「そんなに言うなら君と結婚してもいい。」突然、話したこともない有能なはずの宰相補佐官から声をかけられた貧乏男爵令嬢の、よくわからないまま、溺愛される話。
「私には政略で決められた婚約者がいるが、君がそんなに言うのなら、婚約解消して君と結婚してもいい。」
物語にありそうな言葉だな…。耳に心地の良い低い声が至近距離で聞こえてカーラは顔を上げた。
え…
…は…?
目の前に立っているのは22才の若さで宰相補佐官に任命された切れ者で冷徹と噂されるヤーマン伯爵家のクロヴィス様…だったわよね?
ん…?
なんかこの人、私の方見て話してない?
カーラはそっと左右、後ろを見てみる。
そうよね、誰もいないわよね?だって今は夜会のまっただ中。
お酒でふらついた方が廊下に出てきて、メイドが押していたカートにぶつかって運んでいたワインが落ちて割れたのは少し前の話だ。
今は割れたグラスとワイン瓶を片付けていて、メイド仲間は掃除道具を取りに行ってくれているのだし…。
これは誰かと間違われている?
いやいや…、そんなことある?
それより、クロヴィス様の婚約者ってハーチバル伯爵家のご令嬢じゃなかったかしら。
ポカンと口を開けたまま、カーラが忙しく頭の中で状況整理していると、
「カーラ嬢、聞いているのか?」
やや不機嫌そうな声で、クロヴィス様が私の名前を言った。
は?え?
私ですか?
え…あの…私、ただのメイドですけれど…?
てゆうか、なぜ、私の名前を知っていらっしゃるのかしら…?
頭の中で返事をしているカーラは、それが口に出ていないことに気付かなかった。
しっかり者の長女で、知り合いの紹介で王城でのメイドの仕事に就いてからは、今まで以上にしっかり者としてきっちりがっつり仕事に邁進している。そんなカーラがまるで対応のわからない局面に陥っている。
「カーラ嬢?そんなに見つめるな、照れるだろう。」
少し顔を赤くして照れた様に顔を背けたクロヴィス様に、今度こそはっきりとカーラは答えた。
「あの、ヤーマン伯爵令息様ですよね…?あなた様とお話しするのは今日が初めてかと思いますが…。」
その時、掃除道具を取りに行ってくれたメイド仲間のチェリーとナナカが戻ってきた。
二人はカーラの前に立っているクロヴィス様に、不思議そうな顔を向けて礼をする。
二人はカーラが集めたグラスの欠片を、持ってきた布袋に入れると、ワインで汚れた絨毯に、染み抜き用の洗剤を垂らした。
「また、改める。返事はその時に聞かせてくれ。」
そういうと、クロヴィス様は会場に戻っていった。
え?どういうこと??
私、あの方の事好きだって言ったことないわよね?いえ、そもそもよく知らないし、好きでもないのだけれど。
去っていったクロヴィス様の後姿に、カーラは首を捻る。
「カーラって、宰相補佐官のクロヴィス様と知り合いだったの?」
シミを叩きながら、チェリーがカーラを見上げた。
「まさか…。初めてお話したわ…。」
何だったのかしら…?
人間唐突によくわからないことに巻き込まれると頭は考えることを拒否するらしい。
カーラは仕事に頭を切り替え、とにかく高価であろう王城の絨毯を救うべく動き出した。
それから一週間後、二度目のよくわからない出来事が起きた。
カーラが侍女長じきじきに指示された客間へお茶を運ぶと、そこには王太子の婚約者で公爵令嬢であるアメリア様と、ハーチバル伯爵令嬢がソファに座っていらっしゃった。
青みがかった銀髪に深い青い瞳。
ビスクドールの様な白くシミのない滑らかな肌。
落ち着いた雰囲気と、品のある佇まいが素敵で、いつもうっとりと見惚れてしまうアメリア様。
アメリア様付きの侍女の方にお茶の準備されたカートを預けて下がろうとすると、
「待ちなさいよ、そこの泥棒猫。」
温度の冷えた様な鋭い声がして、カーラは足を止めた。
キョトンと驚いた顔でハーチバル伯爵令嬢を見つめるカーラに、淑女とは到底思えない舌打ちが聞こえた。
「何、とぼけた顔をしているの?お前に言ってるの、カーラ・ユースタス男爵令嬢。貧乏男爵家の小娘がよくやったものよね。
一体どんな手を使ってあの仕事しか頭にない面白みのない男を篭絡したの?ぜひその手法をご教授願いたいわ。」
「ジュリアナ…!」
アメリア様が焦ったように、ハーチバル伯爵令嬢、そうだった、ジュリアナ様だ。ジュリアナ様に声をかけるが、彼女の口は止まらない。
「あの…私におっしゃっているのでしょうか…?」
カーラは姿勢を正すと、まっすぐにハーチバル伯爵令嬢を見つめた。
婚約者がいる身で他の男性と浮名を流しているという噂があるだけあって、アメリア様と違った美しい方だ。
輝く金髪はカールしていて少しつり上がり気味の瞳は大きく切れ長の新緑の色。
口元は厚く、ぽってりとしていて、すぐ横のほくろが蠱惑的だ。この色気に世の男性はきっと声をかけずにはいられなくなるのだろうとカーラは思った。
「お前以外に誰がいるというの?馬鹿なの?教育を受けるお金もなかったから、言葉も理解できないのかしら。」
イライラとしきりに指を動かしている。
とても怒っているように見えるが、カーラにはまるで理由がわからない。
は…!もしや、先日のアレか…??
