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458 棕櫚の事

 翌日。(こう)とみよは富士山麓にあるという南斗棕櫚(なんとしゅろ)を探しに出かけた。同行者は、志願した茉莉(まつり)とのばら。そして、心配して一緒に行かざるを得なくなった(あずま)夜鷹(よだか)

 江戸時代に南斗棕櫚を使った麻薬で大儲けした血祭(ちまつり)家があった場所、は不明だが、南斗棕櫚が一般流通している薬草・北斗棕櫚(ほくとしゅろ)に似ている事から、自生している場所は絞られる。みよの意見によりやってきたのは、富士の樹海だった。

 「マジか。」

東がげんなりしたのは、この広大な樹海のどこかにあるという植物を探す途方もなさに対してだ。場所は絞れると言われた時、もう少し狭いエリアだと思っていた。

 「ちょっと、紅、おみよちゃん。もっとどうにかならなかったの?」

立ち入り許可は取ってあるが、フリーパスではない。今日だけの限定パスなのに、絶対に今日だけで何とかなる気がしない。

 「手分けすれば良いだろう。」

 「手分けしないわよ。私たちは、アンタたちの護衛だっての。」

確かに人手があればまだ良かった。けれど、東たちは紅とみよの護衛要員であるから、目を放すつもりはない。

 「四人も要りません。手伝ってください。」

はっきりと言ったみよは、何だか冒険家みたいな格好だ。

 「そもそも、こんな森の中で一体どんな危険があるって言うんですか?立ち入り申請まで必要なんですから、誰もいませんよ。」

みよは護衛を不要と主張しつつ、荷物をがさごそ。

 「分からないでしょ。紅もおみよちゃんも、戦闘力ゼロなんだから。野生動物でも出てみなさいよ。怪我するかも知れないでしょ。」

危機感のないみよは、東の心配を全く真に受けない。そして、荷物から奇妙なアンプルを出して見せた。

 「この中には猛毒が入っています。もし野生動物に襲われたら、これをかけて身を守ります。この液体が触れた皮膚は腐ってしまうので、手や足なんかにかければ、壊死してしまうんです。」

 「こっわ。何持って来てんの?罷り間違って割らないでよ、それ。」

平然と何て事を言い出すんだ。東はみよを奇異の目で見た。この子やっぱりヤバイわ。

 「大丈夫です。あ、要りますか?沢山つくってきたので、良ければ使ってください。」

どうぞ、と親切ぶって、みよは茉莉とのばらに一つずつ渡した。東と夜鷹は断った。意図せず割った時のリスクを考えると恐ろしいので。

ごちゃごちゃ話している間に、紅は勝手に南斗棕櫚探しを開始していて、イラっとした態度で呼んだ。

 「時間は有限だ。早く探せ。」

 「はぁい!」

 嬉しそうに駆けて行ったみよを追いながら、東は嘆息した。紅のあの態度に全く怯まないみよは鋼の心臓なのだろうか。こうして見れば何もかもヤバイ子だ。今となっては、あざはみよの本性を隠していたのではないだろうか。

東は何でこのド年末にこんな事をしているのだろうかと、うんざりしながら、紅とみよを見守った。

 そこへ茉莉とのばらが言った。

 「確かに、護衛四人はいらなかったかも知れません。私たちも南斗棕櫚探ししようと思うんですけど。」

 「良いわよ。迷子にならないでよね。」

とっとと行けとばかりに、東は茉莉とのばらを追い払った。

 若者は元気だ。よくやるな、それしか感想はなかった。


 ◆


 樹海で楽しい南斗棕櫚探しをしている頃、在仁(ありひと)はもちろん自宅療養中だ。

在仁の自宅自室には、在仁と、青藍(せいらん)佐長(すけなが)稔元(としもと)紅葉(もみじ)(すばる)真赭(まそほ)(めぐみ)(たえ)、そして(かなめ)

 業務ドクターストップの在仁は本日届いた『泡沫(うたかた)』のページを捲った。ブックスタンドを使って右手だけで本を読む事に成功したので、何とか療養の退屈は凌げそうだ。とは言え、ベッドの隣で稔元が手番をしているが。

 稔元は在仁がしかめっ面をして『泡沫』をめくるのを見ながら、気難しい書評家のようだなと思った。

 「痛むのでしたら、休まれては?」

 「寝ておりましても痛いので、気が紛れる方が良いのでございます。」

心配かけないように柔らかく微笑む在仁の顔色は青い。稔元が寒いだろうかと思って暖房の設定温度を確認しようとすると、すかさず要が動いた。暖房の温度を調整しつつ、加湿器を付けた速やかな動きには、感心せざるを得ない。

