二十五口目 正体と動揺
木製の家具に囲まれた部屋の中には、ガラクタにしか見えないものがごちゃごちゃと乱雑に置かれている。日当たりのよい場所には、ふんわりとした毛布が掛けられたベッド。クローゼットからはカラフルな布が飛び出していた。
片付けが苦手なことが一目でわかる部屋。ふわりと爽やかなハーブの香りが漂う。
テーブルを挟んで座布団に座る宗とミノリ。真ん中には卵が置かており、それを見ていた紅茶色の瞳は眼鏡の奥で潤んでいる。
形の良い眉はへにょりと下がり、唇をきゅっと引き結んでいる。その表情からは悲壮感が漂よう。
「狙われるってどういうこと?」
彼女の発言に驚愕していた宗は、かすれた声を絞り出した。
見た目は普通の、しかし、とんでもなく硬い卵を持っているだけで狙われると言われたのだ。まさか、呪いが何かを引き寄せているの? と呟いた瞬間、それを否定するように落ち着いた声が部屋の空気を震わせる。
「呪いは関係ないわ」
「だっていままで……」
「そうね。何か危険なことがある場合は、必ずその呪いが関わっていた。でも、これは悪いものではなくてむしろ良いものなの。宗君、いくつか聞きたいんだけれどもいい?」
コクンと頷く宗の無表情は崩れ、黒い目が潤んでいる。だが、涙はこぼさない。必死に泣くまいと唇を引き結んでいる。
彼の様子にミノリは痛ましげな表情をするが、一度ゆっくり瞬きをした。すっと背筋を伸ばし凛とした雰囲気をまとう。
「これはどこで見つけたの?」
「朝、起きたらあった」
「誰かに渡されたとかじゃなくて?」
「うん。びっくりした」
「宗君、今誰かと一緒にいる?」
「どういうこと?」
きょとんとした宗に、彼女はそっと両手を差し出すと、痣のある左手を出すように告げる。宗は言われたとおりに手を差し出す。柔らかな手が痣を隠すように包み込むんだ。その温もりに少しだけ表情を緩め安堵の表情を見せる宗。
彼は、この手に幼いころから何度も救われてきたのだ。
「この痣から別の力を感じる、宗君の表情もなんだか明るいし。何かあった、いや、誰か理解してくれる人に出会った?」
「へぇ、見抜ける人いるんだね」
「キャッ!?」
「わっ!?」
唐突な第三者の声に、ミノリは声を上げて驚きぱっと宗の手を離す。彼女の反応に驚き、ひっくり返りかけた宗。その背を誰かが支えた。
支えてくれる人物を見上げ、彼は眉間にしわを寄せて不満を表す。
「あれ、聞こえるの?」
「だ、誰なの?」
「クラウン……驚かせちゃだめだよ」
「私は驚かせたつもりはないんだけど。むしろ、私のほうが驚いたよ。見えないはずなのにね」
「それよりも、どこに行ってたの?」
「ちょっとそこまで」
宗の問いにクラウンはいつものようにあっけらかんとした口調ではぐらかした。からりと笑いながらすとんと隣に正座をする。ミノリから警戒の眼差しを向けられているがどこ吹く風で、琥珀の目に問題の物を映している。
ちらちらと説明を求めるように視線を向けられる宗。どうやって説明しようかと悩み、口を開いた瞬間クラウンが遮った。
「私のことは後でいいよ。結局これはなんだったんだい?」
「クラウン……俺、狙われるってさ」
「呪いのせいで?」
「ううん、この謎の物体のせいで」
「そーちゃん、呪いが発動しなくてもついてないんだね」
「不穏なことを考えさせないで」
軽快なやり取りをしている二人を見て彼女は軽快を緩めたのだろう、元の位置に座り直す。コホンと小さく咳をして、意識を自分に向けさせた。だが、先ほどまでの凛とした雰囲気はどこかに行ってしまったのか、弱弱しい雰囲気を纏っている。
「あなたからは強い力を感じる。でも、宗君を害する意識は見受けられない。今は何も聞かないでおくわ」
「そう、ありがとう。私自身のことを根掘り葉掘り聞かれるのは好きではないんだ」
「あとで聞かせてもらうわ。先にこれのことを伝えておくわね、正確な判断を出すことは出来ないのだけれどもいいかしら?」
「うん」
姿勢を正す二人の顔を交互に見た後に彼女は深呼吸をすると、話し始めた。紅茶色の目をうろうろと彷徨わせながら、言いにくそうに。
「これは熟すとご馳走になる物なの」
「ご馳走」
「これ、おいしいの?」
「私も食べたことがあるわけではないのだけれどね。宗君、それとクラウンだっかしら?」
「私の名前はクラウンだよ」
にっこりとほほ笑むクラウンの名前を聞くと、彼女は訝しげな表情を浮かべたがすぐにそれを打ち消し話を続ける。ミノリの口ごもる様子に宗は首をかしげるが、今は話を聞くほうが先だと思い直し口を閉ざしたままにする。
