第十九幕
「あんたがこの戦いでの制裁者か。」
「虚無の断頭台、ご苦労であった。そなたのことはよく知っているさ。」
いすゞの笑みはどこか突き刺すような鋭さを帯びていた。その凍てつく言葉に悠斗は目線を鋭くする。
そして、何かに気づいたかのように問う。
「あんた・・、いったいいくつなんだ?いや、何度この『戦い』を?!」
「ふふ、年齢で言えば1200を過ぎたあたりかな、『祭り』という点においては83回じゃな。」
「1200!?どうしてそんなにもマトモでいられるんだ!!」
晴樹はエマへ訪ねる
「契約者ってそんな長生きできるんですか?」
「いや、寿命に関しては普通の人間と同じだ。そして我々は年月を経るほど、呪いが身体に染みつき、その親和性を高める。ユートも長い間晒されてきたが……。それすらはるかに超える1200年。その呪いは肉体と一体化しているだろう。」
「つまり彼女は。」
「あぁ。恐らく極限にまで高められた呪いととも共存しているような状態なのだろうな。」
「フフフ、話すと長いぞ。」
いすゞは腕を水平に振る。壁がボワッと明るくなる。蠟燭があるわけでもなくただ光る壁さえも彼女の手中なのだろう。
彼女が自らを『異端』と知覚したのは物心をつけてすぐだった。日中の活動さえも辛く、運動さえも碌にできない。少女はその身体を恨んだ。同世代の子たちは外で遊んでいる。そんな村のなかで自分だけは何もできない。それが苦痛だった。
「どうして自分はこんな体なのか?」
「どうして自分は走り回れないんだ?」
「どうして自分は外に出れないのか?」
「どうして自分はこんな体に生まれてきたのか?」
そして彼女が自分の生まれを呪い、身体を呪い、村を呪うのにそう長い時間はかからなかった。
彼女が9歳になるころだろうか、その時、村はひどい疫病が流行った。
始まりは子供から。体力のない者は嘔吐し、下痢によって汚物に塗れる。そして子供を介護する母親が次の感染者だった。
どんどんと罹患していき、いなくなっていく。村に蔓延していく病にできることなどない。吐瀉と下痢に塗れ、刻一刻と悪化していく状況に当時の人は祈ることしかできなかった。悪夢を終わらせるため、終焉を望みながら。
そして行きつく果てに見つけたのは『人柱』だった。
「人柱とはいえ、誰を捧げるんだ?」
「普通の人間じゃだめだ、神様に捧げるのに適した子を選ばなくては。」
「ならばあの子はどうだ、村の離れの子は?」
「あの子は忌み子では?神にささげるには……」
「いや、下手に名の知れた者では反対が起こる。ならば片親のあの子が都合がいい。」
「しかし……」
「神への供物だ。これで村が救われるのだ。必要な犠牲なのだ…。」
彼女には大人の視線に鋭かった。ある日を境に自分に向けられる目線が変わったことに感づいていた。奇妙さや異端さから来る侮蔑から、道具としての嘲笑と畏怖になったことに。
それと同時に彼女は自分の立場を理解した。自分の居場所などここにはもうない、自分は捧げられるだけの『柱』でしかない。
いすゞはその運命を粛々と受け入れることしかできなかった。齢9つの少女ができることなどたかが知れていた。来るべき日に近づくことに憐憫を増していく村の人々の言動に嫌気が差していた。
これ以上の苦痛を味わいたくない、ここからいなくなりたい、”これが悪夢ならどれほどよかっただろうか”
その渇望は囁くようにいすゞの身体を動かした。村の井戸へぽつりとぽつりと歩んでいく。その歩みを止める者はいない。病に伏した者、生贄を捧げようとする者、誰もが願ったことが成就される。
水面に映るは水面の動きに同調する青白い月だ。星さえも見えないほど明るく輝く月明かりの夜、彼女はその穴に身を投げた。
刹那が永遠のように長く感じる中少女が最後に見た光景は水面に映る白い自分の顔だった。醜く汚れた顔、伸びきった白い髪に隠された素顔は泣いていた。
