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第3-5章

「そういえばさ、明日は何時頃に吉田君と待ち合わせしているんだ?」

 辺りを夕暮れに照らしていた太陽はもうとっくに沈み、星明かりを遮る街灯に足元を照らされながら、家へと続く道路を歩いていた。

「え~とね、確か二時に創一と待ち合わせした場所なの」

 二時って思っていたよりも遅い時間に待ち合わせをするものなんだな。てっきりデートっていうもんだから、朝から一日中何処かに遊びにでも行くのかと思っていたけど、実際はこんなものなのかな? 女の子と付き合ったことのない俺にはわからない事だな。

「そうなんだ」

 ちょっとした疑問を抱いたけれど、今日の約束の時間も一時くらいだったから、案外そのくらいの時間が妥当なんだろうな。

 そんなくだらないような事を話しながら暫く歩き、長かった一日の終着地点にも思える我が家の目の前にやっと着いた。

「帰って来たね、創一お兄(、、)ちゃん(、、、)

「…あぁ。そうだな」

 一瞬その言葉を聞いてつっかえてしまった。

 さっきまではずっと創一、と呼んでいたけれど、今は創一お兄ちゃん、と呼んだ。

 そして、今日の昼頃の事を思い出していた。

『今日一日は創一って呼ぶね』

 家に帰るまでが遠足とよう言うように、家に帰ってきてデートが終わり、模擬恋人としての一日が終わった事を告げるかのように、付けられたその言葉。

 一日中〝創一〟と呼ばれていて、それに慣れてきた頃にこうして、お兄ちゃんと呼ばれるのもなんだか、むずむずするっていうか、何だか逆に違和感を感じてしまうな。

「あのさ、結霞ちゃん」

「なに?」

 きょとんと小首を傾げて、大きな瞳が向けられた。

「別に創一ってそのまま呼び続けてくれても構わないぞ。それに、そう呼んでくれた方がしっくりくるんだけど」

 出会ってからそれほど日が経っておらず、呼ばれた回数も〝創一お兄ちゃん〟よりも〝創一〟の方が多く、兄としてよりも、仮の恋人としての時間の方が密度を濃く感じたから、呼び捨てにされた方が俺自身も違和感を感じなくなっていたのだろうか。

 そんな俺の言葉を聞いて、小さく「う~ん」と唸りながら何かを考え終え、口が開かれる。

「やっぱり、創一お兄ちゃんの方がいいかな」

 出てきたのは変わらない答え。

「今日は無理を言って恋人の代わりをやって貰ったけれど、私たちは兄妹だから、恋人同士にはなることはできないから、このままの方がいいかなって」

 屈託のない笑顔でそんなことを言われたけれど、どうしても気になってしまう。


〝私たちは兄妹〟


 その言葉だけはどうしても聞き流す事ができそうにはなかった。

 ここに居る時が楽しいから、なんだかんだでタイミングを逃しているから、聞く事ができていなかったが、結霞ちゃんと俺は兄妹ではない。…はずだ。

 それに、結霞ちゃんだけじゃない。叶さんや彩音さん、隆也さんにえみちゃん、この家に住んでいるほかの皆もそうだ。

 俺には居る筈のない兄姉弟妹きょうだいがこの中にはいる。

 なんでそんなことになっているのか訊くタイミングは、今何ではないだろうか? そう思い至ったのなら訊くしかない。

「…あのさ、結霞ちゃん」

 怖いモノを見ているかのように、震えた小さな声だった。

 何故だかわからないが、額に汗が溜まり始めて、心音がどんどん速くなっている気がする。一大舞台に立つ時の緊張の様な、そんな感覚に苛まれているみたいだった。

 不思議だけれど嫌じゃない。

 不思議だけれど楽しい。

 そんな、俺の居場所になりつつあるモノを壊してしまいそうな気がして、緊張しているのか?

 不思議だけれど素敵なここを離れたくない、と思ってしまっていたのか?

 だから、改めて兄妹、と言われるまでこの事を忘れていたのかもしれない。

 偽物の恋人のままでも構わない。

 偽物の兄弟のままでも構わない。

 楽しい時間よ終わらないでくれ、俺自身の手で終わらせようとするな。

 そんな風に、心が必死になって警鐘を鳴らしているようだった。

 だが、それに抵抗するように、言葉がじりじりと込み上げてきて、訊く為の言葉を生み出そうとしている。

 前を歩いて行く結霞ちゃん。

 息を零すかのように小さかった俺の声は届いておらず、そのままドアノブに手を掛けた。

 止めるなら今だ、まだ間に合う。

〝止めては駄目だ、まだ間に合う〟

 口を開け! 声を出すんだ!

