24 猫来たる
目が醒めた時、おれの頭に最初に浮かんだのは、ここはどこだろうという疑問だった。殺風景な狭い部屋に簡易ベッドとトイレしかない。隣の部屋と仕切る壁の一部が透明なボードになっており、手前と向こう側にそれぞれ一脚ずつ椅子が置いてある。
「まるで刑務所だな」
自分でそう言って、ギクリとした。本当にそうかもしれないと思ったのだ。
「おれは、いったいどうしたんだ。いや、そもそも、おれは誰なんだ」
頭の中に白い靄のようなものが掛かっていて、何も思い出せない。知らぬ間に、何か罪を犯したのだろうか。おれはパニックに陥りそうになった。
と、隣の部屋のドアが開き、誰か入って来た。頭に白いものが目立つ、初老の痩せた男だった。掴みどころのない、死んだ魚のような目をしていた。
男は透明なボードの前に座り、観察するようにおれを見ている。
いつまでも喋り出さないので、こちらから話しかけてみた。
「あの、おれを知っている方ですか?」
男は「ほう、わからないのかね?」と、逆に尋ねた。
「はい。自分が誰かすらわかりません。おれを知っているなら、教えてくれませんか」
また、しばらく男は黙った。どう言おうか、考えているようだ。口を開いた時には、少し微笑んでいた。
「わたしはおまえの父親だよ。長いこと放って置いて、すまなかった。もう心配することはない」
「えっ、お父さん?」
「そうだ。おまえの名前は、龍造寺慈典だ」
「龍造寺慈典?」
強烈な違和感がある。だが、それを否定する記憶もない。
「そうだ。おまえが誤って警察に逮捕された際、頭を強く打ったと聞いている。おまえの記憶に障害があるとするなら、そのせいだろう。だが、安心しろ。おまえが無実なのは、警察もわかってくれたよ」
「そう、なんですね」
「家に帰れば思い出すさ。さあ、一緒に帰ろう」
「でも、この部屋の鍵は?」
「大丈夫だ。わたしが持っている」
「え?」
おれの父親だという男は、ポケットから鍵を出すと、隣室との境のドアを開けて入って来た。また違和感を感じる。何かがおかしい。
「さあ、来るんだ」
「あの、お父さんは、警察の人、なんですか?」
男はニヤリと笑った。
「いいや。だが、警察より偉いのさ。ほう、信じられないという顔だな」
男は入って来たドアに向かって、「おい、誰かこちらへ来い!」と呼んだ。
「はい」という返事があったが、イントネーションがなんだか怪しい。
入って来たのは、制服の警官だったが、瞼のないような真ん丸な目をしている。男に向かって敬礼した。
「署内は全てわれらが制圧いたしました、ダ、いえ、龍造寺さま」
「ご苦労」
男はどうだと言わんばかりにおれに頷いて見せ、「さあ、行こう」と手招きした。
おれは迷った。目の前の男が自分の父親とは思えない。かと言って、このままここに閉じ込められるのもイヤだ。ハッキリとは思い出せないが、ここで何か恐ろしいものを見たような気がする。
とりあえず、ここを出よう。後のことはまた考えればいい。
「わかりました、お父さん」
男は、急に素直になったおれの態度を怪しむように見ていたが、「うむ」と頷いて歩き出した。
おれがいた場所は警察署の中だったらしく、隣の部屋から廊下に出ると、制服の警官が大勢いた。皆、瞼のないような真ん丸な目をしている。おれの父親だという男をとても畏れているようで、近づくとペコペコと頭を下げて横に避けた。
玄関から出ると、日差しが眩しくて、めまいがした。そのため、急に立ち止まった男の背中にぶつかりそうになった。
横から覗いてみると、男の前に黒い仔猫がいる。黒猫は男を睨むと、ニャーと鳴いた。
「そこをどけ。おまえ如きの出る幕ではない」
男は、明らかに黒猫に向かって喋っていた。
どういうことだろうと思っていると、黒猫の後ろから三毛猫がやって来た。それだけではない。さらに白猫、縞猫、八割れなど、続々と何匹も何匹も猫が集まって来ている。
さらにその一番後ろから、喪服のような黒いドレススーツを着た女が歩いて来た。ストレートな黒髪を眉の上で切り揃えており、年齢不詳の不思議な美貌の持ち主だ。
おれの父親と名乗った男は苛立たし気に、「これは何のまねだ!」と叫んだ。
女は真っ赤な口紅を塗った唇を歪めて笑った。
「うふふ。おかしなことを言うわね、龍造寺部長。あなたと同じように、警察に誤認逮捕された従業員を引き取りに来たのよ。それとも、あなたは違う目的なのかしら?」




