第一章 03 深海の太陽と月
03 深海の太陽と月
「ではシン、装備と所持金の準備は出来たし、そろそろここから出ようか」
装備一式を身につけた私を眺め、ノアタムが言った。
「冒険のスタートって感じだね! でも、どこに行くの? ていうか、ここどこ?」
さっき目覚めたときから、ずっとノアタムと二人でいた場所。青い光に包まれた洞窟のような空間、ということ以外、何もわからない。
「それに、なんで明るいの? 深海なんだよね? 深海って真っ暗なんじゃないの? さっきあんたが、私のうろこが赤いのは深海では赤が真っ黒に見えるからとかなんとか言ってたけど、この明るさはどうなってんの?」
「質問攻めだな。いいぞいいぞ。ではまず、この世界の光源について説明しよう。
もちろん、リアルな深海は真っ暗だ。海の上に輝く太陽の光は、海の水にさえぎられて深海まで届かないからな。だが人魚の世界を作るにあたり、真っ暗では都合が悪い。
そこで、わしは深海に疑似太陽を作ることにした。
といっても、地上と全く同じ物を作ることは出来ん。
地上の場合は、人間は地表にのみ生息し、遙か遠くにある別の天体である太陽を仰ぎ見ている。だが海中では、人魚は海底に密着して生息しているわけではない。ある程度の上下移動はする。
それに、深海から頭上を見上げた場合、空として見えるのは、同じ海の上層部だ。
深海にとっての『空』に擬似的な太陽を作る、ということは、海の中程の深さに太陽を作って移動させることに他ならない。
深海から見ればそれは上空に輝く太陽だが、中程の深さに生息している生物にとっては、熱と光を放つ巨大なエネルギー体が間近に現れることになる。
ギリシャ神話のイカロスのように、太陽に接近して死ぬ者が出てはよくない。
だから、太陽と言っても、『ノアタムアの生物だけが感知できるエネルギーでできた物体』、ということにしたのだ。
わしが海中に作った疑似太陽は、人魚や、人魚の生活に必要となった生物だけが、その光や熱を感じるのだ。
だから、元々深海に住んでいた生物には、わしの作った疑似太陽は感知できない。
深海生物は暗い世界に適応し、わずかな光を察知する目を持っていたりするが、それらの生物にはわしの疑似太陽の光は見えないから、まぶしさで生活に支障を来すことはない。
海の中程の深さにいる生物も、疑似太陽に接近して死ぬどころか、そこに疑似太陽があることすらわからない。熱も光もその地域の生物には届かず、疑似太陽に触れることもできないので、疑似太陽があっても気づかずに通り過ぎていくだけだ。
もちろんその光は地上にも届かないので、海中に何か発光体がある、などと人間が騒ぐこともない。
神の力で、そういう特殊な疑似太陽を作ったのだ。人魚達にとっては地上の本物の太陽を見たことがないから、わざわざ疑似と言わず、『太陽』とだけ呼ぶことになるがな」
私はノアタムの説明を頭の中で咀嚼する。
「ええと、つまり、あんたの力で都合のいい太陽を作ったってことだ」
「要約しすぎだ。だがまあ、そう理解してもらってもかまわん」
「で、あんたの作った太陽を人魚だけが感知するってのはわかるけど、人魚の生活に必要な生物も、ってのはどういう意味?」
「深海魚の口が大きいのは、深海には生物が少なく、出会った獲物を逃さないため、などという話に聞き覚えはないか?