〝口を噤め! 声を上げるな!〟

 二律背反の言葉が同時にせり上がってきた。


 ガチャッ、


 結局、喉を震わすことはできず開いて行く扉。

 内側から、暖かい光が零れ、扉が開かれるごとにその光量を増していき、そして、溢れた光の中へと結霞ちゃんの姿が溶けていった。

 訊ねる上で最高の好機、同時に最大の不安であるこの問題の答えを見つける機会を逃してしまった。

 数秒前まで結霞ちゃんがいたその空間、そこには今、玄関の照明が照らしだしたスポットライトの扇形の明かりが一筋伸びているだけだった。

 静かな夜、その静謐が支配する中から移動するためにドアノブに手を掛け、暖かな光の中へと逃れる。


 暖色の蛍光灯に照らされた玄関、その中に入った瞬間に感じ始めた針にでも刺されたかのような鋭い視線。

 一体これはなんなのかな? 物凄い重圧を感じるのだが、怖くてそっちの方を向く事ができないんだけど。

 重さのないはずの空気が重たくて、何なのかわからない威圧感に押しつぶされて、視線が地面を這うと、靴を履いたままの結霞ちゃんの脚が見えた。

 俺と同じように何かに対して恐怖を抱いているのかのような、そんな風にも見て取れたんだけど、この威圧の正体が何なのかわからないので何とも言えないのだが。

 これはこのまま放置しておくわけにもいかないよな、もうそろそろ意を決してこの視線の元凶を確かめた方がいいよな。

 けど、ちょっと待ってくれ、正体を確かめる前に最終確認と。

 靴は履いているな、扉もあけっぱなし。よし、これで非常事態に至ったとしても逃げ出すことは可能だ。

 そうれじゃあゆっくりと顔を持ち上げてみるか。

 廊下の奥へと伸びていくフローリーング、鮮やかな木目をなぞるように奥へ奥へと焦点を移していった先に見えた誰かの爪先。

 赤く塗られたペディキュアが、まるで血を連想させて、頭から血液が下へと下り、一気に寒くなった気がするんですけど。

 勇気を出して更に上へと目線を上げていく。

 白く綺麗な脚の甲、細くなだらかな脹脛、下から上へ緩やかな放物線を描く太腿、そんな脚を大胆に露出させる部屋着らしい淡い黄色のショートパンツ、そしてTシャツを確認し、首元、最後に顔を確認し、視線が交わった。

 慈母のようににこやかな表情を作っている一人の人がそこで待ち構えていた。

 リビングへの通路を守る門守ガーディアン、その名も彩音さんが、仁王立ちをしていた。

 作られた笑いが白々しく見え、全身からは負の念の様なものが滲み出ているように見える。

 一体どうしたのかなぁ。俺が返ってくるのが遅くて待ちわびて、それで心配させちゃったから、あんな風になっているのかなぁ。そうだったら大変ありがたいんだけど、絶対違うだろうな、これ。

 俺、彩音さんを怒らせるような事をしたっけ? 記憶の中にはそんな出来事はないんですけれど。とりあえずこれは逃げた方がいいよな。

 思い立ったら即行動。

 重なった視線を逸らす為に、同じようにニコッと笑って見せて回れ右。

「まちなさい、創一」

「はいっ!!」

 優しく語りかけられたのにも関わらず、鼓動が跳ね上がり、声まで裏返り、動かそうとしていた脚の動きが縫いつけられたかのように止まってしまった。

「早く上がったらどう?」

「そ、そうします!」

 彩音さんらしくない口調が余計に怖いんですけれど! 本当に俺、何かしたっけ!? マジで思い当たる節がないんですけど!

 隣で彩音さんの事を見ていた結霞ちゃんが震えた声で「ただいま」と言ってからスタスタと歩いてリビングに向かい、この窮地から姿を消し去り、二人っきりなってしまった。

 どうしよう、俺も結霞ちゃんの真似をして通り抜けてみるか?

「ただいま」

 震えた声まで再現して、靴を脱ぎ、廊下に上がってスタスタと歩いて彩音さんの脇を通り抜けようとした瞬間、肩をがっちりと掴ました。

「待てよ」

「な、なんでしょうか」

 結霞ちゃんの手前だったから大人しい口調だったみたいだけれど、二人だけになった瞬間、口調も荒くなり恐怖が更に増してきたんですけど。

「昼の腹いせだぁ!」

 そのことか!

