8 迷宮への入口
これから館内をお祓いするという玲七郎に、大志摩が「お待ちください」と言った。
「何度も改築して、裏の通路が迷路のようになっていますから、誰か案内役をつけましょう」
「いらねえよ」
大志摩の申し出を一旦は断わろうとした玲七郎だったが、一人の時に何かあったら危険かもしれないと思い直した。
「いや、やっぱり頼もう」
「それでは、ここで少々お待ちください」
大志摩がレストランを出て行った後、玲七郎はコーヒーをお代わりした。
待つほどもなく、案内役として来たのは、ヒョロリと背の高い若い男だった。
「ういっす、ドアマンの玄田っす」
およそホテルマンらしからぬ喋り方に、玲七郎は却って好感を持ったようだ。大志摩と一緒にいた間中眉間に寄っていた縦皺が、フッと綻んだ。
「へえ、おまえが案内役か。このホテルは長いのか?」
玄田は頭を掻いた。
「すいません。実は、三ヶ月前からここに研修に来てる者なんす。あ、でも、裏の通路は覚えましたんで、大丈夫っす」
「そうか。まあ、いいだろう。枯れ木もなんとやらだ」
「え、木が枯れてるっすか?」
玲七郎は、意味がわかっていないらしい相手を、マジマジと見た。
「まあ、いいさ。おれの言ったことは、気にすんな。それより、サッサと案内してくれ」
玄田が先に立ってレストランを出て、追うように玲七郎が歩いて行った。
だが、出てすぐに、玲七郎は「おいっ!」と玄田を呼び止めた。
「はい?」
玄田は振り返って、階段の踊り場で顔を強張らせて立ち止まっている玲七郎の姿を見て、驚いた。
「どうしたんすか?」
「ここにあった絵をどうした!」
「絵?」
「ここに、なんか気持ちの悪い絵があっただろうが!」
何を言われているのかわからないらしく、玄田はキョトンとしている。
玲七郎は、掌で壁をドンと叩いた。
「ここだ! ここにあったはずだ! 知らねえのか!」
「そこは前から壁っすけど」
玲七郎は、困ったように答える玄田が犯人であるかのように睨みつけていたが、「ふうっ」と息を吐いた。
「すまねえ。おめえが悪いわけじゃねえよな。おれとしたことが、平静を失ってるぜ。おい、ちょっとここを見てみな」
壁の玲七郎が指差したところに、ネジか何かを差し込んだような、真新しい跡が残っていた。
「何すか、これ?」
玲七郎は苦笑した。
「こっちが聞きてえよ。ま、たぶん、誰かがおれをからかってやがるんだろう。いいよ、放っとこう。館内を案内してくれ」
「了解っす」
玄田は短い階段を降り、濠が見えるロビーから玄関のある右側に曲がった。正面玄関の前で止まり、入口を背にして立った。
「えっと、入ってすぐ右がお濠の見えるチャペルっす。今日は婚礼がないから閉まってますけど、中見ますか?」
玲七郎は扉の奥を見透かすように目を細めていたが、すぐに首を振った。
「必要ねえ。他は?」
「チャペルの隣はコーヒーラウンジっす。ロビーを挟んでその対面が、さっきのレストラン、その手前がフロントっす」
ちょうどフロントカウンターに広崎が立っており、玄田は小さく手を振って見せたが、ぎこちなく頷いただけだった。
玲七郎はちょっと考えたが、「ここはいい。次だ」と告げた。
「フロントの手前から下に降りる階段があるす。降りますか?」
「そうだな」
玄関を入ってすぐ左にある階段を降りると、ウエディングドレスなどがディスプレイされたサロンがある。
「ブライダル受付っす。ここから折り返して階段を下に降りると、中華と和食のレストランがあるす。行きましょう」
「ちょっと、待て。このドアは何だ?」
玲七郎はブライダル受付の横のPRIVATEという表示のある扉を指した。
「ああ、そこからフロントの裏に入れるす。入りますか?」
「うむ」
玄田が扉を開けると、中は帳票などが積まれた狭い通路で、右に一段上がるとフロントの真裏、左に一段下がると事務所のようだった。
「どっちに行きます?」
「左だ」
その奥はいくつかの事務所が横並びになっていた。
「突き当りが人事課、その左が経理課、その横が営業課、一番右が総支配人室っす」
玲七郎は再び目を細めた。
「総支配人室の右の扉は非常ドアか?」
「いえ、中は倉庫なんすけど、奥に宴会場に繋がる階段があるんで、みんな普通に通路として使ってますね」
「よし、じゃあ、行こう」
玄田が扉を開けたが、真っ暗で何も見えない。
「今日はノー宴、つまり、宴会のない日なんで、照明が落とされてるみたいす。このちょっと奥にスイッチがあるんで、点けて来ますね」
中に入ろうとした玄田の肩を、玲七郎が掴んだ。
「ちょっと、待て。様子が変だ。なんか気配がするぜ」
「え?」
玲七郎は左の人差し指を立て、「出でよ、狐火!」と唱えた。
すると、指先にポッと青白い炎が灯った。それを前に押し出すようにすると、炎はそのままスーッと宙を飛んだ。
倉庫の中央辺りで止まり、メラメラと大きくなって周囲を照らした。
玲七郎が、「あ、あれは!」と声を上げた。
ちょうど正面に、あの踊り場に飾ってあった絵が置いてあったのだ。