「二人はこれが、寿命を延ばすものと言われたら食べたい?」
「……長く生きても」
「私は遠慮したいね」
「そう。じゃあ、莫大な富が舞い込んでくるとしたら?」
「富ってお金? もっと厄介なことに巻き込まれそうだからいらない」
「お金より食べ物がほしい」
「じゃあ……未来が見える力が手に入るとしたら?」
「未来……いいかもしれないけど、回避できなかったら意味がないからいらない」
「先がわからないのが楽しいから、私は遠慮するよ」
ミノリが出す例えに二人はいらないと答えていく。
困ったように彼女は笑うが、宗は不思議そうな表情を浮かべる。
「つまり、君はこれを食べたら願い事が叶うって言いたいんでしょう。回りくどくじゃなくてスパッと言ったほうがいいよ」
「わ、私はわかりやすいほうがいいと思って」
「クラウン、落ち着いて。ミノリさん結局これは何か強い力を持つもので、俺から奪おうとする人がいるから狙われるって言いたいの?」
重たい空気になりかけたので、慌てて宗は自分なりにまとめた結論をぶつける。クラウンの不機嫌そうな声音にしょんぼりとしていたミノリはコクンと頷き、彼の言葉を肯定する。
厄介なことに巻き込まれと、宗は思った。
卵の正体がわかったのはいいが、狙われるのは勘弁してほしいのだ。ただでさえ、毎日小さいこととはいえ痛い思いをしているのだから。
「これって捨てることは出来ないの?」
「できないわ。ためしに窓の外に放り投げてみて」
わかったという前にクラウンが卵を無造作につかむ。部屋を横切り窓を開けると、振りかぶり全力で投げ捨てた。
ぽかーんと一連の様子を見ていた宗の頭にゴンッと何かが落ちてきた。痛いと涙目になりながら、落ちてきた物を見ればコロンと転がる、たった今外に投げ捨てられた物。
「ね」
「私、思いっきり投げたんだけどな」
「どうしてこうなるの?」
「ちょっと待ってね。昔、調べたからがどこかその辺にまとめたものが」
自分の背後にある本の山をかき分け探しはじめるミノリ。その様子を眺めながら温くなってしまったお茶をすする宗。
「厄介事が舞い込んできて嫌そうな顔をしているね」
「クラウン、一人で対処できるの?」
「私はそーちゃんを守らなければいけないからね。まぁ、敵さんの正体はわかっているから何とかできるよ」
「え!?」
鳥の羽のような物が驚く宗の目の前でひらひら揺れた。
鮮やかな青とオレンジのツートンカラーの羽は今まで見たことがないくらい大きい。宗の手の二倍くらいはありそうなそれをムシャリと食べ始めるクラウン。
「ちょっと痛めつけたから家までは侵入してこないよ」
「いつの間に……」
「さっき、この家の中に入る前にね」
「あったわ」
唖然としている宗の耳に、ミノリの明るい声が届く。
反射的にそちらを向けば、彼女は頭に誇りをいくつものせずれた眼鏡をそのままに、いそいそとテーブルの上に古い日記帳のようなものを広げる。
反対側からのぞきこむ二人。
「それは、願いを叶える果実と言われているわ。ただ、とても希少なものよ。さらに果実が熟すには条件があって実がなってから一週間以内にもいだ人が……」
「人が?」
「ごめんなさい。ここから先は調べきれなかったみたい」
本が閉じられかび臭い匂いが漂う。
厄介ごとの正体がわかったのはいいが、なぜ宗のもとにこれがあるのかがわかるかはわからない。進展したようで、していないことに対して彼は唇を強く噛む。
「そーちゃん」
「宗君」
穏やかな声と小さいがよく通る声に名前を呼ばれ、うつむかせていた顔をのろのろと上げる。
琥珀の目と紅茶色の似ているようで違う二つの目が案じるように見つめてきていた。
「ねぇ、そーちゃん。私が一時的に離れていた時が昨日会ったよね」
「え、うん」
「その時誰かに会った?」
唐突に問われ脳裏に浮かぶのは、黒髪をオールバックにし高級そうなスーツに身を包んだ色気の漂う男。坊ちゃんと呼ぶ低い声が耳の奥で甦る。
「会ったんだね。どんな人?」
どこまでも真剣な眼差しに気圧され、宗は思い出した男の特徴を告げる。
ほんの少しだけ会話をしただけなのに強く印象が残っていた。
「よりによってあいつかよ」
簡潔に伝えれば秀麗な顔を歪めてクラウンが舌打ちをした。
初めて見る、怒り苦しみ、そして少しの怯えが混じるその表情に宗はただ困惑することしかできなかった。