 どうでもいいことだった、というもあるし、その後が楽しくて昼に彩音さんに対して軽口を付いた事なんて頭の隅からも抜け落ちていました。すみません。

 思い出してから必死に逃げ出そうと思ったが、既に肩は彩音さんに掴まれており、ミシミシと骨が悲鳴を上げるのではないかという程の力で逆らいきれそうにない。

「とりゃあぁっ!」

 そんな雄々しい掛け声と共に、鳩尾の辺りに何か重たいモノ(おそらく彩音さんの拳)がぶつかり、衝撃から目の前が暗転し始めた。

 崩れ始めていく身体。

 薄れ行く意識の片隅で、蛍光灯の明かりを眺めながら思っていたことは、根に持ちいすぎだろ、という思いだった。

 そして、廊下の冷たさを全身で感じながら、意識がブラックアウトしていくのだった


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 あれ、ここは一体どこなのだろうか?

 暗く塞ぎこんだ空、陰鬱に流れて行く空気。

 辺りには幾つもの石が積み重ねられた積み石が作られていたり、赤々とした彼岸花が咲き誇っていた。

 目の前を流れていく川。深さが測りきれない程に水の色は暗く、先はどこまで続いているのか計り知れない程に続いているみたいだ。

 なんでかな、この川の先に行かなければいけない気がする。けれど、どうしたら果ての見えないこの川の先にまでいけるのかな?

 何の気なしにポケットの中に手を突っ込んでみたら、何か小さなものが手に触れたので、握りしめ、目の前で手を開いてみた。

 そこにあったのは硬貨らしきものだった。

 円形の中心に四角形の穴が一つ刳り抜かれた硬貨が六枚ぴったりと揃っていた。

 なんで六枚ぴったりだなんて思ったのだろうか? あぁ、そうだ、これが船代だったな。すっかり忘れていたよ。

 この川を渡るために必要な硬貨である六文銭、それを握りしめて木で組まれた小さな船着き場を歩き始め、目の前に止まっていた船に乗り、渡し賃である六文を払う。

 そして、小舟はゆっくりと川を進み始める。

 とても快適な最後の船旅、穏やかな水面は船が通り抜けた後に生まれた小さな波がたゆたうくらいで、最後を飾るに相応しい静かなものだった。

 そうして暫く進んだ後、急に川の流れに変化が起きた。

数瞬前までは目の前に激流などなかったのにも関わらず、たった一度瞬きをしたこの瞬間に変わって顕現していた。

 激しく揺れる船、必死に縁に掴まって振り落とされまいと耐えるが、抗いきれない程に揺れ続ける世界。

 そして、突然どこからか俺を呼ぶような声が聞こえた気がした。

 最近知ったような、誰が発しているのか判別付かない声。

 それにも関わらず、不思議と安堵でき身体に沁み込む声。

 尚も船の揺れは収まらず、更に激しさを増していく一方だった。

 右に左に大きく揺れ、ミシミシと船が悲鳴を上げ始め、やがて限界を迎え粉々に砕けた。

 船頭と俺は放りだされ、冷たい川の水が鼻孔に入り、次第に苦しくなっていく。

 意識が再び暗くなり、そして、


「ゲホッ、ゴホッ、ウェッ」

 激しく咳き込んで身体を起こした。

 そしてその瞬間、鼓膜を破かんばかりの大きな声が耳に響いた。

「創一お兄ちゃんっ!」

 なんだろうこの声、何だかさっき何処かに落ちる直前にもこの声を聴いたような気がする。

 最近知ったような、誰が発しているのか判別付かない声。

 それにも関わらず、不思議と安堵でき身体に沁み込む声。

 再び聞こえたそれの正体を確かめる為に閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げる。

 目の前には心配そうに瞳が潤んでいる結霞ちゃんの姿があった。

 どうしたんだ? 一体なんでそんな表情をしているんだ?

「やっと起きたか、心配させやがって」

 次いで聞こえてきたのが、ガサツそうな彩音さんの声だった。

 あれ、なんで二人が目の前に居るんだ? 俺はついさっきまで何処かに向かおうとしていたんじゃなかったっけ? 川を渡って何処かに向かおうとしていたんじゃなかったっけ?

