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446 略奪の事

 在仁は昨日の内に早速、頼優(よりまさ)に文を出した。

 (かなめ)の容姿が、今は無き九州の大商家・(やぐら)家の子息虎太郎(こたろう)に酷似していると言う事に触れ、要の出自について話したいと言う内容だ。経緯はどうあれ、今を充実させて生きている要に水を差すつもりは無く、どのように話せば良いものか。そうした迷いを含ませて、頼優に相談する形の文であるから、そう急ぐでも無いやんわりとした雰囲気だったはず。

 けれど、頼優からは昨日の内に速達が如き速さで返信が届いた。かつてない速度のレスポンスに、在仁はびっくりした。

 そしてその内容にも驚いた。

 すぐにでも話を聞きたいので、最速で都合をつけて欲しいと言うのだ。

 そうと言われれば在仁だって全ての予定を繰り合わせて、明日の朝伺いますと返そうと言うものだ。

 もうメールでやり取りした方が良いんでないか、という速度のやりとりに、文を届ける者も大変だ。在仁の速攻で出した文に、取って返すように頼優が返事を託した。

 内容は、明日の九時に転移扉の前に要を迎えに行かせます、というもの。

 と、言う事で在仁たちは本日、朝九時に鎌倉の転移扉前で待ち合わせをしたのだ。

 「要様を迎えに寄越すって事は、要様はもう話の内容をご存知って事?」

時刻は待ち合わせの十分前。在仁は、茉莉(まつり)北辰(ほくしん)隊武士とのばらを連れて到着した。茉莉はまだ要がいないなと思って言った。

 「そうみたい。頼優様に、どういう風に要様にお話しさせて頂けば良いでしょうかって相談したつもりだったんだけど、頼優様はそのまま丸っと要様に共有なさったみたいだから。」

 「ええ?気遣ったのに、無意味だったって事?」

 「そうかも。頼優様と要様の間に秘密なんか何もないのかもね。」

 要は戦災孤児と言われているが、実際は出自不明の孤児だった。出自に触れる事で要を傷つける事は本意ではない。(みさご)もそれを繊細なゾーンだと思ったから、在仁に託したのだ。在仁も自分の過去を思い出しても、自分のルーツを知る事の痛みはよく分かる。だからこそ、頼優に相談したのだ。だが、頼優は速攻で要に共有したのだろう。でないとあの手紙の返事の速さはあり得ない。もう一緒に読んでいたくらいの速度だ。

頼優には重みも影も無く、単純に要の出自が分かる事を喜んでいる様子であったから、返って気を遣って損したかも知れない。

 「頼優様って、要様の顔を治せるかもって相談した時も、早かったよね。」

 「だったねぇ。要様の事になると、我を忘れちゃうのかも。」

 要関連の事には前のめり感が半端ない。しかも物凄く純粋で単純な喜び方をする。要の顔が治った事を喜ぶ頼優を思い出すと、在仁は何だか不敬にも可愛いなと思ってしまったり。