要は、胡桃が認める有能さで、すっかり馴染んでしまっている。あまりやりすぎると帰った後で大変なので手加減して貰いたいと思ってしまう。稔元は嘆息して、在仁の額に手を当てて言った。

 「晦冥(かいめい)教は呪いによる攻撃しか出来ないと勝手に思い込んでいました。信徒も素人の寄せ集めで、戦闘力など無いと。」

 思い返せば、晦冥教案件とした時に、呪いにばかり警戒心を向けていた。対呪い戦となれば、浄化札頼みだ。それにあまり強い呪いであれば、在仁にしか対処できない。その事にばかり気を取られていた。だが、今回の攻撃には呪いが使われていなかった。蜻蛉(かげろう)を救出するために差し向けられた鳥たちは、術により操られていて、特攻が如く突っ込んで来て燃え上がった。あの炎も術力による炎だ。それは、ごく一般的な戦闘手段という事。武士たちは慣れているとはいえ、まともにくらえば怪我をする。ただの怪我ならば治りも早いが、術力だの呪いだの瘴気だの、そういう怪我は難儀する。そうした怪我を治すのは体内の術力であるから、それが無い『昼』ならば確実に死に至るだろう。つまり、術力器官がひよこの在仁にとって、ある意味で呪いよりも痛恨の負傷と言えた。

稔元は脇の甘さを悔やんで在仁を労わった。

 「確かに。晦冥教の悪しき手段を用いて罪を犯すは、地龍社会から落ちぶれた者たちと決めつけておりました。それ故に、そう御強い御方が与されるとは、考えておりませんでした。なれど、思い返せば呪術札の開発や、新たなアイテムの生産など、晦冥教側に知恵者がおります事は想像できる事でございました。その全てを蜻蛉の仕業を思うておりましたが、蜻蛉はあの通り弱き者。休んでいる間にも晦冥教を動かしておられる御方がいるのでございましょう。」

 山梔子(くちなし)家の件で削られた蜻蛉が、まさかこんなに早く動き出すとは。世の情勢を見て行動している様子であるから、休んでいたのか疑問だ。もちろん休まねばならないはずであるから、誰か代わりの者がいるのだろう。というのは誰でも想像できることだ。

 稔元は在仁の思考がいつもよりも鈍いなと思って、勝手に『泡沫』を閉じて在仁を休ませようとした。在仁自身も読書に身が入っていなかったのか、『泡沫』を閉じられても無抵抗で目を閉じた。その眉間のしわを見ながら布団を整えると、青藍が言った。

 「だが、そのような知恵者がいたならば、もう少し上手く立ち回る事が出来たと思う部分もある。古くからの信徒ではないのではないか。」

 「これだけ晦冥教が取り沙汰されている状況で、新たに入信したと言うのですか?」

佐長が驚くのも無理はない。晦冥教は揺らぎ認定されているので、地龍の敵だ。そうと知っていて入信しようなんて、とんだテロリストだ。

 「本物の信徒ならば、呪いによる世の終焉の礎となって死する事を望むろう。生きて蜻蛉を支える者たちには、別の目的があるように思える。晦冥教を利用して何らかの利を得ようと言うのならば、無い話でも無いと思うてな。もちろん、反社会的な者に相違ないが。」

私見を語る青藍の鋭さに、在仁に似た怜悧さを感じた。どうやら在仁のエスパー能力は青藍の血筋らしい。

 皆が青藍の意見に耳を傾けていると、在仁が呻いた。術力異常だ。

 「紫微星(しびせい)様。」

 在仁の文机を借りて勉強していた妙が、すぐに気付いてベッド脇へ。在仁の胸に手を当てて調術を始めた。

本来の両手を握る調術スタイルは、左手を包帯ぐるぐるにされてしまった在仁には使えない。そこで妙は在仁の胸に直接手を当てて調術するスタイルを自ら編み出した。元より両手を握るスタイルでなくてもよいのは、総角(あげまき)が証明していた。ただ、服の上からではなく直接肌に触れる必要があるので、いちいち在仁の浴衣ははだける事になる。三角巾も邪魔だし、変な姿勢になるので楽ではない。

 「大丈夫です。すぐに良くなります。」

心配して集まって来る皆を安心させようとして言う妙に、在仁は薄く微笑んだ。

 「お手数をおかけします。」

 怪我をしてから、妙はずっと付き添っている。

 煤竹(すすたけ)に師事する妙は、調術師を目指している。調術師になるには九州の術者学校にて学位を取得せねばならない。だから調術師の勉強と平行して、術者学校入学に向けて試験勉強中だ。