「もう、あーちゃんが加減しないで創一お兄ちゃんを殴るからいけないんだからね!」

「いや、まさか本当に気を失うとは思っていなかったんだよ」

 あーちゃんって彩音さんの事か? そして俺が殴られた? そして、気を失った?

 待て、一体何があったんだ? 冷静になって思い出すんだ。

 家に帰ってきて、鬼に睨まれて、殴られて、ご臨終、そして川を渡ろうとしていた。

 そのことを思い出した瞬間、全身に鳥肌がった。

 俺が渡ろうとしていた川が、かの有名な三途の川だと今になってわかったからだ。

 もし、川に落ちることなく、渡りきっていたら一体どうなっていたのだろうか? ちょっとリアルに怖いのであまり想像もしたくない。

 冷や汗を拭おうと額に手をあてる。

 びっしょりと湿った額、その他にも顔中が水を掛けられたみたいにぐっしょりと濡れていた。

 何かを言い争っている二人、その片方の彩音さんの掌にコップが握られているのを確かめて、疑問が確信に変わった瞬間、小さく息を吸い込む。

「彩音さん」

 先ほどの彩音さんのように、慈愛に満ちた表情で話しかけた。

「な、何かな、創一君」

 流石にやりすぎた感があり、引け目に感じているようで、普段の強さは影を潜めていた。

「何か言うことは?」

 別にそれほどの怒ってはいないので、一言謝ってくれたらそれで満足なんだけどな。

「…これでお相子ってことで」

 昼間に俺がからかった事を、今彩音さんが感じている罪悪感で相殺してくれと言う事か、まぁ、思い出してみれば俺に火種は俺が作った物なんだから、これでもいいか。

 本当に死ぬかと思ったけれど、まぁ、いいか。

「はぁ、わかりましたよ」

 そう言ってから尻もちをついたままの身体を起こすのを手伝ってくれ、と手を差し伸ばす。

「ほらよっと」

 すぐに掌は掴まれ、勢いよく立ちあがった。

「けれど、顔に水を掛けたことは許しませんから」

 昼間のことは一発殴られて解決したけれど、これはまた別問題だ。

「いや、創一がさっさと起きないから、心配で心配で、本当はどうしてもイヤだったんだけれども仕方がなく、やむなく顔に水を掛けたんだよ。だからこれは天災というか事故みたいなものなんだよ」

「揺するくらいじゃ起きないから、面倒だし水掛けてみよっていったのは誰だったかな?」

 言い訳がましい彩音さんの言葉にすぐさま結霞ちゃんが突っ込みを入れてくれたお陰で、俺の意識がなかった間の出来事がどんな具合だったのか大まかに想像がついた。

「さ、さ~て、明日は学校だから早く寝ないとなぁ」

「明日は日曜日ですよ」

 逃がさないための追撃。

「ん、まぁ、そういう事もあるよ。じゃね」

「あっ」

 そう言い残すなり俺が寝ていた廊下から逃げ出して行った。

「ごめんね、創一お兄ちゃん。大丈夫?」

 ようやく初めて掛けられた労わりの言葉、なんだか無性に胸が熱くなって涙ぐみそうですよ、俺。いやぁ、結霞ちゃんはよくできた子だ。偉い偉い。

 いないからよくわからないけれど、親戚のおじちゃんみたいなことを内心で思いながら結霞ちゃんの頭を撫でてみた。

「ああ、大丈夫だから心配しなくっていいぞ」

 掌に収まってしまいそうなくらいに小さな頭、俯きがちになりながら、上目で俺の顔を見上げてくる。

「それにしても、あーちゃんも酷いことをするね。さっき変な音が聞こえたからこっちに戻ってみら創一お兄ちゃんが倒れているんだもん。びっくりしたよ」

「はは、まぁ、そうだな」

 お陰で三途の川から舞い戻れたからよしとしておくか。いや、待てよ。そもそも三途の川に送った張本人も彩音さんなんだから、許しちゃ駄目な気もするんだが…まぁ、いいか、俺は今こうして元気に生きているから。

「そういえば、結霞ちゃんと彩音さんって、仲いいの?」

 あーちゃんだなんて呼んで中々親しげに見えたんだけど。

「うん、そうだよ。色々と良く面倒を見てくれる年上のお友達、みたいな感じかな」

「へぇ~そうなんだ」

 そしてこの後も他愛ない話しを交わしながら時間は過ぎ去り、夕飯を食べ終え、風呂にも入り、日記を書いてから眠りにつくのだった。

明日の為にも。

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