第一章 04 旅立ち
04 旅立ち
私はまず、真正面を見渡す。明るい光に包まれているので、よく見える。それに、自分達がいるのは少し高い場所のようで、見晴らしがよかった。
岩で出来た大地、というか海底が広がっている。海底にはあちらこちらに、珊瑚なのか海藻なのか、地上で言う木の茂みのような物ができている。そこに鳥が飛び交うように、魚が集まっているのが見える。
上を見上げると、太陽のように光る丸い物が世界を照らしている。
後ろを見ると、さっきまでいた洞窟が口を開けている。洞窟は外側も明岩でできており、昼間でも岩自体が光っているのがわかる。影の付き方が、上から降り注ぐ太陽の光が落とす影とは違うからだ。
洞窟は小さな岩山の中腹辺りにあった。
「ええと、で、どこに行こう? 町とかあるの?」
ひとしきり辺りを見回した後、私はノアタムに尋ねた。
「うむ。冒険の旅に出るには、まず拠点となる町が必要だな。
ノアタムアには、二つの国がある。
東にあるのがヒーズルの国で、西にあるのがヒボッスの国だ」
私はその響きがひっかかった。
「ヒーズルのくに……と……、ヒボッスの……くに? ひいずる……ひぼっす……。
……日出ずる国と日没する国? 聖徳太子が書いたやつ!?」
私は、私の元になった人々が社会科で習ったであろう、日本の歴史を思い出した。遣隋使だか遣唐使だかのときに、日出ずる処の天子が日没する処の天子に書類を送ったとかなんとかいうやつだ。
「ん、まあ、いいではないか。東がヒーズル国、西がヒボッス国だ。わかりやすいだろう?
わしらが今いるのはヒーズル国の南の方だ。
そして、ここからまっすぐ進むと、タヴィデという町がある」
「ダビデ? ダビデの星のダビデ?」
「いや、『タヴィデ』だ」
私はその響きにもひっかかった。
「タヴィデ……たう゛ぃで……たびで……旅出? 旅に出て最初に行く町だから?
あんた今、私と日本語で話しながら国や町の名前決めてるんじゃないの?」
ノアタムは、痛いところ突かれた! という顔をした。
「……固有名詞一つ一つまで最初からすべて作り込めるか。その辺は、お前と共にこの世界を回る際に随時決めていくのだ。日本語をもじっても、その響きは、人魚の言語で何かいい感じの語源を持つ言葉になるから大丈夫だ」
「えー、そんな適当なの? わしの世界をよく見るがいい! とかえらそうに言っといて」
「……『適当』という言葉はな、『雑だ』という意味以外にも、『ふさわしい』という意味もあるんだぞ!」
「開き直った……。まあ、神のあんたがいいって言うならいいけど。
じゃあ、ここからタヴィデの町に向かえばいいんだね」
話がそれたのでノアタムは安堵したようだ。
「うむ。遠くに町らしき物が見えんか? あそこまで泳いでいこう」
ノアタムは長い胸びれだか腹びれだかを使って前方を指し示した。
さっきから思っていたが、ノアタムのひれはやたらと長い。洞窟を出て日の光の下で見ると細部までよく見えるので、ますますそう思う。
ノアタムの胴体は細身の葉っぱのような楕円形で、魚としては珍しくない体型だ。だが、ひれは一部分が糸のように飛び出していた。最初は神だからひれが立派なのかと思っていたが、なんとなく、ノアタムの形状には見覚えがあった。
「……、あ、そうか、あんた、あれに似てるんだ! 三脚魚!」
私はそれを思い出した。深海魚の一種で、尾びれの一本と胴の二本の長いひれを使って、海底にカメラの三脚のように立つ魚だ。
「そう、わしの体のモデルは三脚魚だ。世界をお前と共にめぐるに当たって、あまり目立ちすぎる姿でもいかんが、まるで威厳のない姿をしているわけにもいかん。
三脚魚は、ひれが立派だから神っぽいだろう。そこから更にわしだけのデザインを加えてこの形に落ち着いた。なんと言ってもわしは神だからな。
本来の三脚魚はプランクトンを食べるために海底で立ち続ける魚だが、わしは海底でじっとプランクトンを待ちはしないので、ひれの長さは少し短めだ。こうして泳ぐときの方が多いしな」
ノアタムは私の顔の周りを、立派なひれを動かして泳いで見せた。
「ひれが立派だからその体を選んだのか。まあ、私もまんまと、普通の魚とは違うって思っちゃったけどさ。
でも、あっちに町なんか見えるかなあ」
私はノアタムが示した場所に目をこらす。だが、遠くの方はぼんやりしてよく見えなかった。
「人魚の目は人間と違うから、海中でもかなり遠くまで見渡せるし、さらにわしのつくった太陽で明るさもある。とはいえ、距離があるとかすんで見えなくなってしまうな。少し進めば見えてくるはずだ。
ではシン、そろそろ行こうか」
私はうなずき、前進を始める。
私は地面に沿って、岩山を降りていこうとした。
「ん? シン、何をしておる。もっと目的地に向かってまっすぐ泳いでいいのだぞ」
その場からそのまま前に泳ぎだしたノアタムが、振り返ってそう言った。
「あ……そうか! 人間と違って、人魚は地面がないところでも移動できるんだ!」
そうだ、自分は今、人魚になっているのだ。人間ならば地面を歩いてまず岩山をおり、そこから町に向かって歩くしかないが、人魚なのだから山の中腹からそのまま町の方向に泳ぎ出せばいい。そもそも、今までだって地面に立っていたわけではなく、宙に浮くように水中に静止していたのだ。
「人間と人魚って、そういうとこも違うんだなー」
「そうだな。さあ、行くぞ」
私はノアタムと共に、そこから真正面に向けて泳ぎだした。