第4-3章
「ふわぁ~」
あまりの心地よさから大欠伸が零れていた。
なんていえばいいのかな、バスのこの小刻みな揺れっていうのが、妙に眠気を誘ってきて、寝起きだからって事を除いても欠伸が出ちゃうんだよな。
後ろへと流れて行く風景から、窓ガラスに映り込む自分の姿を確かめてみる。
ふんわり系の自然な感じに仕上げられている髪(実際は直しきれなかった寝癖で、無造作に跳ねているだけ)、優しそうな感じに緩んだ目尻(ただ単に眠くてとろん、としているだけ)、等と完璧な状態だった(マイナス方向に)。
流れていた景色もいつの間にか、住宅地の風景から、公園の緑が割合を多く閉めるものへと移り変わって行き、もうそろそろで目的地に辿り着くんだと実感してきた。
込み上げてきた欠伸を噛み殺し、バスも丁度バス停に止まったので、そこで降りる。
昨日も来た公園、けれど今日は俺一人で、昨日はデートだったけれど、今日は半ばストーカーみたいなことをするという、付き合っていた彼氏が腹いせに彼女につき纏っているような状況になるわけだ。
改めて自分でその事を思ってみたけれど、気持ち悪いことしてるな、俺。
だって、これ、一歩間違えればただの犯罪者だし、こっそり後を付ける気満々だから、ストーカーって事を否定しきれないんですけど。
そして、変装セットとして、鞄の中に詰め込んできたサングラスと帽子が怪しさに更なるスパイスを加えてくれて、いい感じの不審者ができ上がるんですけど。
……いや、これはストーカーなんかではない、断じて違う。これは兄が妹に変な虫が付かないように心配して、身辺を守るために、こうして出向いたのであって、不審者なんかではないんだっ!! と、必死に自己暗示を掛けてみて、どうにか正当化してみる。
そんなくだらない事を考え、悶々としていたらいつの間にか噴水が見える辺りにまで来ていた。
よし、じゃあまずは結霞ちゃんの姿を発見しないとな。一体どこに居るんだろうか?
打ってつけの待ち合わせスポットなだけあって、今日も噴水の周りには様々な人が、各々の方法で相手が来るまでの時間を埋めていた。
イヤホンを耳に詰めて携帯を弄っている青年、時計で時間を気にしながら相手が来るのを待ちわびている女子大生、噴水の縁で缶チューハイ片手に寝転んでいるおっさん……まぁ、こういうのは偶にいるから見なかった事にしておこう。
そんな様々な人が入り混じる中に探している相手の姿があった。
フリルとリボンが付いた優しい感じのミニスカート、袖口や襟元にフリルの付いた緩い感じのブラウス、そして思わず目を引かれてしまう絶対領域を作りだす白いニーソックス。
全体的にほんわかした感じのとても可愛らしい服装をした結霞ちゃんが、鞄を後ろ手でぶらんぶらんさせながら、空を眺めていた。
昨日でも普通に可愛い恰好だったけれど、今日は更に気合いが入っているようで、もう、見ている俺が幸せになれそうだった。
そりゃ、まあ、当然のことだよな。
俺はあくまでも予行演習で、本命の相手は吉田君という人なのだから、偽物の恋人の俺なんかとは比べ物にならない程に努力するよな。……なんどろう、自分で言っているくせにとても悲しくなってきたんだけど。
まぁ、その気持ちすら、今の結霞ちゃんを見てしまえば吹き飛んでしまうんだけれど。
「いや~、結霞ちゃんマジ天使、マジ大天使」
胸中だけでは収まりきらず、声に出して呟いてしまった。
「ほうほう、それで、その大天使様はどこに居るんだい?」
「ほら、あそこだよ、左側の方にいる可愛い女の子」
「確かに、あれはミカエルもガブリエルもラファエルも敵じゃないくらいに可愛いね」
「だろう、だろう」
俺のこの思いに賛同してくれる人はきっとどこかにいると思っていたんだよ。
…………ん? あれ、俺は今だれと会話をしていたんだ? これは絶対に幻聴なんかじゃないよな?
きちんと鼓膜を震わして音が耳に届いたし、会話していた相手の声は女の人だったし、て言うか後ろの方から聞こえたよな。
幾らか離れた先にいる結霞ちゃんを眺める為に、前方へと集中させていた意識を後ろの方へと持って行く。すると、そこには何かの気配があった。
なんだ、なんだ、なんですか? 一体何がいるんですが?
