二十七口目 会話と予感
「ミノリさん。顔色悪いけど、どうかしたの?」
「え!? だ、大丈夫よ……大丈夫だから」
大袈裟に反応するミノリを見つめ、次にいつも以上にニコニコしているクラウンを見る。
宗の視線に気づくと、彼はさらに笑みを深めた。
何かあったと思いつつ聞かない。ちびちびとマグカップの中身を飲みつつ、どうしようと考える。
目覚めたとき自分の手元にあった物の正体と、あと一週間持っていなくてはいけないことはわかった。
聞きたいことはもうないが、頼みたいことはある。しかし、
「あのね、ミノリさん」
「え!?」
マグカップを置いた音にびくつき、宗が声をかけただけで大袈裟に反応する。そんな状態の彼女に頼んでもいいのかと不安に思う。それを彼の表情から読み取ったのだろう、コホンと咳払いをし促してくる。
「どうしたの、宗君」
「その、お願いしたいことがあるんだけど」
「お願い?」
「これ、割れちゃった」
肩掛け鞄から取り出した物をそっとテーブルの上にのせる。ハンカチをひろげると数個に別れた水晶が、光を受けて輝いた。
それを見たミノリの表情は真剣なものに戻り、一番小さな欠片をつまみ上げる。
「これはいつ?」
「ここに来る前に割れた。これのことも聞きたかったから、一緒に持ってきたんだ」
「少しずつ力が減っていたところに、強い衝撃がきたのね……そろそろ交換の時期だったからちょうどよかったかもしれないわ。お願いは、新しい物が欲しいと言うことでいいかしら?」
「うん、これがないと何が起こるかわからないし。いろいろな意味で守りは欲しいから」
「そうね」
少々言葉を濁せば、それを察した彼女は淡く微笑みハンカチで水晶を包みなおし、立ち上がる。
「ちょっと待っててね。新しいの持ってくるから」
「時間はどれくらいかかる? その時間によっては、買い物に行ってきちゃうから」
「そろそろかなと思っていたから、すぐにできるわ。すぐと言っても力を込めるから、十分前後はかかってしまうけど」
「そっか。なら、待ってる」
「わかったわ」
頷いて足早に部屋を出た背を見送る。
お茶菓子はクラウンが食べてしまったらしく、ほとんど残っていない。
恨めしげな眼差しを向けるが、彼はいつものように薄く笑っており、その視線をものともしない。
「クラウン」
「なーに、そーちゃん」
名前を呼べばいつもよりも弾んだ声音が返ってくる。機嫌がよさそうだと、いつもならばそう思って終わるだろう。だが、先ほどの彼女の態度を不審に思う宗。彼は向けられる視線の鋭さに若干身を竦ませつつ、一歩踏み込んだ。
「ミノリさんに、何かした?」
「特に何もしていないよ。ただ、少しお話ししただけ」
「本当にそれだけ?」
「珍しいね。いつもはそう、だけで終わるのに……そーちゃんは私のことを疑っているのかな?」
ピリリとした空気が隣から流れてきても、宗は怯まない。かわりに真剣な視線を向けるだけだ。
いつもとは違う様子に、何かを感じ取ったのかクラウンは言葉を重ねる。
「彼女と話しているときに、少々態度を変えたことは認めるよ。彼女とは初対面だ。なのにも関わらずいろいろ聞かれててすこしイラッとした」
「ミノリさんは好奇心旺盛だからね。その性格でいろいろと後悔することはあるみたいだけど」
「そうみたいだね。私は私自身のことを聞かれるのは好きじゃない。だから、これ以上踏み込んでくるなという意味を込めて、ちょこっとと脅した」
「やっぱり、何かしたじゃないか」
「手は出してないよ? 傷つけてもいないって言ってもそーちゃんは納得しないか」
怖い顔だ、と笑うクラウンにそれ以上何かをしないようにと釘を刺し話題を変える。
朗らかな口調だったが、徐々に琥珀色の目から感情が抜けガラス玉になっていくのを見て、以前怒っていた時のことを思い出したからだ。その時の恐ろしさをまだ忘れてはいない。
「ミノリさんから水晶もらったら、買い物に行くよ」
「どこに、なにを、買いに行くの?」
「ちょっと離れたところにある雑貨屋さんに、マグカップを買いに行くの。お茶飲んでたら思い出した」
素焼きのマグカップの縁を指で撫でる。少しザラリとした感触が指に伝わる。
クラウンの手が伸びてきたので、食べないでと先手を打てば、ばれたかと舌を出す。
「油断も隙もないんだから」
「だって、お腹が空いているから」
「お茶菓子を、ほとんど食べといてよく言うよ」
「そーちゃんは、知っているでしょう。私がそれだけじゃ、これっぽっちも足りないということを」
「大人しく、この飴玉食べていて」
ズイッと顔を近づけてきたので、鞄から取り出した飴を包装ごとクラウンの口の中に突っこむ。大人しくコロコロと舐めはじめたクラウンは、マグカップと宗の顔を見比べる。
「でもさ、そーちゃんのマグカップってまだ壊れてないよね?」
