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セラルフィの七日間戦争  作者: 炭酸吸い
第四章
19/28

003




 辺りはマグマの海と化していた。大地が焼け、液状の火炎が泡を噴きながら二人へと迫っている。結界の中では逃げ場など無く、それでもセラルフィにとって脅威には映らない。一方的な虐殺。

 しかし残された時間は三十分も無い。それを理解しているのかいないのか。少女の形をした抜け殻は。《マヨイビト》と呼ばれた抜け殻は。大量殺人を成した抜け殻は。結界という死そのものの檻の中で、灼熱の劫火を容赦なく走らせていた。

「止まれ!」

 指を弾き、迫り来る炎の波を魔法陣を介して停止させるシルヴァリー。結界用に魔法陣の術式を上書きされたとはいえ、元の術式を完全に消し去らない限りその力は顕現し続けるようだ。

「まるっきり人を捨ててしまったようですねぇ……。厄介だ」

 シルヴァリーが腕を横に薙ぐと、その軌跡から五匹の炎竜が姿を現した。

 旋回。セラルフィの位置を中心に、這うようにして旋回する炎竜。それはセラルフィが心臓を奪われる前に発動した力だった。ある地点で進行方向を急転換させ、一気に喰らう。ただし、過去の術を引き出したところで、火炎を操るセラルフィにとっては逆効果でしかない。

 遅い来る炎竜を片手で抑え、その顎を大地へ叩き付けた。爆音が結界を揺らす。大気がびりびりと振動し、肌さえも刺すような衝撃を起こした。

「ハァ、ハァ……ッ! くそ、このままでいるのも危険か」

 結界を使う特例が道連れだと言われているのは、呪いに近い行為であるからに他ならない。自分の魂を捧げ世界を作り出す禁術。そこに巻き込まれた生物は、発動者が意図的に解除するか、どちらかが死ぬまで消えることは無い。

 魂をささげた術者は思念の実体を授かり、対象を殺すための化物へと成り果てる。人格は呑まれ、ひたすらに暴力を振るう。


 これはセラルフィが炎竜を退けた状況と同じである。

 ただし、セラルフィの場合、前者は有りえない。|《再生の臓器》を失った状態で発動したこの結界で、セラルフィは今、魔力――思念の実体として活動している。

 つまり今の彼女は死んでいることと同じ。暴力で制圧されない限り、対象を抹殺するという目的を持った化物として戦い続ける。

「まさか心臓に課した呪縛がこのような形で仇となるとはね。とても後悔しているよ」

 心にもないことを言うが、セラルフィは聞いていない様子だった。否、聞こえていない。もはや人の言葉を解す人格が消えかけていた。

 シルヴァリーが懐中時計を取り出し、セラルフィを完全に停止させようとした時。

「――――」

 目の前から少女の姿が消えた。慌てて辺りを見回そうとした――が。

「なっ」

 突如真横から妖艶に笑う少女。紛れもなくセラルフィだった。その細く、白い両手がシルヴァリーの肩を抱く。手が顔に伸びた。

「溶カセ」

 絶叫。セラルフィの両手が溶け、一気に熱を帯びたのである。血の混じったそれは炎よりも熱く、掴まれていた顔は一気にただれ煙を上げた。

 転げまわるシルヴァリーの横で、自分の融解した両手を眺める少女。真っ赤な血が溢れ出る中、一切の動揺を失くし傷口を――焼き塞いだ。

「モウ一回」

 言葉を覚えたばかりの赤子のようにうわごとを垂れ流している。叫びながら顔を覆っているシルヴァリーの元へ再び近づく。無い腕を伸ばした。

 切断。

「化物が」

 シルヴァリーは片腕を天に振り上げていた。時間停止により自身を硬化したのと、セラルフィの腕の時を進め、枯れ枝のように萎縮させたのである。切断というよりは、〝折り飛ばした〟ような感覚だった。

 セラルフィは自分の右手を色の無い瞳で見る。何が起こっているのか理解できないというよりは、余っていた玩具が壊れてしまったというような顔だった。呆けたままで、今度は傷口をふさごうともしていない。

 対するシルヴァリーの爛れていたはずの顔は元に戻っていた。何のことは無い。時を戻したのである。

 外部の要因では殺害されなくなったセラルフィは、いつの間にか仰向けに倒れていた。出血の量と魔術行使がここにきてセラルフィの体を蝕み始めたのだ。火の粉が飛び散るように、ゆっくりと、少女の体が火となり千切れていく。