頭の中で流れる妄想の声ではなくて、実在する声にびくびくしながら、振り向いてみた。
「やあ、やあ」
そこには元気に片手を上げている鵜川桜結さんがいた。
この現状に今一理解できなくて、数瞬のフリーズ、そして。
「うわぁ!! でた!」
「うちはお化けでも妖怪でもないんだけどな」
そう突っ込まれてもおかしくないような驚き方をしてしまった。
ふぅ、い、いや、別に全然驚いてなんかいないから、心臓がめっちゃばくばく言ってるけど、これは……そう、あれだ、あれ、持病の動悸のせいだ。そういう事にしておこう。
春だと言うのに季節を先取りして、ホラーな出来事を体験したけれど、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
「いやぁ~いきなり声を掛けられたもんだから、つい驚いちゃってさ」
「まぁ、驚かせたうちも悪いけれど、あんなに驚かれると、なんか落ち込むなぁ」
「ははは、ごめんなさい」
「うん、許す」
にかっ、と微笑んでくれて、かき乱されていた気持ちが完璧に落ち着きを取り戻した。
「そういえば、どうして鵜川さんはこんな所にいるの?」
「ん? いや、特に理由とかはなくてさ、暇だったから散歩していんだよ」
「なんか年寄り臭いな」
俺も爺臭いなんて言われた事があるけれど、鵜川さんの方が俺より精神が老けているのかね。
「何を言うかね、こんないい天気なんだからさ、外に出ない方が勿体なくないかい?」
「う~ん、そういうものなのかな」
「そういう、ものなんだよ」
まぁ、趣味は人それぞれだし、取り立てて変な趣味なわけでもなくて、俺が共感できないだけも事だから、これ以上この話題は広げなくてもいいかな。
「そういう創一はなんでって、あぁ、彼女が原因かい?」
鵜川さんの指差す先には、我が天使がそわそわしながら待ちぼうけている姿があった。
「まぁ、そうだね」
「で、二人はどういう関係なんだい?」
何気ないその質問に対して、すぐ答える事が出来なかった。
最初に口をついて出そうだった言葉は「兄妹」と言うものだったが、喉にまでせり上がった所で飲み込んでしまった。
この妙な生活に変わってから今日で四日目だが、家の中にいる皆をどう思えばいいのかが正直まだ、定まりきっていなかった。
みんながみんな、各々の居場所を持って寛いで、馴染んでいたあの家の中から追い出そうなんて思えなかったし、ましてや俺が出て行くなんて言う事も論外で、どうしたらいいのかわからないから、放置してしまっている状態。
結霞ちゃんを始めとして、彩音さんや叶さん、隆也さんにえみちゃん、皆が皆俺の事を兄姉弟妹として見てくれているから、居心地がいいから甘受しているけれど、一体どうしたらいいのだろうか?
一緒に暮らしているのに、第三者に訊かれて答える事のできない関係意と言うのは、何だかとても悲しく思えるのだが。どういう関係なんだろうな、俺達って。
急にそんなことを考え込んで、黙りこくってしまっていた。
「なんだい? 答える事ができないような関係なのかい?」
声のトーンは変わっていないのだが、核心を突かれたようなその言葉に、胸を見透かされたような冷たさを感じていた。
「まさか……」
息を飲むように鵜川さんが呟き、探るようなひそひそ声で続ける。
「ストーカーかい?」
「へ?」
間抜けで素っ頓狂な声を零してしまった。
いや、俺が想像していたのは、俺たちの関係の核心を突くようななにかを言われるのかなぁ、なんて思ったんだけどさ、方向が180度違くて、それでもこれはこれで、十分問題なんだから、声を大にして否定させて貰うわ。
「違うわっ!! ただの兄妹だから!」
思わず兄妹だと言ってしまった。
悩みが解決していないまま、そう関係付けてしまった。
「なんだい、そうだったら最初からそういいなよ。本当にストーカーだったら極意を伝授してあげようと思ったのにね」
おっと、この人しれっと凄い事言ったよね。
これはもう、この流れに乗っかれっていう事ですよね、どうですよね、じゃあ行きますよ。
「それじゃあ、その極意をお教え下さい」
「ふむ、よろしい」
そう受け答えるなり、襟首を引っ張られて腰くらいの高さの街路樹の陰へと連れ込まれた。
「まずは隠密、気になる相手に見つからないようにするために、物陰に潜む」
あ、この人結構乗り気なんだけどどうしよう。俺は適当に話しを広げようとして振っただけなんだけどこんなことまでするなんて。周りにはそれなりに人がいるし、好奇の視線注がれまくってるし、もう、なんだか気恥ずかしさから、そこはかとなく死にたい気分になってきたんですけど。
「そして、次に隠密、その次も隠密、ただひたすらに見つからないようにするのが秘訣だよ」
確かに結霞ちゃんには見つかっていないけれど、周りからはすんごい見られているよ。
てか、鵜川さんはやたらと熱を込めてこんな事をしているけれど、一体どこでこの知識を仕入れたのやら。
「師匠さんはどこでこの知識を?」
「そりゃもうきまっているだろ? 実地によって積み重ねてきたのさ」
と言う事はリアルにストーカー経験ありと言う事ですね、暴露ありがとうございます。
「ほうほう、気になる彼を見たいが為なんですね」
「そうそう、気になる彼が見たいが為に……って何をいわせるんだい!」
