18 残されし者たち
「ねえ、相原くん」
社員食堂へ向かう廊下の途中で後ろから声を掛けられ、レストランサービスの制服を着た若い女はビクッと体を強張らせた。恐る恐る振り返ったが、相手の顔を目にした途端、ホッとしたように表情を緩めた。
「ああ、良かった。広崎先輩とお話したいと思ってたんです。お昼まだでしたら、ご一緒しませんか?」
広崎は少し迷っているようだった。
「おれも食事に行くつもりで来たんだけど、ちょっと気になってることがあってさ」
「何ですか?」
「相原くんは、陰陽師さんに館内を案内してるはずの玄田くんの姿を見なかった?」
「見てないですけど、たぶん、裏の方を中心に案内してるんじゃないですか。そういうところの方が霊が出やすいと思いますから。もしかしたら、玄ちゃんのことだから、案内してるつもりで、自分が道に迷ってるかもしれませんよ」
相原の笑顔につられて広崎も微笑んだ。
「そうだな。玄田くんならあり得る。よし、じゃあ、食事にするか」
広崎は豚の生姜焼き、相原は鯖の味噌煮を選び、四名掛けのテーブルに向かい合わせに座った。鯖の身を毟りながら、相原は小さく溜め息を吐いた。
「どうしたの? 相原くんらしくないね」
相原は何気なく周囲を見回し、近くのテーブルに人がいないことを確認すると、声を潜めて話し始めた。
「広崎先輩だから言いますけど、このホテル、変です。というか、ここのスタッフ、変です」
「変って?」
「以前、風太さんから、あたしは『見える』体質みたいなこと言われたんですけど、ここに来てから、見えすぎちゃって困ってるんです」
「へえ。やっぱり、オバケが見えるのかい?」
相原は小さく首を振った。
「いわゆる、幽霊とは違うんです。相手の本性みたいなものが見えるんです」
広崎は苦笑して「怖いなあ」とお道化て見せたが、相原は真剣な表情を崩さなかった。
「例えば、大志摩総支配人は猫です。それも恐ろしい化け猫です」
今度は、広崎が周囲を気にして、さり気なく見回した。
「もう少し声のトーンを落として」
「ごめんなさい」軽くピョコンと頭を下げ「レストランサービスの娘たちにも、何人か化け猫がいます。あと、龍造寺部長は半魚人みたいな姿をしています。それと、時々部長を訪ねて来るアフリカ系のお客さまがいるんですけど」
「ああ、知ってる。最近よく来る人だね。あの人も変なの?」
相原は自分で左右の二の腕を掴んで、ブルッと震えた。
「とても不気味です。見るたびにグニャグニャ形が変わっていて、一定の形がないみたいなんです」
何と返事をしたらいいのかわからない様子の広崎に、相原は少し涙声で訴えた。
「もう交換研修を中止してもらって、あたしたちのホテルに帰りたいです!」
広崎自身も同感であったらしく、何度も頷いた。
「そうだね。本当の理由は言えないけど、おれから人事課に掛け合ってみよう」
「ありがとうございます! お願いします!」
悩んでいたことを打ち明けて、少しは楽になったようで、相原は食事を済ませると、「うん、もう少しよ。頑張ろう!」と自分に気合を入れて職場に戻って行った。
逆に、広崎は食欲が湧かないのか、箸を手に持ったまま考え込んでいた。
ふと、食堂の入口を見て笑顔になり、そちらに手を振った。
「玄田くん、良かったらここに来なよ!」
チキンカツをトレイに乗せた玄田が、口角だけ上げた笑顔で、先ほどまで相原が座っていた席に着いた。
「お邪魔します」
いつになく礼儀正しい玄田に戸惑いながら、広崎は気になっていたことを訊いてみた。
「ずっと姿が見えなかったけど、陰陽師さんの案内が長引いたの?」
「いいえ。陰陽師の方は、急用とかで帰られましたよ。その後、自分は龍造寺部長に頼まれた仕事をしていました」
「へえ、そうなんだ。あの部長も命令じゃなく、他人にものを頼むことがあるんだね」
玄田はまた、キューッと口角を吊り上げた。
「そんなことより、先輩。この街に来ているという、半井さんに会いに行きませんか?」
「え、風太に? うーん、そうだなあ。陰陽師さんが帰ったなら、風太にこのホテルのことを頼むかなあ」
「そうですよ。明日、先輩お休みでしょう。自分も非番ですから、一緒に頼みに行きましょうよ」
「そうするか。あ!」
広崎は食堂の壁の時計を見て、慌てた。
「しまった、もう、戻らなきゃ。お先に!」
バタバタと出て行く広崎を、冷めた笑顔で見送った玄田の席に、龍造寺がゆっくり歩いて来た。
「どうだ? 上手く行きそうか、ナイアルラトホテプ」
「お任せください、ダゴンさま」
そう言って笑った玄田の口角は、耳の辺りまで切れ上がっていた。




