第二十四幕
「ちぃッ!!」
舞は左腕を抑えながら匕首の連撃を回避に専念していた。左右から振り下ろされる一撃にステップで回避する。全神経を動体視力に費やし、回避の精度を上げる。
匕首が顔の横を通る。舞は顔を傾け、回避。しかし、それがブラフであったことに気付かなかった。
反対側の手に持った匕首が見つけられない。見えたのは琴の握り拳だった。
『どこだ!?』
足元から伸びる匕首に舞の袖が切り裂かれる。同時に琴の右ストレートが頬を強打した。
吹き飛んだ体を身体を藻掻くことで制御。安全に着地する。
舞は周囲を確認する。田畑が広がり、隠れる場所もない。想像以上やりにくい。立ち上がり、状況を確認する。全身に受けた刀傷が痛む。おそらく毒の一種だろう。袖の上から斬られた二の腕は想像以上に深い。ノコギリ鉈を構えなおし、琴へ立ち向かう。
「その左腕で大丈夫かしら?」
「問題ないさ。」
「そう。ならもっと速くしてもいいわね。」
「なっ」
その瞬間、舞は自分の身体が再び吹き飛んでいた。受け身を取る暇もなく地面に叩きつけられた。身体を捻じり地面を転がる。飛び掛かった琴の匕首が先ほどまでいた地面に突き刺さる。
舞は起き上がり、即座に回避運動へ入る。極限まで研ぎ澄ました感覚でさえ捕えきることができない高速移動に舞は思考を巡らせる。
『どうせカウンターは読まれてる。こちらが何もしなければ死ぬ。しかし向こう側をとらえる方法はない。なんだかこんな状況が続いているな。仕方がない。地の有利は向こう側にある。後手に回るのも道理か。』
目にもとまらぬ速さで翻弄する琴はその攻撃の隙を狙っている。相対する湯津爪櫛の少女は警戒を怠っておらずともこちらを完璧に捕捉できているわけではないようだ。ノコギリ鉈に見える戸惑いがそれを物語っている。数秒の沈黙、舞の目線がコチラを完全に外れた瞬間、琴は匕首を突き立てる。
「はぁぁ!!!」
舞は冷静だった。今までと同様にカウンターをぶつけることに全精神力を注ぐ。琴≪≪アイツ≫≫を見つけた瞬間に自分の全力を叩きこむ。そのためにも攻撃を受ける前に相手の位置を知らなければならない。そのためにまで今までブラフを張り続けたのだ。こちらがカウンター攻撃を選択させている、と思わせるため。
左後方8時の方向。相手の利き手の逆、かつ視線から外れやすい死角となる角度、腎臓という人体の弱点を的確に狙える最も合理的で効果的な一撃。間違いなくとどめを刺せる会心の一手だったはずだった。
「そこだぁぁぁ!!!」
舞が振り返る。駆け出した直後、コンマ数秒もない、いや同時レベルの反応速度。ノコギリ鉈が一閃する。匕首を叩き折り、琴の視線スレスレまで伸びた攻撃は前髪の一部をそぎ落とし、空を切る。
「浅いか。」
しかしこの間合いは舞に決して不利ではなかった。驚きを隠せていない琴の鳩尾へ滑り込み、掌底を連続で叩き込む。最後の一撃は力強く琴を一気に吹き飛ばした。
「どうして私の位置を突き止めたの?間違いなくあの瞬間貴女は私を見失ったはずよ。それをどうして?」
「血さ。鋸挽≪わたし≫や断頭台は切断することではなく、切断するものに意識を向ける。そして切断したものには「縁」が残る。お前がむやみやたらに切り裂いてくれたおかげで自分でつけた傷跡が目立たなかったよ。私自身が切断した傷から漏れた血はお前に付着し、居場所を伝えることができる。お前は自分自身が優位と思い込んでいた。おかげで自然にカウンターを叩きこめる状況を作ってくれた。感謝しているさ。」
「チッ。」
立ち上がり琴は匕首を構えなおす。舞もノコギリ鉈を構える。
『虚をつくことができたとはいえ、こんだけの傷をもらっていては対等といえるほどではないな。』
指先に力がうまく伝わっていない。震える指を隠し、悟られないようにする。舞は唇を嚙み締めた。
匕首が頬を掠める。パックリと割れた傷から血が垂れる。態勢を崩した所へ回し蹴りが飛んでくる。ノーガードで食らってしまったせいか想像以上の衝撃が脳を揺らす。思考がぶれ、判断力を奪う。条件反射的に腕を上げ、顔をガードする。定石通りの東部狙いの右ストレートが腕に突き刺さる。腰の入ったいいパンチだ。身体が吹き飛ぶ。
「痛ってぇ!!!」
即座に立ち上がり、堕とした日本刀を拾う。構えて次の攻撃に備える。振り下ろされた匕首を受け止める。鍔迫り合いと同時に鈍い金属音が全体へ響いていく。
