尖っていた神経が和らぐ。
ようやくここに来て、一息吐けた瞬間だった。
「にしてもようやくロイドにも春が来たってかぁ」
ジールはことさらに上機嫌そうに、空になったグラスへ酒を注ぎ直す。
ロイドの後ろにあるソファー。そこではリンカが猫のように丸まって、安らかな寝息をたてていた。
相当な疲れと安堵感からなのか、起きる気配は全くみられない。
「で、その嬢ちゃんはお前のなんなんだい?」
憲兵らしい鋭い詰問が投げかけられる。
「この子はその……」
ロイドはこれまでのリンカとのことをつぶさに語り始める。聞き始めこそ、ジールは微笑ましくロイドの話に耳を傾けていた。しかし下りがキンバライトの城のことに移った途端、にわかに表情を曇らせる。
やがてジールはまるで自分のことのように頭を抱えた。
「お前、何やってんだよ……! それ立派な犯罪じゃねぇか……」
「だよな……」
「だよなじゃねぇよ! 相手はキンバライト侯爵殿だぜ!? そこの嬢ちゃんは侯爵殿が正式に購入した奴隷なんだろ!?」
「だな……」
「はぁ……もうなにやってんだよ。しかも俺、憲兵だぜ? あー畜生! なんなんだよ! んったく!!」
ジールはきっと職務と、親友の犯した罪との間で苦しんでいるようだった。
本当はこの場で彼に捕縛されてもおかしくは無い。そうにも関わらず思い悩んでくれる友人に感謝が堪えなかった。
だからこそロイドは逃げ場としてここを選んだ。真っ先に彼へ相談したいことがあったからだった。
ジールの云う通り、譲渡証の授受があり、そこには刻印がはっきりと打たれていた――キンバライト邸でのリンカに対する一連のやりとりは形上では確かに正式な奴隷売買としてみえた。
しかしロイドには一つ、どうしても納得のいかないことがあった。
「これを見てもらえるか? どうやらこれはリンカの譲渡証らしいのだが……」
頭を抱える友人へ、ロイドはキンバライト邸でポケットにねじ込んだ“リンカの譲渡証”を差し出す。
そして譲渡証を受け取り視線を落としたジールは、息を飲んだ。
「これは……」
「この譲渡証はおかしくないか?」
ジールはグラスに残った蒸留酒を一気に飲み、コトンとグラスを置く。
表情は相変わらず険しい。しかしどこか安堵しているようにも見える。
「おい、ロイド。こいつはもしかするととんでもない山かもしれねぇな」
「ああ。拘留の履歴を調べてほしい。俺は明日の昼頃、直接確かめに行こうと思う」
「了解だ。ついでに俺の小隊も動けるように手配しとくぜ。万が一に備えてな」
「ありがとう。助かる」
「はぁ、全く……春の次は嵐ってか。もう良い歳なんだからいい加減落ち着けよ?」
そういう親友もまるでいたずらを思いついた少年のような笑顔を浮かべている。
「お前もな」
ロイドとジールは再びグラスを打ち鳴らし、酒を呷る。
そして明日の打ち合わせを簡単に済ませた。
ジールが寝室へ入ってゆくのを見届けて、リンカを守るようにソファーの前へ腰を下ろす。
安心しきっているリンカは穏やかな表情で安らかな寝息をたてている。
だからこそ明日、ロイドが仕掛けようとしていることを思うと、胸が張り裂けそうに痛かった。
――明日はもしかするとリンカにとって忘れられない日になるかもしれない。
その時、自分はどうすれば良いのか?
そんなことを考えているうちにロイドは深い眠りに落ちていたのだった。




