第2-2章
学校へと無事に着いた。学校が準備してくれた住居だけあって、学校までの距離は十分弱と比較的近い距離にある上、学校見学や文化祭、受験などで何度か来たことがあるので迷うことなくスムーズに辿り着けた。
門をくぐり見上げた学校の外観は全部が綺麗な水色に塗られている。門を通り抜けた先、しばらく進むと学生用の玄関が見える、その手前に臨時で設置されている掲示板がありそこには『新入生クラス分け』と上に大きく書かれている。
掲示板を確認しに行くためにレンガの敷き詰められた地面を蹴って進み、小さく書かれていた文字が確認できるだけの距離へと近寄った。掲示板の前には俺と同じように自分のクラスを確認するために何人もの生徒が貼られた紙を見上げている。
クラスは1~8組までと高校としては多いのか少ないのかはわからないが、この中から自分の番号を見つけ出すのはいささか面倒だ。個人情報保護だとかという理由で個人の名前は掲示板には書かれておらず、受験した際の受験番号が書かれている。
どうせこんなの誰も悪用なんかしやしないんだから普通に名前で書けよ、探すのが面倒くさくてしょうがない。えっと、俺の番号は473、よなさんだな、じゃ探すか、え~と一組はいない、二もいない、三もない、四もない、五にも、六にもいない、七にはいた。よなさん。
でその473の数字の隣りに―29番と書かれている、どうやらこれは出席番号らしい、教室に着いたらこの番号の席に座ればいいんだな。
掲示板にはもう用は無くなったので離れることにする、振り返る時にまだ掲示板を見上げている人たちの顔を横目で少しだけ見た、この中に俺と同じクラスになるかもしれない人がいるわけだ、そう思うと少し緊張するな。大丈夫俺なら仲良くやれる。そう暗示を掛けておこう、気持ちの段階でビビっていたら何にも出来なくなっちまう。少しでいいから俺には出来るんだって自信を持とう。
思いながら、掲示板から距離を置いて行く、視界からも見上げている人たちも消えていく、反比例するようにこれからの日常の多くを過ごす場所となる教室への距離が近くなる。
1年7組の29番と書かれた下駄箱の中にローファーを入れ、肩に掛けていた鞄の中から上履きを取り出して地面に放り投げる、放り投げた反動で左の靴だけが裏返しになってついてねーな、なんて内心で思いながらも普通に手で直してちゃんと上履きを履く。
一年生の教室は四階、学校は四階建て、つまりは一番最上階だ。もっといい変えると、地上から一番離れたフロアに教室がある、ということは階段を登る段数が一番多いというわけだ。一年生なんだから一階にしろって、いままで何人の新入生が思ってきたのだろうか。ちなみに、2年生は三階、3年生は二階が教室になっている。学年が上なほど教室が下のフロアにくるという仕組みだ。どうせ四階を体験しなくちゃいけないのなら早いうちに終わってしまってくれた方が楽で助かる。階段登るの辛いって程歳も行ってないしこれくらいは頑張ろう。それではこの体力作りに微力ではあるものの、否応なしにい強制協力してくれる階段を登り、四階へと着いた。
階段を背にして左側の廊下には理科室などの特別教室のある棟、教室棟は反対の右側、なので階段を出てすぐに右折をする。階段から一番近くにあった教室は一組、ということは七組はこの長く一直線に続いている廊下の奥の方にあるのか、そんなことを考えながら足を止めることなく奥へと進んで行く、空いたドアの隙間から通り過ぎる教室の中をぼんやりと眺めながら進んで行く。
中学の頃からの友達同士なのだろうか仲良さそうに話している二人組。退屈そうに時間よ早く過ぎろという風に携帯をいじっている一人。まだ席の主が来ていなくて空席になっている机。眺めていて見つけた殆どがこれだった。少数ではあるけれど隣同士の席や、前後の席でぎこちなさそうに話している人たちも見受けられた。自分もこの人たちを見習って声を掛けようと心に決める。