「らぁぁ!!!」
力づくで刀ごと押し込んでいく。志郎の背中を木へぶつける。
「ぐッ。」
志郎は膝蹴りで拘束を解く。続けて身体を低くしてからの後ろ蹴りが鳩尾へ刺さる。
「げ。」
呼吸が止まる。一瞬の隙に志郎の右手が動く。晴樹は回避運動を取っているが明らかに遅かった。赤く輝く匕首の刃先は左腕を深く、鋭く突き刺した。
志郎の前蹴りが晴樹を吹き飛ばした。
背中に感じる気配は慣れた感触であった。
「舞。そっちはどうだ?」
「あいにくだが不利な状況だ。この土地が戦場故か向こう側に有利に働くようだな。」
「そうか。お互いヤバいみたいだな。」
二人は正面に向かい合う。挟み込まれる形になったようだ。ゆっくりと歩み寄る相手に二人は向き合う。
「死ぬなよ。」
「晴樹こそ。」
二人は同時に地面を蹴り出し、一気に加速した。
舞はノコギリ鉈を展開し、鉈状態へ。
「はぁぁあ!!!」
大きく振り上げて、叩きつけるように下す。琴は軽く躱し、その隙をつくように匕首を滑らせる。
舞は鉈を離し、匕首を握る右手を防いだ。腕を脇に挟み、匕首を振り落とす。鳩尾に膝蹴り二回、脇を外して回し蹴りを琴の頬へ炸裂した。
「格闘戦か……。」
琴は舞の袖と襟をつかみ、脚を絡める。舞は引きはがすために腕を絡める。しかしそれよりも早く、琴の足が動き、崩しへ入った。膝への違和感を感じた時点で舞の視界は回転していた。
「膝車か……。」
覆いかぶさるように琴の足が舞の胸を圧迫する。腕を掴み、捻りあげられている。逆関節に曲げられた腕がきしむような音を上げる。
舞は足を上げ、掴まれていない右腕を胸を抑える足を振り払う。自由になった上半身を持ち上げ、両脇に足を挟む。全身の筋肉を活用し、琴の身体を地面に叩きつけた。更に彼女の身体を振り落とす。反動で舞自身の身体も後方へ弾かれる。
「決め技から逃げ出すとはね。」
「なにあんたのとどめが遅けりゃ死んでたのはこっちさ。」
「このギリギリな感じ、思い出すわね。」
「そうだな。」
「なぁ、君はどうしてこの村を壊すつもりなんだ?」
志郎の問いかけは突然だった。お互いの攻撃はすでに何百合とぶつかり合い、お互いの体力の消費は決して少ないものではなかった。お互いが距離を取り、呼吸を整えていた時だった。
「答える義理は無いだろ。」
「この村で生きている僕には聞く権利があるだろう。」
「……俺は、この村の事情は全く知らない。伝統とか風習とかも全然わかってない。だけど、だけどそのためにあの子たちを戦わせ続けるのは間違ってる。彼女たちを呪いから、戦い続ける呪いから解放させたい。そのためにも俺はこの村を叩き潰す!!!」
「そうか。君の覚悟はしかと受け取った。だが僕もこの村を守らなければならない理由がある。だから君を殺さなきゃいけない。」
呼吸は整った。比較的体力はある方だと思っていたがそれを上回るほどの集中力と体力が求められている。
先に動いたのは晴樹だった。日本刀の刀身がバラバラに砕ける。ワイヤーによって繋がれた刃の小片が志郎を襲う。鞭のようにしなる刀身を匕首で弾きながら、歩き出す。三次元的に攻撃を与えているはずなのに、志郎の鮮やかな剣捌きによってすべて弾かれている。
「甘いな。」
志郎の姿が消えた。視界から逃したのは致命的だった。次に彼の姿を見たのは背後に回り込まれた時だった。左肩から突き出た匕首の刃だった。
「終わりです。」
左腕の痛覚が最大限の警鐘を鳴らす。直後に想像を絶するような痛みが襲い掛かってきた。刺された痛みなのか、毒ゆえの痛みなのか判別がつかない。
背中を前蹴りされ、うつぶせに倒れる。
振り返りながら、立ち上がる。しかし志郎の動きは止まらない。
連続での攻撃に徐々に体が切り裂かれていく。毒が回ってきたのか視界がだんだんと雲隠る。身体の動きも鈍重になってくる。
「くっ……そ……。」
肩を抑えながらでは自由に行動できない。垂れる血が指先を伝い、地面を濡らす。
「逃げられないだろう。デンドロトキシンによるカリウムチャネルの阻害だ。筋肉の収縮が持続し続け、いずれ死に至る。」
硬直している腕は自由が利かない。痙攣しだした腕はもはや使い物にならない。
「それでも……。それでも俺は最後まで諦めはしない。約束したから。母さんと舞と。必ずこの村の呪いから解放するって。」