カーラが、ようやく思い付いた時に、侍女が入れたお茶が入ったカップが飛んできた。
「…っつ…。」
熱っ!!
びっくりしてお茶がかかった腕を押さえると、慌てたようにアメリア様が、カーラに駆け寄った。
「まぁ、大丈夫?ジュリアナ、こんな暴力を振るうなど聞いていません。こんなことの為にこうした場を設けたわけではありませんわ。」
カーラの濡れた腕をハンカチで押さえながら、アメリア様がジュリアナ様を責めた。
「あ…ありがとうございます…。大丈夫です、少しびっくりしただけで。あの、それより、何の話をされているのか伺ってもよろしいでしょうか…?」
見上げた先にいるジュリアナ様は、本当にカップが命中するとは思っていなかったのか、少し焦った様な表情をしていたが、カーラの言葉に、ハッとしたように、再度睨みつけてきた。
「なに、知らないふりしているの?私の婚約者である、クロヴィスと結婚の約束をしていると聞いたわ。
あの男は、私に言ったのよ!私には思い合う恋人がいるから、私とは結婚できないって!!」
「…その…、クロヴィス様の恋人って…。」
カーラが恐る恐る聞くと
「あなたでしょう、カーラ・ユースタス男爵令嬢。あの男から名前を聞いたから間違いないわ!」
な…なんでーーーーー!?
驚愕に目を見開き、思わずアメリア様を見ると、アメリア様も困ったように頷いた。
「え…???私?!ち、違いますっ!!だって先日の夜会で初めて目を合わせただけで、まともに会話したこともありません!!」
身体全体で驚きをあらわに慌てるカーラに、ジュリアナ様もアメリア様も眉間を寄せた。
「あなたは、カーラ・ユースタス男爵令嬢で間違いないわよね?」
と、アメリア様。
「はい、間違いありません。」
「クロヴィス・ヤーマン伯爵令息と恋人なのよね?」
と、ジュリアナ様。
「いいえ、全く…。そういえば…、あまりによくわからなかったので、先日の会話がマルッと頭の中から抜けておりましたが、ヤーマン伯爵令息様に、掃除中に声をかけられたのです…。」
先ほどの鋭い眼差しも忘れてジュリアナ様とアメリア様が、続きを促すように興味津々の顔で私の顔を覗き込む。
そうしてカーラは先日の会話を一言一句変えることなく、二人に伝えた。
「「「………。」」」
アメリア様とジュリアナ様はゆっくり顔を上げてお互い目を合わせると、そのままプッと噴き出した。
「クク…いやだ、クロヴィス様ったら…、なんて…フフ…。」
肩を揺らして笑いを我慢するアメリア様と、おかしそうに笑うジュリアナ様。
「フフフッ…、なんかおかしいと思ったのよね…っ。あの、女の扱いも知らない仕事以外ではポンコツなあの男が、恋人って…!!まぁ、あの男と結婚なんて死んでも嫌だったから、婚約解消は願ったりなんだけど。まさか、思う相手に”そんなに言うなら結婚してもいい”って!!何も言ってないってゆうのに!!フフッ、いやだ、涙出てきたっ。」
本当に涙を流して笑うジュリアナ様に、カーラはポケットからハンカチを出して渡した。
そのハンカチを素直に受け取りながら、ジュリアナ様はさっきと違う優しい顔で、ありがとうと言って受け取った。
「…さっきはごめんなさいね、やけどしなかったかしら?本当に当てるつもりはなかったの…。こっちから婚約解消してやるつもりだったのに、先に言われたから意趣返ししたくて…それと一度言ってみたかったのよね、泥棒猫って。」
少し申し訳なさそうに話すジュリアナ様は噂と違い、とても可愛らしい方だった。
婚約者以外の令息と噂があり、きつい性格で我儘だと聞いていたが、そもそも淑女の鏡と言われるアメリア様の親友だというジュリアナ様が、そのような方であるはずがない。
「私とクロヴィス様はまぁ…親が仲良くて小さな頃から知ってるの。私の兄、レオナルドの幼馴染でね。家格のつり合いで婚約者になったんだけど、お互いそういった感情は皆無で。兄のもう一人の幼馴染であり、騎士のアルフレッド・デイビス子爵令息と私はずいぶん前から恋仲なの。クロヴィス様も知っているし、乗り気の親の説得するために、お互いどうやって婚約解消しようかと探っていたのよね。ほら、アルフレッドは子爵家だから…家格的になかなか私から親には言い出せなくて…。」
アルフレッド・デイビス様といえば、王太子の護衛騎士の方だ。
