十四口目 記憶と空き缶
「はぁ……」
「憂鬱そうだね、そーちゃん」
「クラウンは楽しそうで羨ましいよ」
ベッドに腰掛けて溜息を吐いている宗にクラウンはいつも通りの薄い笑みを向ける。水を操る少女の『家』で見つけたボタンを弄びながら。
不規則な方向に飛んでいくのにもかかわらず、自分の手が届く範囲で指で弾いてはキャッチする。
視界の端でキラキラと金色が揺れるので再度溜息を吐いた。
「そろそろ学校に行く時間でしょ。あとは上着を着るだけなのに、何をそんなに躊躇っているの?」
ハンガーに掛けられている上着。黒い布地に、金色の五つボタン。襟元に校章をつけた学ランを見つめ、本日三度目の深い溜息を吐いた。
ダランと垂れさがる袖に、クラウンが楽しげに指で弾いている物と同じボタンが左右に一つずつ。蛍光灯の明かりによって鈍く輝いていた。
「クラウン、今日の天気はどう?」
「今日も分厚い雲が空を覆っているね。私と会った時だけじゃないかな、晴れていたの」
「梅雨だから仕方ないのか。雨降ったら傘もってね」
「わかってるよ」
「あ、傘と言えば……」
「そーちゃん! 学校に行く時間だよ!」
サッと立ち上がり、学ランを取り上げると視界を塞ぐように被せる。まただと思いながらノロノロと袖を通し、黒い鞄を手に取ると一階におりる。
ジッと、物言いたげな視線をクラウンに向けるが、彼は素知らぬ顔で階段をおりている。
玄関につくと、サッと靴を取り出して早く行こうと微笑んだ。これ以上聞いてくるなとその表情が訴えていて、疑問を飲み込むことしかできない宗。
「いってきます」
リビングにいる母親に声をかけてから、外に出る。学校に行くまでの間は何が起こるかわかったものではない。
昨日の日曜日、頼まれて買い出しに行った時にはゴミが数個飛んできて、全てが宗に命中したのだ。一つ、二つだったらクラウンは笑えたが、全てだったのでさすがに笑えなかった。
「今日は何も飛んでこないといいな」
「……落ちてこないほうがいいなじゃなくて?」
「落ちてくるものはクラウンが何とかしてくれるから。飛んでくるものは、無理。痣が痛くなったらすぐに飛んでくるから」
ひょいっと肩をすくめる。
その表情はいつもと変わらないが、どことなくうんざりしているようだ。
クラウンは宗の片頬をつまんでみた。痛いと言いたげに眉が寄せられるが、変化はそれだけだ。
つまらないなと思いながらムニムニと揉んでから手を放す。白い肌が少しだけ赤く染まった。
「この間のは痛かったな」
「この間って?」
「二週間前に側頭部に青いコーヒーの空き缶が当たった。血は出てないけど、しばらく痛かった」
「よく覚えてるね。私は空き缶が当たったことしか覚えてないと思うよ、色まで覚えているんだ」
「そうかな?」
感嘆の言葉に不思議そうに首をかしげた。が、次の瞬間には、表情が歪む。
反射的にクラウンは手を伸ばして、飛んできた何かを叩き落とした。カランと乾いた音とともに地面に転がったのは。
「空き缶?」
「そうそう、この缶だった」
地面に転がった青い缶。白い手がそれを拾い上げて、よく見えるように目の高さにまでも持ち上げる。鼻を近づけて匂いを嗅けば、コーヒーの香りがした。
「クラウン?」
「……ねぇ、そーちゃん。私が食べるところを見ていてくれる?」
「え、いいけど」
クラウンは両手で空き缶を挟んでペチャンコにすると、まるでクッキーを食べるようにかじりつく。固い物を噛み砕く音がその場に響く。
三口で空き缶を胃の中に収め、じーっと黒い瞳を見下ろす。
「そーちゃん。私は何をした?」
「俺の目の前で、青いコーヒーの空き缶を食べた」
「やっぱり、覚えているんだね」
クラウンの呟きに目を細める。何かかが抜け落ちる違和感に、米神を軽く指で叩く。
クラウンの質問と違和感はいつも同じタイミング。
宗は何か関係があるのだろうかと思っているが、クラウンに聞いたところでまた傘の時のようにはぐらかされるだけなので口を閉ざしている。
「そーちゃん、学校に遅れるよ」
まるで意識を逸らすように話題を変え、学校がある方向を示す。示す先に顔を向け、また深い溜息を吐いた。
「行きたくない」
「学校には行かないと」
「わかってるよ」
「さっさと聞いて解決したほうが気持ち的にも楽になると思うけどね」
歩き始めた宗の二歩後ろを歩きながら淡々と言葉を投げつける。
それに反応はせずに黙々と通学路を歩く、背中は緊張からかいつもよりもこわばっている。
反応がないことが、面白くなかったクラウンは、必ず振り返ることを口にした。
「行きたくないのは友達を疑っているから?」
歩きながら顔半分だけがクラウンに向けられた。その表情は硬く張りつめている。
物言いたげな視線を向け口を開くが何も言わず、また顔を前に戻してしまった。
「疑いたくないけどね」
「でも、そーちゃんは友達が犯人だと思っている」
「……あいつの左袖にはボタンがないし、青い勾玉を持っていた。ボタンはひっかけたら取れるし、勾玉もどこかの雑貨屋で売っているかもしれない。だけどさ」
いつの間にか宙にフヨフヨと浮き、自分の周囲をゆっくりと周回しているクラウンと目を合わせ、苦々しい口調で言葉を吐き出した。
「一夜で髪の毛って黒から金になる?」
「染めればなるんじゃないのかな?」
宗がなぜ険しい顔をしている理解できず一般的な答えを口にする。腕を伸ばし学ランのポケットに手を突っ込むと、勝手に飴を拝借する。黄色のセロハンはレモン味。彼はセロハンをはがさずにそのまま口に放り込んだ。
コロコロと舐めはじめた飴を、クラウンは次の言葉を聞いた途端に吐き出した。
驚愕で。
「金髪に見えるのが俺だけって言ったらどうする?」
「ゴホッ!?」
ポーンと弧を描いて口から飛び出した黄色い飴は、アスファルトの地面にボトリと落ちた。
砂にまみれて汚れた飴はクラウンの口の中に戻ることはなかった。
太陽の光がなくても輝く、左袖のボタンがない学ランを身に着けた黒髪の少年が角を曲がって現れたからだ。
クラウンは咽ながら、宗の目を見る。
彼の漆黒の目に映る少年の髪の色は、クラウンと同じ金色だった。