蟲が怖い-序-
「怖いモノ? ええ、ありますとも。俺が怖いのですか? そうですね。オカルトも怖いですけど現実的な恐怖としては虫ですかね……」
俺は語り始める。この状況に多少の違和感を覚えるが頭が回らない。
「なんで怖いかって? そりゃ多足はグロテスクで怖いでしょう。子供の頃からダメでしたね。綺麗な虫も居る? いや、それは分かってますよ。見るだけならいいんです。接近しないで頂きたい。蝶々もダメなんですよ俺。基本的に目に見える虫全てが怖いです。まぁ流石に小さい蚊とか蛾はそんなでもないですけどね……」
これは事実だ。飛ぶ虫、這う虫、飛び跳ねる虫、大嫌いだ。
「まぁとにかく虫は嫌なんです! 虫の居ない人工島が出来たら是非引っ越したいくらいに嫌いですよ!」
俺は目の前の男に叩きつける様に言うとその暗がりに建つ小部屋を後にした。
小部屋の外は灼熱炎天下。天気予報では熱中症に注意! と言っていた。とりあえずコンビニに入りスポーツドリンクと塩飴を買う。夏の必需品だ。汗かきの俺は特に。コンビニの外でカブトムシが死んでいる。死んでいても怖い。虫は生き死にが分かりにくい。死んだフリをしているだけかもしれない。靴で触れる気にもなれず、そのまま放置で家に向かう。帰り道にも虫は死んでいる。カナブンやセミ、比較的大きな虫が主だったラインナップだった。
夏の夜は怖い。光に虫が寄ってくるからだ。羽虫に甲虫、セミまで寄ってくる。恐ろしい事この上無い。家の中は中でカマドウマやゴキブリなんかが襲いかかってくるから油断ならない。
松田、と書かれた表札のかかったドアを開け部屋に入る。俺の名前は松田英行。しがない大学生だ。今日の昼間の小部屋はあまり思い出したくもない。友達に頼まれなければ虫の事なんか語りもしないし語りたくもない。
「今度殺虫剤炊くかなぁ……」
アパートのどこかから虫が入り込んでくる。全く、勘弁願いたい。そんなわけで殺虫剤炊くか考えている。部屋全体に広がるヤツだ。その前に部屋を片付けないといけない。面倒だなぁ。
「ん?」
部屋の天井にゴキブリを発見。早速侵入者だ。殺虫スプレーを片手に近付き、噴射する。逃げるがもう遅い。数十秒後には死んでいるだろう。ただし、こちらに飛んでくるから厄介だ。立ち上がり避難体勢を取る。真夏のゴキブリはタフだ。何秒か噴射し続けなければならない。
「死ねっ!」
そう言いながら噴射する。予想通りこちらに飛び込んできた。それを別の部屋に行って回避。心臓に悪い。しばらくカサカサ音がしていたがやがて止まった。
ゴキブリを殺した。何か虚無感の様なモノが満ちてくる。
「何やってるんだろ……俺……」
なんとなくため息が出てしまう。まぁ俺の射程圏内に出現した時点で万死に値するのだが。まぁやりがいは無い。こんな事にやりがいを感じたら悲しいが。
「さて、メシ喰って風呂入って寝るか。今日は妙なのを体験したからなぁ。寝て忘れるに限る」
さっさとやる事をやって寝てしまおう。そうしよう。俺は手早く全部済ませて熱中症対策にコップ一杯の水を飲んでからベッドに潜り込み弱めの冷房をつけて意識を手放した。
翌日、いや正確には明け方か。足に何かこそばゆい感覚を覚えて寝ぼけながら起きる。そして足を見てみると何も無い。寝ぼけているからか、あまり気にせずまた寝直す事にした。
虫だったら嫌だなぁなんてぼんやりと思いつつ。
起床、からの記憶を遡る。足に覚えた感覚をじっくりと考えて殺虫剤炊く事を再度決意した。