猫から見た話
ええ、ええ。こう見えて人ならざるものでして、よおく目を凝らして見て頂くと分かるでしょう?
ほら、尻尾が2つある。
そう、猫又という奴でして、え、猫が喋っている時点で分かる?これは失礼いたしました。
初めての飼い主の話をしましょう。実は私、長く生きた所為で猫又になったわけではありませんでした。人の臓腑を頂いて、このような身分になったのです。
おや、弟君のお話しをお聞きですか?
そうですか、彼はそのように...。
いえ、というのもあの家には猫というものが私を含めて2匹おりまして、まあ、私たちの区別も付かなかった弟君のことです。何匹いても猫は猫といったものだったのかもしれません。
今日は飼い主でした旦那様の他に、そいつの話もしようかと思います。
そいつ、もう一匹の猫のことです。
もう一匹というのは、私の弟でして、いや、本人(本猫というべきでしょうか?)は自分が兄であると主張しておりましたが、間違いなくあの甘ったれは私の弟でしょう。
猫には子袋というものが沢山ありまして、一度に何匹も生まれてくるものでございます。私達は4匹兄弟の2匹でして、柄が揃っていて仲良くしていたという理由で一緒に引き取られました。
私たちはサバトラ、所謂白と黒の縞模様でしたが、残りの2匹は柄の無い白と黒の一色ずつでした。
残りの2匹はどうなったかと言いますと、車に跳ねられて死んだと風の噂で聞きました。
しかし、2匹共車に...。
旦那様は悲しんでおりましたが、私は...なんというか人間の業の深さを感じましたねぇ。
なんでと言いましても、そんな親猫を長く飼っているようなお方が早々子猫を危険に晒すものでしょうか?或いは親猫も見ていないものでしょうか?長らく人間と暮らして来たのに?
なんて・・・、邪推でしょうか。分からない方が幸せということもございます。
さて、私達2匹は幸運にも旦那様のお家に引き取られました。私の弟はと言いますと、なかなかの怖がりでして、お家に参りました一日目に雲隠れをやらかしました。
雲隠れと申しますのは、猫の習性の一つのようなものでして、要は目にも止まらぬ速さで(或いは気付かないようにそーっと)いなくなる。というものであります。
玄関のドアを閉め忘れておりましたので、旦那様は大慌てでそこらじゅうを探し回りました。
ご近所だとか家の中だとかの、あいつの逃げ込みそうな狭い場所だとかをくまなく見て回りました。
結局どこにおりましたかというと、玄関に置かれたピアノ(旦那様のお母様の趣味)の裏と壁の間に挟まっておりました。
そこから旦那様が必死に手繰り寄せ、埃だらけのボロ雑巾のようになった弟を引っ張りだしたのでございます。
それからというもの私共は、猫という生き物ですので、毎日にゃあにゃあ鳴きながら、ご飯を頂き、昼寝をし、近所の猫どもと縄張り争いをいたしました。時々、旦那様がこっそりおやつをくれたり、棒を振り回す旦那様の弟君と遊んで差し上げたりしました。(今思えば、弟君は私と遊んでいるつもりだったのかもしれません)
屋根に留まっていた、私の体長ほどもある大きなカラスを追い払った時は、旦那様が大層褒めてくれたように思います。対して、馬鹿な弟が勇猛果敢にも(無謀とも言いますね)蜂を相手取り、顔を腫らしたこともありました。
そんな猫らしい猫でおりましても、長く人と暮らせば、なんとなしに人が何を言っているのか分かるようになるものでございます。
自分の名前であるとか、ご飯、旦那様方のお名前、そう言ったものは早々に覚えました。
馬鹿な弟は、うっかり私の名前が呼ばれても反応するものですから、旦那様にも馬鹿であることが露呈しておりました。
しかし、旦那様は一般的な猫というものを私共でしか知らないので、弟の頭が悪いというより、私が賢いと思われていたようです。 賢いねぇ、可愛いねぇとよく頭を撫でて頂きました。
