第十二幕
久秀は重い雨の中、自分の兄が死んだことを理解した。それは風の噂か、兄弟の絆か。
「兄貴…。誰にやられたんだ…?」
兄の強さは分かっている。それに『祭り』を邪魔したあの男一人で殺せるはずがない。
「どういうことだ……?」
久秀は少し考える。その硬直が一瞬の隙を生み出した。一番近い位置の木が久秀に目掛けて倒れてくる。太い幹が落ちてくる。
久秀は軽やかにそれを躱す。続いて2本目、三本目と連続で大木が降り注ぐ。周辺の樹木を予め切り倒す。
「先に斬ってしまえば、奇襲はできんぞ。」
倒れた樹木の葉の茂みから晴樹は飛び出す。チェーンソーを一気に振り下ろす。カットラスを掲げ、受け止める。右手一本で全体重とチェーンソー、位置エネルギーすべてを支えられている。残る左手が横に振るわれる。もう一本のカットラスが晴樹の腹を横一文字に斬りつけた。
晴樹は後方へ回避するも、腹の痛みがに膝をついた。腹部から垂れる血液が雨に洗われる。見下ろす男の眼光はまさしく、龍。五黄の中、怒りを帯び、逆鱗を撒き散らす姿。
「撹乱と同時に接近を行うとは。良い一撃だ。」
久秀はそういい終わると同時に振り返ることもなく、手に持つ得物を後方へ放り投げる。舞はその刃を弾き、接近する。
「器を囮とするか。」
舞の丸鋸が止まる。舞の手首は掴まれていた。青い袴の少女は回し蹴りで舞を吹き飛ばした。千代は持っているカットラスを舞の右腕に押し当てる。
「あの場で逃げていれば良いものを。馬鹿な娘ね。」
広がった空間の中心で仁王立ちで立つ久秀はカットラスを振り回す。遮るものが無くなり、より勢いを増した雨がその巨体を濡らす。雨雲の間隙が不気味に光る。
雷鳴が地を揺らし、雷光が久秀の影を濃くする。仁王像が如くの佇まいに晴樹は絶望していた。
「結局、俺は何もできないんだ…。」
そこはいつもの悪夢だった。
暗い世界に掛けられた吊橋、そこで俺は立っている。谷底から這い出てくる腕がこちらに迫ってくる。どれだけ逃げようとも追いかけてくる。
しかし、もう逃げる必要はない。どうせここで死ぬのだから。黒い腕が足を掴む。徐々に這い上がり、皮膚を伝う。気持ち悪い腕は嘗め回すように絡みついた。
視界を覆い尽くす黒い腕。幾重にも重なり、俺を圧殺しようと覆い尽くす。俺はその腕の隙間に光る輝きを見つけた。
絡みつく腕を振り払い、その光に手を伸ばす。泥のように重しとなるそれらを振り払い、必死にそれを掴もうと腕を伸ばす。右手の指先がその光に触れた。そんな気がした。温もり。そう形容するのが一番近い。本当はもっと優しくて、熱くて、嬉しい。そんな感じだった。
光は羽毛のような軽さだった。徐々にその光は形作る。手に感じた羽毛の軽さは重みを増して、人の腕の形となる。
『晴樹、共に夢を追いかけてくれるかい?』
聞き馴染みのある声が聞こえる。晴樹は大きく頷く。そして反対側を振り返った。
「大丈夫だよ。俺は見つけたから。この命の使い道、俺の夢を。だから安心して行ってくれ。母さん。」
黒い腕が急速に晴樹の身体を離れる。腕は中心に収束し、一人の女性を形作る。あの日最後に見た姿そっくりだ。笑顔を作った母に晴樹は左手で目一杯に振る。
「ありがとう。母さん。さようなら、俺の悪夢。」
ガキンッ‼‼‼
