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第3-4章

 向かう先を知らされぬまま進んで行き、脚が止まったのは一つのベンチの前だった。

 周囲には幾つもの木々が生えており、この一角だけを見ればここが都会である事を忘れてしまいそうな程に綺麗な緑に包まれている。

 青々とした葉が、風を受けてはなびき、夕暮れの明かりに照らされて仄かに紅葉しているようにも見える。

 遠巻きから聞こえてくるエンジン音、木々の隙間から覗く自動車の影を無視してしまえば、自然の中に取り残されたような気分になれそうだった。

 眼前に広がっているのは茜色を反射して静かに表面を震わし、キラキラと輝いている湖。低くなった太陽によってそのシルエットを濃いものにしながら、ボートが水面を静かに切って行く。

 繋がれたままの手に引かれるようにして、ベンチの上に腰を降ろした。

 寄り添うわけでもない、離れるわけでもない、そんな微妙な距離をこの繋いでいる手が埋めてくれているように思えて、とても心地がよく安心できた。

「ふぅ」

 自然と口から漏れた言葉、爺臭いかもしれないけれど、無意識のうち零れてしまう程に安らぐ事ができているみたいだった。

 なんだかんだで、ゆっくりと休むのは今日最初だったと思うので大目に見て貰いたい。

「創一、爺臭いよ」

「あ、はい」

 やっぱりそう思われていたか、こりゃ若者失格だな。

 いや、だけども一番大事なのは見た目の若さじゃなくて、内面の方の若さだろ。……ん? いや、待てよ。よくよく考えてみれば内面の方が爺臭いから、安らいだだけで、ふぅ、なんていったんだよな。これはどうしようもねぇな。

「でも、なんか疲れちゃったね」

 ほら、そうだろ、やっぱり疲れただろ。だから俺があんな爺臭いだなんて思われるのも仕方がない事なんだよ。これこそが世界の真理。起こるべくして起きた事なんだよ。

「そうだね」

 静かにゆっくりと流れて行く時間。小さく波打つ水面を見ていると何だか眠ってしまいそうだった。

 ここで眠ってしまったら、また心配を掛けることになっちゃうよな。それはよくないな。それなら何か離していた方がいいな。

「そういえばさ、なんで俺の事をデートに誘ってくれたんだ?」

 薄らぼんやりとした頭で思い浮かんだ言葉をそのまま口にしてみた。

 まだ訊いていなかったこの理由。昨日頼まれた時に訊き返せばよかったのだけれど、その時は俺もテンションが上がりまくっていたせいで、そんな小さな事にまで目をむけられていなかったから。だから、今訊ねてみる。

「う~ん、なんていうか、消去法でいったら創一になったの」

 衝撃の事実!

 創一がよかったの、とか、あなたじゃなきゃ駄目なの、とか、そういったことは一切なく、まさかの答え。少しばかり何かを期待していた俺の心は見事に打ち砕かれ、バラバラと音を立てながら崩れ去っていった。

 こんな落ち込んでいる俺の事には目もくれず話をどんどんと進んでいく。

「うちの家って、男女比で言うと女子の方が多いでしょ?」

「…うん」

 そうだったっけ? 今は話を合わせる為に適当に頷いてみただけだけれど。

 だってさ、相談までしてくれたのに、俺じゃなきゃ駄目だからデートに誘ってくれたと思っていたのにさ、それがまさかの消去方ってショックを受けないわけがないでしょ。こんな現実に打ちひしがれているというのにまともに話を聴けって言う方が難しいってもんですよ。

 まぁ、それでも自分から振った話題だから話を理解するためにも、昨日の夕飯の時の事を思い出してみるけども。

 横長のテーブルに座っていた人たちの男女比は確かに、女の子の方が多かったような気がする。正直に言って夕食の時の事を思い出そうとすると否応なしに襲われた事が一番最初に思い浮かんで、思考が阻害されているんだよ。それほどまでにあの出来事は強烈だったわけだし。