当時の私は、なんというか猫らしい猫でしたので、少々人間を下に見ている傾向がありまして...(猫は自己中と相場が決まっております)。
お恥ずかしながら旦那様のお褒めの言葉もイマイチぴんと来ていませんでした。
しかしながら、旦那様と言うのはよく泣くお方でしたので、憎たらしい猫の身でありましても、私が守ってやらねばという思いは当時からそこそこ有ったように思います。
そういった思いもあって、旦那様が私に「猫又になっておくれ」と仰りました時も、ほーん、猫の次は猫又か、まあ、なってやるのも悪くないかもなと思いまして、「うん」と一言鳴いてやりますと大層お喜びになられました。私の弟というものは、泣く旦那様の姿を見てオロオロにゃーにゃー鳴くだけでしたから、私は少しばかり得意になりました。
当時、猫又というものをよく知りませんでしたし、まあ私なら成れるだろうとタカを括っておりました。
私が猫又というものが如何なるかを野良どもの話で知るのはもう少し後でございます。
猫又というのは、本来、長く生きた猫が至る妖怪でございます。ですから、旦那様は要は長生きしておくれと言いたかったのでしょう。しかし、猫又というものがなんたるか知った時の私としましては、引き受けてしまったが容易に成れるモノではないということに頭を悩ませておりました。
引き受けておいて、出来ないなんて姿を弟の前で晒すのはシャクでしたし、泣き虫な旦那様のことです。約束を違えてしまったらまたお泣きになるかもしれません。
それは、なんだかよくわかりませんが、少しばかり都合が悪いような気が致しました。
普段、にこにこと機嫌よくしておられる旦那様が幼な子のごとく泣く様はどうにも落ち着かないものでした。寒い日の夜更けにうっかり、外に締め出されてしまった様な心地がいたします。
ですから、旦那様に擦り寄ってお互いが寒さで死んで仕舞わない様にと熱を分けますと旦那様は決まってこう言われました。
「まだ、死んでいないよ」
旦那様は自分が死んだら、その身を私が食べてしまうと思われていたそうです。いえ、言ってしまえば、死んだなら食べられてもいいとすら思われていたのでしょう。
さて、旦那様がお亡くなりになったことはご存知でしょうか?知っていらっしゃるのですね。まるで、弟君は突然のことの様にお話しされたみたいですが、何も突然あったわけではないのです。突発的、ではあったのかもしれませんが...。
冬口になりまして、身を切る寒さと共に心にも隙間風が入り込むような日柄でした。旦那様が部屋の隅で泣いておりましたので、あらあらまたかと慰めに参りました。
旦那様は寄ってきた私を捕まえになってぎゅうと抱きしめてきました。少々力が強かったものですから、に“ゃあと一声鳴いて腕の中から逃げ出しました。すると、すすり泣きが大きくなりました。
しかし私としても締め上げられて、不機嫌でしたので少し離れて見ておりました。旦那様はごろんと寝転がり這って私の側へ参りました。鼻をグズグズいわせながら、私の背を撫でました。
「俺ってば生きるのに向いてないの」
小さな囁くような声でした。
「生きるのに向いてないのに、あの世でならうまくやれるなんて保証はないしなあ」
ぼんやりと宙を眺め、なお優しく私の背を撫でておりました。
「猫って奴は死人を生き返らせるって話もあるし、ダメだったら生き返らせてくれる?」
私はそうっと耳をそばだてて聞いておりましたが、猫又になってくれと言われた時のように鳴きませんでした。私とて、そうそう同じ轍は踏みません。
ただ聞いているだけの私に、旦那様は小さく笑って、わがままを言ったねと謝りました。
私は少しばかり頷いてやっても、よかったかもなと思いました。