デイビス子爵家の令息で、まだ婚約者はいないと聞いている。
とてもがっちりした男の中の男、みたいな精悍な方だ。
たしかにデイビス子爵令息様が好きなタイプなら、あの細身でいわゆる頭脳派のヤーマン伯爵令息様では相手にならないかもしれない…。
なんて他人事のように考えていると、アメリア様があなたは当事者なのよと言われ、ハッと我に返る。
「あの…私、ただのメイドなんですけど、どうしてこんなことになっているのでしょう…?」
カーラが困ったように言葉を漏らすと、ジュリアナ様がニヤリと笑った。
「あの、恋なんて無駄な事に時間を使うなど勿体ないと宣っていたあの男が、半年前位からかしら…?急に変わったのよね。たぶん、そのころに貴女に恋したんじゃないかしら?覚えはなくて?」
半年前…カーラは思い出そうとするが何も浮かばない。
「…いいえ…、なんの接点もありません…たぶん…。」
「じゃあ、クロヴィス様がどこかであなたを見て一目ぼれしたとか。」
アメリア様の言葉にカーラは眉間を寄せた。
私ははっきり言ってこのお二人のような目立つような美しい容姿ではない。
両親や仲の良い友人は、くるくると表情の変わる様子が可愛いと言ってくれるが、髪もよくある黄みがかった茶色で瞳の色も同じ薄い茶色だ。
実家のユースタス男爵家は、田舎の男爵家で、ほとんど平民と言っていいほど領地も裕福ではない。5才下の弟が男爵家を継げるようにと、長女のカーラは13歳の頃から王都で働いている。最初は父の知り合いで気のいい伯爵家のメイドとして働かせてもらっていたが、社交的な伯爵夫人の紹介で、給料の良い王城でのメイドに口をきいてもらったのだ。17才になった今は、もっと給料の良い…出来れば憧れのアメリア様付きの侍女になりたいなと思いながら、日々頑張っているところだ。
もちろん、結婚なんて考えたことはない。
「たぶん、それはないかと…。私は美人ではありませんし特に目立つ容姿でもありません。」
その言葉にジュリアナ様が過剰に反応する。
「何を言っているの?あなた、可愛らしいわよ。絶世の美女とは言えないけど、その小さい顔や、大きなハシバミ色の瞳も小さな鼻や口も、なんだか…そうね、リスみたいで可愛いわ。」
リス…
小動物みたいとはよく言われるが…やっぱりか…。
喜んでいいのかショックを受ければいいのかわからないが、ジュリアナ様がとても気遣ってくださっているのはわかる。
「ありがとうございます…。」
小さく礼を伝えると、ジュリアナ様はニッコリと笑う。
「ねえ、あなた、クロヴィス様の事、どう思っているの?」
「へ?ヤーマン伯爵令息様のことですか?…そうですね…。とても努力家な方だと思います。
いつも遅くまで執務室でお仕事されていて、空いた時間は図書館で調べ物をされているのをよく見かけます。」
「ふむ、つまり、悪い印象はないということね?」
「悪い印象も何も…私にはあの方と接点などありませんから、そういった特別な印象をもつ機会もありません。先日のことは抜きにしてますが…。」
「ねえ、アメリア様、ちょっと…。」
少し悪い顔をして、ジュリアナ様がアメリア様にコソッと何かを言っている。
カーラは仕事が気になって、そろそろ戻っていいかとそわそわし始めた。
「あの…私、そろそろ…。」
「まぁ、ダメよ。今日はあなたは私にずっとついてもらう様に侍女長にお願いしているから、ここにいることが仕事だと思ってちょうだい。」
アメリア様が有無を言わさぬ笑顔でカーラを止める。
「ねえ、カーラ。カーラは好きな人や将来を誓い合っている方はいるの?」
「いえ!!い、いません!!考えたこともないです!」
「でも、カーラは年は…。」
「…先月17才になりました。」
「その年頃だと、恋愛小説とか読んだりおしゃれしたり、恋に恋する年頃よね?」
だいぶ他人事みたいにお二人、話されてますが、それほど年、変わらなかったと思うのですが…。
確かアメリア様もジュリアナ様も18才のはず。
「いえ…私は男爵家とは名ばかりの、貧しい家でしたし、幼い弟の教育にかけるお金もままならず、13才の時に父の知り合いにお願いして仕事を始めたので…。そういったこととは無縁といいますか…。」
本も読むけど恋愛小説ではなく、少しでも仕事になりそうな、語学の本や、ヘアアレンジの本だったり、将来アメリア様付きの侍女になれたら、喜んでもらえるようにとマッサージの本等ばかりだ。