「そんな程度か。そんな程度のお前の覚悟には反吐が出る。琴。」
「はい。」
志郎の横へ現れた琴は掴んだものを放り投げる。それは舞だった。放り投げられた少女は地面を転がり、目の前で停止する。
「おい!生きてるか!?」
身体を揺すれば、わずかながらに意識はあるようだ。
「すま……ない。やはり奴、いや奴らか。奴らは強い。しかも生半可なものじゃない。我々よりも二枚三枚も上手だ。」
志郎が琴へ訪ねる。
「どうしたんだ?」
「少し抵抗するので、毒で弱らせました。」
「そうか。」
舞と晴樹はゆっくりと立ち上がる。満身創痍、気息奄々。刀を握る体力も残っていない。刀を杖にしながら立ち上がる。舞も新たにノコギリ鉈を生み出す。
『もう俺が逆転する方法はアレしか残っていない。だけどアレは……。』
本音を言えばこれを使うことができるとは思っていない。これの難易度は想像以上であろう。更に言えばこれを使って勝てる見込みも限りなく低い。しかも消費は激しい。もし失敗すれば死ぬのは必然。
『イケるか?しかし危険性が大きすぎる……。』
その時どこからでもない、しかし懐かしく、温かく、優しい声が聞こえた。はっきりと、鮮明に。
『迷ってるならやりなさい。きっと運命は貴女へ味方する。だって運命は生きる勇者に味方するもの。』
その声は自分の心の芯に深く響く。根拠もない、理論もない只がむしゃらに藻掻くだけでもいい。
今、この瞬間に動かなければきっと後悔する。失敗するなら何かやってからの方がいい。
胸の奥底が熱く、燃えるように滾るのを感じた。これは一人ではない。隣に立つ舞も同じ感覚を感じていることも分かった。
二人は姿勢を正す。背筋を伸ばし、深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。荒ぶっていた心臓の音はすでに平常心を取り戻し、一定の感覚で心拍していた。
「そうだよな。感じるか、舞。」
「あぁ。この胸の心臓が刻む心拍、この胸に燃えるような意志。私たちは生きている。ならば答えは一つ。」
「「まだ戦える!!!」」
「どうやら彼らはまだやる気のようだ。」
「いったい何が彼らを動かすのでしょうか?」
「僕たちと同じさ。覚悟、もしくはそれから来る意地か。」
志郎と琴も二人へ向き合う。その眼は同様に自らの願いのために自らを懸ける覚悟の瞳だった。
二組の巫女と器は20メートルほど離れた日で相対する。お互いに両足を肩幅程度に開き、姿勢を正す。一本の芯が通ったように体の中心を意識し、肩の力を抜く。
晴樹は先ほど悠斗から聞いた方法を実践する。
「そうだ。お前にはさっきの『神籬』のやり方を教えておく。まぁ俺自身は今までできたことないんだけどね。ただ今のお前の覚悟と土地にゆかりを持った巫女の存在であれば、もしかしたらできるかもしれない。だから切り札として、一種の賭けとして使えばいい。ただ、これは地震のエネルギーを大きく消費する。考えて使えよ。」
「大きく深呼吸。ゆっくり吸った時間の2倍をかけて吐き出す。」
全身の感覚に集中する。肌を照り付ける夕日、吹き荒れる風、擦れあう植物の音、そして自身の鼓動。そのすべてがひどく大きく聞こえる。
「自分の感覚を拡張し、神経全体が指先、神の先まで通じるように全身に力を張り巡らせる。」
拡張した意識は全身の感覚を更なる鋭敏へ加速する。そして極限まで高まった力を感じた晴樹は最後の手順へ進む。
「全身の力を外へ放出し、自らの力場を形成させる。そうすればあとは勝手に世界が応えてくれるさ。」
全身の毛穴から汗のように力が放出されていくのを感じる。それは流出しているのではなく、身体の内に秘める泉が行き場を失い、漏れ出している。極限まで貯められた力がその場を高次元の彼方へと作り変える。脳内で紡がれた言葉は無意識の中、口から零れ落ちた。
「開放。天を焦がし、紅を纏いて昇る光よ――
虚妄を裁き、願いと共に輪廻を解き放て。
我、今ここに呼び覚ますは太陽の御名――
天照!」
「開放。白き鱗は大地を穢し、影を孕みて這い巡る。
蒼月の光はそれを暴き、孤独の嗤いを夜に響かせる。
今、其の名を呼び起こす――
月読!」
晴樹と志郎、同時に神籬を発生させ、現在の三次元を高次元領域へ吹き飛ばす。