久秀の青龍刀から金属音が鳴り響いた。空中を舞う刃は雨に濡れた地面に突き刺さった。へし折れた青龍刀は晴樹を切ることなく、中空で回転していた。
ゆっくりと口を開く。
「開放。天に昇りし太陽は 朱の錦を照らし、生者と共に全てを解き放つ‼‼天照!!」
その言葉に呼応するかの如く、空を包む曇天が裂け、金色の光がその場に差し込む。一条の光は晴樹を照らす。
晴樹はその光を掴む。そこには一振りの刀が握られていた。赤い柄紐に金色の鍔、白銀の刀身は光を反射し、その威光を曇りなく放っていた。
同時に舞の姿も光に包まれた。白い上衣は橙色に染まり、緋色の袴はより鮮やかに。
「いくぞ。吉永久秀。俺たちの本気、見せてやる!!」
晴樹の言葉に応じ、舞は自分の身体に流れる熱いものを知覚していた。沸騰しそうなほど上気した血液が全身を巡り、その身体に力を宿させる。ボロボロの上衣は薄橙のものとなり、雨に濡れた袴は鮮やかな緋色を取り戻す。握っていた丸鋸は姿を変え、ノコギリ鉈となる。
腕を振るい、その武器を振る。ガチャンという音と共に刃が展開し、大型の刃がむき出しになる。
千代は青龍刀を妖艶に振るい、構える。
千代は駆け出し、両手の得物を振る。上下からの攻撃を軽やかにかわし、反身からノコギリ鉈を水平に薙ぐ。ガキンと鳴った瞬間、青龍刀の刃が空を舞った。
千代は怯むことなくもう一本の刀を振るい、攻撃させる隙を与えない。千代の連撃をノコギリ鉈の峰で防いでいく。
右ミドルキックを千代は腕で受け止める。舞はニヤリと笑う。身体を回転させ、全身を用いた左足の二撃目が千代の側頭部を殴打する。
「やっと怯んだか。」
判断力が落ちた千代の顎に掌底のアッパーが炸裂する。大げさに飛んだ千代の身体は地面に腕を突き、立ち上がる。
「芯を打ちそこなったか。」
「いや、効いたわ。けど最高に楽しいわ。」
加賀美千代が刀を手に取ったのは5歳の頃だった。
その時、この村は隣の国と戦が続いていた。家が県境に近いこともあって物心がついた頃には戦から逃げる方法は熟知していた。父は戦に駆り出され、母は農作業に出ていた。自分は生まれたばかりの弟をあやすことが仕事だった。
それはいつもとは少し違った。いつもなら戦いが近づけば足音や男たちの声が聞こえてきた。それを合図に家に籠ったり、逃げたりしている。
しかし、その日そんな予兆はなかった。異変に気付いた時点でここは敵の手に墜ちていたことを知った。家から見える畑で鍬を持つ母が倒れた。爆音と共に。
それを始まりとして、数多の爆音が続く。それと同時に聞こえる大人たちの叫び声。
「ぎゃぁ‼!」
「きゃあああ!!」
「ぐわぁ!!」
それがタネガシマという伝来したものと聞いたのは先の話だった。
山からなだれ込んでくる男たち、村の者ではない。家になだれ込んできた一人。その手には太刀が握られていた。刃こぼれし、錆び付いた刀は粗雑の一言だったが人を殺すには十分だった。
千代はその場で凍り付いたかのように動けなかった。汚らしい男はこちらに近づいてきた。脚はすくみ、手は震えている。
直後、頬に鋭い痛み。それは太刀の切っ先が掠った物だと理解した。背後にいる弟に目を付けた男は千代を無視し、弟に近づき、その身ぐるみを剥いだ。
泣き叫ぶ弟に男は舌打ちを打つ。弟の泣き声は聞こえなくなった。背後からしか見えなかったのは唯一の救いだろうか。その男の太刀から垂れる赤い血、左手に握る弟の青い身ぐるみが見えた時、何かが壊れるような音がした。台所の包丁を握り占める。そこからは勝手に体が動いた。