「そういえばご実家の男爵家って、テムス地方よね?」
「はい、そうです。何もない長閑な田舎です。」
「近くに大きな川が流れていなかった?」
「はい。イーレ川ですね。整備すれば、隣接する港町まで小船で行き来できるのではないかと思っているのですが、我が領は整備にかけるお金がなくて…。」
「だからか…。あの男、ほんと、必死ね…。」
しばらく黙ったまま考え事をするジュリアナ様に、カーラが不安げに瞳を揺らす。
「ね、カーラ。私はね、どうしてもアルフレッドと一緒になりたいの。でも、親友同士の子供を結婚させたがっている母達が頑固でね。しかもあの唐変木のクロヴィスは私との婚約がなくなれば、どうやっても自力で婚約者など見つけられないと誰もが思ってたの。でも、あなたが現れた。」
なんだか嫌な予感…。
この手の予感は当たるのだ。
カーラは少し後ずさるが、有能なアメリア様の侍女がニッコリ笑顔で後ろに控えている。
「クロヴィスが恋するなんて奇跡よ。理由はわからないけど、とにかくあのつまらない頭でっかちの男が恋をしたのよ。これはもう、叶えるしかないと思うのよね!」
え…あの…最初に私に向けて言った暴言を忘れてます?まぁ、言ってみたかっただけのようでしたが…。
「クロヴィスはあなたと結婚する。私はアルフレッドと結婚する!これでいいと思うの。」
「…いや…あの…、そもそも私なんてヤーマン伯爵令息様とつりあっておりません…。それに、彼なら婚約解消されても引く手数多だと思いますが…。」
その言葉にキッと私を振り返ると、ジュリアナ様が重大発表するかの如く顔を近づけた。
「あの男、会話のセンスもプレゼントのセンスもゼロよ!!口を開けば、こ難しい話しかしない。贈られてくる婚約者としての義理の誕生日プレゼントなんて、毎年!!同じ!!万年筆!!はー???どれだけなんか書かないといけないっていうの?しかも色も地味だし、せめて贈るなら宝石が欲しいって言ったら、今年は宝石が入った万年筆よ!!」
後ろでブホッと噴き出す音が聞こえたが、きっと淑女の鏡であるアメリア様から聞こえたわけではないはずだ…。
万年筆か…。
年頃の婚約者の女性に、アクセサリーや髪飾り、ドレスや装飾品と、数ある中で毎年万年筆…。
1本なら嬉しいけど毎年はいらないかな…。
仕事をしてる男性ならまだしも…。
確かに先日の話しぶりを見ると、スマートに女性の対応が出来るように思えない。
でも照れた様な顔は少し可愛かった気がする。
元々、整った綺麗な顔立ちだし。
「ね、貴女は弟や家の為に働いているのよね?だったら、ヤーマン伯爵令息である、クロヴィスとの結婚は玉の輿よ。家の為になるし、伯爵家からの資金援助もあるわよ。無理にとは言わないから、考えてみて。私は絶対嫌だけど、悪い男じゃないはずよ。たぶん。きっと。なんとなく。知らないけど。」
適当ですね…。ジュリアナ様…。
カーラはノリのいいジュリアナ様に丸め込まれるように、とにかく人となりと知るために!と、自分の代わりに午後から予定しているクロヴィス様との観劇に行くようにお願いされた。
月に一度、顔を合わせることは婚約者のお務めらしい…。
口を挟む間もなく、アメリア様の侍女に、どこからか出してきた、身につけたこともない質のいい可愛いドレスを着せられ、化粧を施され、おしゃれしたリス…もとい、私が出来上がった。
「あの…このドレスは…。」
「ああ、あの男が挙動不審で入ってきた店でしばらく見つめたまま結局買えず、手ぶらで帰った時に見ていたドレスよ。私がその店にいたのに、気付かないくらいぼんやりして!!あれは笑ったわ。とりあえず念のため買っておいて良かったわ。」
……。
いや、面白がってますよね、ジュリアナ様。
アメリア様もうんうんと頷いてますが…。
「それにしてもサイズがピッタリね。こわっ!あの男、こわっ!!しかも自分の目の色である水色!!」
「良く似合ってるわ、カーラ。今日は午前中はジュリアナが私のところへ遊びに来ていることはクロヴィス様には伝えてあるから、この部屋に迎えにくるはずよ。お昼は外で食べることになると思うわ。」
「あの、ジュリアナ様の代わりに私が行くなんてどう考えてもおかしいです。」
なんの関係もないのに!!
