友人の話
疲れた、しんどい、ごはんも風呂も面倒臭い。
眠たいはずなのに頭は冴えていて、うんうんと唸りながらベッドの上で全身を伸ばして気まぐれにテレビを点ける。
テレビの内容なんて頭に入って来ないけれど、部屋の中が無音よりはマシ。
どうしてこうなったんだっけ。
令和にもなって古臭くて田舎臭いしきたりを守らせてくる親元を高校進学を機に離れて遠縁の親戚の元で都会―――と言ってもトーキョーみたいに華やかな場所ではない―――の新鮮な空気に浸りながら大学を卒業して新卒で働き始めるまではなんの問題も無かったんだ。
友達や上司も良い人間関係に恵まれていた。
会社で働き始めて3年が経った頃、田舎の両親から「たまには顔を見せろ」と連絡があった。
両親の魂胆は分かっている、田舎に帰れば結婚させられる。
子供の頃からずっと「アンタは大人になったら○○さんのとこに行くんだよ」と口酸っぱく言い聞かせられていた。
何にも知らない子供時代は「わかったー」なんて言っていたが、思春期反抗期を経て都会に飛び出たと言うのに、今更あんな田舎に戻る気なんて起きない。
『春祭で○○さんに選ばれるのはめでたい事だ、これで村も安泰だ』
『前は冬祭の時だったからなあ。しかも、せっかく選ばれたってのに当て付けみたいに◆◆の前で首を括るもんだから、○○さんの怒りは凄まじかった、今度はちゃんとやらんとな』
『都会に行った親戚が戻って来た時に都会の話をするから都会に行きたがってるらしい』
『どうせ、25になったら○○さんが迎えに行くんだ、それまでは好きにさせたらいいんでないの?』
―――冴えた頭の中でむかし聞いた大人たちの会話が繰り返されている。
25。
大人たちが言っていたその歳まで後3ヶ月を切っている。
「迎えに行く」の意味はそのままだろう。
だから入社した時に親戚の家を出て会社に近いボロアパートに引っ越した。親戚は今でも春と冬の祭の時は田舎に帰る。次の春祭はちょうど3ヶ月後。
親戚の家にいる時も親戚から「まあ、25までは好きにすればいい」と言われていたから今年はずっと避けていた祭に連れて行かれる事は目に見えていた。今住んでいるアパートの住所は、親戚にも知らせていない。仮に○○さん、とやらが来ても見付ける事なんて出来ないだろう。
それでも不安で村の出身の親戚や他にも外に出たヤツらに見付からない様に神経張り詰めていたから、疲れているんだ。
漸くうとうとし始めた時だった。
『―――ごめんください』
ドアの外から知らない声。勧誘か、配達か何かだろうか。
重いからだを動かして玄関に向かってドアスコープを覗くと、小さな子供が立っている。時代劇に出て来る様な古臭い着物に裸足と、有り得ない姿の子供だ。
『―――お迎えに、あがりました』
鍵はかけていた筈なのに、ドアは軋みながら開いて子供が手を握ってきた。冷たい氷水の様な椛の手。ドアが開かれて見る子供の姿はドアスコープ越しに見た姿よりも異質で息を呑んでしまった。
『嗚呼、やっとあなた様に触れられる』
子供ははにかみながら手を引く。子供とは思えない怪力に驚きながら、ズボンのポケットに入れていたスマホに手を伸ばして、―――固まった。
(...ない)
もしかして、ベッドに寝転がった時にポケットから落ちたのだろうか。
最悪だ、こちらの友人に助けを求める事は出来そうにない。
◆◆◆◆◆
「連絡つかないな」
男はスマホの画面を見て呟いた。友人の出身である【田舎】にまつわる昔話についてオカルト好きの別の友人から耳にしたから、確かめようと思ってずっとLINEも電話もしているのに繋がらない。
最近疲れているみたいだから、もう寝ているのかもしれない。
―――本当に?
