五、ハンバーグと母と子と
午後七時を回った頃、私達は三人揃って食堂に向かった。食堂まで距離がある三階の廊下にまでいい匂いが漂ってくる。長距離移動と荷解きで疲れた私の空腹を刺激するデミグラスソース。
「うわーい、八重さんのハンバーグっ!」
スキップのような足取りで食堂に飛び込む幸さんに、私とルナが続く。カウンターの向こうの調理場から八重さんがにこにことこちらを見ていた。
「あら、三人揃って。今よそうわね。ひとみちゃん、何かアレルギーや苦手な食べ物はある?」
「いいえ、特には。」
程なくしてカウンターに出てきたのは、三人分の「ハンバーグ定食」だった。家庭的を通り越してどこかの洋食屋のようなクオリティの料理に、私は目を見張る。
「あ、あたしご飯大盛りで。」
「はいはい。でも、部活のない日は少しくらい控えなさい。太るわよ。」
「いいの! まだ部活現役だもん。いっただっきまーす!」
空いた席に座り、幸さんの音頭で私たちも箸を取る。分厚いハンバーグにたっぷりのデミグラスソース、ボリュームは充分。ご飯だって普通盛りも決して軽いわけではなく、まして大盛りの幸さんの食べる量はかなりのものである。隣のテーブルの男子より多い。
私は箸で切り取ったハンバーグをひと切れ口に入れる。その瞬間、思わず呟いた。
「美味しい……!」
「そう? 口に合ったなら良かったわ。二人も、おかわりは気軽に言って頂戴ね。ハンバーグは余らないけど、ご飯とスープと付け合わせはあるわよ。」
ソースは少しだけ濃いめで、ごはんと合わせて食べるのに丁度いい。ハンバーグに箸を入れると出てくる肉汁。もったいなくて、付け合せの芋にもソースごと絡めて口に入れる。三人とも食べ終わるまでほとんど喋らず、調理場から聞こえるフライパンのジューっという音だけがBGMのように流れる。
「おかわり。」
「幸、食べ過ぎよ。早食いは良くないって言ってるでしょう。」
量が多い筈の幸さんの皿の方が先に空になった。やがてルナと私も食べ終えると、手が空いたらしい八重さんはカウンターの脇からこちらへ出てきた。
「ご馳走様でした。」
「お粗末様でした。ルナちゃんもひとみちゃんも、体格が細い割にいっぱい食べるのねぇ。いい事よ。気持ちのいい食べっぷりで私も嬉しいわ。頑張って挽肉こねた甲斐があるってものよ。」
にこにこと言う八重さんこそスリムで、本当にこの細腕でハンバーグこねてたのかと思うくらいだ。しかも、何人分だか分からないけど、この寮にいる高校生全員分という大量の。
「ねー、明日の朝ごはんは何?」
「何のために掲示板に献立表を貼ってると思ってるの。ちょっと待って、見に行く前に食器くらい下げて頂戴ね、後輩の前なんだから。」
早速立ち上がって食堂を出ようとした幸さんを、八重さんが素早く引き留める。二人のやり取りはぽんぽんと調子よく、遠慮がなくて、見ている方が心地よく微笑ましいような気持ちになる。そんな私の横で見ていたルナもくすくす笑っている。
「お二人って、本当の親子みたいですよね。」
「そりゃそうよ。ここまで十二年間、この手で育ててきたんだから。実の子と同じよ。」
実の子と同じ、か。そう言い切れてしまうこの二人が、少し羨ましい。私にももしお母さんがいたら……ううん、今からでもお母さんが見つかったら、こんなふうになれるのかな?
「私、そろそろここの片づけがあるから失礼するわね。幸、あんまり遅くまでその子たち付き合せてないで、部屋に戻りなさいよ。」
「分かってるって。ってか、たまには手伝おうか?」
「あら珍しい、明日は雪でも降るのかしら。でも大丈夫よ、ありがとね。」
八重さんに促されるようにして、私達は食堂を後にした。部屋に戻る前に、幸さんに教えてもらいながら翌日の食事の申し込みだけして、階段の前でそれぞれに分かれる。
「じゃあ、また。おやすみ。」
部屋に戻ると、急に静けさが身に沁みた。今日一日、なんて賑やかだったんだろう。初めての町、初めての場所で、こんなにあたたかく迎えられるとは思わなかった。何とはなしに携帯電話のアドレス帳を開く。昨日までは施設名だけだった連絡先に、個人名が二つ加わっただけで、なんだか嬉しかった。