二口目 探し物と帰宅
「あれ?」
不意に宗は屈むと、なにかを探し始めた。右手で左手の甲を押さえながら長く影が伸びる地面に目を凝らす。
掌に残っていた残滓を舐めとりながら不思議そうにその様子を眺めるクラウン。
「どうしたの、そーちゃん」
「お守りがない」
「お守り? どんなもの?」
興味を惹かれたのか、または純粋な好意からか、隣に屈みこみ一緒に地面を眺め始めるクラウン。宗がちらりと視線を向ければ、キラキラと輝く琥珀色の目とぶつかった。好奇心旺盛なのだろうかと思いつつ彼は自分の左手首を示す。細い手首には薄く紐のような物が巻いてあった痕があった。
「いつも左手首にミサンガみたいなお守りをつけていたんだ。さっきまでつけていたのにないから、切れて落ちたのかなって」
「ミサンガってどんな物?」
「うーん、細くて黒と灰色の糸が編まれてる。あれがないと困るんだ」
困るとは言ってはいるが、相変わらず彼の表情は動かない。が、黒い目は動揺を表すようにユラユラと揺れる。
それを見つめながらクラウンは自然な動作で片手に何かを持つと、宗の視界に入らないようにゆっくりとコートのポケットの中にその手をいれた。
「どうしてそれが必要なの?」
「あれがなかった時にさっきみたいな黒のが大量に飛んでくるから」
「ふーん。でも、今は私がいるからなくて平気でしょ。」
にっこりと笑うクラウンの顔を見つめると、それもそうかと宗は呟きながら頷立ち上がる。軽く足がしびれていたらしく、ふらつけば白い腕が伸びてきて支えた。
ありがとうと告げながらふとあることを思い出し、それをぶつける。
「ねぇ、クラウン。俺は勢いのままに承諾したけどさ、契約ってなに?」
「そういえば教えてなかったね。そーちゃんを逃がさないよう必死だったから、すっかり忘れてた」
得体の知れない威圧感と雰囲気が、普通の人間でないことを物語っているが、呑気に笑うその姿は宗と大して変わらないように見える。
変わらないからといって迂闊に近づけば食べられそうなので、少しだけ距離をとりジーっと見つめる。
「私はそーちゃんを呪いやまじないから守る。そーちゃんは私にご飯を渡すってことが契約。簡単に言えば約束かな」
「約束か。あとご飯って何? さっきみたいな黒いの?」
「それもだけど、食べ物とか、そーちゃんがいらないもので十分だよ。だって私は……何でも食べられるから」
するりと冷たい手に頬を撫でられまた体を震わせる宗。
クラウンの表情は笑っているのに目はまったく笑っていない。まるで、お前を今すぐに食べることもできるんだぞと、言わんばかりに。
宗の思考が伝わったのか、手はゆっくりと頬の温度を伴って離れた。
「そんな顔をしなくても、そーちゃんを食べるのはまだ先の話だよ」
足元に落ちていた小石を拾い上げると、まるで菓子を食べるようにかじりつく。ガリゴリと音を立てて噛み砕きゴクリと飲み込んでみせるクラウン。
ギョッとした宗に、彼は再度繰り返し告げる。
「私は何でも食べられる。石も、ヘドロも、草も、呪いも……人も、ね」
ゾッとするほど綺麗に微笑む青年に、対し少年は仮面のような無表情で見つめ返す。
しばしの沈黙の後にグウッと気の抜ける音が響いた。ぱちくりしながらクラウンは宗を見つめる。
腹の虫をならした宗はおなかすいたとぼやいて、歩き始める。
「あれ、聞きたいことはもうないの?」
「いまはない。聞きたいことできたら聞く」
「答えるかはその時の気分だけど」
「それでもいいよ」
隣を歩きながら興味深そうに周囲を見回すクラウン。時々あれはなんだと聞かいてくるので、一つ一つ答えてやる。あまりにもたくさん聞かれるので不思議に思う宗。
「クラウンは知らないことが多いの?」
「そうだね。知らなくていいんだって言われて、あまり教えてもらえなかったんだよ」
