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プロローグ


 プロローグ



 目を開けると、魚の正面顔があった。

「目覚めたようだな。わしは神。お前は『現実がクソだから異世界に行きてえ』という人間の思いを具現化させた存在」

「……は?」

 魚がわけのわからんことを言うので思わず声が出た。

「正確に言うと、わしは深海を統べる神だ。だが、深海にはあまり生物がおらず退屈でな、もっと賑やかにしようと思ったのだ」

「はあ……」

「地上には地上の神がおり、人間を繁栄させてよろしくやっている。わしも同じように深海に町やら国やらを作ろうと思ったのだが、陸と海では勝手が違う。

 わしは神の権限で、一度だけ異世界にアクセスできる。わしは地球の日本という国にアクセスした。日本は島国で海の研究が進んでいるようだからな。わしはそこで得た知識を元に、海底に文明を作ることにした」

「……」

「地上と全く同じものを作るのもつまらんので、どうせなら人魚の国を作ろうと思った。だからお前の体も人魚として作ったのだ」

「…………は? 人魚?」

 私は体を起こす。そして自分の体に視線を向ける。まず右と左に伸びた手が見える。これは人間の両腕と変わりない。それからブラジャーをつけたあまり大きくない胸が見える。その下には胴があり、腰に巻きスカートのようなものを履いている。スカートの下からは足が……足が……出ていない。大きな魚の尻尾が見える。

「うわーっ! 何これ!」

 私は暴れた。両腕も、魚の尻尾も動く。

 周りは洞窟のようで、青い光に包まれている。私は立っても座ってもおらず、空中に浮いているような状態だった。空中? いやこれは、水中?

「何を暴れている。お前は現実がクソだから異世界に行きてえと思っていたのだろう。その気持ちを具現化させた存在だというのに」

「異世界に行きたいとは思ってたけど人魚になりたいとは思ってないよ! てかそれどういう意味!?」

 魚は説明した。

「わしは日本という国にアクセスしたと言ったろう。日本には異世界に憧れて空想の世界に心を飛ばす人間が多く存在する。心が『うわのそら』になっているわけだ。そうやって『上空』にさまよっている異世界への願望をすくい取り、わしはこの世界に戻って、お前という存在に結実させたのだ」

 説明されても抽象的でよくわからない。

「それはつまり……今の私の状況は、ラノベの冒頭の『魔王を倒すために異世界から勇者を召喚した』とか『死んで異世界に転生した』とかそういうやつ?」

「まあ似たようなものだ。お前は勇者ではないし死んでもいないがな。日本人の特定の個人をこちらに連れてきたわけではない。異世界に憧れる人間の精神を連れてきたのだ。だが日本人だったころの記憶はなんとなく思い出せるだろう」

 魚に言われ、私は記憶をたどってみる。不景気、就職難、そんな現実から逃避するために主人公が異世界へ行く物語に憧れ、自分も異世界に行きたいと思っていた、そんな気がする。

「言われてみれば……。でも、異世界に行きたいと思ってたのって、男より女の方が多かったんだ」

「ん? なぜだ」

「だってこれ女の体でしょ? 私の元になった精神ってやつが女の方が多いから私も女になったんじゃないの?」

 記憶をたどっても、自分自身の体の記憶というものは無い。日本人の特定の誰かの人生を思い出せるわけではないからだろう。しかし日本で、男の主人公が異世界でいろんな女にもてるような物語が流行っていたことは覚えている。だから異世界行きの願望は男の方が多いように思えた。

「ああ、人魚は基本的に女ばかりなのだ。わしがそういう設定を考えた。だからお前も女なのだ」

「あそうなの。確かに人魚って絵でも女の姿で描かれることが多いもんねえ。

 で、何で私を作ったの? チートな主人公にでもしてくれるとか?」

 何にしても、日本から異世界に来たのだ。これから何かが始まるに違いない。

「そういうことはやらん。初プレイのゲームをいきなりレベル99でスタートするようなもんだ。強すぎてつまらんだろう」

「じゃあ……人間と恋に落ちたりするの? 種族を超えた愛に引き裂かれる悲劇の主人公とか」

「あーダメダメ。人魚というとすぐそれだ。人間と出会って恋に落ちて、人間に化けて地上へ行くとか言い出すやつな。せっかく人魚の世界を作ろうとしておるのに人間になられてたまるか。