「で、その中で私と年が近い人になると更にもっと選択しが減っちゃうでしょ」

「うん、そうですね」

 理屈ではそうなるってことは十分理解はできているけれど、気持ちの方ではやっぱり無理! そこはかとなくモヤモヤとした気持ちが蓄積されていきます。

「それで、最終的に二人までに絞れたのだけど、もう一人の方の子は一つ年下の春樹はるき君なのだけど、性格的には問題はない子なんだけど、年下はイヤだなって思ったから年上の創一にしたの」

 本当に最初っから最後まで見事消去法で選んでくださったみたいで大変光栄であります。もう、嬉しすぎて涙が零れるんじゃないかって思ったよ。

 昨晩、俺が一人でウキウキしていたのが、何だか急に馬鹿らしくなってきた。

 何だろう、もうどうリアクションすればいいのかわからないな。

 いよいよデートも終盤だって言うのに、ここに来てテンションがマイナス方向に爆走中何だけど。

「でもね」

 この言葉を聴いた瞬間、自然と俯いていた顔が結霞ちゃんの方に向いていた。

 夕暮れの色を表情の中に含んで、静かに波打つ水面を見つめている瞳。小さく綻んでいる唇が続きの言葉を紡ぐ為に動き始めた。

「今は相手を創一にしてよかったなって思っているの。選んだ方法はこんなのだったけれど、一番いい相手を選ぶ事ができたなぁって思うの。していた事なんて一緒にご飯を食べて、フリーマーケットを回っただけだけれど、そんな些細なことだけど、楽しかったの」

「まぁ、俺も一緒になって楽しんでいただけなんだけどな」

 何か褒められるような事をしたとか、そんなことはなかったし、むしろ迷惑をかけたんじゃないかって思っているくらいなんだがな。

「それがよかったんだよ。気取ったりしないで自然体で一緒にいてくれて。最初は年上だから私よりも大人っぽい事するのかな、なんて思っていたけれど、実際はそんなことなくて、ゲームに目を輝かせたり、ジャングルジムに登ったりするような可愛らしい所もあって、全然距離を感じたりしなかったもん」

 単に俺が子どもっぽいだけの様な気もするけれど、それが良かったと褒めてもらえているんだ。きっちり受け取っておこう。

「だからね、今日はデートしてくれてありがとうね、創一」

 にこっ、という効果音が聞こえてきそうな程明るく元気な笑顔が向けられた。

「俺の方こそ今日はありがとうな。一緒に遊べて楽しかったよ」

「うん!」

 そして訪れた静寂、ぎこちない静けさなどではなくて、心地のいいゆったりとしたものだった。

 対面に生えている木々の陰に沈んでいく太陽、繋がったままの手、思い返す今日の出来事。

 そして一つのものを思い出した。

「そういえば結霞ちゃんに渡そうと思っていたものがあったんだった」

「何?」

 きょとんとした瞳で見つめられる。

「ちょっと待ってくれよ」

 確かポケットの中に入れておいたような……あ、あった。

「はい、これ、プレゼントだ」

 ポケットの中から取り出したのは、フリーマーケットの時に買ったサモトラケのニケのキーホルダー。

「ありがとう」

 ニケを受け取ってそれをまじまじと眺めている。

 どうだ、俺が選んだ渾身の一品は。これで結霞ちゃんは更に喜んでくれるだろ。

「ねぇ、創一」

「ん? なんだ?」

 歓喜に打ち震えてしまうかな。

「これって、壊れていない? 首がないし、腕もないよ」

 まさかの返しだった。

「あっ、いや、これはこういうものなんですよ」

「それにあまり可愛くもない」

 それには俺も同感だけど、触れないであげて! 元々可愛く作られたものじゃないんだから。

「そんなこと言われても、俺にはどうしようもないわけで…」

 中学生じゃニケの事を知らなくたっておかしくはないだろうけれど、あまりにも酷い言われようじゃないでしょうか? このままじゃ折角のプレゼントに良い印象を持って貰えないからちゃんと説明しないと。

