第1話 願い
本編の始まりです!
森の中を少女が走っていた。
原生林が残る深い森は薄暗く、人の手が入っていないため歩きやすくもなかった。
倒れた灌木の脇を抜け、大きな岩を昇り、ある時は跳躍する。
息を弾ませ、一心不乱に走る少女の姿は、少し変わっていた。
小ぶりなお尻からは尾が伸び、やや赤っぽい茶色の髪から、獣のような耳が飛び出て、くるくると動いていた。
彼女は【第六大陸】と呼ばれる世界では珍しくない猫耳族の亜種だ。
その動きは猫に遠く及ばない。
森を駆ける動作にしなやかさはなく、運動神経の悪さを露呈していた。
少女の動きが止まる。
耳を動かし、そばだてた。
ずぅうんん……。
重い音が響き渡る。
野生の鳥が羽を広げて一斉に空へと飛び立つのが見えた。
近い。
ドンドンと近づいてきている。
少女は走るのを諦め、木の根の隙間に潜り込んだ。
瞬間、それは現れた。
派手に原生林を吹き飛ばされ、轟音が森に突き刺さる。
猫耳族の少女は耳を押さえ、穴の中で蹲った。
やがて静まったかと思えば、目の前に巨大な足が振り下ろされた。
少女は悲鳴を上げそうになった口を慌てて押さえる。
一旦は音が離れていく。
目前には人が大の字で寝転がったぐらいの大きな足跡が残され、猫耳少女の恐怖心を煽った。
『くそ! どこいった! こっちに来たのは間違いないんだがな』
聞こえてきたのは人の声だった。
ひどいだみ声。強いアルコールの飲み過ぎだ。
だが、それが余計に粗野に聞こえ、涙を流すほど怖かった。
『子猫ちゃーん。出てこいよ! 一緒におじさんと遊ぼうぜ!』
ふはははは、と愉悦に歪んだ笑い声が一帯を侵犯する。
猫耳の少女はむろん応じない。
涙を流しながら、巨人の足が遠ざかるのを待った。
やがて――。
『チッ!』
諦めたのか。
巨人の足が遠ざかっていく。
少女は胸を撫で下ろした。
完全に足音が消えるのを待ち、少女は穴の中から這い出る。
周囲を見渡した。
巨人によって吹き飛ばされた木の残骸があちこちに散らばっている。
窮地を脱した少女だったが、表情は依然として冴えなかった。
先ほどの恐怖心による余韻もあるが、巨人自体が本来彼女が目指す方向へと行ってしまったからだ。
――弱ったわ。このままでは私たちの村が……。
何か名案はないだろうか。
視線を配りながら、少女は考える。
ふと東の方を見つめた。
少女の青い瞳に強い意志が宿る。
再び森を走り始めた。
★
猫耳族の集落が襲われたのは、つい今し方のことだった。
主犯は最近、周辺の亜種やエルフの集落を手当たり次第に襲いまくっている盗賊団『ムセインノード』。“暴虐な男たち”という名前の盗賊団は、あっという間に少女の村を蹂躙した。
警戒していた猫耳族はなんとか森へ避難したが、今も盗賊たちに追いかけ回されているはずだ。このままでは全滅もあり得るだろう。
少女は周辺を巡回している辺境派遣軍を呼びに出たところを、運悪く盗賊団に見つかり、今に至るというわけだ。
少女が目指したのは、少し小高くなった丘の上だった。
やや角度がついた斜面を一気に昇り、広い原っぱに出る。
数本の木々と野花が咲き乱れる美しい場所だ。
少女のお気に入りではあるのだが、村や周辺のエルフや亜種からは『禁断の土地』として代々恐れられてきた。
だが、何か悩み事があればここに来るのが少女の習慣だった。
人気がないというのもあるが、何故か自分にはホッと心が許せる場所だったのだ。
そしてここには、巨大な像があった。
曰く『悪魔の騎体』。
5000年前、天盟人と魔族の戦いの最中、生まれた魔導兵器【極神騎】。
中でももっとも多くの【極神騎】を破壊し、猛威を振るった騎体が、この像だといわれていた。
同時に、こんな迷信も伝わっていた。
己の命を差し出せば、『悪魔の騎体』“スキルイーター”はどんな願いも叶えてくれる――と。
かつて少女は1度だけ願ったことがあった。
母親が亡くなった時に、「ママを生き返らせてほしい」と願ったのだ。
ついぞその願いは叶うことがなかったが、彼女は今一度挑戦することにした。
今度は母親1人だけではない。
多くの村の命がかかっているのだ。
少女は跪く。
「お願いします。悪魔様。私の村をお救い下さい。そのために、私の命がどうなっても構いません。お願いします。村をどうか――」
ギュッと目を閉じる。
その時、爆発音が聞こえた。
目の前の像ではない。背後からだ。
少女は慌てて後ろを振り返る。
青い瞳が強く見開いた。顔から血の気が引いていく。
大きな爆煙が西から東へとたなびいていた。
煙の根本では、炎が渦巻いている。
村から少し外れているが、そこは猫耳族の避難場所に指定されていた洞穴の近くだった。
――みんなが死んじゃう!