数秒前まで隠密を語っていた鵜川さんが、急に立ち上がった。
表情には焦りが浮かび上がって、焦点が定まっていないように見えた。
そんな絶賛取り乱し中の鵜川さんがいる中、訊いた事のある声が背後から掛けられた。
「何しているんだ、お前ら?」
振り向いた先にいるは、脱力したような雰囲気がある同じクラスの日向詩昏だった。
「おお、日向か」
「ん? 詩昏だって? そんなわけあるじゃなか――」
鵜川さんが振り向くなり、硬直し、そして。
「うわぁ!! でた!」
あれ、なんかさっきもこんな言葉をどっかで聞いたようなきがするな。ということは、俺もさっきはこんな滑稽な驚き方をしていたと言う事なんだな。他人が同じ事をしている所を見て、初めて自分がどれだけ間抜けそうだったかわかったよ。
「夏はまだ先だぞ」
日向の適当な突っ込みにも反応せず、慌てふためいたまま、暴走する鵜川さんのさまをどうぞ。
「いや、別にここで待っていたとかそんなことはないんだよ。創一とあったもの偶々だから、そこは誤解しないで貰いたいんだけど、ホントただの偶然でただの友達だから、それ以上でもそれ以下でもないから、だから妙な事を考えるんじゃないよ。こんな風に近くにいたのも創一にストーカーの極意、じゃなくて張り込みの極意を伝授しようとしていただけであって、詩昏が来たりしないかなぁなんて少しも思っていなかったし、うちがそんなこと考えるわけがないだろ、それにここには偶々散歩できただけであって、それで――……」
なんか凄い饒舌になっているし、あまりにも早口でしゃべっているものだから半ば聞き取れません。それに、これが連々と垂れ流されるからこっちは聞き流しているんだけれど。
「おい、緋山、一体何があったんだ?」
顔を赤くして、誰に向かっていいわけだか会話だかをしているのか判別の付けられない鵜川さんは駄目だと思って俺に訊いてきたんだろうな。
「さぁ、よくわからない」
まぁ、なんとなくは想像付いているけれど、これは俺がどうこう言う問題じゃないだろうし、鵜川さん本人に頑張ってもらおうか。
「そういえば、日向はなんでここに来たんだ?」
「ああ、今日はここでサッカーの練習があるんだよ」
そう言って方に掛けていたスポーツバックを見せてくる。
「そうか、お前引っ越してきたばかりだから、ここら辺の事、あまり詳しくないんだもんな。ここの公園にはさ、色々な競技場があってその中にサッカー場もあって、俺の所属しているクラブチームで今日そこを使っているんだよ」
建物で隠れて見えないが、日向の指差した先の方にグラウンドがあるそうだ。
「と言う事で俺はもう行くわ、じゃあな」
「おう、またな」
暴走中の鵜川さんの事を放っておいて、指差した方向へと日向の姿が消えて行った。
というか、日向はサッカーをやっているんだな、見た感じだと運動とかしなさそうなタイプなのに意外だ。で、そんな日向の様子を見たいがためにストーカーの技術を身に付けた人が我が師だったわけですね。
それはそうと、この人どうしたらいいかな? まだ色々な言葉をつらつらと垂れ流し中なんですけど。取り敢えず、肩を叩いてこっちの世界の呼びもどしてみる。
「そもそも、来たくてここにきたわけじゃ――ん? なんだい?」
よし、どうにか反応してくれた。これで駄目だったらお手上げで放置プレイに移る予定だったので、ひとまず安心。
「日向ならもう行ったよ」
「……え?」
きょろきょろ、と辺りを見回して、念のためにもう一度見回して、日向の姿がなくてがっくし、と肩を落とす。そして、何かを思い出したかのように、ガバッ、と身体を起こして俺の事を見て、逃がすまいと物凄い形相で両肩を掴んできて。
「別に詩昏は関係ないよ!」
怖いわ!
これはさっきの出たって言うのがあながち間違いじゃなかったって言う事だよな。目は血走っているし、凄い睨んでくるし、掴まれてる肩痛いしで、ともかく怖いわっ!!
「うん、そうですね」
ここは刺激しちゃいけない、ゆっくり、ゆっくりと落ち着かせていくのが吉だ。
「……というのが尾行の極意よ!」
……はい? この人なんか急に纏めたんですけど。何、もしかして今までの一連の流れを全てストーカーの極意と言う事にしてしまえば万事解決と思っての行動でしょうか? まず、そんなことでは解決できないし、できたとしても相当無理ありますから、どう繕っても先程の行動を正当化できないですから!
「……」
もう、突っ込む気力もなくなっていたので、無言で見つめ続ける事にします。
よし、これで大丈夫、としたり顔の鵜川さん。
言いたい事は幾らかあるけれど、俺は何も言わないよ。
「ということで、創一の妹の後を付けるんだろ?」
あっ、そういえばそうだった。目の前で起きていた事があまりにも壮絶だったので、本来の目的を忘れるところだった。だから、視線を結霞ちゃんの方へと戻したのだが。
「あれ、居ない」
先ほどまで結霞ちゃんがいた所から姿が消えており、ぱっと辺りを見回してみても見つからない。
「やばい! 見失う!」
そうなる前に駆けだし、探索する。
「あっ、待ってよ!」
もう何も教わることのないお師匠さんを一緒に引き連れて結霞ちゃん探しへと、旅立つのだった。
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