少女が飛び降りた井戸は封鎖された。同時に疫病はパタリとなくなり、その生贄という文化は継承された。村を尊び、その年の無病息災と安全を祈願する『祭り』の始まりだった。
「なんだそれ……、ただの迷信じゃないか……」
絞りだした晴樹の声は重々しく言葉の端々には苦痛が感じられる。
「しかし、童が井戸に投身したという事実と疫病が収まったという結果が結びついてしまった。二度と村にこんなことが起こらないように、結び付けられた事実と結果を繰り返す。それがこの村に与えられた『呪い』であり、隠された真実じゃ。わかったかの?」
「つまり、私がこうやって戦っているのも、貴女という始まりがいたから……。」
「そうじゃ。」
「……井戸、封鎖されたとしたコレラかもしれんな。井戸が封鎖されたとしたら、その井戸を使用しなくなったわけだろう。となればたぶんそれが汚染されていたんだろう。結果的にその井戸を使わなくなったから疫病が終わった、ってところだろうな。」
「そうかもしれんな。しかし、当時にそんな考えはなった。だれもが生贄による力だと信じて疑わなかった。閉鎖された環境の中、その考えを改めるものもいなかった。」
重い空気がその場を支配している。想像を超えるほどの悪夢、いや悪夢と形容するも躊躇うほどの呪い。その因果の果てが巡り続けることへの恐怖。きっと当事者≪≪いすゞ≫≫の恐怖はこんなものではないだろう。
重苦しい雰囲気の中エマがゆっくり口を開く。
「この村全体がおかしいのは貴女のせいなのか?」
「ご名答。呪いと共存する制裁者としての童の能力『逆因果律』の結果じゃ。存在する未来を呼び込み、現在の因果へと結び付ける能力。つまり80年前からこの村の時間を握っているのだよ。」
「貴女がここにいるのはなぜだ?」
「それはそこの者に聞いた方がいいじゃろう。」
指さす方は舞に向けられていた。
「まぁ、記憶自体は封印されているがの。」
いすゞは歩き出し、舞の元へ寄る。そして舞の頭を包み込むように抱きしめる。
「この記憶はそなたにとってつらいものじゃ。それでも……その事実を受け止める自信があるか?舞。」
「あぁ。大丈夫だ。」
私は長い夢を見ていたかのようだった。そして再び目を覚ました時、村の姿に特段と驚きはしなかった。既にこの村の『祭り』の仕組みなどは理解していた。いや、必要な知識を流し込まれていたという方が近いかもしれない。自分が今何をすべきか、それだけが明確だった。いまだに感覚が鈍っている素足で歩み出す。床板の冷たさと部屋を包む生臭い臭いを無視し、戸を開いた。
目の前に広がる景色は以前見た景色とは全く違っていた。緑が減り、開墾された土地が多い。田畑の面積も増えている。なにより建物が違う。木造の建築が大多数であるが洋風の建築が明らかに増加している。
「ここは……。」
櫛本舞が『巫女』として召喚され、初めての感情は困惑だった。
自分は村の『人柱』として死に、その生涯を終えたはずだった。しかし今ここで地面を踏みしめている。
ただ脳に焼き付いた記憶、知識が舞の行動を決定している。
「やぁ、目覚めは機嫌が悪いタチかい?」
その男を一言で表現するなら「珍妙」だった。この村に生きている者にしては明らかに異質。否、人間としても異質だ。その瞳は決して肩入れをせず、観測者であることを貫くように無機質。こちらを除く視線さえも観察と表現するのが正しいとさえ思う。
「貴様は…。」
「名前なんてどうだっていい。ただ僕は君の覚醒を確認したかっただけだしね。」
声のひょうきんさに比べて目は一切笑っていない。その一挙手一投足に舞は警戒する。
「君の服と武器を置いておいた。使ってくれ。僕はほかの契約者の方へ行かなくちゃ、それじゃ。」
指さした方向には緋色の着物がおかれている。そう伝えた男は森の方へ歩いて行った。
舞は自分が一糸まとわぬ姿であることに今気が付いた。置かれた着物は自分の身体の丈にぴったりだった。そしてその下に隠された「武器」を見る。