そして自分のクラスの扉前、開けっ放しにされえているドアを通り抜け教室内への第一歩。このクラスもぱっと見た感じ、今まで見てきた他のクラスと同じような状況だった。声を掛ける掛けないは置いておいて、自分の席に着くことにする。各机の右上には紙でその机の主の出席番号が書かれていた。今入ってきたドアは教室後の所らしく、廊下側最後尾の机には5と数字が書かれており、その左隣は10、更に左隣りは15となっているので、俺の番号は29番、窓側から三番目、廊下側からは6番目、列の後ろから二番目の席になっている、クラスの人数はどうやら丁度40人らしく机が5×8で並べられている。自分の席の場所を把握して席の目の前に来たが、まだ俺の席周辺の人は来ていなかった。とりあえず、席について自分と一つ約束を交わす。上下左右このどこかに人が来たら自分から声を掛けようと。
そして2~3分経った頃、席の周りに人が来た。丁度左隣、出席番号34番の人が。身長は俺より少し低めで、見た雰囲気は優しそうで、黒髪を肩に掛るくらいまで伸ばした女の子。可愛らしいというよりは綺麗といった方が正しいと思う。
さあ、意を決する時がきた。脈拍かどんどん速くなっている、普通にしていても心音が聞こえてくる、手汗がすごい、それでも声を掛けよう、相手だって友達が欲しいはずだ、ならあからさまな拒絶なんかしないはずだ。
よし、声を掛ける、声を掛けるぞ。
「おはよう」
自分の中では自然な表情、明るめな声で話しかけたつもりだ。でも、実際の表情には多少緊張の色が出ていそうだけれども。
「……、あ、おはよう」
34番の彼女は自分に声が掛けられたと気がついて返事を返してくれた。
よし! 第一関門クリア!
「俺、緋山 創一っていうんだ、君は?」
無難な自己紹介だろう、当たることはないけれど、外れることもないような、そんな普通の入りだけれども、今の俺にはこれが精一杯です。
「あ、私は、水月 紗奈です」
「よろしくね、水月さん」
「こちらこそ、緋山君」
よし、よし、よし! 第二関門突破! 後はどうにかして話を続けよう。それが出来なきゃ意味がなくなる。
「いや、でも、俺心配していたんですよ」
「何を?」
「進学するためにこっちに引っ越してきたんで誰も知り合いがいないんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
どう思っているかは知らないけれど、とりあえず話は聞いてもらえてる。
「水月さんって地元ここら辺なの?」
「うん、そう。学校まで歩いて二十分も掛らないくらいのところかな」
「へぇ、じゃあ割かし近いんだね」
「うん、だからこの学校に決めたの」
「そうなんだ、俺はこの学校に―――」
俺の話している途中に誰かが割って入ってきた。
「おや、早速ナンパかい? 少年」
「はい?」
割って入ってきたのは、明るく活発そうな雰囲気を醸し出していて誰にでもわけ隔てなく接しそうな、ショートヘアの女の子であった。
「ちっちっち、でもそうは問屋が卸さないんだな、なんせ、紗奈は私のモノだからな」
きょとんとした顔の俺に乱入少女が人差し指をビシッと指してきた。見かねたのか水月さんが割って入ってきてくれた。
「この子は鵜川 桜結、同じ中学だったの」
「私のテンションはスルー!?」
「だっていつもそんな感じじゃない?」
「そうだけれども、いつもより若干高いでしょ!」
「といった感じの陽気な子です」
ここで俺にくるのか。
「なるほど把握しました。鵜川さんは陽気な人、と」
掌に文字を書く真似をして、メモを取るようなジェスチャーをした。
「と、そんなことはどうでもよくて、この人は誰なんだい、紗奈」
「緋山 創一君、今話しかけてきてくれたの」
「やっぱり、ナンパか! 駄目だよ、紗奈は私のだ!」