それから幾許か、旦那様は気味が悪いほど穏やかでした。にこにこと柔らかな表情を浮かべて、雲の上を歩いているかのようにふわふわと笑っておりました。何か憑き物が取れたようで、私は喜ばしく思っておりました。そかし、私のバカな弟はなんだか、まるで腑に落ちないと旦那様の周りをウロウロにゃーにゃーして、旦那様の脚に絡まって蹴飛ばされておりました。
旦那様は怒鳴り声が大層苦手で、近くでしていると耳を塞いで首を引っ込めているのが常でした。しかし、その頃になると不思議そうな、興味深そうな顔をしてぼんやりとその様を眺めておられました。
今思えば、奇妙なほどひとつひとつの物事というものをつぶさに拾い集めて大事に大事にしておられました。手から崩れ落ちる水をもう少し、もうあと少し先まで持って行こうというような慎重な面持ちでした。
実際に旦那様の手からはご自身の命といいますか、生きるためのなにかが漏れ落ちていたのでしょう。
旦那様がお亡くなりになった日は、少し早めの春の陽気を感じる程に暖かい日でした。
旦那様は弟を抱き上げて、私にも付いてくるようにとおっしゃいました。私共が部屋に入ると旦那様はそうっとドアを閉められました。そうして、またいつものように目を赤くしてボロボロとお泣きになって、震える声で仰いました。
「ごめんね、ひとりでいく覚悟がないんだ。ごめん、ごめんなさい」
しゃくりを上げながら、跪かれ、机の上の包丁に手を伸ばされました。
ただならぬ様子に私がにゃーにゃー鳴いてみせましても、ただただ「ごめんね」と返すばかりでした。
痛いのはお嫌いでしたでしょうに、旦那様は包丁を首にあてがうとずぶりと刺してしまわれました。血飛沫が天井にまで上がり、辺り一面真っ赤になりました。その中心で旦那様は、はくはくと口を震わせ慌てる私に手を伸ばしました。
「食べて」
音にならなかった言葉が私には聞こえたように思いました。
私はそうっと(なにぶん濡れるのは苦手でしたので)血の海を進みました。
旦那様の身体に近づくと包丁にて、抉られた肉を少しばかり啄ばみ、ペロリと喉元から溢れる血を舐めました。
私が猫の身から外れた瞬間でございます。
ふっと視界が高くなりました。二本足で立っております。猫だった時分よりも、辺りの様子というものがよく分かるようになり、情というものも分かるようになりました。
この肉の塊になってしまった人が、とても大事だった様に思いました。生き物がいつか動かなくなるという道理を悲しく思いました。
その時になってにゃあとひとつ声がしました。いつもうるさいのに、静かにしていたので私が存在自体忘れていた弟でございます。
そうだった私には弟がいるんだったと(あとこの部屋に一緒に入ったんだったと)思い出して声をかけました。
「お前は猫又にならないのかい?」
弟は部屋の端にちょこんと座っておりました。私の言葉をいまいち理解しているのかいないのか、にゃあと一声鳴くだけでした。
弟は私と違い、最後までバカな猫のままでした。
それから、旦那様のご遺体が見つかり、私と弟は旦那様の弟君に丸洗いされました。
お通夜やらなんやらが執り行われる前に、私は旦那様に最後のお別れを言いに参りました。人間の風習に習う自分が少し可笑しく感じました。弟君にも二言三言ご挨拶を申し上げ、旦那様とお別れしました。
猫又がいるというのは、あまり良いものではないでしょう。まして、私は旦那様の肉を頂きました。そう考えて、にゃーにゃー鳴く弟を道連れに旦那様のお家からお暇いたしました。
歩くに連れて、二匹だけになったという実感が湧いてまいりました。旦那様はもうおりません。
なんだか、心の臓の部分がじくじくと痛み、呼吸が苦しく感じました。ぽろり、と頬を濡らしたものを感じて旦那様はこんな心地だったのでしょうかと思いました。
猫又になって、情緒というものが成長いたしましたが、感情というのはなかなかどうして扱いづらいものでございます。
私は夜道を歩きながら思わず零しました。
「旦那様。どうやら私、生きるのに向いていない様でございますよ」