片手で持てるほどの大きさの鉈。その刃はさび付き刃こぼれを起こしているが殺傷するには十分な得物であった。
現代数えて83年前。西園寺将通によって始められた『儀式』。祭りとして行われてきはずの因習など影もない。このときから悪夢が始まるのだった。
舞は何も考えず、ただ目の前に来る同族に牙を剥いた。それは使命や大義などはなく、ただ標的を駆逐する獣として。本能の赴くまま、鉈を振り下ろし拳を打ち込む。
何度も何度も何度も。相手が息絶え、その肉体を霧散させるまで。それこそが『巫女』の本能。生前、生贄としてこの地に禍根と呪いを残し、死に絶えていった少女たち。その成れの果てである彼女たちに理性というものはなかった。
在る者は野獣の如くその爪で肉を裂き、骨を牙で砕いた。在る者はその手に握る日本刀を振り回し、目に入る生命すべてを憎み、その鮮血に身体を堕とした。在る者は自らの現状を悲哀し、その手に持った銃を口に咥えその引き金を引いた。
目算、百を超える再び産み落とされた『巫女』たち。始まりの『儀式』は即ち地獄へと成り果てた。ありとあらゆる憎悪と後悔が渦巻き、血で血を洗う屍山血河の殺し合い。
そこにただ一つの祈りは無く、ただただ死屍累々の結果が残った。
傷付け、傷付き合い、殺し殺されの中、理性は徐々にすり減り、意識というものさえも殺すことに全てを懸ける。『巫女』たちにとってそれは苦行であり、救いだったのかもしれない。
屍の山の中、舞は立っていた。得物の鉈は錆びつき、血糊がこびりつき刃こぼれしている。それでも生き残ろうとあがき続ける意味はあるのか。思考する余裕はない。向こう側から歩いてくる少女を視界に入れる。その少女の髪は黒く、切り揃えられたそれには固まった血糊がこびりついている。漆黒の着物はどれほどの血を吸ったのだろうか。少女の握る匕首は錆の間から光る輝きから相当上等であったことがうかがい知れる。
「お前が■■■■の少女か。」
舞に返事する精神も気力も残っていなかった。ただ動くものは殺す。それだけが脳から肉体へ伝達される。
地面を蹴り一気に距離を詰め、なまくらと化した鉈を最速で振り下ろす。
ガキンッ!!!
細く短い匕首で受け止めた少女の回し蹴りが舞の鳩尾を穿った。吹き飛んだ体が死体の山に突き刺さる。即座に身体を起き上がらせ構える。想像以上の痛みに舞は警戒を強める。
黒髪の少女はゆっくりとこちらに歩いてくる。余裕を持っているのか、警戒をしているのかその足取りは遅く、しかし隙は無い。
黒髪がそよいだ。それが瞬足の一歩であったことは理解した。しかし身体がその反応に追いつけなかった。首を3寸振ることだけが可能だった。頬を匕首が掠める。赤黒い刀身の軌道は終わらない。返しての一撃、さらに左手からの貫き手。舞は後方へ跳ね回避する。目の前を横切る斬撃を反射だけで回避し反撃の機会を探る。
「はぁぁ!!!」
斬撃のための一歩を少女が踏み出したとき攻撃の停止を感じた。舞は回避を止め、身体を捻じり回し蹴りをねじ込んだ。かかとが少女の腕を打ち据え、そのまま吹き飛ばす。膂力で勝った舞の一撃は先ほどの自分以上に吹き飛んでいる。
舞い上がった土煙は晴れ、ゆらりと立ち上がる少女は笑みをこぼしていた。
「まだまだ余裕そうだな。名前は?」
「黒御琴≪くろみ こと≫。」
ふたりは同時に飛び出した。舞の掴みを回避した琴が内股へ匕首を伸ばす。空中で蹴りの軌道を変化させ、武器を叩き落とす。琴はすかさず足をつかみ地面に叩きつける。マウントポジションを維持し、琴は拳を舞へ浴びせる。頬、喉、鳩尾。弱点を明確に狙った連撃を回避する術はない。一方的な攻撃を防御するのが手一杯だ。下半身を藻掻いても圧倒的な重さが自由を奪う。
顎にヒットした拳が脳を揺らす。一気に視界が揺れ、意識が朦朧とする。
「がぁ。」