そんな忙しい妙を拘束してしまったのは、申し訳ない。在仁が眉を下げると、妙は笑った。

 「いいえ。そもそもが、私は紫微星様の専属調術師となる身ですから、紫微星様が最優先なのは当然です。もう紫微星様のものなのですから、気兼ねなく使ってください。それに、紫微星様の調術のお陰で、物凄く鍛えられていますから。」

 最初は煤竹も一緒にいたが、とっくに帰ってしまった。煤竹は塾を持っているし弟子もいるので、在仁の事は妙に任せたのだ。もちろんいつでも相談できる体制だが、煤竹の妙への信頼度が凄まじい。それもこれも、在仁対応ですっかり鍛えられてしまったから、と言われては何も言えない。

 大人しく目を閉じて眠ったフリをした在仁から、妙がそっと離れた。

 そして皆がお茶を淹れて話し始めた。在仁はその声を聞くともなく聞いていた。

 「恵様のお茶は本当に美味しいですね。何とかその技術を盗めないものかと観察しておりますが、無理そうです。」

 「あら、それは私も常日頃から思っておりますが、今以て叶いません。要様が一朝一夕に御習得なさっては、自信を無くしてしまいますわ。」

 「いやだわ、お二人とも。私は普通に淹れているだけです。」

和やかな声を聞いていると、少し眠れそうな気がした。在仁がうとうとすると、青藍が顔にかかった髪をどけた感触がした。皆とお茶を飲んでいると思ったら、ここにいたのか。ほっとした。

 「妙さま、私たち騒がしくてごめんなさい。お勉強の邪魔をしていませんか?」

 「大丈夫ですよ。煤竹先生の所はもっと賑やかなので、慣れていますし。紫微星様の周りは穏やかで、落ち着きますから。」

 「けれど、九州の術者学校の入学試験とは、かなりの難関なのだろう?勉強はさぞ大変だろう。」

 「ええ、まあ。ですが今は、学べる事の有難さの方が大きいです。今までの生活では手に入るはずもないものだったので。」

 「偉いですね。私は座って勉強するのは向きませんから、それだけで尊敬します。」

 「ええ?ふふ。武士の皆さんて面白いですね。」

妙の笑い声は心地よい。あの妙が素直に笑えるようになったと思うと、在仁は心が温かくなった。

 「試験はいつなんです?」

 「とりあえず四月で、落ちたらまた九月に受けます。年に二回あるんですよ。術者学校は年齢も様々ですし、何年も受験している人は多いんです。超難関ですから、受かるまでチャレンジするのは大前提なんですよ。」

 「え、凄いですね。じゃあ、もし妙さまが入試一発合格したら、伝説になるんじゃないですか?」

 「一発は無理ですよ。そもそも一発合格した人はそれだけで有名人ですから。」

苦笑した妙は、皆の期待を感じてちょいとプレッシャーを感じたのかも知れない。何となく話の矛先を逸らすようにして、別の事を言った。

 「煤竹先生の話では、かつて伝説の学生がいたらしいです。入学試験は満点トップで一発合格。在学中の試験も常に満点。論文の多くが表彰されて、沢山のスカウトが殺到したそうです。今でも、その人を超す成績の人はいないのだそうです。もし術者として生きていたならば、絶対に地龍イチの術者になったはずだそうです。」

 「へぇ、どこの世界にも天才っているんですね。で、その人、今はどうしているんですか?」

 「分からないそうです。卒業と同時に姿を消してしまったって。その所為もあって、伝説になっているんだそうです。」

 「え~、それは伝説に残りますね。誰もが羨む能力を、実は当人は価値を見出していないって事は、よくある事ですが…。実に勿体ないですね。」

 上手く話が逸れた事で、妙が安堵したような気配がした。在仁はそのまま、皆の声を聞きながら、本当に眠ってしまったのだった。


 ◆


 在仁がすやすやお昼寝タイムとなった頃、樹海では。

 紅とみよの二人には、東と夜鷹の二人が護衛としてついている。茉莉とのばらは過剰戦力と自己判断して、南斗棕櫚探しの第二班となった。

東たちと別れて樹海を二人で歩きながら、何となくヤシの葉みたいなヤツを探す。

 「たしか、六枚の葉っぱの…。」

茉莉は緑の草たちに目を凝らしながら、目的の南斗棕櫚の特徴を唱えていた。

 そこへ、のばらが呼んだ。

 「あの、茉莉様。」

 「んー?」

茉莉とのばらも手分けした方が早いが、南斗棕櫚がどんなものか分からないので、一応二人で探している。二人は動きやすい私服だが、何かあっても良いように武装はしっかりしている。

