四、ふしぎな町
沈黙が流れた。
幸さんの言葉に、私は何も言えず固まっていた。何をどう言っていいか分からなかったのだ。人ならぬもの? この世ならぬ場に近い? どういう意味……いや、どういう事なのだろう。
パニックに近い状態でフリーズした私に、幸さんはゆっくりと話し始める。
「まず、ここにいるルナ。この子はこの町でも少ないほど、純粋な『人間ではない種族』の子だ。両親はどちらも由緒正しい天族……いわゆる天使で、こいつはその家のお嬢様。」
「天使……?」
「ええ。見せた方が早いかしら。」
そう言うと、ルナさんはすっと立ち上がる。そうして特に何か力を入れる様子もなく、軽く目を閉じてごく普通に深呼吸をひとつ。それだけで、まるで見えないベールが一枚剥がれたかのように髪の色が一瞬で美しく輝く金に変わる。背には大きな翼が生え、着ていたシャツがめくれあがった。彼女は慌てたようにシャツを引っ張って腹部を隠した。服装が変わっていないからちぐはぐに見えるものの、恥じらいに頬をバラ色に染めた、金髪碧眼の天使そのものだ。
「伸びる生地だしゆとりあるから破けないだろうと思ったんだけど、めくれちゃうって頭になかったわ。伸びちゃう。」
「破けるよりいいだろ。どうせ女しかいないんだ、気にすんな。」
幸さんの微妙なフォローも耳に入らぬほど、私の目はその真珠のような輝きを持つ翼に釘付けだった。彼女の身体よりも大きな翼。
「これ……飛べるの?」
「飛べるわ。……ごめん、そろそろ仕舞うね。シャツ伸びちゃうし、お腹寒いから。」
ルナさんはそう言い、次の瞬間、翼は背中に吸い込まれるように消えた。髪や目の色も、初めに見た色に戻っている。
「人間じゃない、ってこういうこと。分かってもらえた? 比喩的な意味とかじゃなくて、そもそも種族が違うの。」
ルナさんの言葉に私は頷く。八重さんの言っていた「色々な人がいる」の意味がやっと分かった。私、人間であるだけでこの世界に属している普通の存在なんだ。生い立ちや過去の経歴なんて関係なく……というか、根本的に違うんだもん。
「ルナは純粋な天族だし、こうして本来の姿を見せることも出来て話が早い。が、あたしの場合はもうちっと特殊でなー、自分にも完全には分かってねえんだ。」
そう言って幸さんは肩を竦めた。
「母さんはハーフなんで分かりやすいんだ。母方のじいちゃんは混じりっけなしの真人間で、ばあちゃんはルナのおばあ様の姉上。ただ、父方が問題でな、じいちゃんばあちゃん共に人間の血が濃いんだが、過去に色々混ざってるらしくてはっきりは分からん。うっすらと神の血も引いてるらしい。」
「先祖が、神様ってことですか?」
「そうなるね。」
さらっと答える。って、一神教に喧嘩を売っていないだろうかこれ。私には神様の定義からよく分からないけど。
「あたし達が特殊なんじゃないぞ。こういう土地なんだ、ここは。妖の類も珍しくない。この町はどうも、あの世とか異世界とかと近く接しているようだ。突然、何処からともなく妖が現れることも、人が消えることもある。」
「……この世ならぬ場って、そういう事ですか。」
「そ。あんたも気を付けなよ、ひとみちゃん。他所の世界に魅入られたら、帰ってこられるか分からないぞ。」
幸さんはにやりと笑って囁く。ぞっとした。なんてとんでもない町に来てしまったんだろう。
と、幸さんの後頭部をルナさんがぺちんと叩いた。
「大袈裟に言って、わざと怖がらせてるでしょ。やめてください。わたし、ひとみちゃんにお友達になって欲しくてついて来たのに。」
「え……?」
「ひとみちゃん。幸さんの言うこと、真に受けちゃだめだよ。妖がこの町に入り込むのはとっても稀なこと。人が消える事件なんて、二十年前にひとりいなくなっただけだもの。そう滅多に起こってたまるもんですか。」
ルナさんはぷりぷり怒った様子で言い、幸さんを軽く睨み付けた。
「悪かった、ルナ。まあそう怒るな。ちょっと用心してもらおうと思っただけだ。」
「それにしたってやりすぎです。この町が怖くなって、外に出られなくなったり町を出て行ってしまったりする人でもいたらどうするつもりなんですか? ここは確かに他の世界との境目が淡い場ですけど、そんなに不安定じゃないもの。むしろ、こんなに近々と異世界に接しているわりに安定しすぎている程よ。だから、安心して。」
ルナさんの最後の一言は私に向けられたもの。その窺うような表情から、彼女が本当に私を気遣ってくれていることは分かった。だから私は頷き、言う。
「大丈夫。幸さんの言ったこと、ちょっと怖かったけど、町を出ていきたいとは思っていないから。それよりルナさん、お友達になりたいって……本当?」
ルナさんはきょとんと私の顔を見つめた。そして次の瞬間、ぱあっと明るい笑顔を浮かべ、目をキラキラさせながら何度も頷きつつ私の手を取った。
「もちろん本当よ! さん付けなんて堅苦しいわ、ルナって呼んで! わたし、ひとみちゃんみたいな普通の同い年の学校のお友達が欲しかったの。だめかな?」
「だめだなんてとんでもない。私でいいなら、ぜひ仲良くなりたい。私も、ちゃんなんて付けなくていいから。」
「本当? 嬉しい! わたしね、ひとみとなら絶対に仲良くなれる気がするの!」
満面の笑みを浮かべる美少女に抱きつかれて、慣れない私は目を白黒させるばかりだった。