自分よりも体の大きい男の内股を狙い、包丁を突き立てる。崩れた男の顎を下から包丁で突き刺す。
返り血が付いた青い身ぐるみを弟だったものに被せ、泣いた。ただただ泣いた。抱き寄せる肉塊に顔をうずめ、一晩中泣いた。
そして千代は心に決めた。
その時から千代は鬼となった。ただただ敵を駆逐し、狩り尽くす。修羅となり、敵を殺す。弟は帰ってこない。そんなことはわかっている。だからこそだ。自分の罪を忘れないために、強くない自分を戒めるため。その為に強いものと戦わなければ。
「はぁぁぁぁ!!!!」
勢いを増した青龍刀が舞の頬を掠める。垂れた血を拭う。
「貴女にどんな過去があるかは知らない。だけど、今を生きる者だけが死者を弔うことができる。そんな姿で戦うなんてもってのほかだ。」
舞はノコギリ鉈で青龍刀を受け止める。
「泣きながら戦うほど辛い過去かもしれんが、その涙に意味を持たせることはできない。」
千代は泣きながら青龍刀を振るっていた。
「あなたには分からないわ。失う痛み、心を修羅にしたのに終わらない戦い、そしてその運命を恨むこの気持ちが!!!」
「分かるさ。私も大切なものを失った。だけどお前と私は違う。過去にいつまでもとらわれてはいけないんだ!!!」
ノコギリ鉈を握る手に力を込める。青龍刀を弾く。逆袈裟に振り上げた刃が千代の脇腹に刺さる。
「がぁっ!!」
「おらぁぁ!!」
力いっぱいに振り抜く。割れた刃は肉を切り、あばら骨を砕く。青い衣は真っ赤に染まり、千代はその場に倒れる。
「結局、叶わないのね。全ては夢の幻という訳ね。」
千代が伸ばした腕の先には青い空が広がっていた。
晴樹の脚はこれまでにないほど軽い。地面を踏み出した瞬間、久秀の目の前に移動していた。振り下ろした日本刀と青龍刀がぶつかる。弾かれた刀身を二人は即座に翻す。晴樹の腕が高速で動き、連撃を繰り出す。久秀も負けじとその攻撃を弾く。刀身さえ見えないほどの速撃を正確に撃ち落とす。
百の攻撃が通じないなら、千の攻撃を繰り出すのみ。晴樹は連撃の速度を上げた。最小限の動き、無駄を削ぎ落した洗練された動き。
逆袈裟切りの一撃が久秀の青龍刀を上空へ弾いた。
「なっ!?」
「うおおおおお!!!!」
刃を返し、袈裟切り。斬り払った刃の先が久秀の肩からわき腹にかけて薄く切り裂いた。
「ハッ‼面白い。この俺に傷を負わせるとはなぁ!!」
逆の青龍刀が晴樹の左肩に食い込む。
「がぁッ‼」
痛みにひるむと同時に久秀の蹴りが鳩尾を突きぬけた。衝撃に体が吹き飛び、地面を転がった。
晴樹は立ち上がり、刀を構える。久秀も青龍刀を向ける。
「はぁぁぁぁああ‼‼」
「うおぉぉぉぉ‼‼」
二人は同時に駆け出した。距離が一気に縮まる。互いの身体がすれ違う瞬間、時が止まったかのように動きが緩やかになっているのを晴樹は感じた。
振り下ろされそうな青龍刀の軌道を読み、手に持つ刀身を男の腹に当てる。
停滞していた時間が加速し、通常の速度に戻っていく。背を向けあう二人には静寂が過ぎていた。
「いい一撃だ。この強さなら弟たちも報われるもの…だ。」
久秀の巨体が灰のように散っていく。その姿を晴樹は瞬き一つせず見送った。




