二十四口目 硬いと敵意
食器についた水分を布巾で拭い積み上げつつ、ぼんやりとしているクラウンに話を振る宗。
「どうして、その卵がクラウンの世界の物だと思ったの?」
「どこかで見たことあるんだよ、これと似たものを」
「思い出せないの?」
「食べちゃった気がする……でも、これはなぜか食欲がわかない」
その言葉に宗は目を丸くして驚きを露わにした。
クラウンは普段目について興味の惹かれた物は手当たり次第食べようとする。だが、彼は今、食欲がわかないと言ったのだ。いつも何か食べるものを催促されている宗の無表情を崩すほどの衝撃だった。
「手が止まってるよ」
「おっと」
ジトリとした視線から逃げるように、宗は拭き終わった食器を棚にしまい始める。そんな彼に溜息を吐いてクラウンは卵を口元に持っていき、おもむろに口を開きかじろうとする。
やっぱり食欲が出たのかな? と宗が思いながら見ているとガリィッと硬い物を噛む音がした。
「かった……い」
「うん、音から分かった」
クラウンは厚めの醤油煎餅を三枚重ねて食べた時があった。その時は痛いとは言わずにボリボリとおいしそうに食べていた。そんな彼が口元を抑え小刻みに震えている、あまりの硬さに歯を痛めたらしい。
「クラウンでも食べれない物があるんだね」
「私も、食べれないことにびっくりだよ」
「口直しに羊羹食べる?」
「もらう」
口元を抑えてふわりと隣にやってきたクラウンはうっすらと涙目になっている。小皿にのせた二切れの羊羹を差し出せば、白い指でつまんで口の中にぽいぽいと放り込でいった。
もくもくと咀嚼しているのを尻目に見つつ、宗は残りの食器を片づけていく。
「よっと……」
「そーちゃん危ないよ」
「あとちょっと」
少し高い位置に置こうとして背伸びしているので、やれやれと溜息を吐きながらクラウンは彼の腰に腕を巻きつけるとグイッと持ち上げる。
わっと驚いた声を上げバランスを崩しかけた宗。食器は落とすことなく定位置に収まった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「歯はまだ痛いの?」
「少しね」
いーっとしたクラウンの歯は真っ白で歯並びがいい。抱えられたまま宗はじっと見つめてみたが、ヒビなどは入っていないようだ。
「謎の卵だね」
「そうだね、どれぐらい硬いか確かめてみたいよ」
「石で叩いてみる?」
「どっちが硬いかってことかな? やってみようか」
「その前におろしてくれる?」
肩などに手を置くと振り払われるとわかっているので少し体に力を込めてバランスを保っている宗。きょとんしてからゆっくりと彼を床におろしたクラウンは、少し気まずげに視線をさまよわせている。
何も言わずに宗は石を取りに行く。
「触れてくる頻度は上がったけど、こっちから触れるとやっぱり叩き落とされたりするんだよね」
その時に見える表情がこわばって泣きそうな時が多いので宗は理由を聞くことができない。いまだにある透明な壁に彼はため息を吐きつつ、サンダルを履いて外に出る。屈んでキョロキョロと手ごろな石がないかを探しはじめる。
探すことに夢中になっている宗は、ぴりりとした痛みが手の甲に走ったことに気付かなかった。
「宗!」
クラウンの鋭い声が聞こえた瞬間、彼は尻餅をつき青い空と白い背中を瞳に映していた。パリンっと何かが砕ける音と、呻くような声に呆然とする。
「誰だ!」
再度、空気を裂くような鋭い声が響いた。その声にハッとし、宗は慌てて立ち上がり手の甲を見る。ぼんやりと痣が赤く輝いてるを確認し、その色と対照的に青くなる。
「消えたか……そーちゃん無事?」
「俺は特に怪我はない……痛みが弱いから気づかなかった」
「どれどれ。確かにいつもと色が違うね」
目の高さに持ち上げてしげしげと観察するクラウンに青い顔を向ける。その表情が面白かったのか、彼はクスクス笑いながら手を離す。だが、琥珀の目に宿る光は刃物のように鋭利だ。
「中に入ろう。壁が壊れたみたい」
「え、まさか……」
