女に出会った日
部活が始まる前。
3年生は引退し、2年生主体のチームになり、次の大会に向けて練習を始めるところだった。
準備は1年にやらせ、2年はボォーっとしていた。
顧問の松永は野球なんて興味がないらしく練習には顔を出さない。
おかげで野球部はだらっっとしている。
俺は今、しつこくてうざったいやつと日陰のベンチにいる。
「なぁ、廉く~ん」
俺はその声を完全無視して、野球ボールを真上に投げた。
そのボールはそのまま真っ直ぐ落ちてきて、俺の手に納まった。
「なぁぁ、れ~んく~ん」
ついに痺れを切らして俺は大声を上げた。
「もう、うっせぇなっ!なんだよ!?
どーせお前が聞きたいことは由芽のことだろ!?」
ついに俺がキレると、今までしつこく話しかけてきていた亮和が
勝ち誇った顔をして、そうだよと言った。
「なんで、別れたんだよ。お前ら超いい感じだったじゃん?」
由芽とは、ついさっきまで恋人という関係だった幼馴染だ。
由芽は、おっとりしていて、優しくて、美人だ。
「お前と由芽は美男美女で、仲良しで、一緒にいると楽しそうだったじゃねぇか」
確かに俺と由芽は、お似合いだとよく言われていた。
由芽も俺も先輩からも同級生からも後輩からも人気でみんなから羨ましがられていた。
俺は運動も勉強もそこそこ出来るので次の生徒会長候補になっていた。
「学校中大騒ぎだぜ?あのお似合いカップルが別れたってさ。
お前のことが好きなやつとかチャンスだって動き出したしな」
俺と由芽のカップルは学校では有名だった。
それが、別れたとなると俺のことや、由芽のことが好きなやつは動き出すだろう。
「なぁ、なんで別れたわけ?由芽、超泣いてたぜ?」
「知ってるよ」
別れようっと言った瞬間、由芽の瞳から涙が落ちた。
はぁ、女を泣かせると、気分わりぃんだよな。
俺は昼休み、屋上に由芽を呼び出した。
由芽は不思議そうな顔をしてどうしたの?と聞いてきた。
「俺ら、別れよう」
そんなことを言われるとは思ってなかったのか
由芽は何を言われたのかわからないと言う顔をしていた。
「別れよう」
もう1度、ゆっくりと言った。
「なんで?どうして?今日も一緒に帰るって言ったじゃん?
あたし、廉くんのこと好きなんだよ?」
そう言って由芽は涙を流した。
あーぁ、女泣かせんのは、やっぱ気分わりぃや。
「なぁ、別れた理由は?お前、由芽と昨日まで仲良かったじゃん」
「関係ねぇだろ」
「あるよ。だって俺、お前のキャッチャーだし?由芽みたいに生まれた時から
一緒ってわけじゃないけど、一応幼馴染だし?」
そう言いながら、亮和は俺がさっきから手の中で遊ばせていたボールを取り上げた。
別れた理由。
それは、限界だったから。
俺は昔から、ずっと由芽と一緒だった。
どこに行くにも、なにをするにも一緒だった。
家が近いと言う理由と、親同士が高校からの親友だという理由でだ。
ずーっと一緒だったのだ。
俺が習字を習い始めると、由芽も習い始める。
俺が塾に通い始めると、由芽も通い始める。
俺がピアノを習い始めると、由芽も習い始める。
限界だった。
だから俺は、野球を始めた。
由芽が絶対にやらない野球を。
確か、小4から始めたんだ。
唯一、由芽から開放される時間。
それが野球をしているときだった。
野球の練習があると言えば、由芽は諦めてくれた。
だから俺は野球に没頭することにした。
そのおかげでか、俺は今ピッチャーというポジションをやっている。
しかも、キャプテンにまでなれた。
別に由芽が嫌いなわけじゃない。
けれど、もう限界だった。
これからも、ずーっと由芽と一緒にいなければならないと思うときつい。
高校も大学もその後の人生も一緒だと思うと無理だった。
「限界だったんだよ」
「限界?」
「あぁ、由芽とずっと一緒にいるのもう限界だったんだ」
「そうか...。だろうな、お前たちずっと一緒だったもんな」
「うん」
ホントにずっと一緒だったんだ。
いつからだろう。