誰か助けて!!
そもそもあのクロヴィス様が私を好きとかありえないんですけど…。
誰かおかしいことを指摘して。そこの侍女の方、微笑んでないで助けください。
カーラは今から起こる予定の2度目ましてになるクロヴィス様との、婚約者の代わりデートになぜか当たり前のようにいく話になったことに、頭が大混乱していた。
「大丈夫よ。私を迎えに来るときに、アルフレッドも一緒に来る様に伝えているの。今日は彼は休みだし、もともと忙しいクロヴィス様の代理でアルフレッドと過ごす事が多かったから。
今は王太子殿下の護衛についてるから、さすがに出来なくなったけどね。まぁ、そんなわけで代理で相手してくれるアルフレッドと私が思い合う様になったの。だから、一応婚約者と会うという建前だけで、その後は自由解散なわけ。最初だけ私とアルフレッドもいるから、そのあと別れましょう。観劇のチケットは離れた席に別で2枚用意しているから、合図してくれたらいつでも助けに行けるし。」
「いえ、そもそもヤーマン伯爵令息様が、ここに私がいることを変に思いませんか?あの時以来、お会いしておりませんし…。」
「じゃぁ、ちょうどよかったじゃない。日を改めると言われて返事しないといけないんでしょう?それが今日ってこと!」
無茶苦茶だわ…。
でも、いまから見に行くらしい観劇はメイド仲間たちが話題にしていた人気の恋愛ものだそうだ。
私だって恋愛に興味がないわけではない。一応まだ17才。
考えてもなかったけど、結婚に憧れだってある。両親は貧しくても仲良しだし、弟は可愛い。
とにかく、この二人には何を言っても丸め込まれそうだし、腹をくくるしかないわ。
昼を過ぎた頃、クロヴィス様とアルフレッド様が迎えに来た。
侍女が扉を開けると、不機嫌そうなクロヴィス様と、笑顔のアルフレッド様が立っている。
「予定通り、迎えに来た。俺はこのまま仕事に戻るから、ジュリアナはアルフと観劇にいってくれ………え……??」
何の感情もない顔で冷たくジュリアナ様にアルフレッド様を押し付けてすぐに立ち去ろうとしたクロヴィス様が目線を上げて私を視界に入れた途端……壊れた。
「な…な…な…ななななぜ、カーラ嬢がここに!!?そ、そ、そのドドドドドレスは…!!俺が…!!え…!?俺、あの後買えたんだっけ??え?いつプレゼントしたんだ!?いや、思った通りに…いや、想像以上に可愛くて可憐だ…。天使か!?いや、妖精のなのか!?」
ブホッと噴き出す音が三か所から聞こえた。
笑いを我慢する様子もなく、ジュリアナ様がクロヴィス様の前に出る。
「フフフッ、おっかし…。はー…あなたそんな風になるのね。いつもの能面みたいな顔が!!
カーラ嬢はあなたのこ・い・び・と、なんでしょう?婚約解消するために、お互い協力しましょう。今日はこのまま4人で観劇に行って、そこで別れましょう。カーラ嬢にきいたら、あなた、まだ、告白も出来てないし、返事も貰ってないじゃない。」
ジュリアナ様に向かって慌てた様に「そそそそそんなことはないっ!!」
と、嚙みつくが、クロヴィス様、なんか色々残念です…。
アメリア様、急に出した扇で隠しても、肩の震えも隠せていないですし、耳、真っ赤です。
笑っているの、バレバレです。
「カカカカカカ…コホン、カーラ嬢。よよ…良ければ私が今日はエスコートしよう。」
「…あの、お仕事に戻るって…。」
「いやいや、仕事なんてないから安心してくれ!!」
かぶるくらい早く否定されましたが、さっきすぐに戻るようなこと言ってましたよね…。
あれ、本格的に本当に…この方は私の事、好きなの???