「洗い物しているときに、ヒビが入っていることに気付いた」
「あらら、気に入っていたのにね」
「目の前でパリンと割れるよりはいいけどね。でも、飲んでいるときに割れたら困るから買いに行く」
「わかった。あいつらも痛めつけたらから来ないと思うし」
「あぁ、これ狙っている人のことか」
「正確には人たちね。日に何度も襲ってこないと思うけど、私がいるし」
安心していいよ、といつになく頼もしい発言をするので一抹の不安を抱きながら頷く。
クラウンがやる時を出すときは、呪いとは関係なく何かが起こるのだ。
いい意味でも、悪い意味でも。
「今日はあいつ、いないのかな」
「あいつ?」
「ミノリさんの弟で、俺にミサンガのお守りくれた子」
「……初対面のときに探してた、あれを?」
すっと、クラウンが目を細めた。ひんやりと冷たい空気が漂ってきたので、思わず身震いするが冷気は止まらない。
「どうかした?」
「その子にいつ会える?」
「え……?」
宗は目を丸くする。
クラウンが誰かに会いたがるということが、初めてだったからだ。
彼の真剣な眼差しと冷気に気圧され、戸惑いながらも答える。
「クラスは違うけど、同級生だから学校で会おうと思えば会える、よ?」
「……わかった。その子のこと、あとで紹介してね」
きっぱりと告げられ、拒否権はないと理解する。クラウンが初めて他人に興味を示したので、断るつもりは元々なかったが、彼の表情を見ていると胸元がざわざわする。
それを落ち着かせるようにマグカップの中身を飲み干すと、あることが気になった。
「そういえばさ、クラウンって……」
「おまたせ」
宗がその疑問クラウンにぶつけようとしたとき、ミノリが戻ってきた。タイミングが悪いと思いつつ、向き直る。
彼女の手の上には、砕けてしまった物よりも一回り大きいテニスボールくらいの水晶が乗っていた。
差し出されたそれをハンカチと一緒に受け取り、目を瞬かせる。
「あれ?」
ほんの少しの違和感を感じたのだ。だが、気のせいだと思いそれを丁寧にくるむと鞄の中にそっと仕舞い込む。
「以前の物よりも込めた力は多いから、簡単に守りの壁は揺らがないはずだわ」
「わかった。……ありがとう」
疲労を滲ませた表情を心配そうに見つめながら宗はお礼を言う。
額に汗をにじませ、少しふらついている様子からかなり無理をしたようだ。
このままいたら休む事が出来ない、と判断した宗は立ち上がり、クラウンに行くよと促す。
「また、時間があるときに来るね」
「時間がなくても顔を見せに来てね。……ただでさえ、宗君は無理して一人で抱え込むんだから」
ミノリの言葉に否定も肯定もせずに曖昧に微笑むと、見送りはいいと告げさっさと玄関に向かう。
ジッとクラウンに視線を向けられるが、特に気にすることなく靴を履き外に出る。
「さて、行こうか。クラウン」
「ここから遠いの?」
「そこまで遠くないと思うけど。日用品が壊れたらよく行ってるところだし」
「そーちゃん、常連さんだね……ん?」
ミノリの家から少し離れたところで、クラウンが素早く後ろを振り返る。つられて宗も振り返るが誰もいない。
「気のせいか?」
「どうかしたの?」
「誰かに見られている気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
「ならいいけど」
宗は手の甲に刻まれている痣を撫でる。
隣に降りてきたクラウンもそこを撫でると、なぜか表情を強張らせている宗の表情を和らげようと話し出す。
「ヒビが気になるなら、陶器のマグカップ買うのやめたら?」
「金属製のだと、極端に熱かったり冷たかったりするからやだ」
「飲めれば一緒だと思うんだけどね」
「色々と眺めるのは楽しいから、いいじゃないか」
「それはわかる、かも」
「わかるんだ」
「どれがおいしそうかなって見るのは、楽しいね」
そういうことかと呆れ顔になった宗がおかしいのか笑うクラウン。
和やかな空気が漂い始めた瞬間、バチンという音が。
その音の発生源は、二人が撫でた場所。
「痣が」
「発光してるね、痛みは?」
「特にない。なんか、変な感じがする」
目の高さにまで掲げた手の甲で、燃えるように輝く赤い痣。いつもの痛みがないことに、不安を覚える宗。
「なんか嫌な予感がする」
「私がいるから大丈夫だよ。そーちゃん、あまり外に出ないんだからこういう時くらい外に出ようね」
「出たくても出れないときがあるんだけどね」
むっとしつつ、特に痛みもないので雑貨屋に向かうことにする。不安は拭えないが、普段より張り切るクラウンがいるのだ。何が起こっても大丈夫と自分に言い聞かせる。
「気に入るのあるといいな」
「あるといいね」
また歩き出した二人を見つめる複数の気配があった。それは静かに静かに白と黒の背中に向かい忍び寄る。
宗の不安は的中した。