少女はもう一度像に向かいあった。
「お願いします。悪魔様! 村を救ってください。どうか」
しかし、何も起こらない。
少女はいてもたってもいられず、像に貼り付く。
像の胸の辺り。少し突っ張った部分までよじ登る。
そして強く叩いた。
まるで像を責めるように、ありったけの力を振るい、少女は懇願した。
「お願いです! 助けて! 私の村を救って!!」
最後は声をかすれさせながら、少女は大声で叫んだ。
果たしてその願いは――。
『見~つけた。子猫ちゃ~ん』
現実の悪魔だけを呼び寄せただけだった。
魔法によって拡声された男の声に、少女は落胆した。
振り返ると、そこには巨大な人型――【亜人騎】が立っていた。
高さは大人3人分はあるだろう。
腕は100年以上の樹齢がある丸木よりも太く、巨体を支える足裏だけでも大人1人を軽々と押しつぶすことが出来るほどの広さがある。
全身の金属の鎧で覆い、継ぎ目からは、人の筋繊維を太くしたような管が見える。
大人が10人いても持ち上げられそうにない剣を軽々と振り上げ、少女の方へと近づいてきた。
『観念するんだな、子猫ちゃん。ははっ……。よく見れば可愛いじゃねぇか? 亜種とやったことはねぇけど、ちったぁ楽しめそうだな』
男の舌なめずりが聞こえてきそうだった。
下品な物言いに、少女の恐怖心は一層高まる。
『大人しくしてれば、痛い思いはしなくてすむさ。おっと……。あの時にはちょっと痛いかもしれないけどな。ああ……。一応聞いておくけど、子猫ちゃんは処女だよな~。おじさん、強姦する時は処女じゃなきゃ盛り上がらないんだけど』
恐怖を煽るように、ゆっくりと手を伸ばしていく。
近づいてくる巨手を見つめながら、少女は再度懇願した。
「お願い! 悪魔様! 助けて! 私はどうなってもいいから! 村を、みんなを助けて!!」
自分の危機を顧みず。
少女はただ村のみんなの救出を願った。
怖くないといえば嘘になる。
けれど、自分が死ねば、悪魔が助けてくれる。
そんな考えが、少しだけ少女の恐怖心を和らげていた。
その姿は、【亜人騎】を駆る騎操者には滑稽に映ったらしい。
『ははっ……。神さまじゃなくて、悪魔に祈るのかよ、亜種たちは。残念だったな。悪魔なら俺たちの味方だ。この状況を愉快に笑ってるだろうよ』
悪魔の代わりに、男は哄笑を上げる。
そして巨手は再び少女に向かう。
その時だった。
丘の上で爆発音が響き渡る。
炎が巻き起こった。
【亜人騎】は突然の爆発に対し防御姿勢を取っていた。
『てめぇ! 魔法使いだったのか!』
叫んだ。
頭部についた映水晶が少女の姿を捉える。
かざした手の平には、炎が渦巻いていた。
炎魔法Lv10。
少女の年でそのレベルに達しているのは、なかなか優秀な魔法使いだと言える。
だが、【亜人騎】の手首の装甲を少し焦がしただけだ。
『残念だったな。その程度で俺の【亜人騎】の装甲は抜けねぇよ』
騎手室の中で、舌を出す騎操者の姿が透けて見えるようだった。
自分が持つ最大の攻撃も防がれ、もう手段は残っていない。
万策が尽きたのだ。
少女は呆然と立ちすくむ。
『やっと観念したか』
