第一章 06 初めての戦闘
06 初めての戦闘
「ん?」
私は振り返る。地上のように、風が吹いて木や草がざわざわと音を立てた、わけではない。ジューゴの木の葉や海藻は、体がこすれあってもゆらゆらたなびくばかりで、あまり音が出ないからだ。
だが、さっきまで見えていた魚達が影を潜めている。ちょうど、私達がここにやってきたときに魚達が驚いて身を隠したように。
「お前も気づいたか。魔物狩り屋に向いているぞ」
ノアタムがそう言って私の真横に立つ。そして、長いひれを使って、近くの海藻の茂みを示す。
そこには、魚が一匹だけ、姿を現していた。
さっきから無邪気に海藻の間を出入りしていた魚とは、何か根本的に違う物を感じた。
「なんか、やたらこっちを睨んでない?」
その魚の目つきは、獲物を狙う鋭い目というよりは、敵意を持つ相手に向ける憎悪の目だった。
「そうだ。あれは人魚に敵意を持って攻撃してくる、『魔物』だ」
「魔物! あれが!!」
私は胸の鼓動が早くなるのを感じる。それは、RPGの戦闘みたいなことがこれから始まる、という期待でテンションが上がったせいでもあるし、いやいや興奮してる場合じゃなくて、リアル戦闘なんだから怪我することもあるでしょ、という緊張のせいでもあった。
私の興奮を知ってか知らずか、ノアタムは同じ調子で続けた。
「凶魚の一種だな」
「きょうぎょ?」
「魔物の中で、魚の姿の物を一般的にそう呼ぶ。こいつはそんなに大きくないから、凶魚の中でも一番弱い、ザーコウオだ」
「ザーコウオ? ザコの魚ってこと? ザコってそもそも『雑』に『魚』って書くでしょ? ザーコウオなんて漢字で書くと『雑魚魚』で魚がかぶってるじゃん! ダジャレで名前付けるにしてももう少し考えたら?」
「ノアタムアに漢字はないわい! お前にだけ日本語訳で漢字が頭に浮かぶだけだ! それに、ダジャレでなく言葉遊びと言え!」
ノアタムも言い返してきた。
「というか、シン、のんきにおしゃべりしてる場合ではないぞ」
その意見には私も賛成だった。現れた凶魚、ザーコウオは、私達に向かって突進してきた。私とノアタムは身をかわす。
「で、このザーコウオとはどうやって戦えばいいの?」
しょうもない議論をしたおかげで緊張がほぐれたようだ。私はザーコウオから距離を取りつつ、ノアタムに尋ねる。
「まずはナイフを構えろ。こちらにも攻撃手段があることを見せるのだ」
そう言いながらノアタムは私の後ろに下がった。
「あんた私を盾にする気じゃあ……あんた武器持ってないし」
ノアタムを横目で見ながら私はナイフを鞘から抜いた。包丁よりも大きな刃が手の中で光る。
「あんた魔法とか使えないの? ていうか神の力で魔物を退治したりしないの?」
「それはできない。魔物も、必要だからこの世界に生まれてきたのでな。倒すのは人魚の役目だ。詳しくは後で説明するが」
私がナイフを構えているので、ザーコウオは少し警戒し、突進してこないようだ。
「お前だって魔法を使える設定にしたのだから、魔法で戦ってもいいのだぞ」
「魔法! 使ってみたいけど、どうやんの? 呪文とかいるの?」
「精神を集中して、炎や水が現れることをイメージをするのだ。水の魔法は洞窟で言ったように、地上で風の魔法を使うイメージだな」
「地上も何も魔法を使ったことなんてないよ! 炎も……炎って海中でどうやって燃えるの? イメージしろったってわかんないよー!」
ぐずぐずしているので、業を煮やしたザーコウオがもう一度突進してきた。
「ならばナイフで戦え。ザーコウオならばナイフだけでも倒せるだろう」
ノアタムはそう言うが、私はどうしたらいいかわからず、ザーコウオの突進を避けるだけで精一杯だった。
「戦えったって……」
「お前のナイフは飾りではない。お前はこのノアタムアで、何度も魔物と戦ってきた、そういう設定なのだ。チートで無双な主人公ではないが、ナイフと魔法を使いながら一人旅を出来る程度の能力は持っているのだ。ザーコウオは弱い魔物だから、ナイフで何回か切りつければ倒せる。シン、お前はこの魔物に勝てるのだ」
ノアタムの言葉に背中を押され、私はナイフを構えてザーコウオに向き直る。
言われてみれば、このナイフは、ずいぶん手に馴染んでいるようだ。
他の誰かの物を借りているわけではない、これは、自分がずっと使ってきた武器なのだ。その事実を、肌で感じる。
次にザーコウオが突進してきたら、このナイフを振り下ろして切りつければいいのだ。
「そうだね……いける」
私は確信した。
そして、ザーコウオが突進してくる。
「えいっ!」
私はザーコウオに斬りかかった。ザーコウオは身をかわすが、体の側面をナイフがとらえる。
「やった!」
ザーコウオの体に大きな傷が付く。だがまだ倒れない。
「あれ? 血とか出ないの?」
私はザーコウオから目を離さず、ノアタムに尋ねる。ザーコウオの体の側面には深々とナイフの傷跡が出来ていたが、それは粘土細工の魚を切りつけたかのように、ただ、線になっているだけだった。
「うむ。それが魔物と生物の違いだ。魔物は血の通った生物ではないので、攻撃しても血は出ん。だがダメージにはなっているぞ。攻撃を続けろ」
「へえ、血なまぐさくなくていいね……!」
私がそこまで話したところで、ザーコウオがまた突進してきた。体に深々と傷は付いているが、その目つきは相変わらず敵意に満ちていた。むしろ、攻撃を受けてますます憎悪を募らせているようだった。
突進をかわした私は、もう一度ナイフを振り下ろす。ナイフはザーコウオの下半身をとらえ、尾ひれを切り落とした。
「やった!」
胴体の付け根から、尾ひれが離れていく。これでもう素早く泳ぐことはできないだろう。
「えっ、尾ひれが!?」
切り落とされた尾ひれは、ひらひらと水中を漂い、どこかに流れ去る前に溶けるように消えていった。
「魔物はこういう存在なのだ。だが、本体がまだ残っているぞ」
ザーコウオは、相変わらず憎悪の目でこちらを睨んでいた。しかし尾ひれが無くなったので、もう素早く突進することは出来ない。動きの鈍ったザーコウオに、私は思いきりナイフを振り下ろした。
ズバッ!
ナイフがザーコウオを両断した。二つに別れたザーコウオの体は、そのまま溶けるように光となり、私の腰のポーチに吸い込まれていった。
「え、何!?」
ポーチを見る私に、ノアタムが声を掛けた。
「よくやった、おめでとう」
「おめでとうじゃなくて、今の何?」
「魔物を倒したので、『蓄光石』に光が溜まったのだ」
「ちくこうせき?」
「うむ。ではその説明をしてやろう」