「違うわ! そんな入学初日から高校デビューでチャラくなってやる、みたいな感じのことをしなくちゃいけない!」
学校内でも学校外でも、ナンパをするなんて、そんな勇気も気概も持ち合わせていませんよ。
自分でも意外なことに初対面の人とこんな風に話せるとは思ってもみなかった。こんなことができるのも、あの家という環境で一日ではあるけれど過ごしてきたという経験から成せるものなのだろうな。
「それ、いいね、高校デビューするからって張り切りすぎだ」
「なんか、凄い適当だな!」
「実際適当だからね」
「ここまで素直に開き直られると逆に清々しいものを感じるよ」
「どうもありがとうございます」
言葉には出さないけれど胸中で大きく一つ溜息を吐く。
「はい、はい、桜結も緋山君もそこまで」
紗奈さんが制する。
「これから一年間同じクラスで一緒に過ごしていくんだし、仲好くしたら?」
「そだね、うちも仲良くしたいし。これからよろしくね」
差し伸べられてくる右手、求められているのは見てわかるとおり握手、英語で言うならシェイクハンド。
「ああ、よろしく。鵜川さん」
向けられた行為に応じるように右手を差し出して掌を掴み取る。
友達になるための誓いの儀式を交わした、そんな気分にさせられた。
「でも重要なことだからもう一度言っておくが、紗奈はうちのモノだからな!!」
そんなどうでもいいことをニ回も言われたけれど、どう反応したらいいものだろうか? ここは調子に乗って「ふん、それは今のことだろう、気がついたころには水月さんは俺のモノになっているのさ!(ビシッ)」とか言い返せばいいのだろうか。
考えている間に右手に痛みが走ってきた。
「わかったかい?」
「承知しました」
熟考しすぎたのか、時間が掛ったせいで痺れを切らして、右手を潰しに来られていた。これがいわゆるパワハラ(物理)というものか。
どうでもいいことを体験した登校初日。
ミシミシと音が聴こえそうな締め付けから解放されて右手を労るように擦って、痛みを払拭する。
話しの話題になっていた水月さんの様子を窺うと、いつも通りだから別段気にしたい、というような達観した雰囲気が漂ってきている。
苦労してきたんだろうなぁ、と心の中だけでねぎらいの言葉を掛ける。
話しの流れにもひと段落がついたので何気なく壁に掛けられている時計に目をやると9時25分。確か今日の登校時刻は9時半までと聴いていたので後五分程でその時刻になるのか。
辺りを見回してみれば先程は閑散とまではいかないけれど、人数は少なかったけれど今はほとんどの席は埋まっており、教室には結構な数の生徒がいる。
さっき廊下から歩きながら見ていた景色の中に今自分自身も混ざっているんだなと実感することができた。そして目標にしていた、ぎこちなくてもいいから話すと言うミッションは大成功と言っていいだろう。割かし仲良く話すことができたと思うし。
ちなみにこの思考の時間僅か一秒。
自分の中で考え続けるのはここまでにして前にいる二人に視線を戻す。
水月さんが保護者の様な暖かい視線を鵜川さんに送っている。その視線を受けている鵜川さんはなんだか辺りをキョロキョロと見回して誰かを探しているようにも見えた。
「誰か探しているのかな、桜結?」
答えを知った上で尋ねたように見えた。
「な、何を言っているんだい! そんなことないよ!」
「じゃあなんでそんなに辺りを見回しているいのかな?」
多分これは鵜川さんのことをからかっているのだろうな。
「どんなクラスなのかなぁって見ていただけだっで、それ以外はない!」
初対面の俺でも何かを誤魔化しているというのがはっきりとわかってしまうくらいに嘘が下手くそのようだ。
「ふ~ん、そうなんだ。あっ」
水月さんが誰かを見つけたのか手を振っている。視線が定まっていなかった鵜川さんの焦点が手の振られた向こうへと定まる。二人に少し遅れてから俺もその方向に視線を移す。