 「要様が大好きなんだね。」

 「ね。」

 茉莉と在仁が話しながら待っていると、時刻は約束の九時だ。

 「来ないわね。」

(あずま)が時計を見て首を傾げた。

要は真面目で、時間を違えた事など無い。むしろ物凄く早く来ている方が要らしい。だから約束の時刻に現れないとなると、不安になる。

 「俺、時間を間違えておりましたでしょうか?」

要が時間を間違えるはずがない。在仁はすぐに自分を疑った。だが、東が首を振った。

 「いいえ。胡桃(くるみ)ちゃんにも確認したし、間違っていないはずよ。」

胡桃も時間を間違えるはずがない。在仁は何だか嫌な予感がした。

 「けほ…。」

暖かいセーターに厚手のコートとマフラーの完全防備の在仁が咳くと、茉莉はその背を撫でながら言った。

 「寝坊したんじゃないの?」

 「要が?ジャスミンちゃんじゃあるまいし。」

茉莉と一緒にするな。東の言葉には優しさが無く、なんとなく今は冗談を言っている雰囲気では無かった。

待ち合わせで待ちぼうけなんて、世の中では珍しい事でも無かろうが、相手が要となると不安だ。佐長(すけなが)は時計の秒針が過ぎていくのを見ながら言った。

 「先日、襲われた件も、犯人はまだ捕まっていない。何かあったのだろうか。」

 そうだ。要は先日往来で襲われて怪我をした。のばらが鶚に報告して捜査中だが、まだ犯人は捕まっていない。それを思い出すと、何かある可能性が高まってしまって不安が膨らむ。

 「もう少しだけ待ってみて、来なかったら、向かいましょう。遅刻なら途中で会うかも知れないし。」

ここでこうしていても仕方ない。東は十分だけ待って、それから頼優が待つ源氏本家へ向かう事にした。


 ◆


 結局、要は現れなかった。

在仁たちはとりあえず予定通り、源氏本家へ向かって歩き出した。源氏本家まで徒歩圏内。道もそう選択肢が無いので、一番広い道を選んでいけば、途中で要に会うかも知れない。

時間に遅れてやってきた要を揶揄って笑う事を想像するのは、不安を払拭するためだ。

 「どうしたんだろうね。要様。」

 茉莉が在仁の手を引きながら歩いて行く。絡めた在仁の指先はやけに冷えていて、茉莉はふと在仁を見上げた。さっきからずっとだんまりだ。

 「どうした?」

闇色の瞳が、何か曖昧で不穏なものを掴もうとしているように、揺れていた。

 「茉莉…俺…。」

何かを言おうと口を開いた時、前方からやってきた人物が声をかけた。

 「紫微星(しびせい)様!」

要か?皆が反射でそう願って捉えたのは、頼優だった。

 「頼優様!」

在仁が茉莉の指を解いて頼優に駆け寄るのを、すぐに茉莉が追った。

 「紫微星様。予定より遅いので、何かあったのかと思いましたよ。」

要も時間正確だが、在仁もそうだ。九時に転移扉で待ち合わせならば、その少し前には要と合流して源氏本家へ向かっているはず。それならば、とっくに着いているはずの時間だ。

普段時間に正確な者が遅れると、何かあったのではないかと、誰でも思う。だから頼優は、在仁に何かあったのかと不安になって自ら迎えに来たのだ。

 無事な在仁を見て、頼優が安堵の笑みを向けた。けれど、在仁は笑えなかった。茉莉が頼優に向かって言った。

 「何かあったのは在仁じゃありません。要様がいないんですけど、何かあったんですか?」

 「え?」

 「時間になっても要様が来なくて、だから少し待っていたんです。それで遅くなりました。頼優様は要様にお迎えを命じたんじゃないんですか?」

事情を説明する茉莉に、頼優の表情が固まった。その顔には、全く心当たりがないと書いてあった。

 「そうです。私は確かに要に、今日の朝九時に紫微星様をお迎えに転移扉まで行くようにと命じました。昨夜も、仕事が終わった時に最終確認で念押ししました。今日は朝出勤しないで良いから、直接迎えに行くようにと。」

昨日の事を思い出しながら言う頼優に、在仁は不安げな視線を向けた。

 「昨夜お別れになってから、要様とご連絡はとられておられないのでございますか?」

 「え?そう、ですね。さっき、紫微星様の御到着が遅いと思った際に、要の携帯端末にメッセージを送りましたが返答は無く。それで心配になって見に…。」

言いながら、頼優の顔色が悪くなってきた。

空気が張り詰めたのは、明らかにおかしいと分かったからだ。それを口にしたのは、のばらだった。

 「つまり、要様は昨夜から今朝までの間に失踪したと。」

 はっきりと言われると、頼優が目を見開いた。

 「そんな…。失踪?まさか、先日の襲撃犯に…。すぐに捜索を…。」

慌てて踵を返そうとした頼優は、部下に命じて要の捜索を始めるつもりだ。要の事になると周りが見えない頼優であるから、源氏を総動員して大捜索を命じるかも知れない。そう言う焦りの波形だった。

