一口目 遭遇と契約
「ねえ、君。……呪われてるね!」
おもちゃを見つけた子供のように、琥珀色の目を輝かせて青年はにこりと微笑んだ。
突然現れた青年に少年は呆然とする。
「……」
「おーい?」
少年はなにも言わずに固まっており、青年はきょとんとしながら彼の前で手をラヒラとさせる。ぱちくりと瞬きをしているところを見ると気絶はしていない。
「いきなり、なに? 今、どこから出てきたの?」
「あ、返事した。呪われた魂って滅多に見かけないからさ、つい声かけちゃったんだ!」
真っ赤な夕日のなかで、黒の学ランが燃えるようなオレンジに染まっていた。
空飛ぶカラスが一声、少年めがけて鳴く。
その鳴き声にハッとした少年はゆっくりと瞬きをしながら、言葉を絞り出す。
高校からの帰り道、いつもと変わらない日常に突如として現れた奇妙な人物。彼の動揺は、硬直した表情、揺れる眼差しによって現されている。
青年はその反応に嬉しそうに笑い、彼の腕をつかむとグイッと自分のほうに引き寄せる。つんのめるようにして前へと二歩動くと、少年の背後でガシャンとなにかが砕ける音がした。
恐る恐る振り返れば、視線の先に茶色の破片と黒い土が地面の上に広がっていた。そこは少年が立っていた場所。青年が腕を引かなければ彼の頭に落ちて大ケガをしていたかもしれない。
ノロノロと顔を青年に戻す少年の表情は、ピクリとも動かない。虚ろな漆黒の目には光がなく、鏡のように青年の琥珀色の目を映す。
「あははっ! 君、面白いね。そんな複雑に絡まった呪い初めて見たよ!」
「……なんのこと?」
「とぼけても無駄だよ。私にはわかるんだ」
黄金の髪の毛が風に吹かれてサラサラと揺れ、夕焼け空に踊る。
得体の知れない青年に腕を掴まれ、かなり近い距離にいる関わらず焦ることもなく微動だにしない少年。
「今日はなにもないと思ったのに」
ぽつりとした言葉は顔をのぞきこむ青年には届かない。鼻と鼻が触れるくらいに整った美貌が近づいて、長いまつ毛が一本一本くっきりと黒い目の中に映し出される。
「光さえ吸い込むような闇色の目だ」
「そんなこと初めて言われた」
「そうなの? 見つめていると私まで吸い込まれそうだ。ところで、私の名前はクラウン」
唐突な自己紹介に目をぱちくりする少年に、白いコートを纏う青年、クラウンはニコリと人好きするような笑みをむける。
「君の名前は?」
「……」
「あれ? 名前聞かれたら、普通は答えるんじゃないの?」
「あなたに教えたら、さらによくないことが起きる気がするから、いやだ」
少年はグッと左手の甲を隠すように右手で覆う。今まで無表情だった彼の表情が少しだけ歪んでいる。右手の下に何かあるらしい。
クラウンがそこに視線を向けたあと、再度目をあわせる。
今まで笑っていた目から笑みと感情は消えていた。それはまるで色がついたガラス玉のようで。その恐ろしさに少年は体を震わせる。
「君の、お名前は?」
さらに顔を近づけてくる青年に、少年は抵抗せずに震えながらも顔を歪めるだけ。
クラウンはその様子をジッと見つめると、不意に腕を掴んでいた腕を離し一歩後ろに下がった。
「君の名前はなに? 教えて」
穏やかな声でクラウンは再度問いかける。一拍おいて少年の掠れた声が空気を震わせた。
「伊集、宗。……高校一年生です」
「伊集、宗。……そーちゃんか、よろしくね。学生さんなんだー。頭いいの?」
「普通、だとおもう」
「そっかー」
名前を知ることができて満足したのか、クラウンは満面の笑みを浮かべ、手の甲を隠している右手をはがし無理やり握手する。
唐突な握手に目を見開くき、真っ白な手をほどこうとする。が、ガッチリ握られていて離すことができず、すぐに抵抗をやめた。非力な学生の力で、振りほどけるものではなかったのだ。
「お兄さんは」
「クラウン」
間髪いれずに呼び方を訂正される。
不気味ほど満面な笑みのクラウンに、深いため息をはいた宗。
「クラウンはさ」
「なにかな?」
おとなしく名前を呼べば弾んだ声が返事をした。楽しそうなクラウンの、作り物のような顔を見つめながら宗は言葉を吐き出した。
「化け物なの?」
その言葉に返答はなかった。
言葉では。
なにかを殴るような鈍い音が宗の耳に届くと同時にガクガクと足が震えた。
「ごほっ!」
「あれ、珍しい色。……私と一緒だ」
呻き声をだす宗の腕をクラウンがまた掴まなければ、地面に座り込んでいただろう。彼は前のめりの体勢で何度も咳き込む。
「けほっ、こほっ!」
咳き込み続ける宗は、制服のシャツを握りしめ荒い呼吸を繰り返す。胸元のスースーする感覚と腹部の鈍い痛みに混乱しながら、顔をあげてギョッとする。
「え……」
「まあ、いいか。君の魂美味しそう!」
「俺の……魂?」
白い掌には金色の光が球体になってフワフワと浮かんでいた。まるで太陽の光を集めたような金の真ん中に、黒いシミポツリと浮かび、そこから根のようなものがまるで光を束縛するように伸びている。
