第五幕
舞が戻ってきたとき、そこには呆然と腰を下ろす器がそこにいた。全身に血を被った晴樹は虚ろな目で農道の中央で空を見上げていた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ。大丈夫だ。」
晴樹は力なくうなだれた腕を立て直し、支えとして立ち上がる。
「とにかくこの場をすぐ離れましょう。」
二人はその場から踵を返した。
「あの建物は。」
舞は農道の傍にあった平屋を見つけた。警戒しながらその戸を叩いた。返事はない。扉を横へずらす。少しの引っ掛かりとともにガリガリと音を立てて開けた。
目の前に飛び込んだのは巨大な蜘蛛の巣だった。縦横無尽に張り巡らされた巣が行く手を拒んだ。
舞は落ちている棒を拾い、その巣を切り捨てる。
舞はまるで見知ったかのように歩みを進める。どうやら蜘蛛の巣が張っていたのは玄関だけのようだ。
どうやら住人は既に居ないようだった。埃被った家具、一歩ごとにギイギイと鳴る床板がそれを物語っていた。
舞は縁側に立ち、戸を開いた。そこには庭が広がっている。本来は畑の様に使われていたであろうその場所は背の高い草が一面に生えていた。
舞はその場に立ち尽くしていた。
佇む背中には言い難い悲しさを感じる。姿を直視できない晴樹は本棚に残る本を手に取った。パラパラと頁を軽く捲る。
何気ない一頁、いつもの自分なら無視していたであろうその頁が異様に目に留まった。
『指抜の巫女は死者より顕現す。そのか弱きものは死の兵持ち、戦ふ。その巫女どもはすべからく薬指なし。戦ひをもちてその一年の安寧を願ふ。それこそが祭りの本願なり。古きより受け継がれし神への供物なり。』
ボロボロの頁に書かれた一文、破れかかった頁の一言。頭を強く殴られたような衝撃だった。
舞の元へ行く。舞は依然として庭で座っていた。少女の瞳からは涙が流れていた。虚無を眺める遠い目をした瞳から。悲しさというだけでは表しきれないほどの絶望。理解しなければならないものから目を背け続けていたはずの事実。その痛みに彼女は哭いていた。
少女を抱きかかえ、客間に座らせる。少女の瞳は床を見つめている。重苦しい空気が平屋を包んでいるようだ。
「言いたくないこともあるかもしれない、言える範囲で良い。相談できることなら何でも言ってくれ。」
晴樹はぶっきらぼうに伝えることしかできなかった。
客間の畳に寝転がり、顔を背ける。自分にはこうすることしかできない。いつだってそうだ。あの時も、言い放った言葉に責任も持てず、偽善の様に声を掛けることしかできなかった。
舞はゆっくりと口を開いた。
「私たち巫女は晴樹が言った通り、死者が顕現しその力を奮います。そして私たちの記憶はずっと継承されます。しかし今の私は記憶を思い出すことはできません。ただ、この家にいると悲しくなるのです。どこか自分に対して嫌気が差すような、自分のことを許せなくなるような。私には生前の記憶があまり定かではありません。しかし、私の罪が訴えかけてくるのです。罪を償え、贖罪しろと。」
晴樹は己の無力を嘆いた。多分自分はこの娘の気持ちを理解しきることはできないだろう。しかしどこか自分を見ているようで辛かった。同時に安易な同情は彼女を救うことはできないということも分かった。
だからこそ晴樹は見守ることしかできなかった。晴樹は涙で目を腫らし、すすり泣く舞に目を背けた。