由芽の存在が、重くなってきたのは。
「キャプテン、副キャプテン」
突然キャプテンと呼ばれて、振り向くと1年の後藤がいた。
「なに?準備終わった?」
「あ、準備も終わったんですけど。キャプテンにお客さんが」
「客?」
「はい、あの、大野由芽先輩が...バックネットの裏に来てって」
後藤は言いずらそうで、視線を俺に会わせようとしない。
やっぱ、みんな知ってんだな。
あーぁ、これから面倒くさい日が続くんだろうな。
「わかった。副キャプテン、練習始めておいてくれ」
「了解。メニューは?」
「ランニング、体操、ストレッチしといてくれ。それが終わるまでに、俺も行く」
「わかった」
亮和はそう言うと立ち上がり
「おい、じゃあ練習開始するぞぉ!ランニング!」
と大声で言った。
その声でグラウンドには俺の好きな硬すぎもなく、
緩みすぎてもないあの独特な緊張感に包まれた。
俺はランニングを開始した野球部を見届けて、バックネットの裏に向かった。
バックネットの裏は日が当たっていないから肌寒い。
由芽も寒いのか、身震いをしていた。
いつもなら、近くに寄ってあげるのだか、もうそんなことはしない。
「なんの用?」
俺は、不機嫌なことを悟られないように明るい声で言った。
「やっぱりあたし別れたくないの。廉くんのことが好きなの」
「悪いな。でも俺、別れたいんだ」
「理由は?」
言えない。
もう、お前と一緒にいることが限界なんて言えない。
絶対傷つけてしまう。
俺は別に、由芽を傷つけたいわけではないのだ。
「ごめん」
「そんな言葉が聞きたいんじゃないの。理由は?」
「言えない」
「なんで?どうして?あたしはまだ廉くんのことが――」
由芽の言葉を女の声が遮った。
「しつこい女は嫌われちゃうよ?」
そこには、見知らぬ女がいた。
でも、ここの中学の制服を着ているということはここの生徒なのだろう。
でも、見覚えがない。
それにしても、この女、由芽に負けないぐらい、いやもしかすると由芽より美人だ。
いや、美人というより、可愛い。
「誰?」
「向坂杏里。明日からここの中学に通うことになったの。
クラスは2年A組。大附廉くん、あなたのクラスだよね?」
「そうだけど。なんで?」
「先生から聞いたの。学級委員長で成績優秀。次の生徒会長候補。
しかもイケメン。おまけに野球部キャプテンってね」
「はぁ」
状況がよくわからない。
が、しかし、俺はこの後この杏里ってやつとなにかある、絶対に。
「廉、あたしのタイプなの」
よくわからない。
でも、この後に続く台詞はわかる。
「あたしと付き合おうよ。絶対退屈させないよ?」
そう言った声には自信があった。
ほら来た。
ビンゴだ。
いつもなら『振る』という選択肢しかない。
まぁ、由芽と付き合っていたのだから当然なんだけれど。
けれど、この時俺には『振る』という選択肢の他にもう1つ選択肢が浮かんだ。
『付き合ってみる』
なぜ、この選択肢が浮かんだのか、わからない。
けれど、浮かんでしまった。
いや、でも、こいつのこと全然わかんないし、安易に付き合うとかだめだ。
「考えとくよ」
「そっ、まぁいいや。絶対落としてあげるから。じゃあね」
そう言うと杏里は手をひらっっと振ってその場を去った。
向坂杏里。
気に入った。
今までに出会ったことのない女。
今までは由芽としか付き合ったことがないから、
他の女のことなんて全然しらない。
だから、『付き合ってみる』という選択肢が浮かんだのかもしれない。
「廉くん、考えとくってなに?あの人と付き合うの?ねぇ、廉くん」
「ごめんな、由芽。でも俺、もう限界だから」
そう言って、俺もそこを去ったのだった。
後ろからは由芽の嗚咽が聞こえてきた。
また、泣かせちゃったな。
そんなことをちらっっと思った。
向坂杏里。
俺を落とすだって?
ちげぇよ。
逆だ。
俺がお前を落としてやるよ。
微妙ですね。
野球部にしたのは、あたしが野球が好きだからっ♪