 そもそもここは深海だ。水圧だってものすごいんだぞ。深海魚を地上に引き上げると水圧が減って内臓が飛び出すなんて話を覚えておらんか? 人魚と人間が出会うとなったら身体構造の調整がまず必要だ。めんどくさい。陸上とは交流を一切持たんことにする」

「ああそう。じゃ何のために私を作ったの? それに人魚が女ばっかりで人間とも出会わないんだったら、どうやって生まれてくるわけ?」

「人魚の下半身は魚だからな。魚には性転換するものがよくいる。人魚も女になったり男になったりするのだ」

「えっ!? 何それ!」

「そう、それだ! わしがお前に求めているのは」

 私が声を上げるとすかさず魚が食いついた。

「わしは神だ。海底に人魚の国を作る場合、すでにある程度国家が栄え、人々が、人魚が繁栄している状態を作ってしまえる。国の歴史も風習も『ずっと昔からこうだった』と設定すれば、過去も含めて決定できる。国の住人はそれに何も疑問を持たん。

 だが、すべてわしの一存で決めることになるのでな。不自然な設定があっても見過ごされる可能性がある。だから第三者の視点がほしいのだ。

 お前はわしのパートナーとして、異世界の人間の視点で、この世界の設定を吟味してほしいのだ」

「つまり、この世界をデバッグしてほしいってこと? あんたの、神のパートナーとして……。

 私は神のパートナーとして異世界からやってきた主人公、ってことか! いいじゃん、かっこいい!」

「主人公主人公うるさいぞ、自分の物語の中では誰もがその物語の主人公なのだぞ!

 ……まあ異世界に憧れる精神を具現化した存在なのだから、浮かれるのはしょうがないか……。

 だがお前がわしのパートナーだからといって、そこまで贔屓はしてやらんからな。お前にはこの世界の一般的な人魚の生活を体験してもらう。だから、チートで無双な主人公ではないのだぞ」

「ええー。まあいいか、それでも」

 自分が異世界にこうして存在している。それだけでも嬉しいのは事実だった。

「では、まず名前を決めねばならんな。お前、何がいい」

「いきなり言われてもなあ……。あんたの名前はなんなの」

「神を『あんた』呼ばわりするな」

「あんただって私を『お前』呼ばわりしてるじゃん」

「神なのだからそのぐらい当然だろう。

 ……まあ良いわ。わしは深海の神、ノアタム。ここは深海世界、ノアタムアだ」

「世界名とあんたの名前がほぼ同じなんだ……。でも、中世ヨーロッパ風ファンタジー系だね? てことは私もそれっぽくした方がいいよねえ。んーでも、そもそも自分の顔もわかんないんだけど」

「ならばそこに泉があるから、自分の姿を映してみるといい」

「へえ……。って、何で深海に泉があるんだよ!」

「おお、いいぞいいぞそのツッコミ。お前にはそういうことをしてもらいたいのだ」

 魚は、ノアタムは満足そうにうなずいた。

「なぜ泉があるかというとだな、人魚は海の中に住んでいるとはいえ、上半身は人間だ。ならば地上における人間の風習を人魚にも持ち込んだ方が、生活しやすいのではないか。

 人間の生活は人間が実際に生活する上で形作ってきたものだが、人魚は、ぶっちゃけ空想の産物だからな。海底でリアルに進化してきた生物とは異なる。

 だから、人魚はある程度、人間と同じような生活をしているとして、海底の状況を地上に合わせるような設定を作った方が、人魚にとって暮らしやすいのではないかと考えたのだ」