ひひひ、と下卑た笑い声を浮かべる。
再び巨手が少女に伸びる。まさしく魔の手だった。
「あとは……。これしかありませんね」
『あん? なんか言ったか?』
悪魔様を動かすには、これしかない。
――見ていてください……。これが私の覚悟です。
そして少女は飛び降りた。
頭を地面に向けた姿勢で、するすると落ちていく。
高さはさほどなくても、このままでは即死。良くても、大きな障害が残るほどの大怪我になるだろう。
少女の気持ちは1つだった。
村を……。母亡き後も支えてくれた村のみんなを救ってほしい。
ただそれだけだった。
さようなら……。みんな……。
一滴の涙が静かに流れる。
その時だった。
苔、あるいは土、あるいは岩。
かろうじて人型とわかるほどに風化した像が微震を始める。
すると、土や繁茂した木の根を突き飛ばしながら、1本の腕が伸びた。
巨手は空中に身を投げた少女を掴む。
その手は全く古さを感じさせない。
まるで整備したての【亜人騎】の装甲のように鈍く光っていた。
『こいつ! 【亜人騎】だったのか!?』
今頃、像の中身を知った盗賊が叫声を上げる。
ペダルを踏み込み、一旦距離を置いた。
すると、今度は腕だけではない。
あちこちが崩れ始めると、金属のような装甲が現れた。
土を振り払い、【極神騎】は5000年の時を経て、ミッドグリードに顕現した。
撫でつけた頭のような後部へと流れるデザインの頭部。
緑衣に銀をいれた甲冑は、深緑に吹く風を思わせた。
猛禽のような鋭い瞳を光らせると、遠吠えのような音を響かせる。
技術者が聞けば、相当高出力の精励起動機を使っているのだとわかるのだが、その場にいた者たちには、産声のように聞こえた。
魔力が全身に行き渡ると、精励起動機に食われた魔力の滓が、緑光を伴って各関節部から排気された。
『こいつ――』
【亜人騎】を駆っても、そのメカニズムまでは詳しくない盗賊も、目の前にある【亜人騎】がただ者ではないことはすぐにわかった。
一方、少女は目を開ける。
自分が巨手の手の平の上にいることがわかると、思わず退いた。
と、その時。
ちょうど少女の目の前にあった謎の騎体の開口部が開く。
中から現れたのは、少女よりも少し年上ぐらいの青年だった。
真っ黒な髪に、浅黒い肌。
胸には、思わず目を反らしてしまうほどの醜い怪我の痕があった。
見るからに悪魔ではない。
普通の人種のように見える。
青年は安心させるように微笑んだ。
残念ながら、少女の警戒を解くには不足していた。
しかし、青年の第一声はか弱い乙女の鼓動を強く高鳴らせた。
「助けに来たよ。君を――」
作中言語について
〇 騎操者 …… 【亜人騎】もしくは【極神騎】のパイロット
〇 騎手室 …… コクピット
〇 精励起動機…… 【亜人騎】などのエンジン部分
※ 作者は基本的に読みやすさを重視しているので、作中に出てくる用語などの説明はストーリーに関係しないかぎりは、後書きに書いていこうと思ってます。後にまとめて用語の説明回なども設けてますので、設定が気になるよと言う方は、しばしお待ち下さい。
次は夕方に投稿予定です。




