隠れ家レストラン まんまと戦場に行かされた件スピンアウト 散文詩
みちのくの ちがのうらにて 名の高き 孝女 ちよ つゆ うるわし きよし 「まんまと戦場に行かされた件」抜粋
ちよ と つゆ 因幡姉妹の前世 「まんまと戦場に行かされた件」の中に出てくるお話です。
短編として独立したお話にしてみます。
おおよそ、九十年前の日本を描いてみます。
さて、直前の前世の戦中に因幡姉妹の結枝と槙葉が「ちよ」「つゆ」という名で宮城県の松島湾にある小さな村にいた時のことです。
その村は、日本の東北の貧しい村のなかでも、それはそれは貧しい村でした。
徳川の御代から年貢支払いに窮した百姓が逃散を繰り返すような土地でした。
地元の大郷士だった大百姓が土地を手放し、小作人となり、次いで水のみ百姓となり、そのうち先祖代々が水のみ百姓として何とか明治大正と生き延びて来た家などは珍しいものではありません。
昭和の御代とは言え、文明開化から六十年余りのことです。
ちよとつゆが生まれた家も、赤貧洗うが如しという言葉の通りの貧乏でしたが、実直さだけで生きてきた両親に育てられ、姉妹は慎ましく立派に育ってきました。
姉妹が十歳近くになったころです。
そのころに襲ってきたのが世界恐慌。千九百二十九年九月四日頃から始まったアメリカの株価の大暴落に端を発した大恐慌は千九百三十二年までの間に、世界の国内総生産を推定で十五パーセント減少させたそうです。
その恐慌でアメリカ国民が急速に窮乏化すると日本からアメリカに輸出していた生糸がアメリカで売れなくなりました。
生糸だけではありません。その生糸相場の暴落で次々と農産物の価格が崩落状態となり、千九百三十(昭和五)年は米の豊作により米価が下落、いわゆる豊作貧乏、豊作飢餓が起こりました。
当時の日本の農家は米と繭で持っていましたから、全国の農家はたまったものではなかったのです。
そこに冷害が襲います。豊作飢餓の翌年は北海道と東北地方の大凶作です。
大凶作の翌々年は昭和三陸津波、その翌年は大凶作が続きます。
貧窮のあまり娘を身売りするという悲劇があちらこちらで起きました。
「汐水を運ぶことで名高いのは、遠く陸奥の、名前ばかりが「近い」という千賀の塩竈」
その塩釜の浜に住む、ちよとつゆの姉妹のいる家族もその例外ではありません。
百姓として農作業をする外に塩汲みをしても、姉妹を育てられなくなった両親は姉妹を地元の味噌蔵に「身売り婚」に出したのです。
身売り婚をすれば結婚と引き換えに多額の金品を結納金として受け取れます。
そのころの姉妹は、ちよが十四つゆが十二でした。
姉妹は大変器量が良く、躾もしっかりされていて、近隣でも評判の孝行娘でしたので、まだ若年にも拘らず、大きな味噌屋の主人の耳に噂が聞こえていたのです。
「みちのくの ちがのうらにて 名の高き 孝女ちよつゆ うるわし きよし」
女郎として売られる女性も多かった中では、まだ幸せだったと言えるでしょう。
しかし、十四と十二は結婚には早すぎます、それに結婚相手の味噌屋の主人は五十過ぎ。
自分たちの父親より年取った男です。
その後添いと妾になるという話です。
流石に世間体もあります。
まず養女という形にして十五の誕生日を待って、という事になりました。
ところが一年も経たないうちに、流行り病でしょうか、味噌屋の主人が亡くなると嫡男である長男もちよの誕生日の前の日に亡くなってしまいます。
味噌屋には男の子が5人もいましたので美しい養女の取り合いになりました。
しかし、ちよの好意が三男にあることが誰の目にも明白だったので、一年後の喪が明けてちよが十六になったら三男が娶とろうということにしました。つゆは、ちよが十六なら十四です。つゆの身の振り方は、つゆが十五になるまでに決めれば良かろうという事になりました。
新しく味噌屋の主人となった次男は不満でしたが、残りの三人のいう事ならと渋々従いました。
ちよも愛しい人と結婚できるのは嬉しく、妹のつゆも晴れがましく思っておりました。
つゆは、姉が幸せなら幸せという姉の崇拝者でした。自分も十分美しいのに、姉の美しさでどうしても霞んでしまう月見草を自覚しているような娘なのです。もったいないはなしです。
