episode 10 藍里祐一とルイサ・ハートマン〈1〉
「お兄ちゃん起きて、起きてってば」
カーテンから覗く朝日とゆさゆさと体を揺らす妹の声で目が覚めた。
これは夢だ。十年前に死んだはずの妹が成長した姿で目の前にいる。年の頃は15歳だろうか、昔の面影を残しているとはいえ幼さは凛々しさに変わり、母の顔つきに似ている。
「おはよう優紀」
「ふふ、お兄ちゃんは相変わらず起きるのがへたっぴだね」
そういえば昔もよく妹に起こされていたような気がする。
昔の日常も朧げになるほど時が経ってしまったのか。少し悲しくなり、思わず目尻が湿っぽくなる。
「お兄ちゃん泣いてるの?」
優紀が少し驚いたような顔をして声をかける。
「大丈夫だよ」
昔と同じように優紀の頭を撫でながら答える。夢の中とはいえこんなにも大きく成長しているのに十年前と同じようににっこりと笑う。
「お兄ちゃん、あのね大事な話があるの」
僕が「何?」と聞き返す前に話を続ける。
「目が覚めたらね、あの白い髪の人を助けてあげて欲しいの」
「なぜ?」とは聞き返さなかった。夢の中だからなのか妹の感情が理解できる。
「お兄ちゃんの考えてることは分かるよ。でもね繋がりを失くすとまた後悔するよ」
黙って妹の目を見つめる。
少しずつ現実で何が起こったか思い出していく。信じられないような出来事だったが確かにそれは夢ではなかった。助けると言われても僕に出来ることは何もない。
「大丈夫。いつでも私はいるから」
もう一度にっこりと笑って言葉を続ける。
「それにーーーーーー」
「え?」
うまく聞き取れなかった。
「ーーーーーー」
優紀がもう一度何かを告げる。祐一を優しい目で見つめ、口を大きく開けて伝えてくれるが何も聞こえない。
「優紀?」
今度は口パクで違う言葉を伝えようとする。
『だ、い、じょ、う、ぶ』多分だがそう話している。
「優紀、どういう意味?」
優紀はにっこりと笑い、そこで僕は夢から覚めた。
ーーーーーーーー
目が覚めた。
さっきまでいた駐車場から移動して、公園のベンチで寝ていた。
「すーすー」
隣のベンチには静かに鼻息を立てながら先ほど一緒に戦った少女が眠っていた。
彼女が移動させてくれたのだろうか、体の痛みもないし驚いたことに失った右腕も綺麗に元どおりになっている。
汚れた衣服以外目立った傷もないのは彼女が治療してくれたからだろうか、先ほどのオカルト能力で治してくれたのだろうか。
祐一は昼寝から覚めるようにゆっくりと体を起こす。体には何の不自由もない。それどころか今までで一番調子がいいくらいだ。
「ん……」
隣で眠る彼女が目をこすりながら起き上がる。
「目が覚めたのね。痛いところはある? 多分だけど問題ないわよね?」
「いやこの上ないくらい快調だよ。何かしてくれたんだろう? 腕も元どおりだ」
彼女はやっぱりかという顔をする。
「あなたは勝手に治ったのよ、握ってた小刀から妖力を吸ってね。それに私に回復術は使えないの、妖力を流して肉体活性をしようとしたら流したそばから治っていっっちゃた。びっくりだわ」
「それは……」
それはどういうことなんだ。思わず言葉に詰まる。
体が妙に軽いのも妖力とやらを吸ったからなのだろうか。
「あなた自分のこと何にも知らないのね。本当に人間かどうかも怪しい体よ。普通妖精を集めて回復なんてできないんだから」
「そんなことを言われても知らないもんは知らないし、そっちの方が非常識でありえない存在だよ。全部説明してくれるんだよな」
「そのことなんだけどね」
一度言葉を区切って決心したような面持ちで言葉を続ける。
全部説明してあげるし解決したら私のできる範囲で必ず報いるから、私の手伝いをして欲しいの。あなたのメリットは少ないかもしれないけど、頼れる人があなたしかいないの……呪いは解けてないままだし……」
彼女は少し後ろめたいのか少しずつトーンを落としながら話す。
僕は少し返答に悩む。
さっきの夢の中の妹の言葉に従うならここは協力するべきだ。しかし、ただの夢に従って生きるか死ぬかの選択をしてもいいものなのだろうか。
また少し考え、夢の中の妹の言葉を頭の中で繰り返す。
『繋がりを失くすとまた後悔するよ』きっとそれは当たっている。もしここで断って、後で彼女が死んだことを知ったらきっと後悔する。彼女一人で問題なく成功する可能性もあるのかもしれないがさっきの戦いを見る限り厳しいだろう。
目をつむり深く息を吸って吐く。
後悔はしたくない。
じゃあ、答えは決まっている。
「いいよ。手伝う何をすればいい?」
「え? いいの? 本当に?」
彼女は何度も瞬きをして心底驚いたような顔をする。
「何だよ、断って欲しいのか? 言い出しはそっちだろ?」
「いや、だって死ぬかもしれないのよ、それにあなた腕が失くなったりもしたのよ」
「そんなことは分かってる。けどもう何かを失って悲しい思いをするのは嫌なんだ」
十年前のことをいちいち話すつもりはない。自分の中の気持ちだけを彼女に伝える。
「?」
祐一の過去のことも決心も知らないルイサは一瞬きょとんとしたが、すぐにこれからの話をしようとする。
「分かった。じゃあ手伝ってもらう。逃げたい止めたいはもう受け付けないからね」
彼女はふっと笑って最後の忠告をする。彼女本来の表情なのかすごく自然で思わず見惚れてしまった。
「じゃあ、まずはーー」
ぐ〜
続けようとした話しは不意に彼女お腹の音に止められた。
「「ぷっ、ははははは」」
思わず吹き出してしまった。たった一日だが久々に笑ったような気分だ。
きっと彼女もそうだったんだろう。目尻に涙を浮かべて笑っている。
「まずはご飯にしようか僕の家に行こう。説明と作戦会議はその後で」
「あなた初めてあった子を家に誘うの。案外やるのね」
出会って間もないがもう冗談を言ってくる彼女に、最初は獅子とウサギの関係だったが案外仲良くやれそうだと感じた。
そういえばーー
「あなたじゃない。僕は祐一、藍里祐一」
「私はルイサ・ハートマン。ハートマン家の優秀な精霊術師よ。特別にルイサって呼ばせてあげる。よろしくねユーイチ」
彼女の『ユーイチ』という独特なイントネーションが耳に心地いい。
「よろしくルイサ」
これから今日以上の苦痛や困難が待ち構えてるのかもしれない。
けれど今はそのことを忘れよう。
何はともあれ昼食を買い直すことから始めることにした。
今日二度目のスーパーへ。
お財布の中身が心配だ。