 それを聞いて、私もうなずく。

「なるほどねえ……。あんた、神だけあって人々のことちゃんと思いやってるんだ」

「当然だ。で、水と油が混ざらないことは知っているだろう。海水よりも重い液体があれば、深海でもその液体が『泉』として存在することはできるはずだ。

 人魚は海中に住んでいるのだから、普通に呼吸していればそれで水分補給ができる。だが嗜好品として、『液体を飲む』ことが出来た方が楽しいだろう。

 だからその海水より重い液体を人魚の世界における『水』として、人間が水を使って行う行為を重ねることにした。異世界の液体だから成分はファンタジーでいいだろう。名前も、『シーズ水』とした」

 その単語の響きがひっかかったので、私は自分でもつぶやいてみる。

「しーずみず……しーずみず……清水? 沈む水? それってダジャレ? 日本語の。ていうか人魚って日本語話してるの?」

「お前のために、人魚の言語を日本語訳しているのだ。異世界の視点でこの世界を判断して欲しいので、お前の自我は日本人のままだ。言語も日本語のままで生活できるように、お前の目と耳に言葉が日本語訳されて届くように設定した。『シーズ水』は人魚の言語では『海の恵みの水』のような意味になっている」

「そうなんだ。そういや英語でも海はseaだもんねえ。英語っぽい響きでもあるか。

 じゃ、ちょっと自分の顔を見てみるかな……」

 私は泉の方へ向かおうとした。泉は五メートルほど先にあり、洞窟の地面がくぼんで、確かに液体が溜まっているように見える。

「って、人魚の体で、どうやって移動すりゃいいの!?」

 上半身は人間のころと同様に動かせるが、下半身の動かし方がわからない。いや、人間の足を動かす要領で魚の下半身は動かせるが、人間のときのように歩くわけにはいかない。私はその場でジタバタした。

「落ち着いて、人間が両足を閉じて前後に動かすイメージで魚の下半身を動かしてみろ。バタフライで泳ぐような感じだ。

 魚は頭に対して尾を左右に振って泳ぐ。だが、イルカやクジラなどの哺乳類は、頭に対して尾を前後に振って泳ぐだろう。魚類と哺乳類では骨格が違うのだ。人魚は下半身は魚とは言え、上半身は人間だからな。骨格は魚よりイルカに近いのだ。イルカのように泳げ」

 ノアタムがアドバイスをくれた。言われてみれば確かに、イルカと魚の泳ぎ方は違ったはずだ。私はドルフィンキックをイメージして下半身を動かしてみる。

 すると、尾ひれが水を押して体が前に進んだ。が、今度は上下にうまく動けず、バランスを崩して顔を地面にぶつけそうになる。

「あーっと!」

 私は叫びながら地面の岩に手をついて体の向きを変える。

「泉に行く前に、ちょっと練習した方がいいな」

 ノアタムに言われるまでもなく自分もその必要を感じたので、その場で少し泳ぐ練習をした。

 やがて、なんとなくコツをつかんでくる。

「下半身、バタフライで泳ぐ感じって言われたけど、人間みたいにまっすぐな足の真ん中に膝があってポキッと折れる感じじゃなく、背骨みたいにいっぱい関節があって、全体が丸くしなる感じなんだね」

「うむ。人間が人魚のスーツを着用しているのではなく、骨格ごと下半身が魚になっているからな。それが今のお前の体だ。人魚としての体の動かし方になじんできたか?」

「うーんまあ、さっきよりはいいかな。じゃあちょっと、泉に行ってみるよ」

 私は泉の方を向き、そちらへ向かって泳いでみる。バタフライのように、しかしもっとしなやかに下半身を動かす。腕はあまり動かさず、時々平泳ぎのように動かす程度にしてバランスを取った。

 そしてようやく、泉にたどり着いた。

 泉は、地上の洞窟に水が溜まっている光景と同じような姿をしていた。表面は波だってはおらず、鏡のように洞窟の天井を反映していた。私は泉をのぞき込み、そこに自分の姿を映してみる。

