ラードで揚げられし揚げ芋を、常温のケチャマヨにつけて食べる幸福
私の前に揚げたてポテトのバスケットが置かれた。揚げたてポテトは最初の一分が勝負だ。まずは何もつけずに一口。
濃厚な油の旨みが口に広がる。その瞬間、私は「当たり」を確信した。緑茶に「旨み」があるのをご存知だろうか。このポテトは緑茶に似たラードの旨みがよく立っている。表皮の僅かな凹凸に背脂の残滓が溜まっており、それがじゅんわりと味蕾に染みて私は目を細めた。
ホクホクの芋には主食特有の香ばしさと旨みが詰まっていた。パン、白米、麺に通づる旨みの持ち主たる芋が主食であることを疑う者など存在しない。揚げ芋は主食であり、タンパク質的とも取れる香りは主菜にも相当した。
私はバスケットの中の小皿を見た。ぷっくりと表面張力でもかかっているかのように、みずみずしいケチャップとマヨネーズがさながら陰陽玉のように絞られている。私はその表面スレスレに人差し指の腹をかざした。私は僅かな温度を感じ取った。
ケチャマヨが常温だ。熱々の揚げたてポテトの風味を損なわない素晴らしい心遣いだ。揚げたてポテトの引き立て役たるケチャマヨは、冷えていてはいけないのだ。さながら紅茶を入れる前にティーカップを温めるが如く……そう、ポテトはデブの紅茶なのだ。
私はその赤くフレッシュで果実感溢れる酸味の香りと、こってりクリーミーな卵感を引き立てる酸味の香りを左の鼻の穴と右の鼻の穴で吸い上げ、気道を通し、たっぷりと肺に溜めた。そして数秒。ゆっくりと吐き出し、それからケチャマヨをそれぞれ一啜り。素晴らしきかな。たまらず私は揚げ芋を一気に数本手に取り、ケチャマヨの境目にのの字を描くと、それらがオーロラソースにならないうちにたっぷりと付着させて頬張った。幸福だ。
火傷しそうなほどの熱々ポテトはさながら生命の盛りたる夏のようで、私の口内に硬さと熱と塩味による傷を作りながら幸せホルモンを分泌させていく。そしてそこから秋、冬と移り変わりゆく温度の変化もまた愛おしい。冬の過酷さに冷え、老婆の手のように萎びたクタクタポテトも得も言われぬ趣がある。
ただ、それでも私は、ポテトを熱々のうちに食べたい。私は午後三時のカフェの一人席で、言葉なく、ただひたすらに芋を頬張った。