俺が入ってきた教室の後ろ側のドア、けれどそこには誰の姿もなかった。小首をかしげて目線を二人に戻す。
「紗奈!!」
「何?」
突然上がった声に少し驚きながら事の顛末を見守る。
「いないじゃん!」
「別に私は誰かいるなんて言ってないもん」
「なっ、謀ったな!」
ドンッと机を掌で撃つ。
「てへぺろ」
「うぅ~可愛いから赦す!」
ということでこの勝負水月さんの勝ち~。まぁ勝負なんて二人ともしているつもりはないだろうけれど頭の中で勝手にファンファーレを鳴らしておく。
「相変わらず元気だな、お前たち」
突然左側から男の声が聴こえたので、そちらの方向に首を向ける。
そこは丁度俺の一つ後ろの席、出席番号で言えば30番。その彼が二人に向かって行ったようだ。
「あ、おはよう」
「うぉ、びっくりした!」
水月さんの挨拶の後に鵜川さんの斬新な挨拶続く。
それに対して今来た彼は「ああ」と短く返す。
一体誰なんだかわからずキョトンとしていたのを察してくれたのか、水月さんが紹介をしてくれる。
「こっちはね、中学から一緒の日向 詩昏君」
紹介された彼のことを見る。
雰囲気は全体的に脱力した様なふんわりとしたような感じで、髪の毛は男にしては少し長いかなぁくらいのゆったりした様子で時の流れに置いて行かれそうに見えた。
「で、こっちがさっき知り合った緋山 創一君」
順番で今度は俺のことを紹介してもらう。
「ども、日向です。普通に日向って呼び捨てで構わないから」
気の抜けた様な緩い声での挨拶。
「え~と、緋山です。俺も呼び捨てで呼んでもらっていいので」
これで自己紹介は終了っと、なんか随分とあっさりした感じで終わったな。
「それにしてもさ、詩昏聴いてよ」
鵜川さんがおばちゃんぽい仕草をしてから日向に話しかける。
「ん?」
それに薄く反応する日向。
「創一ったら、いきなり紗奈のことをナンパしたんだよ」
「違うわ! さっきも否定したことをなんでもう一回掘り返すのかね!? それとも、もう、その記憶は忘却の彼方へとフライアウェイしたのか!」
それはそうといきなり下の名前を呼び捨てですか、まぁ、いいんだけれど。
「おぉ、それはお盛んなことで」
「今の俺の話を聴いていなかったのか!」
真面目に言っているのか適当に言っているのか判別のつかない反応が日向から来る。
「緋山、高校デビューを頑張るのもいいけど、初日からってのはどうかと思うぞ」
肩をポンポンと叩かれる。
「いや、だから違うって! そうだ、水月さんから言ってやってよ!」
水月さんの口から真実を語ってもらえばこれで万事解決だ。
俺の言葉に、うんわかったといった様子で答えてから口を開く。
「緋山くんが初日からナンパをしてきて本当は困っていたのよ、シクシク」
「え? え!? えぇぇぇっ――――!?」
驚嘆、驚愕、驚き。
水月さんは本当のことを言ってくれると信じていたのに… しかも今あからさま過ぎる程の嘘泣きをしている。
「俺、そんなことしてないでしょ!」
思わず立ち上がり必死の抗議を掛ける。
「そうだな、緋山、わかったよ」
日向も立ち上がりもう一度俺の肩を掴む。
「日向…」
ようやく理解者が現れてくれたか。
やる気の感じられない目をしていたのが急に見開かれる。
「男ならば一度はそういうことをしてみたいものだよな」
「ちが―――う!!」
もう何を言っても無駄だと悟った高一の春。
「あっ、入学式始まるから廊下に出ろだって」
泣いていた(嘘)はずの水月さんがいつの間にか来ていた、教師の言葉を繰り返す。
「じゃあ、行こうか」
「そうだな」
水月さん、鵜川さんに続いて日向も席を立ち廊下へと向かう。
「ああ」
力なく肩を落としながら俺もその後を追う。
不安と希望の混じった学校生活の幕開けとなったのだった。
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