「思念で形成した肉体と結界。《マヨイビト》の限界をこの目に収めることができて、大変良い収穫でしたよ」

 そもそもこの結界を作り上げた時点で、心臓の呪縛に関わらず彼女は死亡していた。シルヴァリーの掛けた魔術以上のエネルギーで自身を殺したのだ。心臓は戻らないが、このまま思念体として消滅すれば、シルヴァリーに奪われた心臓も朽ち果てる。

 時間がゼロになろうとも、この世の人間が全員死ぬことは無くなる。

「まさかあなた、『自分が死ねば|《再生の臓器》は力を失う』とでも思っていませんか?」

「――ッ!」

「瞳孔が開きましたね。図星ですか? 人格が消えていたと思っていたのですが驚きです。まだ少しばかり意識があったようだ」

「ウ、アア」

 セラルフィの頭部に手を乗せるシルヴァリー。

「言ったでしょう。『魔術は麻薬』だと。それを使う精神は、|《再生の臓器》によって補われていると。あなたの思念体。つまり精身体が消えなければ、『肉体的な死』は関係なく術式を続けられるんですよぉ」

 もはやセラルフィにとっては水の底で声を聴こうとしているような状態だった。人格が底に沈みかけている。

「あなたを停止させる」

 ――トト。

 闇の底に沈んだはずの人格。セラルフィの額に手をかざそうとしたシルヴァリーの横で、小さく。少年の名を呼ぶ声がした。人知れず結界が剥がれ落ちていく。セラルフィの意思とは関係なく。もしくは、そうするべきだと結界自身が自壊したかのごとく。

 ――壊れた結界の膜からトトが飛び出した。

「セラッ!」

 シルヴァリーの時の制約の領域テリトリーに入ってしまった。構わず大槌を振りかざす。シルヴァリーは不敵に笑い、指を弾こうとした、が。

 大槌が突如輝き、形態を変える。殴るというより突き刺すような鋭さを以て、時の束縛をまるで打ち砕く様に、虚空のある一点を殴り、破壊する。途端、シルヴァリーの片目に亀裂が入った。

「あ、がぁああ……ッ!」

 隙を狙いセラルフィの体を抱き、瞬時に魔法陣から離脱する。

「トレイル! 貴様ァ!」

 既に精身体を留めていたセラルフィも限界が来ていた。

 心臓の爆破が起きる前にその灯も消えかけようとしている。

「セラ大丈夫!?」

 色の無い瞳はトトに焦点を合わせられない。虚空を見つめ、半分火炎と化した少女の体は風に消されそうなほど虚弱なモノとなっていた。

「トト、ごめんなさい。こんなことに巻き込んで……」

「何言ってるんだよ、改まって。僕の方こそキミに助けられてばかりだ」

 小さな声に答える。とは言っても、この体が消滅するまで、もう長く無いことは目に見えて分かっていた。

 天に伸ばされた手を掴み、自分はここだと強く握る。炎の手は不思議と熱くなかった。

「もう、時間がありません。精身体の私が消えれば、心臓の効力は無くなります」

「ダメだ! 勝手に死ぬのは許さない!」

 握る手が、どんどん冷たくなっていく。火炎の体をしているのに、それほど力が弱くなっているのか。そんな、どうしようもない顔でセラルフィを見ていた。

「聞いたんだぞ。君が……」

 本当は言うべきではないのだと、彼自身躊躇するように言葉を詰まらせていた。セラルフィを最後まで追いつめてしまうのではないかと。

 それでも、ここに留める時間を伸ばそうと、必至に意識を手放させないように全てを口にした。

「君が、リラを殺したんだって」

「――ッ」

 トトの手から逃れようと、その拒絶反応は顕著になった。

 異次元管理局だったトト――トレイルは、精身体と成り果てた《マヨイビト》の症状を少なからず理解していた。

 《マヨイビト》の意識が完全に消えれば思念体も消滅する。トレイルのしている行為は今のセラルフィにとって最善であり、残酷な手段だった。

「君は生きていなきゃいけない。殺した人たちの分まで、生きて戦うんだ」

 記憶を失う前のトレイルは、確かにリラと親しかった。家族のように。そのリラを殺した張本人が目の前にいる。怒りが無いわけではなかった。同情しているわけでもない。ただ、勝手に死なれるのは許せなかった。如何なる理由であれ、人を殺めた罪を償う前から逃げるのだけはさせるわけにはいかなかった。

「僕を見ろッ! 勝手に逃げるのは許さない!」

 掴んでいた手を大槌に持たせる。

「君はもう精身体だ。僕の大槌は魔力を吸収できる。魔力は精神の源。言っている意味は分かるね?」

「ダメ……そんな事したら、心臓……時間が」

「シルヴァリーの思うようにはさせない。僕を信じて」

「…………」

「お願いだ。リラのためにも」

 その名前に、セラルフィの瞳がわずかに揺れた。




     

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