 茉莉は南斗棕櫚を探しながら生返事をしたが、のばらが何も言わないので、なんだろうと思って振り向いた。すると、のばらはじっと茉莉を見ていた。

 「どした?」

びっくりした茉莉が問うと、のばらは思いつめた顔で言った。

 「私の事、怒ってませんか?」

 「なんで?」

 「だって、紫微星様が怪我をしたのは、私を庇ったからです。私がもっとしっかりしてれば…。もしくは、私が…。」

もしくは私があの時攻撃を受けていれば紫微星様は怪我をしなかったのに。と言おうとして飲み込んだ。茉莉はそれを察して返した。

 「やめてよ。もし白鳥(しらとり)様が怪我してたら、在仁号泣して今頃立ち直れないどん底にいますよ。在仁が誰かを庇って怪我をするなんて、今に始まった事じゃないんです。だから北辰(ほくしん)隊が結成されたようなもんですよ。紅葉(もみじ)さんなんか、無茶する在仁から在仁を守るって豪語してますから。あれだけの精鋭が六人もついてたって、この体たらくですよ?在仁を守るのは楽じゃないですよ。」

肩を竦めたポーズをした茉莉は、のばらの呵責を鼻で笑うように樹海の奥を見た。

 「責任感じる事ないです。在仁は好きでやってるんで。怪我したって懲りないんです。今回だって、痛い思いしたけど、絶対に懲りてないですよ。そういう人なんです。」

過去何度も怒られて厳罰に処されて、でも繰り返すのだ。もう在仁をどうこうするのは無理だ。茉莉はのばらが元気でここにいるのだから、在仁を責める訳にもいかない。望むのは誰も怪我をしない事だったが、言っても仕方ない。茉莉の諦めに、のばらは引き下がらなかった。

 「でも…。私は司法局員で、他の人とは違います。本来は守る立場なのに…。」

責められて然るべきと示すのばらを置いて、茉莉は歩き出した。のばらはその背を追いながら、一応南斗棕櫚を探した。

 「じゃあ、次は無しって事で。」

 「え?」

 「反省してるなら、生かしてくれれば良いと思います。白鳥様は生きてるんで。」

振り向いてにこっと笑った茉莉に、のばらはびっくりした。生きてるから、と言う言葉の重さがのばらに刺さった。茉莉は戦を勝ち抜いた最強の武士だ。多くの死を知り、生き抜いた。そこにある生死の重さは、のばらが思うよりも遥かに重いはずだ。

 「分かりました。反省を生かして、成長します。」

 「在仁が望む星影になって下さい。側にいて介助するよりも、在仁はその方が喜びます。」

誰よりも在仁を理解する妻、という自然な口調で言われると、のばらはじわじわと納得した。

 「そうですか。日下(くさか)部長にも、そう言われました。」

 のばらは、今回の失態を恥じて処罰を求めた。けれど(みさご)は不要とした。在仁に恩を感じるならば仕事で返す方が良いと。それではのばらに何の損も無い。した事の報いが無い事を良しとしなかったのばらは、自ら休職処分にしてくれと頼んで、強引に休んで在仁の元に来たのだ。鶚は仕方なく許可した上で、決して在仁に迷惑をかけないようにと厳しく言った。

こういう経緯であるから、すべて自己満足の欺瞞っぽいと言う自覚はあって。のばらは何をやっても駄目駄目だなと自覚した。

 「今の司法局って忙しいですよね。日下様、白鳥様に抜けられるの、痛かったんじゃないですか?」

 「まさか。元より紫微星様の同行担当なので、捜査要員として重要なポジションじゃないですし。休職処分中のはずの今だって、紫微星様の様子を報告する義務があるので、日下部長からしたら、職務内なのかも知れません。」

二人で話しながら植物を見遣るが、正直植物の知識造詣が無さ過ぎて、全部同じに見える。実に不適格な要員である。

 「あ~、仕事人間ですもんね、日下様。どこが好きなんですか?」

 「へ?」

急に問われたのばらが、素の声を漏らした。見れば、茉莉は少女のような純粋な笑みだ。ただコイバナしたいだけ、という楽しそうな顔に、のばらは心を許さない事は出来なかった。茉莉は絶世の美女で、それでいて良い子だ。こんな子を嫌いな人はいないだろう。紫微星様の最愛となるのに相応しい。そう思った。