しかしその三男が兵隊にとられ、すぐ入営予定の師団のいる支那に向かうことになりました。
その知らせが届いたとき、残りの兄弟が、三男がいなくなるなら自分が姉妹を娶りたいのにとでも思っていたのでしょう。何しろ、姉をものにすれば妹も付いてくるような姉妹です。
三男に美人姉妹両方の心を取られ、嫉妬し失望した兄弟は、どうするとも、こうするとも、何にも気を回せず、無気力に傍観を決め込みます。
見かねた三男の友人知人が当人の入営ギリギリになって
「出征前に急いで形だけでも」
と祝言を挙げてくれました。
共に居ること六日の慌ただしい新婚生活です。
その出征の日の朝に見た姿を最後に、哀れ、新婚の夫婦は今生の別れとなってしまったのです。
仙台師団の門前で、です。
その味噌蔵の三男坊が、因幡風氏ということなのです。
「愛しい人、因幡風様がどないで戻れなかったかを調べて、出来ることなら、本人探してここに連れてきて欲しい」
結枝の前世のちよが風と結婚して夫婦だという事情があったのです。
結枝が前世の記憶を思い起こして言う。
「師団内で三ヶ月ぐらい訓練してから支那に出兵のはずが・・・、その間、月に三度は休みで会えるし、外地行く前にも休暇があって会える。そう思っとたのに」
八十島海人の独白
「ああ、そうでしたんかと僕が思うた通りだったよ。結婚した時分は、師団の一部はまだ仙台におって、辺見少尉は未だ准尉として、支那にいる師団の主力のための兵站整備と新兵訓練、その他に忙しゅうしておったんやろうな。因幡氏は兵隊にとられる前から老舗の味噌蔵の店員として師団に味噌玉を降ろしとったから、師団にいる人やら同業者やらと、お互いよう知とったわけや。そいで、『出征予定前に結婚しときたかったのに兄弟に嫉妬されて、させてくれへんかもしれん』と聞いた人たちが、『せやったら仲間内でやっちゃろう』と味噌屋へ兵隊仲間と押し掛けて祝言を上げたったわけやね、と」
槙葉が突っ込む
「東北の人ですから、士官学校出の辺見さん以外は東北弁でした。『出征予定前さ結婚しとぎだがったが、兄弟さ嫉妬されで、してもらえねぁーがもしれねぁー』ど聞いだ人だぢが、『そうだったら仲間内でやっぺ』と、ご親切にもいらっしゃてくれたことを覚えとーよ」
八十島が思わず、言わずもがなのことをつぶやく
「前世のちよさん、つゆさんが東北弁で話ができるのは分かるんですが、生まれ変わりの結枝さん槙葉さんも、やはり、今でも流暢に可愛いく聞こゆる東北弁で話しできるんでっか?」
結枝と槙葉が同時に
「おとーはんも、あの頃は、流暢な仙台弁をしゃべってはったなー!」
結枝が
「今のおとーはんは、前世の私たちのこと忘れとるから、よう、しゃべれんどころか、全く分からへんやろな。娘として悲しいで」
槙葉が
「そうや。私たちを身売り婚に出したんはおとーはんや!なのに・・・」
八十島は暫く黙ってようと思った。最大の疑問を抱えて。
「僕、誰と結婚しとったんやろ」
姉妹は次男、四男と末っ子からも好かれていた。特にちよは養女に来たその時から次男に何度も何度も求愛されていた。
そのせいもあって姉妹は、三男が家からいなくなったとたんに味噌屋に居ずらくなった。
それで、ちよとつゆは仙台の味噌屋を出て、塩釜の塩地主から塩汲み小屋を借りて住むようになった。
ちよとつゆの父母は、都会に仕事を探しに出て行ってしまっていたのです。
「最初のうちこそ次男が継いだ味噌屋から仕送りはありましたんやけど、跡取りで味噌屋の主人になった次男が、親戚中に突っつかれて結婚してからがいけません。その次男の奥様の手前もあっての事とは思いますのですが、仕送りが細々としたものになって、やがてそれがなくなってしもうたんです」
と結枝。
そこで、二人は塩地主さんとこの塩汲みの雑用をして露命を繋いでいくこととなった。
「そこに風さんが死んだと知らせが入ったんです」
気落ちしてたのが一番大きい理由ですが、貧乏で栄養状態が良くなかったちよとつゆの二人は、流行り病に罹って、戦後に、亡くなってしまったということです。