突如、下半身を抑えていた重さがなくなる。混濁した意識が一気に現実に収束する。身体を起き上がらせ、即座に距離を取る。
そこには身体が吹き飛ばされた琴の姿とそれを行ったであろう少女がいた。
白い和服に白い髪、真っ赤な瞳は血のように鮮やかで、しかしその表情は無。まるで人形、いやもっと無機質で金属のような鋭さだった。人が醸し出す雰囲気ではない。鬼や悪魔といった怪異でもない。表現するならば兵器、銃や刀それに近い輝きだった。人と思えないほどの青白い肌がその感覚をより強調する。
「くだらんな。子孫たちよ。かかってこい。」
白い少女、いすゞは挑発するように手を招いた。
舞はいすゞに向かって走り出した。同時に鉈を大降りに投げつけた。いすゞは右手に握った短剣でそれを弾く。同時にいすゞの目の前に舞が飛び出す。握り拳を鳩尾にめがけて叩きつける。しかしその拳は1寸離れ、届かない。いすゞの左手の短剣が右腕を突き刺し、動きを抑制していた。いすゞは首を傾げる。後方からの匕首の投擲を軽く躱し、身体を捻る。左手の短剣を琴へ放り投げる。固定された舞の身体をつかみ、反対方向へ放り投げる。
三者三様。いすゞを挟み込むように並ぶ二人は立ち上がり、己の得物を構えなおす。いすゞは新しく短剣を生み出す。
「お前、何者だ。」
「制裁者、いすゞ。」
「そうか。死ね。」
舞と琴がいすゞに向かって飛び出す。琴は匕首を舞へ放り投げる。舞は鉈でそれを叩き落とし、いすゞへ上段の蹴りを飛ばす。いすゞはその脚を切り落とすために刀を上段へ構える。
「はぁ!!!」
上空で舞の蹴りが変化した。上段への軌道から身体を翻し、後ろ回し蹴り。いすゞの顎を突き飛ばす。琴がいすゞへ追撃の匕首を向ける。いすゞは双剣でその攻撃を止める。
三つ巴の乱戦。誰かが殴れば誰かが蹴り返す。隙を見せれば、その隙を得物が襲う。数分間程度の打ち合いの中で何千もの攻撃が彼女たちの中で繰り広げられる。
乱闘の最中、いすゞの防戦が崩れた。姿勢を崩した彼女の足には黒い蔦が絡んでいた。それはことが張り巡らした罠の一つだった。大きな隙を見逃す者はいない。舞のハイキックがいすゞの側頭部を狙い穿つ。弾けたように吹き飛ぶいすゞの身体。追撃のために一気に鉈を振り下ろす。しかしそれまですべてが布石であった。隙を生み出し、大きく振りかぶる瞬間を生み出すための。
いすゞの双剣はどこにもない。彼女は腰に差した本物の武器を流れるように抜いた。
抜刀術。それがいすゞの武器の本質だ。地面から立ち上がり即座に構えから繰り出される神速の太刀。舞の左腕を切り伏せ、その刀身を鞘へ納める。
「なに!?」
一瞬のうちに起きた高速斬撃。吹き飛んだ左腕を見ながら舞は何が起きたのか理解できなかった。ただ彼女の横を通り過ぎ、次の標的へ迫る白髪の少女の鬼気迫る瞳の強さだけが印象に深く刻まれた。
いすゞは呆気にとられた琴へ向かい一気に歩を進める。対応が遅れた琴は自分に迫る少女の一撃を止める方法を模索する。匕首を構える程度では抑えることなどできない。琴の判断は間違っていなかったが、遅すぎた。匕首を構える時点で彼女の目の前には抜刀された真剣の刀身が迫っていた。自分の視線と目が合った。それが刀に反射した自分の瞳であったことなど理解することもなく。
叩き切られた琴の首は肉体とともに消滅していく。
「もう一人は逃げたか。」
いすゞは舞のほうへ向き直ると、すでにそこに舞の姿はいなくなっていた。
「やぁ。」
乾いた男の声。西園寺将通がそこにいた。
「何の用だ?」
「いや~。僕の初実験、どうやら君が優勝だろうからね、その雄姿を見に来たんだけど。逃げられちゃってるね。」
「構わん。あの傷ならそう長くもない。」
「そりゃ結構。制裁者さん、どうして今回の実験に制裁者≪キミ≫が呼ばれてしまったんだい?」
「さぁな、貴様の不備であろう。童には関係のないことじゃ。」
いすゞはそう言い残しその場を去った。
「ふぅん、そういうことね。」