 「言ったじゃないですか、私前はヤンチャだったって。日下部長は、おやじ狩りって言うか、カツアゲの対象だったんです。でもま、あっちはプロでこっちは小娘なんで、あっさり負けました。その時、あの人、本気で怒ったんですよ。私、知らない人に説教されたの初めてで、正直変な大人だなって思いました。でも後からじわじわと、それって凄い事だなって思って。家族でも無い人が、私の事を心配してくれたんだって思ったら、世の中にはそういう良い人もいるんだなぁって。そういうの格好良いかもって。単純なんで、憧れたんです。」

 「それで司法局に入ったんですか?」

 「そうです。試験は結構大変でしたけど、正直人気ない仕事なんで倍率は大した事無いんですよ。だから私程度でも就職出来たんです。それで運よく部下になれました。」

謙遜するのばらの意見をどこまで真に受けて良いのか分からない茉莉は、曖昧に頷いておいた。多分、一念発起して司法局に就職した事も、第一取締部に配属された事も、結構凄い事だ。優秀なんだろう。茉莉は謙虚は美徳かな、と思ってのばらを見た。背筋が伸びていて、自信のある立ち姿。凛として美しい。

 「好きな人と同じ職場って、なんか楽しそう。」

 職場恋愛なんて想像するだけでときめきを禁じ得ない。茉莉は自分に当てはめようと思ったら、在仁が逢初(あいぞめ)の弟子時代に仮に胡粉(ごふん)小隊に所属していた事を思い出した。当時の在仁は胡粉の制服を着ていた。思えばあれは一種の職場恋愛だったかも知れない。うんうん、楽しかったな、職場恋愛。思い出し笑いで問うと、のばらは苦笑した。

 「あっちは上司で、こっちは部下ですよ。見限られないように必死にくらいついているだけで、実際はジタバタして無様なばっかりですよ。目標はまだ遥か遠くって感じです。」

 鶚の恋人、という望みは幻想っぽい。だから現実的な目標は、鶚の腹心的な部下になる事だ。そのためには努力あるのみ。

だが今は休職処分中だ。のばらは現実と理想の差にちょっと心折れかけ。

 「私、応援してますね。白鳥様の事。」

 そこへ、茉莉の純粋な激励。のばらは何だか物凄く嬉しかった。のばらの恋は厳しい。誰に言っても、こんなに素直に背を押された事は無い。大変だね…という哀れみみたいな感じだ。だから、茉莉の気持ちが嬉しかった。

 「ありがとうございます。あと、のばら、で良いです。」

 「そうですか?じゃあ年上だし、のばら、さん。で。」

にっこり。

 「うわぁ…可愛い。茉莉様、それ反則ですよ。」

 「何ですか、それ。私も茉莉で良いですよ。もう友だちって事で良いですよね?」

 「ええ?本当ですか?じゃあ、敬語も無しで。」

 「おっけ。」

女子は意気投合したら早い。もうすっかり友だちのテンションで、茉莉とのばらは気楽に話しながら歩き出した。

 「って言うか、南斗棕櫚、全然見つからないね。」

 「そもそも、どれを見ても同じ葉っぱに見えるから見逃してる可能性がある。」

 「わかる。別働の意味なかったかも。戻る?」

 「う~ん。もうちょっと奥まで行ってみてからにしようか。何となく、あっちの方が鬱蒼として見えるし。」

 「確かに。じゃあ、あの辺探してから戻ろう。」

指さしたのは大分奥だ。踏み分けて歩いて行くも、近付いたらそう鬱蒼ともしていない、これは視覚マジックか。

 「わからん。」

もうやめよう、そう言おうとした時、のばらと茉莉の視界を何かがかすめた。

 「?」

 「今、見た?」

問われたのばらは、もう一度目を凝らした。今はもう見えないが、さっき一瞬だけ、黒い人影が見えた気がした。

 「誰かいる?」

誰か、いるはずがないのだ。ここは立ち入り申請必須の他領で、本日は茉莉たちしかいないはずなのだから。

だがのばらは、確かに人っぽい姿を見たような気がする。もしかしたら『昼』の人間だろうか。もしくは、自殺の名所とかいう触れ込みを信じれば幽霊と言う線もあるのか。それはそれで面倒だから放っておこうか。迷いながら茉莉を見ると、茉莉は真剣な顔で気配を探っていた。

 「…黒装束に見えたわ。」

 「え?」

 茉莉の方がのばらよりも遥かに動体視力が良い。対象をはっきりと視認していたのか。

 「黒装束って、晦冥教徒ですか?」

つい小さな声になったのばらに、茉莉は頷いた。

 「追いかけよう。」

 同意を待たずに茉莉が人影が消えていった方へ向かった。のばらはそれを追いながら、鶚に一応報告メールを送っておいた。

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