胸騒ぎがして車のキーを回す。助手席で居眠りしていた友人がむにゃむにゃ言いながら目を擦る。
「どしたん?」
「―――連絡がつかん」
「あー、アイツ、まだ25じゃないから大丈夫って言ってたもんな。油断したんかもしれんわな」
大きな伸びと欠伸をひとつして、友人はむにゃむにゃしながら「じゃあ、アイツん家までの運転頼むわ。着いたら起こしてな」と言ってまた夢の中に旅立って行った。
(こいつ、助ける気あるのか?)
友人の【田舎】には今時聞いた事のないようなしきたりがある。しきたりに縛られるのが嫌で都会に出て来たと言っていた。
『春と冬の祭には村人全員参加して、○○さんの結婚相手を決める儀式がある。ここ数十年は誰も選ばれなかったから安心してたのに、小5の時春祭で選ばれてさ。両親も村人も喜んでたけど、嫌だったから逃げてきた』
『○○さんって、なに?』
『うちの田舎で信仰されてる、...神様?みたいなもん?春祭で選ばれたら村は安泰、冬祭で選ばれたら災いが起きるとかなんとか』
冬祭で『選ばれた』人間は○○さんの胃袋に収まる事で災いを防ぐ事が出来る。前回冬祭で選ばれた娘は祝言を間近に控えていたにも関わらず好いた相手と引き離されて当て付けの様に◆◆で首を括った。
喰われるくらいなら、先に死んでやると。
◆◆は【田舎】で忌み地とされている場所で、そこで死ねば○○さんに死体を喰われる事なく愛した男の手で埋葬して貰えると信じていたらしい。
―――実際は、死んだ娘の前で愛する男は八つ裂きにされて臓腑を抉り出された後娘もろとも○○さんに喰われたそうだが。
10分足らずで友人の住むボロアパートに着く。
ドアの前で何もいないのに汗だくになって外に出まいと踏ん張る友人の姿があった。
「―――ふーん、大したヤツでもないな」
起こす前に起き上がった友人はどこにそんなものをしまい込んでいたのかファンタジー作品で死神が使っている様な大鎌を一気に振り下ろした。
◆◆◆◆◆
「うーやん、ありがと」
「別に。友達が死んだら寝覚め悪いから」
私は妖怪が完全に消滅したのを見届けてから、今頃友人の【田舎】に行っているお父さんに電話をかけ、―――様としたらひらひらと手の上に折り鶴が下りて来たかと思うと手紙になって
『こちらも終わりました』
とだけ書いてあった。
「それで、【田舎】でわかった事ってなんなん?」
「○○さんは妖怪。◆◆は普段○○さんが封印されてる場所。春か冬の祭で選ばれるのは生贄。つまり、実質どちらの祭で選ばれても○○さんに喰われるし○○さんが誰かを選んだら村が安泰ってのは偶然の産物」
いや、○○さんが無作為に村人を食べない、と言う点に於いては『村が安泰』って言うのは間違っていないのかも。
春か冬で、『○○さんに選ばれためでたい人』だけで犠牲が済むのなら。
『数十年選ばれる者がいなかったのは、○○さんに選ばれる条件を満たす者がいなかったからです』
○○さんは「視えるもの」を喰らっていた。
自らが本当は、妖怪である事を村人に悟られない様に。
今の科学の時代を生きるものはかつて誰もが持っていたと言われている「視る力」を失ってしまった。それは、古臭い、田舎臭いしきたりを守らせ続けて来た【田舎】でも同じだった。
そんななか、たまたま、既に廃れた行事と化していた【田舎】の○○さんの番選びで「視る力」を持って生まれた友人は選ばれてしまった、と言うワケだ。
○○さん、私のお父さんの前では無力だったみたいだけれども。
「...お前の父さんナニモノなんだよ...」
娘である私も良く知らない。私や妹の前ではただの何処にでもいる娘命の親バカさんだし。
「また困った時はどうぞってお父さんが言ってたよ」
友人にそっとお父さんの名刺を渡す。たぶん、この友人とは長い付き合いになりそうだ。
タイトルはうーやんのお父さんが○○さんにかけた言葉です。