ノアタムアは深海にあるが、そこで人魚が繁栄するためには、人魚の生活を豊かにする生物が必要だ。人魚の食料になる魚や、お前の着ている服の原料になる海藻などだ。
それらは元から深海にいた生物を増やすより、わしの作った太陽によって活性化し、繁殖する生物を増やした方がいい。本来の深海生物は、暗く生物の少ない環境に適応した形だからな。明るいところの生物とは根本的に形状が違う。
疑似太陽でノアタムアを明るくするのだから、日光を求めて大きく広がる海藻やそれに集まる魚などが存在した方が、人魚の生活が豊かになるだろう。人魚と共にそういう生物も存在するように、わしが設定したのだ。
だからノアタムアは深海にあるが、魚や海藻がたくさんあるのだ」
私はその説明を黙って聞いていた。
「……なるほどねー。あんたってそういうこともできるんだ。天地創造って感じ」
とりあえず、正直な感想を述べた。
「そうとも。神だからな」
ノアタムはまたどや顔をした。やっぱりちょっとイラつく。
「でもここって洞窟の中だよね? 深海に太陽があるとしても、洞窟の中まで明るいのは何で? 窓があるわけでもないし、なんか、岩が光ってるように見えるんだけど」
私は辺りを見回す。ここは左右だけでなく、上下も岩に覆われた空間だった。もちろん天井に穴なども開いていない。
「この辺りの岩はな、『あかるいわ』で出来ているのだ」
「あかるいわ? 明るい岩ってこと?」
「うむ。漢字で書くと『明岩』、響きも話し言葉の『明るいわ』とダブルミーニングになっているな」
「へえ……。って、何で人魚の世界に漢字や日本語の発音があるんだよ!」
「うむ。いいぞそのツッコミ」
私の叫びに、ノアタムは満足そうにうなずく。
「何度も言っているように、人魚の言語は日本語訳されてお前に届いている。うまく漢字や読みが当てはめられる場合は、しゃれの効いた日本語訳になるのだ。『明岩』は文字通り明るい岩だし、『ああ、この岩、明るいわー』と言いたくなる岩だからな。そういう日本語訳になったのだ。
なにしろ、夜でも明るいからな」
「へえ、そうなんだ。それは確かに、『辺りは真っ暗なのにこの岩、明るいわー』って言いたくなるかもねえ」
「ん、まあ、夜には月が出るので、真っ暗というわけでもないがな」
「え、太陽だけじゃなく月もあるの?」
ノアタムは私の反応を待ってましたとばかりにうなずいた。
「もちろんだ。ノアタムアの太陽は遙か遠くの天体ではなく、海の中を移動するエネルギー体なのだから。
地上では、星の自転により、天体が東から登って西に沈むように見えている。だから地上の太陽はずっと東から登り、西に沈み続ける。
だがノアタムアの太陽は、実際にエネルギー体が東から西へ移動しているのだ。だから、翌朝も東から太陽が昇るためには、一度西に移動したエネルギー体が、翌朝までに西から東へ戻る必要がある。
そこで、毎日、西に沈んだ太陽は、すぐに『月』となって西から登るのだ。そして、太陽よりは弱い光を放って、西から東へ移動して沈むのだ。
そうして西から登って東へ沈んだ月は、すぐに翌朝の太陽となって東から登るのだ」
「へー。キャッチボールしてるようなもんか。月が西から昇って東へ沈むってのは、異世界感があっていいな」
「気に入ったか? そうかそうか」
ノアタムは満足そうに言い、続ける。
「月は、毎日同じ輝きではつまらんので、地上の月と同じように満ち欠けする設定にした。
新月から満月になり、もう一度新月になったところで、『一ヶ月』だ。
もちろん、太陽が昇って沈んでのサイクル一つ分が、『一日』だ」
「そっか、言われてみれば、一日とかひと月とかの単位って、太陽と月が由来だっけ」
「うむ。だからノアタムアは深海とはいえ、地上と同じリズムで生活できるぞ。今は昼だから、洞窟の外には太陽が輝いているはずだ。
シン、そろそろここを出て、ノアタムアを眺めてみんか?」
そう言われ、私はゆっくりとうなずく。
人魚の世界というのは予想外だが、自分の元になった日本人達が憧れてきた、剣と魔法のファンタジー異世界。
「装備もそろったし、どんな冒険が始まるのか楽しみだよ!」
「出口はこちらだ。いや、入口と言うべきかな」
ノアタムは先導して泳ぎ出す。私も後について泳ぐ。
やがて、洞窟が大きく口を開けている場所に近づいていく。
「ここをくぐれば外だ。シン、わしの作った世界をよく見るがいい」
ノアタムはそう言い、洞窟の外へ向かう。
私も、明岩の輝きとは違う、光にあふれた場所へと進んでいく。
洞窟の外に出たところで、ノアタムが言った。
「ようこそ、わしの箱庭、ノアタムアに」