クラウンはそれを目の高さにまで持ち上げ、まるで品定めするようにジロジロと眺め回し始める。
宗はそれを取り替えそうと手を伸ばす。クラウンが言った言葉が真実なのならば、光の球体は彼の魂ということになる。
さらに、美味しそうとクラウンは言った。この青年は、宗の魂を食べる気なのだ。
食べられたら、死ぬ。よくないことも起きる。
そんな考えが宗の頭を駆け巡り、今までの無抵抗が嘘のように彼は暴れる。
「かえ、して!」
「え、やだ。これは、私が食べるって決めたの」
ニコリとクラウンが浮かる笑みは、子どものように無邪気だが、抵抗を許さないと腕をつかむ手に力ををこめる。
それでも必死に宗は手を伸ばす。何度も空をかく小さな手。
「どうして取り返そうとするの? 無駄な抵抗はやめたら?」
あきれ混じりにクラウンが告げると、宗は痛みに顔を歪めつつ声を張り上げた。
「あなた、まで!」
「あなたじゃなくて、クラウン。それで、私にまで?」
「呪われる!!」
今まで淡々と言葉吐き出し会話をしていた宗。そんな彼の感情のこもった絶叫に、クラウンは笑みを消し真面目な顔になる。
「どういうこと?」
クラウンの問いかけに答えたのは、宗ではなく宗の魂。黒いシミがから同じ色の光がズルリと伸び放ち白いコートを取り巻く。さらに、つかんでいる左手の甲にくっきりと刻まれている黒いアザが赤々と輝く。
その様子にクラウンはハッと目を見開き周囲を警戒する。
「なんだ?」
「……くる」
「なにが?」
「後ろ!」
宗の声に促されるようにクラウンが振り返れば、暴走した何かが二人目掛けて突っ込んできた。
黒い光に包まれたトラックだった。
ヒュッと息をのんだ宗とは対称的にクラウンは楽しげに口角を持ち上げる。
「いつもあんなのが来るの?」
「おに……、クラウンがいるから!」
「そうなんだ。それはいいことを聞いた。……そーちゃんはまだ食べないであげる」
あっさりと離される腕。ぽいっと投げ渡される宗の魂。悲鳴をあげながら反射的にキャッチした魂は掌の上でさらに輝きを増した。
高笑いしながら駆け出したクラウン。
黒い光をまとった暴走トラックに嬉々として突っ込んでいく。危ないと宗が声をあげる前に、重い物体と人がぶつかり合う鈍い音が響く。
「あ……」
トラックは停止した。
正確にはクラウンは片手でトラックを止めていた。
反対の手を持ち上げると、まるでトラックを貫くように手を突き入れた。ずぶりとなんの抵抗もなく差し込み、すぐに引き抜ぬかれる白い手。その上には黒い光の塊が揺らめいている。
もう用はないというように、宗のほうに戻ってくるクラウン。歩きながら黒い光を眺めていた彼はおもむろに
「た、べた?」
果物を食べるようにかじりついた。
モグモグと咀嚼しながら近寄ってきて、宗の前にたつと同時に最後の一口を口のなかに放り込む。
その瞬間、トラックが消えた。まるで空気に溶けるように音もなく。
「きーめた。私、そーちゃんと一緒にいる。色んな物が食べられるみたいだし」
魂をヒョイッとつまみあげながらクラウンはそんなことを言った。反応ができない宗の胸元にそれを押し込むように白い手が置かれる。
「君はこの世界で、私の食料源ね?」
ゲホゴホとまた咳をしている宗に向かって堂々と宣言をするクラウン。咳き込みながらの返事は。
「やだ」
拒否の一言。
それが気に食わなかったクラウンはずいっとまた顔を近づける。
「どうして?」
「……クラウンといると、俺が危ない。危害を加えられるのも、もっと嫌だ。ただでさえ毎日怪我をして、痛い思いをしているのに」
「なるほどね。だったら、こうしよう」
仁王立ちしながら両腕を広げたクラウン。その堂々とした立ち振舞いに目が奪われる宗。
「時間はかかるけど、その呪い解いてあげよう」
「できるの!?」
「正確には食べていくんだけど。その間、君を呪いの被害から守ってあげよう。かわりに君は私に食料を提供する。私から君に危害を加えることはしない。これだったら、どう?」
「色々と思うことはあるけどわかった!」
返事に満足そうに微笑むと手をさしのべるクラウン。答えるように手をのせる宗。
無表情だった顔にはすがるような色が含まれている。
「よろしくね、そーちゃん」
「ところで、クラウンって何者なの?」
「こことは違う世界の、通称異界の王様だよ?」
「え、王様!?」
「そうだよ」
立ち上がらせてもらった宗は驚きに声をあげた。
「ま、細かいことは気にしない。そのうち教えてあげるから」
「わかった」
無表情に戻った宗と、楽しげなクラウン。
繋がれたままの手はまるで握手のようで。一瞬だけ金色の糸のようなものが二人を繋いだ。
呪われた魂をもつ宗
悪食の王さまクラウン
二人の奇妙な契約関係のはじまり。
2015/11/18 改稿