 だが、その頼優の腕を、在仁の冷たい手が掴んだ。

 「紫微星様…?」

 どうして止めるのか。頼優が振り返って在仁を見ると、在仁の闇色の瞳に深い不安が宿っていた。

 「お待ち、下さい。…もしか致しますと…要様は…攫われたのかも知れません。」

明らかに何かを考えている在仁の震える声に、頼優は心当たりがあるのではと思った。

 「紫微星様、要がどこにいるのか、分かるのですか?」

 「いえ。ですが…。まさか。しょ、少々お待ちください。ほんの少しだけ、俺にお時間を下さい。俺の考えは、あまりにも有り得ないものでございます。おそらく杞憂でございますので。無駄な確認でございますが、それでも…。」

一人で勝手に狼狽した在仁が、頼優の腕を握っていない方の手で、ポケットから携帯端末を取り出した。だが、その手が冷えている上に震えていて、携帯端末はポロっと地面に落ちた。茉莉はそれをすぐに拾った。

 「どこにかけるの?」

 問いながら、茉莉は当たり前のように在仁の携帯端末のロックを解除して、電話帳を開いた。

 「浩然(こうぜん)様に…。」

 「浩然様?結城(ゆうき)だから、ゆ、か。」

五十音順から結城浩然を見つけ出して通話にするまでの速度は、まるで使い慣れた自分の携帯端末のようだ。茉莉は携帯端末を持って在仁の耳に当ててやった。震える在仁の手では、また落としそうだ。

 皆がただ在仁のする事を黙って見ていた。その静寂の中、電話の呼び出し音が聞こえた。数回の呼び出しの末、通話になった。

 「浩然様。」

浩然が何か言うよりも早く、在仁が話し始めた。礼儀を重んじる在仁が挨拶もしないのは普通ではない。

 「申し訳ございませんが、今すぐに、櫓家の開かずの蔵を見に行ってください。」

 早口で言った在仁の意外な言葉に、全員が首を傾げたのだった。


 ◆


 浩然は鶚に頼まれた櫓家調査に行き詰っていた。

櫓家が滅んで三十余年。誰も生き残っていないのだから、調べようがない。当時の噂などを調べようにも、櫓家の開かずの蔵が伝説化している所為で、それがいつどうやって生まれた噂か分からない。人々が後で面白おかしく脚色してしまった可能性の高い、真偽不明の()寄り。噂をかき集めても意味が無い。

とは言え、戸籍などの公的な情報はもう洗った。

唯一の情報源である虎太郎の乳母は口を閉ざしている。

 さて、どうしたものか。

 浩然は捜査員ではないので、別段ノウハウなどは無い。だがとりあえず原点回帰と言う事で、開かずの蔵に向かって歩いていた。かつては我こそは開かずの蔵を開けんとして、こぞって挑んだため賑わっていたものだ。けれど今では、いっそ永劫開かないで貰った方が夢があると思われているのだろうか。誰も寄り付きもしない、寂しい場所だ。長く挑む者も無く、土埃の溜まった扉は、時代に取り残された遺物であるかのようでもあった。このまま伝説としても朽ち、存在が風化するのか。そういう侘しさを見れば、このままではいかんと奮起出来る気がした。

 その時、携帯端末が鳴った。

 「紫微星様?」

浩然が画面を見れば、着信相手は在仁だ。これまで在仁から電話がかかってきた事は無い。番号を交換したのは、九州旅行の際に一応と言う事だった。結局使われないまま電話帳で眠っている存在だったのに。