「王様なのに?」
「……私は統治する王様じゃないからね」
暗くなった表情と悲しげにぼやくその姿に、聞いてはいけないことだったと宗は思う。
話題を逸らそうと周囲を見回し、ふと気づく。人通りのある道を歩いているのにも関わらず、クラウンのことを誰も見ない。視界に入れば反射的に見てしまうような奇抜な姿をしているのに、時々不審そうな視線が宗に突き刺さるだけだ。
「もしかして、クラウンの姿は他の人に見えないの?」
「見えないよ。そーちゃんみたいに特殊な場合以外はね」
「そうなんだ。家族にどうやって説明しようか悩んでた時間を返してほしいけど、いいや」
「いいんだ」
「どうやっても、心配かけちゃうから。……毎日怪我とかしてるからこれ以上心配かけたくないし」
クラウンの姿が他人の目には映らないことに安心したのか、表情が緩み笑顔になる。目じりが下がり、口の端が少しだけ持ちあがった程度だったが。
それでも確かに宗は微笑んだ。
その表情をまじまじとクラウンは見つめる。じっと見つめられ、先ほどのことを思い出した宗は笑みを引っ込める。
「あー」
「なにさ」
「そーちゃん笑ってた顔もう少し見ていたかったのに、残念」
「俺の笑顔を見てもおもしろくないよ」
「そんなことないよ。そーちゃん、ずっと無表情だからちょっと表情を動かすだけで雰囲気変わるよ?」
もっと笑えばいいのにと呟きながら手を伸ばすと、むにむにと片頬を揉んでくる。痛いと思うが、口には出さない。
手を叩いて抗議をしてもいいが、他人の目にはなにもないところを叩いているように見えるだろう。チクチクと刺さる視線をこれ以上増やさないように、宗は歩く速度を早める。
その思いが伝わったのか、すぐに手を離したクラウンは一歩遅れてついていく。
「着いたよ」
「ここがそーちゃんの住む家?」
「そうだけど」
「あ、ちゃんと名前がある……っ!?」
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
表札を撫でようとしたクラウンが、バッと手を引っ込めた。小さな破裂音が聞こえたような気がしたが、何でもないと笑みがかえってくる。不思議に思いつつ鍵を取り出すし中にはいる宗。
そのあとに続くクラウンはなぜかピリリとした雰囲気を纏っている。
帰り道に向けられた不審な眼差しよりも鋭く刺さる空気。
「クラウン……イライラしてる?」
「どうして?」
「なんか、クラウンからチクチクとした空気が流れてくるんだけど」
耐えきれずに声をかければ、刺々しい声が返ってくる。階段を上り二回の自室に向かいつつ、ちらりと視線を向ければブスッとした表情をするクラウンが見えた。
「ちょっとね。これ以上聞かないで」
「わかった」
素直に頷き自室に入ると制服から私服に着替始める宗。些か乱暴に椅子を引っ張り出し腰かけたクラウンは足と腕を組みその様子を眺める。
「ねぇ、そーちゃん」
「なに?」
着替え終わったタイミングで名前を呼ばれて振り返ると、宗はまた鈍い痛みに前へとよろめいた。歪む視界に白い腕が胸元を貫通しているのが入る。
「え……」
痛みはないが徐々に体から力が抜けていく。腕をつかもうとするが、手に力が入らず空をかく。
ゆっくりと腕が引き抜かれのと同時に宗の体からまた金の光が。白い手の上で輝くのをみた瞬間、瞼が落ちる。
「おやすみ」
穏やかな声が意識を断ち切るように降ってくる。
瞼が落ちる前に見えたのは険しい表情をしたクラウン。
「やっぱりいろいろとおかしいね」
意識が飛ぶ前に耳に滑り込んだのは、感情のない固い声。
「おかしいよ、君はいったい何者なの。……宗」
どういう意味だと言葉をはきそうと瞬間、宗の意識はプツンと途切れた。