9 挑発
だが、風太がその教師をよく見ると、校門の前にいたときとは明らかな違いがあった。目はそこまで極端な三白眼ではなく、口元も普通のサイズだ。もし、こちらがオリジナルだとするなら、さっき出会ったのは悪意のあるパロディーだろう。
「擬きだったのか」
「え、何だって?」
横尾に訊かれて、風太は思わず自分が喋ったことに気づいた。
「あ、いや、何でもないよ」
風太は改めて飯田という教師に頭を下げた。
「失礼しました。横尾先生の友人で半井風太といいます。パペットを使った腹話術などのパフォーマンスをやっています。今回はお招きいただき、ありがとうございます。どうぞ、風太とお呼びください」
飯田という教師は人懐こい笑顔を見せ、「おう、よろしく頼むよ、風太さん」と右手を差し出した。
風太は自然に握手し、今回はごく普通のタイミングで手を離した。
その後、会場となる体育館の下見に行くことになり、授業があるという横尾の代わりに飯田が案内してくれることになった。
「ご面倒をおかけします」
「いやいや、学年主任といっても、ぼくは担任のない自由の身でね。こういう雑用が主な仕事なんだよ」
そう言って気さくにアハハと笑い、先に立って職員室を出た。
その少し後を追いながら、風太は念のため探りを入れてみた。
「先ほど、校門の前にいらっしゃいませんでしたか?」
「え? ぼくが?」
意外なことを言われて驚いたというその様子に嘘はなさそうだ。
「すみません。校門の前にジャージの上下を着た人が立っていたもので、つい、飯田先生だったのかもしれないと思いました」
「へえ、そう。多分ご近所の方がジョギングでもされてたんだろうね」
「失礼ですが、飯田先生は体育がご専門ですか?」
飯田はニヤリと笑った。
「できればそうなりたい、とは思っているが、小学校ではそうも行かなくてね。教育の基本は体育だ、というのがぼくの持論なんだ。この服装は、そのアピールだよ」
「なるほど」
「ぼくは古いのかもしれないが、とにかく子供のうちは元気が一番だと思う。それには体を動かすこと、そして笑うことだ」
「落研だったそうですね」
飯田は嬉しそうに、「飯食亭御代という高座名だったよ」と笑った。
そんな話をしながら二人で廊下を進んで行ったが、時々授業をしている教師の声が聞こえてくるだけで、全く子供の声がしない。
それがずっと気になっていた風太は、飯田がまともな相手とみて、思い切って訊いてみた。
「ずいぶん子供たちが大人しいですね」
案の定、飯田の表情が曇った。
「そうなんだ。ぼくも気になってる。もしかして、横尾くんから聞いたかもしれないが、学校で飼ってるウサギとニワトリをやられちゃってね。みんな怯えてる。早く犯人を捕まえないと」
「犯人?」
飯田はちょっと周囲を見回した。
「子供たちが怖がるといけないから、他の教師にも伏せて調べているんだが、どうも野犬やイタチなんかじゃない気がするんだ。近所の誰かが違法に飼っている猛獣じゃないかと思う。一応、警察にも相談したんだが、証拠がないからと取り合ってくれない。近頃の警察はちょっと変だよ」
「そうですか。そういえば、慎之介、あ、いえ、横尾先生が変なことが色々起きているとか、言っていましたが」
飯田は話していいのか少し迷っているようだったが、体育館が目の前に近づいたため、「中で話そう」と言って、ポケットから鍵束を出して扉を開けた。
中はごく普通の体育館で、講堂も兼ねているらしく、正面にステージがあり、ドレープカーテン式の緞帳が閉まっている。
飯田は、話す前にフーッと息を吐いた。
「学校の怪談的な噂話は前からあるんだが、この一ヶ月ぐらいの間に急に増えてきている。トイレの個室に入っていたら突然照明が消え、点いた時に横に知らない子がいた、とかさ。まあ、そういったことは、気にしなきゃいいんだけど。実は、ぼくは他の教員が体育の授業をやるとき補助することがあるんだが、子供たちを数えると、人数が合わないことがあるんだよ」
「合わない?」
「そうだ。一人二人ぐらい、多かったり少なかったり。でも、授業が終わる時に確認すると、ちゃんと合ってる。自分が呆けたんじゃないかと心配になって他の先生に訊いてみると、ほぼみんなが同じような経験をしているんだ。実際どうだったのか、後になっては調べようもないんだが」
「それはやはり、葦野ヶ里に遠足に行ってからですか?」
飯田はちょっと苦笑した。
「それは横尾くんの説だろう。まあ、ぼくは、ウサギやニワトリの事件のストレスによる集団幻覚かな、と思ってるけどね。すまん、脱線し過ぎだな。ちょっと緞帳を開けてくるよ」
余計なことを喋り過ぎたと思ったらしく、飯田はそこで話を切り上げて、ステージ横の附室に入った。
すると、中で「あっ!」という飯田の声がし、ドンと何かが倒れるような音がした。
「飯田先生! 大丈夫ですか!」
風太が附室に駆け寄ろうした時、緞帳が開く音がした。
ハッとしてそちらを見ると、ステージの中央に飯田が立っていた。三白眼でこちらを見ている。
「ぼくなら大丈夫だよ、風太さん」
そう言うと、幅広の口を開いて、細長い舌を出した。