意外過ぎる相手からの電話に、浩然は慌てて通話にした。

 「浩然様!」

挨拶も無く呼びかけられた浩然は、返事をしそびれた。だが、在仁は勝手に言った。

 「申し訳ございませんが、今すぐに、櫓家の開かずの蔵を見に行ってください。」

 「え?」

 「なるはやで、お願い致します!」

急かされた浩然は走り出した。蔵はもう近い。

 「今、丁度近くにおりますので、すぐに。」

何故だろうかと思いながらも、在仁の緊迫に問えなかった。だからただ命じられたままに蔵を見に行った。

 すぐに着いた浩然は、携帯端末を耳に当てたままで、蔵の扉に近付いた。

 「紫微星様、着きました。」

 「扉が開いていないか、ご確認を。」

在仁の声が震えているように聞こえるのは、電波状況の所為だろうか。浩然は何だか物凄く嫌な予感を抱きながら、扉に手を伸ばした。

その時、気が付いた。

 「埃が…。」

 溜まっていたはずの土埃が無い。周囲を見回して見れば、土埃は掃われ、地面も踏まれた痕跡。明らかに誰かが来たと分かる。数日前に鶚と来た時は、埃だらけだった。いつ誰が来たのか。そう思いつつ、扉に手をかけた。

 この蔵は伝説級の開かずの蔵だ。開くはずが無い。

 けれど、浩然が然程力を入れずとも、扉が自然に開いた。

 「開いた…。」

 嘘でしょ?浩然は呆然として立ち尽くした。

 「浩然様。如何でございますか?」

 「…開きました。というか、開いていました。」

そう、鍵は無く、もう開いていたのだ。浩然はそっと扉の中を覗き込んだ。

 「中は如何でございますか?」

 問う在仁の声には、何かを否定するようなニュアンス。それは既に事実を知っているが、そうあって欲しくないと思っているような色。

 浩然はその声に引っ張られて、嫌な感覚が膨らんだ。それに耐えながら蔵の中を見れば、そこには…。

 「何も、ありません。」

 蔵の中は、空っぽだ。

嘘だろ?櫓家の開かずの蔵には、結城家を凌ぐ財があるはずなのに。浩然は空の蔵に足を踏み入れようとした。けれど、そこで端と気付いた。

 蔵の床に、梟のマークが描かれていたのだ。

 「紫微星様、晦冥教の印が…。空の蔵に、晦冥教の印だけがあります。」

 一体、どういう事だ。


 ◆


 浩然の言葉は、皆にも聞こえていた。

 「どういう事?」

茉莉が問うと、在仁は震える唇で言った。

 「要様は晦冥教に誘拐されたのでございます。蔵を開くために。」

信じたくない。だが認めざるを得ない。在仁の苦悶に、頼優が眉を寄せた。

 「晦冥教に?何故です?」

頼優の腕を握ったままの在仁の手が冷たかった。

 「要様の御顔をご覧になられ、櫓虎太郎様でございます事に気が付きましたのは、俺たちだけではなかったのでございます。」

通話の向こうの浩然も、黙って在仁の言葉を聞いていた。

 「櫓家御当主・亮厳(りょうげん)様は、翡翠眼(ひすい)を所持なさっておられました。それは、蜻蛉(かげろう)だったのでございましょう。そしてあの蔵の財は、晦冥教の資金だったのでございましょう。昨今の捜査により、晦冥教の資金源は絶たれ、多くの財が押収されております。これまではあの開かずの蔵の中身が欲しかろうと、他の資金がございましたが、今は資金不足でございますから。どうしても必要だったのでございましょう。ですから、蔵の鍵でございます櫓虎太郎様を攫い、蔵を開いたのでございます。」

 「つまり、要殿は本物の櫓虎太郎だったと言う事ですか…。」

浩然の呟きに、在仁は皮肉だと思った。要の出自を知る事は、もっと喜ばしい事であって欲しかった。だから伝え方に気を遣ったのだ。なのに、まさかこんな方法だなんて。

 「俺が思いますに、数日前に要様が襲撃されたのも、晦冥教徒によるものと。生体認証鍵の開錠を試みるために、要様の血液を採取なさったのではございませんでしょうか。なれど、血液だけでは開かなかった。故にご本人様を誘拐したのでございます。」