「これはな、ニケっていう女神なんだよ」

「うん」

 なんでこれをくれたの? と訝しげな表情で見つめられる。

「で、このニケっていう女神さまは勝利の女神なんだよ。だから、一種の勝負でもある告白が成功するようにって意味でこれを贈ったんだ」

「へぇ、そうなんだ。ちゃんと考えてくれていたんだね、ありがとう」

「お、おう」

 どうにか渡すことはできたけれど、なんか釈然としないなぁ。まぁ、気持ちを込めているかどうかって言う事が一番大切なんだよ。と、言い聞かせておく。

「でも、同じ女神さまだったら、ビーナスの方がよかったなぁ」

 横目でちらっと見つめられた。

「あっ、はい、次からはそうします」

 ただただ萎縮することしかできません。

「でもね、」

 そう言って、繋がっていた手がするりと離れ、鏡面のようにオレンジを跳ね返す湖を背にして、立ち上がった。

「ありがとう、嬉しいよ」

 夕景を背にした、胸を撃ち抜くかのような可愛らしい笑顔。

 溌剌とした性格が滲み出ているような快活な仕草。

 目に映るその姿すべてが、水面を撫でる光のようにキラキラと輝いていた。

 ずっと眺めていたい、その笑顔を見つめ続けていたい。そう思わさせてしまう程に、眩かった。

「…どうしたの? 創一。なんか、ぼーっとしているように見えるんだけど?」

「…あ、いや、なんでもないよ」

 まさか〝見とれていた〟なんて言えやしないよ。

 そんなことがばれてしまったら、小っ恥ずかしさで死んでしまいそうだ。

 だから、向けられた瞳を直視することができなくって、こうして視線を逸らしているんだからさ。

「へへ、そうなんだ」

 そんな俺の連れない態度にも関わらず、何か満足したような表情を浮かべながら、俺の事を見つめ続ける。

 流石に破壊力があるのは最初のうちだけだ。もう大丈夫。いつまでも空気を眺めていないで、ちゃんと結霞ちゃんと向き合わないとな。

 ゆっくりと視線を動かし、再びその瞳と向き合う。

 可愛らしい表情が俺を見つめ、とても楽しそうに微笑んでいた。

「創一」

「なんだ?」

「顔、赤いよ」

「な!?」

 いや、そんなことはない。確かにドキドキとかしてはいるけれど、表情には出ていないはずだ。てか、出さないように頑張っているつもりだ。とりあえず、なんか誤魔化そう。

「…夕焼けのせいだ」

 オッケー完璧文句なし! 本当に顔が赤くなっていたとしてもこれで絶対に誤魔化せた。

「ふ~ん、じゃあそういうことにしてあげるね」

 不敵に、愉しそうに笑っていた。

 よし、完璧に誤魔化せた、と自分に言い聞かせておこう。そうすれば万事解決だ。

「ほら、もう暗くなるから帰るぞ」

 別に、逃げたとかじゃないんだからねっ!! 暗くなったら危ないから、その事を考えた上で帰宅しようと進めただけだからね!

「そうだね、じゃあ、帰ろうか」

 その言葉を聞いて俺も立ち上がり、来た道を戻ろうと振り向いた。

 その時、左手に何かが触れ、次第に温もりによって包まれていく。

 落した視線の先にあったのは結霞ちゃんの右手。

 それがまた、俺の掌の中に小さく、けれど確かに収まっていた。

「折角だから、最後まで手を繋いで帰ろうよ、ね?」

 このままでいいよね? と訴えかける瞳。疑問を投げかけるように、小さく傾げられる首。

「そうだな」

 それ以上の言葉を告げることなく、姿を隠しつつある夕日に背を押されるように、俺たちの家に向かって歩き始めるのだった。


「創一、さっき、見とれていたでしょ」

 帰宅気分に浸っていたその時に、ぼそっと呟かれたその言葉。

 ……えぇーと、うん、その、何だろう……。


 死んでやる!


 胸の中でそう全力で叫んで、全力で走りだしたい恥ずかしさを紛らわすのだった。

 この時の心の底から愉しそうな結霞ちゃんの表情は、絶対に忘れる事ができないだろう。

 この先もずっと。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


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