宗はさらに顔色を悪くすると、パタパタと足音を立て家の中に飛び込み、階段を駆け上がると自室に転がり込む。彼が一直線に机に向かい、目にしたものは無残に砕けた水晶。破片がチラチラと輝き細かい光を部屋中に投げかけていた。
「割れてる。それだけ強い衝撃だったってことなの?」
「そりゃ、これだけ大きい石が投げつけられればね」
背後からぬっと差し出された手のひらの上には、石が。宗が拳を握ったくらいの大きさがあるそれは、ゴツゴツとしていて打ち所が悪ければ大けがをしていたくらいの物だった。
ゴクリと思わずつばを飲み込む宗。静かに言葉を紡ぐクラウンの声も、真剣である。
「急に殺気、敵意と言えばいいかな。それを外からぶつけられて慌てて飛び出せば、そーちゃん目がけてこの石が飛んできたんだよ。間一髪滑り込めてよかった」
「ありが……とう」
「うん、どういたしまして。ちょうどいいからこれで試してみようか」
何をと聞く前に手が引っ込む。振り向いた瞬間に、砕ける音がしてギョッとすればそれぞれを手に持ち、ぶつけ合っていた。
差し出された彼の両手には、傷一つない卵と複数の塊になった石あった。
「硬いね」
「ね。それよりもその水晶どうするの? 守りの壁、壊れてしまった見たいだけど」
「新しい物をもらいに行く、ついでにその卵を見てもらう。さっき詳しい人がいるっていったでしょ。その人なら何かわかるかもしれない」
善は急げと言わんばかりに、宗はテキパキと支度を始める。砕けた水晶はハンカチにくるみ、肩掛け鞄に突っ込む。戸締りを確認すると薄手のカーディガンを羽織り、階段をおりる。そのまま一階の戸締りなどを確認すると、玄関で靴を履く。
彼の後をフヨフヨと浮きながらついていくクラウンは訝しげな顔で、手に持つ物を眺めていた。
「クラウン行くよ」
「あ、うん」
宗が開けている扉をくぐり外に出ると、鍵をかけたことを確認した後に地面に降りて隣を歩く。
「それで、どの辺にまで行くの?」
「近所だよ、数分でつく」
「近いんだね」
「小さい頃から、何かあれば駆けこんでたからね。……俺がクラウンのことを見てもたいして驚かなかったのは、あの姉弟と交流していたからだし」
「ということは、異人?」
そこで宗は首をひねり、眉間にしわを寄せ歩きながら視線をさまよわせながら言葉を探す。その様子を見下ろしながら、クラウンは卵を投げてキャッチするという遊びを繰り返す。
「異人だと思うんだけど……」
「そーちゃんは私に会うまで、異人という存在を知らなかったの? お守りや、水晶とかをもらっているのに」
「不思議な力を使えるとしか思ってなかった。それに……対等に接してくれるのも、遊んでくれるのも家族以外だと二人だけだった。あの二人いなかったからきっと俺は……」
表情が暗くなり、瞳の中の小さな光をかげらせ黙り込んでしまう宗。目に見えて落ち込んでしまったので、さすがに慌てるクラウン。気まずい空気が二人の間に流れた。お互いに話題を探している間に目的地へとついてしまう。
そんな空気を断ち切るように宗はチャイムを鳴らす。
ピンポーンと少しずれた音が鳴り響いたあと、数拍おいて扉が開かれ腰まである長い黒髪を三つ編みにし、赤縁の眼鏡をかけた女性が顔を出した。
キョロキョロと周囲を見回した後、宗を見つけた彼女は小さく微笑んだ。
「宗君」
「おはようございます、ミノリさん」
「なにかあったんですね」
「あと、見てほしい物があって」
「わかりました。どうぞ、『お入りなさい』」
出迎えた女性、ミノリは小さいが響き渡るような声を発した。朝早くから連絡もなしに来た宗のことを特に咎めることもなく、彼女は優しく家の中へと促す。
ほっとしたように表情を緩めた宗はちらりとクラウンを見上げると、ミノリの後に続き家の中へと入った。
「あの最後の言葉が響いた瞬間、空気が変わった。まじないを解いたのか。その敵意を向けられた気がしたんだけど、気のせいかな」
独り言を呟くクラウンの琥珀の瞳には家全体から立ち上る光の粒子が映っている。彼は何かを確認するようにその場を動かず家を睨み続けていた。
一方の宗は、ミノリから衝撃的な一言を告げられていた。
「宗君、あなた狙われるわ」




