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呪われ少年と悪食な王  作者: 零夜
謎の卵は何味?
30/33

三十口目 安堵と片鱗

 滴がひとつ頬を滑って落ちた。それは痣のある手の甲で、弾けて消える。

 全身から力が抜け、安堵の吐息を漏らす。


「宗」


 真っ二つにしようとする刃、向けられる明確な悪意、背中や喉を這う痛み。色々なものが混ざり、宗を焼き付くそうとした。


 が、クラウンの無機質な声がそれを消した。普段の笑みを含んだ明るい声でなくとも。

 涙がこぼれたことによって、彼が生きているということを実感させた。


「クラウ、ン」


 呼ばれたので返事をする。ここにいる、まだ無事だということを、声に出して届けるために。喉の圧迫が思い出したようにやってきて、言葉を詰まらせる。くぐもった咳が音を濁した。


 降り立った場所から全く動かないクラウン。彼から流れでる空気が徐々に冷えていく。


 宗はふるりと震え、初対面の夕暮れを思い出した。

 学ランを着ていると少し暑く感じた気温にもかかわらず、底冷えするような冷気に包まれたことを。

 あの時と同じ空気が、漂い始めていることに気づき、安堵は薄れ恐怖が甦ってくる。

 

 それが見えないクラウンは淡々と言葉を吐き出す。


「宗、目を閉じてくれる? 今の(・・)、私はあまり見られたくないんだ。目を閉じたら地面を叩いて」


 それが合図になるから。

 つくられた声と表現すればいいのだろうか。感情がこもっているのに、心を感じない声。得体のしれない威圧感が足元を這い、緩やかに拘束していく。

 

「宗? まさか動けないほどに痛めつけられたか?」


 名前を呼ぶ声に含まれる怒りの色が増えた気がした。口調も変わっている。

 宗は慌てて目を閉じた。鞄に絡み付いてた片腕を何とか動かし地面に落とす。叩こうと腕を持ち上げようとしたが動かない。

 クラウンにはそれだけで伝わったようだ。


「そうか、動けるか」


 短く呟いた声がすぐ近くで聞こえ、ぎくりと肩を震わせる。それでも、閉じた瞼は開かない。後悔すると宗の心が静止をかける。目を閉じろというクラウンの願う声が悲しみに満ちていたからだ。


「なぁ、お前たち」


 粘着質のものが動く音がした。靴音、衣擦れ、呼吸の順で空気を震わせる。

 本来ならば一定の方向からまとめて耳へと届くものが、四方八方から反響し降りそぞく。

 誰かが息を飲む音がした。

 か細い悲鳴が徐々に大きくなっていく。


「前に忠告したよな、私。……次に近づいてきたら、宗に危害を加ることがあるならば容赦しないと」


 唐突に、冷酷で無邪気なクラウンの笑みを思い出す。宗の魂を食べるといったあのときの笑顔。

 なぜ浮かんできたのかはわからない。だが、あの時と同じ表情をしていると確信をする。

 

 あの時からその笑顔を見ていない。だが、震えが湧き上がる。必死に硬い殻で守っている幼い心に恐怖を焼き付けるのは、その一度だけで十分だった。

 

「お前たちはまずそうだけど……私は空腹だ」


 だから、と。

 彼は優しく、慈悲を与えるように言い放った。

 

いただきます(・・・・・・)


 硝子が割れる高く澄んだ音がした。

 瞬間、宗の全身に襲いかかる音の塊。叩きつけられるように様々な音が小さな体を容赦なく押しつぶそうとする。

 歯を食いしばって耐える。何が起こっているか理解しようと耳を澄ます。

 

 怒鳴り声と、荒々しく動くきまわる様子。重いものを引きずり、振り上げる。何かが空気を切る。

 それらは、バキボキと硬いものを咀嚼する音に飲み込まれた。

 

 同時に悲鳴が上がる。くぐもったもの、甲高くひきつれた、恐怖に染まったもの。

 声が響き渡る。言葉そこらじゅうに落ちてくるが込められる感情が混ぜこぜになっているせいか、意味を拾うことが出来ない。


 一つだけ転がる言葉から、拾い上げられるものがあった。

 それは、


「バケモノ!!」


 誰の声かはわからない。刃のように鋭い音が空気を切り裂いた。

 宗はそれに弾かれるように顔をあげ、固く閉ざしていた瞼を開く。押さえつけられていた圧迫をはねのけて、視界に色を入れる。

 

「クラウン……」


 ただ、名前を呼ぶことしかできなかった。それしか彼は言葉を絞り出す事が出来なかったのだ。

 目の前に広がるものが信じられず、夢であってほしいと願いながら緩やかに瞬きをする。

 変わらないその光景に、宗は表情を動かして泣きそうな顔になった。


 襲撃者たちは地面に倒れ、宗に刃を突きつけていたと思われる男は細い腕に首をつかまれ宙づりになっている。青い肌がさらに青くなり、口を魚のように開閉し必死に酸素を取り込もうとしていた。

 黒曜石の目を少しだけ下にずらせば、何かに食いちぎられた(・・・・・・・)ようなあとがある剣や斧。矢と思われるものが散乱している。


 深く息を吸ってむせる。なだれ込んできた鉄臭のせいで涙目になり、落ち着くために吸った息は逆に肺の中の空気を、すべて吐き出す行為になってしまう。

 