 「まさか。要を襲ったのが晦冥教徒?そんな…私がもっと警戒して護衛でもつけていれば、誘拐される事なんか…。」

頼優の自省と悔恨に、在仁は何も言わなかったが、それは無理だと思った。要の立場は一介の文官風情だ。頼優のお気に入りである事は後ろ盾であると同時に、やっかみの原因であるから、危うい地盤の上に立っている。そんな要に護衛をつけるなんて、有り得ない。護衛だってやりたくないのだから、嫌味を言って問題を起しそうだ。

だが今の頼優は冷静さが無いので、そんな事まで考えが至るはずが無い。

 「要を取り戻さねば。すぐに司法局に連絡をして、大規模な捜索隊を…。」

 言った頼優の腕を、在仁の冷たい手が強く引いた。

 「いけません。頼優様。この件の捜査を、敵に気取られてはなりません。」

はっきりと「敵」と言ったその声の厳しさに、全員がぴりっとした。普段人に命じる事のない在仁がそうする時、それは本気の時だ。

 「良いですか。要様は敵の手中にございます。生かすも殺すも敵の自由でございますれば、刺激してはなりません。無事に要様を取り戻すためには、密かに動きませんと。」

言われた頼優は、引いていた腕から力を抜いた。在仁の意見を真剣に聞いているのは、要を取り戻す為には在仁の意見が重要だと思ったからだろう。在仁は腕を掴んだまま、電話の向こうの浩然に訊いた。

 「浩然様、蔵の扉は閉じていたのでございますか?」

 「そうです。」

 「あたかも、これまで通り、開かずの蔵であるかのように。」

 「ええ。」

 「では、そのまま扉を閉じておいてください。おそらく犯人は、蔵が開いた事が露見する可能性が低いと思っているはずでございます。こちらがそれを知った事を、知られぬように、そっとしておいてください。」

 「分かりました。」

飽くまで密かに動くべきと言う在仁は、空の蔵をそっとしておけと言う。

 「要様を人質と致しますれば、こちらの捜査の手が伸びる事で、邪魔になって殺めてしまうやも知れません。」

人質は価値が無くなれば廃棄されるものだ。在仁が闇色の瞳で深い闇を見つめた。要の生殺与奪権は晦冥教にある。頼優は今すぐに助け出したい焦りを押し殺して訊いた。

 「要は、金のために攫われたのですか。では蔵を開いた以上、もう必要ないのでは?」

人質と言っても、身代金を要求するやつではない。蔵を開く鍵として要を必要としたのだから、もう用事は済んだはず。だったら手元に置いておく意味はない。頼優の意見に、在仁は首を振った。

 「だからと致しまして、無事に帰してくださる由は、ございませんでしょう。」

 「じゃあ、もしかしたらもう…。」

 もう殺されてしまったのでは…?茉莉が言おうとして止めた言葉を想像すると、全員がゾクっとした。

そこへ、冷静な捜査員であるのばらが手を挙げた。

 「何か要様を探す手立てはないのですか?」

のばらに問われて頼優が思い出した。

 「…霊石。要の霊石があります。」

在仁が頼優の腕を離すと、頼優はポケットから鍵を取り出し、そこに付けていたキーホルダーの守り袋を開いた。

 「以前に無理やり作らせたのですが…。」

霊石は術力を固めた物で、術力の持ち主の生存確認が可能だ。大昔ならば、主従関係であれば従者が主に渡している事があったが。今はもう廃れた古典的な代物。頼優がそれを要に強要したとしたら、余程の心配性か執着か。皆が少々引きながら見ているものの、霊石があれば要の居場所が分かるかも知れない。霊石が術力の持ち主である要と引き合い、座標を割り出す事は可能のはずだ。一気に期待が高まった。