 年齢は、二十歳ぐらいだろうか。黒のショートヘアに黒い瞳。目を見張るような美人ではないが、まあ、悪い方ではないかな、ぐらいの顔立ちをしていた。

「これが、この世界での私の顔か……」

 私は自分の手で自分のほおに触れる。

「気に入ったか?」

 ノアタムが隣に泳いできてそう聞いた。

「うん。悪くはないよ。でも、人魚ってすっごく髪が長いイメージあったけど、私は短いんだね」

「ああ、絵に描くときは水中に髪が広がっている方が見栄えがするからな。だが実際に泳ぐときは邪魔だろう? 生まれたときから人魚だった者ならともかく、お前は人魚の姿になったばかりだからな。とりあえず短髪にしておいた。伸ばしたければ伸ばしてもいいぞ」

「んー、まあ今はいいや。あと、黒髪なんだね。人魚ってもっと派手な髪色のイメージあったけど」

「お前の精神は日本人をベースにしているからな。上半身も日本人っぽく設定したのだ。肌や髪の色、それに彫りの深さも日本人並みだ」

「えっ、でも、あんたの名前が『ノアタム』なんだよね? てことはここって『中世ヨーロッパ風の異世界』なんじゃないの? 私がそんなに日本人っぽくていいの?」

「おお、いいぞその質問攻め。確かに人魚ばかりの世界とは言え、ノアタムアはお前の言うとおり『中世ヨーロッパ風ファンタジーの世界』だ。

 だが、心配はいらん。魚の体色は多種多様だろう。うろこやひれの色が様々なように、人間部分も日本人っぽい人魚や西洋人っぽい人魚など、たくさんいた方が楽しいではないか。日本人風のお前が西洋風の名前を名乗っても何の問題もないぞ」

「そうなんだー」

「お前の魚部分のうろこの色は赤だ。深海魚には赤いものが多い。薄暗い深海では赤は真っ黒に見えるからな。ノアタムアは深海とは言えわしの力で明るく見えているが、とりあえずお前のうろこの色は定番の赤を選んだのだ」

 ノアタムはそう解説を続けたが、私は自分の名前を考え始めたので生返事ですませた。

 自分の名前……といきなり言われても困ってしまう。

 私は腕組みをして考える。やがて、主人公の名前を自由に設定できるRPGで、名付けに時間がかかっている光景が頭に浮かんだ。それが誰の記憶かはわからないが。目を閉じて適当に名前を入力している光景も頭に浮かぶ。だが、ゲームならばともかく、自分自身の名前に対してそんなことはやりたくない。

 じゃあ何か、意味のある言葉をもじろう、と私は考え直す。

 人魚の言語はわからないが、日本語を外国語っぽくもじればそれっぽくなるんじゃないか。と考えていろいろ単語を思い浮かべてみるが、どれもしっくりこない。

 異世界からやってきたということで、『来訪』をもじるのはどうかと思ったが、ライホーだとハイホーみたいだし、ひっくり返すとホーライになって蓬莱になってしまう。『来臨』でライリーンだと響きはいいのだが、来臨は敬って言う言葉だから自分に使うのは気が引ける。

 異世界から『来た』ことに関する言葉でなく、もっと別の単語で考えてみようか。私は日本からこの異世界に来たとは言え、特定の個人が移動したわけでも、死んで転生したわけでもないとこの『神』が言った。日本人の『精神』を連れてきて、新しく人魚の形に作ったんだとか……。

 ……『神』が、『精神』を、『新しく』?

 新……シン?

「『シン』! シンってどうだろ、私の名前!」

 私は顔を上げてノアタムに言った。

「『新しく』この世界で生まれたってことで。シンなら日本っぽくも西洋っぽくもあるし、シンプルで良くない?」

 ノアタムもうなずいた。

「シンか。良い名だ」

 ノアタムは笑った、ように見えた。魚の笑顔なんて初めて見た。

「ようこそ、シン、深海世界、ノアタムアへ!」

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