6 館内の怪異
「この近くの遺跡というと葦野ヶ里だな」
玲七郎の方からその名が出たことに動揺したのか、広崎は「あ、はい」と答えたまま、固まってしまった。
「あそこは全国的にも有名な場所だし、もし、本当に客が行方不明になったんなら、おれなんかじゃなくて、警察に頼むべきじゃねえのか?」
玲七郎にギロリと睨めつけられて、広崎は、またゴクリと唾を飲んだ。
「そ、それが、減るばかりじゃなくて、増えてる時もあって、しかも、いずれの場合でも、お客さまもドライバーも異常はない、と言うんです。シャトルバスなので乗客名簿なんかありませんし、誰が減ったり増えたりしているのか確かめようもないんですが」
大志摩が、「ドライバーは、若先生をお迎えにあがった、渋谷でございます」と補足した。
「そうか。間抜けそうなドライバーだったが、嘘を吐くような奴には見えなかったな。おめえの勘違いじゃねえのか?」
広崎は激しく頭を振った。
「お客さまのお名前までは確認しませんが、乗車と下車の際には必ず人数をカウントしています。自分だけだと間違いがあるかもしれないので、同じく研修に来ているドアマンの玄田くんと、別々に数えて確かめたんです」
「ふーん。まあ、それが本当だとしても、やっぱり、警察の管轄だろう」
玲七郎が突き放すように言って、再び、広崎が返答に窮したところで、大志摩が「申し訳ありません、説明が要領を得なくて。せっかくてすから、冷めないうちにステーキを召し上がってくださいな」と勧めた。
「そうだな」
玲七郎は、分厚いレアのステーキを大きめに切って口に放り込み、「うん、うめえ」と頷いた。
肉を咀嚼しながら、まだ横に立っている広崎に、「なんだよ。まだ何かあんのか?」と訊いた。
「すみません。シャトルバスの件が切っ掛けかどうかわからないんですが、最近、館内で異常が続いていまして。元々古いホテルですから、怪談話めいたものは昔からあるんですが、ここ一ヶ月ぐらい、特にその手の苦情や報告が多いんです。廊下を歩く変な足音が聞こえるとか、窓から変なものが覗いていたとか、ドアの下から人間の手の先が見えたとか、シャワーを浴びていると後ろに人の気配がするとか、飾ってある絵から化け物が出て来たとか」
『絵』と聞いた瞬間だけ、玲七郎の片方の眉がピクリと上がった。
「ほう」
「本当は、友達にこういうことに詳しい人間がいるので、事前に相談してから会社に報告しようと思ったんですが、別件で忙しいらしくて」
玲七郎が片手を上げて「ちょっと待て」と遮った。
「その友達ってのは、おれの親父が仕切ってるホテルで、勝手に仕事をしたとかいう傀儡師じゃねえか?」
広崎は、ちょっと不満そうに口を尖らせ、「いえ、それは違います」と抗議した。
「風太は、ちゃんと堂本総支配人の許可をいただいて」
玲七郎がバンとテーブルを叩いた。
「ふざけるな、俗人に何がわかる! おれたちにはおれたちの仁義があるんだ!」
大志摩が「まあまあ、若先生。その際は失礼しました。堂本総支配人になり代わりましてお詫び申し上げますわ」と宥めた。
「ふん、まあ、済んじまったことは、いいけどよ。それより、その傀儡師、この街に来てるぜ」
聞いていなかったらしく、広崎は「えっ」と驚いた。
「風太の幼なじみが小学校の先生をしていて、そこに表の方の仕事で行くから、と言ってたんですが。まさか、この街とは」
玲七郎は何か思い出したのか、唇を歪め、「ふん」と苦笑いした。
「そいつのことは、もういい。あと報告することは?」
広崎は言おうか言うまいか一瞬迷っているようだったが、チラリと横目で大志摩を見て、「いえ、ございません」と深々と頭を下げ、レストランから出て行った。
大志摩が「すみませんねえ、説明が下手で。あとで文章にまとめさせますから」と謝った。
「いや、レポートなんかいらねえ。どうせ素人が見聞きしたことなんか、参考にもならねえよ。自分の目で見ねえとな。その前に、腹ごしらえだ」
玲七郎は、風太の話が出たことで闘志を掻き立てられたように、ステーキを貪り食った。
ステーキの後、玲七郎はコーヒーを飲みながら「葦野ヶ里も気になるが」と切り出した。
「とりあえず、このホテルの館内が先だな。一回、隅々まで徹底的にお祓いしてみよう。果たして、鬼が出るか、蛇が出るか、だな」
玲七郎がキュッと口角を上げて笑うと、大志摩もそれに負けないほどギューッと口の端を斜め上に伸ばした。笑顔には、見えなかった。