 だが、頼優が袋から取り出した霊石は、真っ黒だった。

 「あっ…。」

素手で掴んだ頼優が霊石を落としたのは、指先に痛みを覚えたからだ。

 地面に落ちた霊石は壊れはしなかったが、真っ黒で、嫌な靄を帯びていた。

 「呪い…。」

 呟いた在仁の言葉に、全員がヒヤっとした。そして在仁はハンカチで霊石を拾った。それを見下ろした東が顔をしかめた。

 「死んではいないようだけど…。無事かは分からないって訳ね。」

 要の霊石は要の現状を示している。真っ黒であるという事は、要が今そういう場所にいるとか、そういう意味なのだろう。ただ、霊石は壊れていないし、消えてもいない。確実に要は生きていると分かる。皆の顔色がますます悪くなっていく中、のばらが在仁に手をさし出した。

 「その状態の霊石では居場所を探知する事は出来ないかも知れませんが、司法局の陰陽師に依頼してみます。鎌倉様、お預かりしても?」

 「ええ。是非お願いします。」

頼優が了承して一礼すると、在仁はハンカチごとのばらに託した。

 「白鳥(しらとり)様。この件を日下(くさか)様にご報告の際、くれぐれもご内密にとお伝えを。」

 「分かっています。晦冥教案件で重要なのは、相手に気取られずに忍び寄る事ですから。」

これまでも、山梔子(くちなし)家の件、救済院の件、密かな捜査で敵に迫った。晦冥教案件の対処法は、もう十分に心得ているのだ。

 「浩然様も、どうかお願いいたします。」

 「分かりました。」

 在仁が頷いて、茉莉はそこで通話を切った。

 そしてすぐにのばらが動き出した。在仁はそれを見送ってから、頼優に向かって言った。

 「頼優様も、要様ご不在の事を疑われぬように、普段通りにお過ごしを。」

 その無理な要求に反論したのは茉莉だ。

 「でも、要様がいなくなったんだよ?みんな大騒ぎでしょ?隠せないんじゃない?」

人一人いなくなったのに、それを放置するなんて返っておかしいだろう。茉莉が声を荒げるも、在仁は厳しい表情で言った。

 「いや。要様が頼優様にとってどれだけ大切な御方かを本当の意味でご存じの御方はごく僅かなんじゃないかな。客観的に見て、要様は戦災孤児の出で天涯孤独で何の後ろ盾も無い文官風情。頼優様のご気分一つで簡単に居場所を失う程度の、取るに足らない存在だ。特に最近は、お顔の所為で言い寄るお方が激増している。突然いなくなったからって、ハニトラにかかって足を踏み外したとか、より好条件の雇用先を見つけて鞍替えしたとか、真実の愛を見つけて逃避行したとか、どうとでも言われて捨て置かれるのが関の山だ。頼優様が大きく騒ぎ立てて探させる方が、御家臣様方の癇に障るくらいだ。」

 「そんな…言い方。」

頼優の前でそんな事を言わずとも良かろう。茉莉が戸惑って頼優を見れば、頼優は真面目な顔で頷いた。

 「分かりました。そういう体でいけば良いのですね。」

 「頼優様にはさぞご心痛と存じますが、今はそのようにお振舞を。」

対外的に不自然でない方法で、出来るだけ事を大きくしない。在仁はそのために考えを巡らせていた。

 まさか要がいなくなって捨て置く頼優ではない。だが今は要の不在を不自然に思われないように振る舞うしかない。

 「でも、どうやって要様を取り戻すの?」

だからとして、要を取り戻すための方法は不明だ。

 十二月の往来に吹き抜けた冷たい風が、在仁の頬を撫でた。

 「けほ…。どちらにせよ、この状況を長引かせる事は出来ません。短時間で要様を奪還する事を最優先に、出来る事を致しましょう。」

 要の安否を思えば、時間をかける事は出来ない。

 在仁の覚悟に引っ張られて、皆が腹を決めた。

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