なんで?…え、なんで???
とにかく行こう!と、ジュリアナ様に急かされるまま、クロヴィス様にエスコートされ、カーラは4人でジュリアナ様が準備していた馬車に乗っている。
途中ですれ違ったメイド仲間たちの驚いた顔…。絶対後から色々聞かれる…。
本当、なんでこんなことに…。
信じられないくらい快適な馬車に揺られていると、向かいに座ったジュリアナ様とアルフレッド様が仲睦ましく笑い合っている。
初めて噂のお二人が一緒にいるのを見たが、とてもお似合いだ。
お互いが愛おしそうに見つめ合う様子に、これまでのクロヴィス様はこの二人の傍で居たたまれなかったのではないだろうかと心配になる。
思わず横に座っていらっしゃるクロヴィス様を見ると、まさかの幸せそうな溶けそうな瞳で私を見つめていた。
「ふぇ…っ!」
思わずびっくりして変な声が出てしまう。
至近距離で見る美形の甘い顔は凶器だ!
「あら、どうしたの?カーラ。」
ジュリアナ様が赤くなっている私を見てニヤリとする。
やめてください、その顔…。
でも劇場に向かうときに、ヤーマン伯爵家の馬車に私と二人で乗ろうとしたクロヴィス様を、止めて下さったのはジュリアナ様なので、文句は言えない。
そして馬車をご一緒して感じたのはアルフレッド様がとても大人だという事だ。
クロヴィス様と同じ年の22歳のはずなのに、その悪戯っぽくて気の強そうなジュリアナ様を見事にいなして、手の上で転がしているように見える。
口数はそれほど多くはないけど、落ち着きと大らかさがあり、ジュリアナ様が好きになるのもわかる。
スラッと背の高いジュリアナ様と並んでもはるかに体格の良いアルフレッド様は包容力の塊だ。
「カ、カーラ嬢、その…、今日はいつも可愛いが、ドレスが似合っていてさらに輝いている…。」
向かいの二人を見ている私に隣から熱い視線をバンバン感じて、もう一度勇気を出して見上げると、追撃された。
「あ…ありがとう…ございます…。」
蚊の鳴くような声で答えた私の顔は絶対真っ赤である。
だって顔の周りに熱い層がある気がするし…。
「へ~…。クロヴィス様って人を褒めたり出来るんだ。」
向かいから意外そうな顔でジュリアナ様が呟く。
隣のアルフレッド様も目を丸くしている。
そうなの?普段知らないから全く良くわからないけど、私は居たたまれないです。
何話したらいいのかもわからないし、そもそもこの三人と一緒にいることなんて一生ないと思っていたのに、この状況、どういう事??
半ばパニックになったまま、馬車は劇場に到着した。
手を差し出されて固まったカーラに、溶けるように甘い顔でクロヴィス様がその手を取るまで見つめている。戸惑う様に、カーラはその手に手を乗せると、馬車を降りた。
「さて、ここからは別行動よ。といっても、同じ2階の貴賓席の個室だから、なにかあったら呼んでね。」
笑顔でそう言うと、ジュリアナ様とアルフレッド様はそのまま行ってしまった。
噓でしょ?ほぼ初めましての宰相補佐官と何を話せばいいの?
