八口目 飴と往来方法
「クラウン?」
「そーちゃん、どうかした?」
「……よかった、ベッドには座ってなかった」
ほっと一安心し、持ってきたタオルを手渡す。
ふわふわだーと妙に感心しながら濡れた髪を拭くクラウン。水分を含んでしっとりとした片側だけ長い髪は、いつもよりもツヤツヤしている気がした。
じんわりと濡れたシャツが肌に張り付くので、四苦八苦しながらなんとか着替えて振り返れば、クラウンがタオルをかじろうとしていたので、あわてて取り上げる。
瞬間的に不機嫌になり、ジロッというように琥珀の瞳が睨んできたが、机の上にばらばらとカラフルなセロハンに包まれたラムネを雨のように降らせる。不機嫌なそうな怖い顔が一転してすぐに笑顔に変わる。こうしてみると、クラウンの表情はよく動く。
宗とは対照的に。
「それにしても、クラウンは本当に人間じゃなかったんだね」
「まだ疑ってたの? いろんなものを食べて、そーちゃんの魂引っこ抜いたり、呪いを見抜いたりしていて」
「そういう意味じゃないよ。どこか、俺と似ている部分はまだあるのかと思ってた。……似ているのは見た目だけなんだね」
白にほんのりと色がついたラムネを、細く長い指がつまんで次々に口の中に放り込んでいく。独特の甘い匂いを嗅ぎながら、ベッドにボスンと座り込む。ズンッと疲労が肩に一気にのしかかってきたような感覚があり、思わずため息を吐いた。
「うーん、そうだね。私は人間じゃないからね。あの三人は一応人間だけど」
「三人って?」
「私をいつも、私のいるべき場所に連れ帰る役目のある側近。そして私にご飯を持ってくる役割もある」
「そういえば、俺はクラウンいるべき世界のことを何も知らない」
「…………」
宗の疑問にクラウンは黙り込んでしまい、悲しげに目を伏せてしまった。長い睫毛が影を作り、琥珀の目を隠してしまう。表情もなくなり、声をかけるのがためらわれてしまう。
聞いてはいけないことだったと、宗は自分を責めた。
”連れ帰る”とクラウンは言った。
クラウンは、逃げ出したもしくはそこに居ることを拒み、宗の生きる世界に来たということ。それなのに、その世界を思い出させようとしてしまった。
「そーちゃんが疑問に思うことはもっともだよ、だから気に病まなくていい」
「でも」
「気にしなくていい。私がそういっているんだ」
静かに、だがどこか重みのある言葉で言い含められ、宗は頷くことしかできなかった。ふっと淡く微笑み、ラムネを食べることを再開するクラウン。
別の疑問をぶつけてみた。
「クラウン。あの場所を『家』って言っていたけど、それはどういう意味なの? クラウンみたいな人が他にもこの世界に来ているの?」
「そうだね、そーちゃんが疑問に思うのは当たり前だね。教えてあげるけど、これだけじゃ足りないから何か別の食べ物頂戴」
空になったカラフルなセロハンを指でつまんでヒラヒラさせながら、別の食べ物を催促するクラウン。わかってるよと言わんばかりにうなずいて、ずっと握っていた物の包装を解いてクラウンの口の中に突っ込む。
ムグッ!? といううめき声をあげて目を白黒させるクラウン。白い手に、持ち手を握らせてやる。
「これは?」
「ペロペロキャンディー」
「これは食べごたえがありそうだね」
「前にもう少し小さいの食べてたときに飽きて、クラウンだったら全部食べれそうだから持ってきた」
「うん、これなら満足するね。では、疑問解決を始めるね。まず、私みたいに、異界からこの世界に来ているのはそこそこいるよ。年間何人とはわからないから、そこは聞かないでね?」
白に七色の色が混じったペロペロキャンディーをなめたりかじったりするクラウン。見た目は青年なのに、似合っているのはなぜなのかと思う。
「私のこと、子供っぽいって思ったでしょ」
「思ってないよ。簡単に世界って行き来できるの?」
「できないよ。誰かに送り込んでもらうしかないね。もう帰らないつもりでこの世界に住む覚悟をしてきているのがほとんどだよ。私みたいに強い力を持っている場合は別だけどね」
「帰らない?」
「そう、正確には帰れない……かな?」
バキッとという音がよく響いた。綺麗な円がいびつな形になる。ポリポリと軽い音を立てながら、かじった飴の欠片を噛み砕いているクラウン。
「帰れない?」
思わず小声になってしまった宗。眉をひそめつつうなずき、真面目な表情になる。頬に飴の欠片がついているので、ちょっと滑稽だが。
「だって、こっちに来るときに誰かに送り出してもらうんだよ? それなのに一人で帰れると思う?」
「無理」
「でしょう。イメージとしては、少しだけ隙間の空いている壁と壁の間を無理やりこじ開けて、人が一人通れる広さにして、そこを無理やり通るって感じかな? ただ」
「ただ?」
「許可なく世界と世界を行き来するのは、超がつくほど重い罪なんだ。送り出された人も、送り出した人も即死刑になる。送り出された人はすぐにこの世界の空気に紛れるから、なかなか見つかることはないんだけどね? でも、送り出した人はわかりやすいから即刻つかまえられて」
指先で自分の首を斬る動作をするクラウン。
それが意味することが分かり、さっと青ざめる。
「そんなことをしてまで、こっちに来たい人がいるの……?」
「通常は試験を突破して許可証もらって門を通ってこっちに来るよ。そんな方法使うのはよほど切羽詰まってる時以外ありえないって」
「え?」
「その顔、そーちゃんのそのぽかんとした顔が見たかったから先に怖いほうを話したんだよ」
楽しそうにケラケラと声を上げて笑う。バシバシと自分の膝を叩いているところを見ると宗は相当間抜けな顔をしていたらしい。
ムッとしてと睨みつけても、さらにクラウンは大笑いするだけ。
「俺をからかって楽しい?」
「だってそーちゃんの表情なかなか動かないから。動いたら動いたでギャップがあって楽しいけね」
けろりと悪びれることもなく言い放つその姿に思わず脱力して、ベッドに突っ伏す。
枕を抱え込みようやく笑いの収まったらしいクラウンに、不満まみれの声をぶつける。
「それよりも、さっきの場所について説明してもらってない」
「あぁ、ごめんね。いまからするよ」
涙をぬぐいながら微笑み、クラウンは切り替える合図のように飴にまたかじりつく。
パキンと乾いた音が響いた。