 その音が聞こえたのか、白い背中を宗に向け続けていたクラウンが顔だけ振り返った。背中に何本もの矢を刺したまま、人形のように端正な顔にはなんの表情ものせることなく。

 濁った琥珀との間で視線が絡み合う。


「あ……」


 吐息、言葉、そのどちらも含んだものが小さな唇から零れ落ちた。


 宗は目を見開く。

 ぐちゃりとクラウンの顔が歪んだのだ。


 表情を動かしたわけではない、彼は無表情のまま。まるで内側から何が出てこようとしているように膨れ上がる。と、思った瞬間にはまるで水面に石を投げ込んだように波打つ。


 宗の表情で顔の変化に気付いたクラウンが、なにかを言おうとした。だがそれは言葉にならず、音となる。

 クラウンの腕に刃が生えたからだ。首をつかまれていた男が隙をつき、隠し持っていた短剣を刺したのだ。これには驚いたらしく手が緩み、男が地面に投げ出される。

 仲間がその体を引き寄せ二人を睨みつけた。


「あ、れを……渡せ!」


 全員ボロボロになりながらも、あれを渡せと繰り返す。憎しみや恐怖、怒りが混じりあい生まれた悪意は小さな体をすくませる。


「どうやら……」


 クラウンは腕に刺された短剣を引き抜き、無造作に投げつける。固い地面に刃の部分が深々と突き刺さった。

 白い腕から血は流れない。刺さっていた部分にはぽっかりと黒い穴が開いており、それは瞬き一回の間に消えてしまう。

 

「まだ、痛めつける必要がありそうだね」


 楽しげに言葉を紡ぐクラウンは、邪悪とも言える笑みをたたえている。その姿は宗の知っている、陽気でいつも薄く笑みを浮かべどこか壁を感じさせるクラウンではなかった。

 襲撃者たちが言った化け物のようだ。


 それが嫌で名を呼ぼうとする。戻ってほしくて叫ぼうとした。

 だが、宗の口から音が飛び出すことはなかった。ハクハクと動かすが、声が出ない(・・・)

 

 なんで、どうしてと宗は焦り、喉をかきむしったり咳払いをする。かすれた音が出たが、言葉にはならない。

 

 その様子に気づかないクラウンは、一歩を踏み出す。ねちゃりという音がした。その発生源に目を向ければ、足があった部分が溶けている。硬い道路が、水をたっぷりと吸った土のようにぐちゃぐちゃになっていた。


「さて、今度はどこを食べてやろうか」

「だ……め、だ」


 無理やり言葉を絞り出せば喉に激痛がはしり、せき込む。それでも賢明に静止しようとする。痛みに涙がこぼれ、地面にまだら模様をつくった。


「え?」


 突然、柔らかい光が視界の隅に入る。宗は輝くそれを目の前に持ちあげてみた。小さな手に握りしめられた丸いもの。

 それは今回の騒動を引き起こす原因になったものだった。


「それをよこせ!」


 持ち上げた瞬間、怒号が響き渡る。

 その言葉に、宗はようやく理解した。自分が追われていた原因はこれのせいだと。瞬時に様々思考が駆け巡る。

 導き出した結論を、彼は実行した。


「クラウン!!」


 喉の痛みを無視して大声で名前を呼ぶ。その声に振り返ったクラウンの表情には戸惑いの色。澱んだ琥珀の目にも光が戻っている。

 感情が戻ってきているのがわかった宗は、手にしたものを空に掲げるように腕を持ち上げる。淡い光が手の中で明滅した。


「壁はどうなってるの!?」

「へ、えあ……穴は開いているけど、まだ残っている」

「穴の場所は分かる?」

「私が開けたから分かるよ」


 早口で問いかけてくる宗に、困惑した表情を見せつつも簡潔に答えるクラウン。その答えに頷き、痛みに表情を歪めながらも立ち上がった宗は振りかぶる。

 実を手にした腕を。


「蹴り飛ばして、遠くへ!!」


 言葉を吐き出すのと同時に、持ち上がった足めがけて投げつける。襲撃者たちが奪い取ろうと手を伸ばすよりも先に、細い足が実をとらえ視認できない大穴めがけて蹴り飛ばした。

 強い力で蹴られた物は、あっという間に空の彼方へと消えていく。


 どんどんと小さくなり見えなくなった実。


「追いかけろ!」


 それを見届けた瞬間絶叫がほとばしり、影に溶けるように消えた襲撃者たち。

 ピシピシとヒビが入る音がした。

 次の瞬間、透明な欠片が二人めがけて降り注ぐ。反射的に目を閉じる宗。だが、何も起こらない。


「そーちゃん、もう何もないよ」


 小さな声に促され目を開ければ、泣きそうなどこか困ったような笑みを浮かべてクラウンが目の前に立っていた。

 どこか弱弱しいが、いつものクラウンの様子にその場にへたり込んでしまう。何かを言おうとしても言葉が出ない。


 クラウンも何も言わない。

 

 奇妙な沈黙が二人の間でしばらく流れ続けていた。

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