私、貧乏男爵家のただのメイドなのに。
「私たちも行こう。」
そう言うと、頬を染めたクロヴィス様がカーラを席に誘導してくれる。
入口からして違うのね…。すごい!こんなの初めて!観劇自体も初めてなんだけど。
興味深そうにキョロキョロしてしまうカーラを愛おし気に見つめながら、クロヴィス様がさっきと違って流暢に案内や説明をしてくれる。
席は驚くほどフカフカで真正面から見えるとても良い席だった。
二度とないかもしれないし、この際楽しもう!!とカーラは気持ちを切り替えて観劇を楽しむことにした。
観劇が終わり、遅くなった昼食を食べようと、クロヴィス様に誘われた。
マナーなんて自信がないカーラに合わせて、クロヴィス様は劇場の近くにある私でも入りやすいお店に案内してくれた。出てきた料理も美味しくクロヴィス様は終始笑顔でカーラを見つめていた。
こんなに笑う方だったんだな。いつも怖い顔をしているイメージだった。
意外と話しやすいし、この際思い切って聞いてみよう。
カーラは決意すると、言葉を選びながら聞いてみた。
「あの、クロヴィス様は…先日私にお声がけ頂いた時より前から私の事を知っていらっしゃったのでしょうか?その…そんなに好きなら…って…あの…どういう事だったのかなって…。」
するとみるみる間にクロヴィス様の顔が真っ赤に染まった。
「あ…あれは…その…失言だった…。す、すまない。色々飛んでしまって…。」
真っ赤に染まったまま少し上目遣いでこちらを見つめるクロヴィス様は…はっきり言って可愛かった。
こんな平凡な私がこんな風に思うことは大変おこがましいが、それはもう、なんだか弟を慈しむ時のような…何とも言えない可愛さに悶絶してしまうというか…。
「半年前に…その、財務官の横領事件があったのだが…。」
ああ!ありました。前財務官であったコバルト子爵が、長期にわたり干ばつ地帯へ送るはずの補助金を横領していた件。額がかなりの額だったため、コバルト子爵以外の関わった者達のあぶり出しで、相当城内がバタついていたわ。
「あの時、私のミスで、隣国からの使者との謁見の予定を、貴族会議の日程と重なって予定してしまったのだ…。王も参加する会議だったため、流石に変更も出来ず、かといってすでにこちらに向けて出発していた使者殿を追い返すわけにもいかず、相当焦っていたのだ。結局半日近く待たせた使者殿と会えた時には怒らせて国際問題になるのではと心配していたが…あなたが助けてくれたのだ。」
「え?私ですか??」
「ああ、覚えていないか?貴賓室で対応してくれた白髪にオレンジの目をしたルミエラ王国からの使者だ。」
オレンジの目…
「…あぁ!!あの、甘い食べ物に目がない方ですか?」
「あぁ、そうだ。彼は約束の時間からかなりの時間を待たされ相当怒っていたんだ。君がお茶を何度も出してくれたそうだね。その度にこの国の珍しい菓子や、昼を越えた時には美味しい食事を用意してくれたと喜んでいた。そのうえ、話しかけた使者殿にずっとお待たせしていることを詫びて、常に笑顔で今できる最大限のもてなしをしてくれたと言っていた。ルミエラ王国についてもしっかり学んでいて、わざと難しいことを聞いてみても、笑顔でスラスラ答えてくれたと言っていた。」
半年前…確かにあった。
お茶を運ぶように言われた貴賓室で年配の方がいらした。
一度目に運んだ時に確か、クロヴィス様がお待たせする旨を謝罪されていて…クロヴィス様が退出された後、お茶を用意していたら話しかけられたのだ。
自慢だけど、私はお茶を入れるのが得意だ。以前勤めていた父の知り合いであった伯爵家の奥様がとてもお茶が好きで、徹底的に教えてもらったのだ。その時に私もお茶の奥深さに触れて相当勉強したのだ。茶葉によって変える温度や入れ方、お茶によって合うお菓子等。
だから来客の際にお茶を準備することが多かった。
待たされることを謝罪されたとはいえ、到底納得されていなかったお客様はすでに相当イライラしていたので、出来るだけ丁寧に美味しくお茶を入れるように心掛けた。
ひと口飲んで、このお茶は何だと聞かれた。
その時にお出ししたのが、お茶で有名な南方の高級茶葉だった。
味わい深くて癖のないお茶だ。
気に入られたのか、すぐに飲んでしまわれたので、新しくお茶をついでそれに合う甘いお菓子を差し出したが、すぐに口にされた。
お、という顔をされたのできっと気に入ったのだと思った。
そのまましばらく様子を見ていると、持ってきた書類を確認しながらずっと口を動かしている。
相当な甘党なのだと思いながら傍に控えていた。
しばらくすると手持無沙汰になったのかウトウトされたので、ソファで横になれるようにクッションと掛けるものをお持ちして、まだ時間がかかるので少しお休みくださいと進言した。
使者が居眠りするということは普通はないが、今回は我が国の不手際で相当お待たせするようなので、休んでもらっている間に厨房へ行き、いくつかのお菓子や茶葉を準備した。
半日近くお待たせしたが、その間、何度かお茶を入れたが、その度に違う茶葉で丁寧にお茶を入れ、それぞれにあったお菓子を用意し、お昼を過ぎた時には簡単につまめるものを用意した。
最初はイライラされていたお客様も、暇つぶしに私に何度も話しかけてくれて、帰るときにはありがとうと言ってくれたのだ。あれは嬉しかったなぁ…と思い出していると、クロヴィス様が頭を下げた。
「本当にあの時はありがとう。過信していたんだ、きっと。自分は完ぺきに何でも出来ると。初めて失敗して自分の未熟さに打ちのめされた。でも、君はいつも笑顔でよく周りを見てくるくるとよく働く。あれからお礼を言いたくて君を探すのが癖になった。そしたら…君が他のメイド達と話しているのを聞いた。その…私の事をどう思っているかという話で…君は私の事を努力家で素敵だと言ってくれた。」
恥ずかしそうに頬を染めてはにかむクロヴィス様に、何の事だろうと、思い出す。
そういえば、メイド仲間がよく誰がかっこいいいとか、誰が推しだとか、そんな話を良くしている。きっとその時に私も聞かれたのだろう。クロヴィス様をどう思うか。私は城で働くようになって、いつもいろんな方と接することやお見掛けすることがある。クロヴィス様はどんな時もキリッと前を向いて努力されていた。休んでいるのなんて見たことがない。その時も、そして今聞かれても私は同じ答えを言うだろう。
仕事に邁進して努力家で素敵な方だと。
「はい…、そう思います。クロヴィス様は素敵な方です。」
頷いて笑顔で答えると、顔を真っ赤に染めた。
「その…ジュリアナに聞いたかもしれないが…私と彼女は婚約者だが、お互いに思う相手がいる…。だから解消したいと思っている。それで…私が解消するには新しい婚約者を見つけねばいけないのだが…その…私は君が良いのだ。どうか、良い返事を貰えないだろうか…?」
手をギュッと握りしめたまままっすぐに私を見つめるクロヴィス様は本当に私の事を好いてくれているのだとわかった。
憧れはあったけど、恋をしたとなんてない。
目の前の仕事に邁進する日々だったから。
だからこの胸の高鳴りが恋かどうかはわからない。でも、私を見つけて見ていてくれたということが嬉しい。
「…私は、クロヴィス様に見合う立場にありません。その…支度金なども用意できないし、ただの貧乏男爵家なので、きっとご家族の方は反対されると思います。」
「支度金なんていらない。その…それは、家族が許せば私の婚約者になってくれるのか?」
希望を込めた瞳に、胸がキュンとなる。
嘘みたい。本当にキュンっていうんだ。
カーラは自分の胸を押さえるように、手を握り深く呼吸をする。
「…はい…。その時は私で良ければお受けいたします。」
はっきりと答えると、クロヴィス様の顔が嬉しそうに輝いた。
「あ、ありがとう!!実はもう、了解は得ているんだ!!あとはカーラ嬢、君が受けてくれるかだけだったんだ!!いまから指輪を買いに行こう!そうだ、仕事もやめて、今日から私の屋敷で暮らせばいい。すぐに荷物を運ぶように指示を出すよ。」
へ?え?
了解を得ている…?
「君の両親にも連絡して了解を得ているから安心して。」
「え?」
どういうこと??
その後、あれよあれよという間に、私はクロヴィス様の屋敷で、婚約者として必要なマナーを学びながら生活している。
もちろん部屋はクロヴィス様の隣の、次期伯爵夫人の部屋だ。
結婚するまではと、まだ夜は共にしていないけど、信じられないくらいに甘い彼にいつも振り回されている。彼の両親も彼の変化に日々面白がりながら可愛がってくれている。
そして驚くべきことに、私の実家の男爵家の領地であるテムス地方は、長閑な田舎だったのだが、国の改革の一つとして港町までイーレ川から船で行けるように整備された。
貿易が盛んになり、実家はかなり豊かな領地になった。
そう言ったことも含めて両親を説得したようだ。
流石、稀代の天才である。
「本当、抜け目のない男ね。」
ジュリアナ様は私の入れたお茶を飲みながら嬉しそうに自分の指にはめられた指輪を見ている。
アルフレッド様との婚約が調ったそうだ。
なんだかんだいいながら、ジュリアナ様もアメリア様もなぜか私を可愛がってくれて時々伯爵家に遊びに来てくれる。
「で、どうなの?カーラ。クロヴィス様は?好きになれそう?」
無理にくっつけた感があるのか、時々心配そうにジュリアナ様が聞いてくれるが、私の答えは決まっている。
「大好きです。」
フフッと笑うジュリアナ様とアメリア様が目で私の後ろを合図する。
振り返ると顔を真っ赤に染めたクロヴィス様が立っている。
あれ?今日は帰りがやけに早い。
「わ…わ…私も、カーラが大好きだ!!」
恥ずかし気なのに大きな声でいつも気持ちを伝えてくれるクロヴィス様が可愛くて仕方ない。
「では、邪魔者は帰りますね~。」と楽しそうに帰っていくジュリアナ様とアメリア様を見送ろうと一緒に立ち上がるが、クロヴィス様に抱きしめられて動けない。
「ありがとう、幸せだ。」
ギュウギュウと抱きしめられるぬくもりの中でカーラは自分の幸運に感謝した。
私こそ、幸せです。