445 出自の事
幸衡への報告業務を終えた茉莉は、仕事中だが在仁の仕事場である書斎を訪ねる事にした。
藤原本家に来たら、在仁の書斎に寄って顔を見ねば。多くの者がそう思って入れ替わり立ち替わり寄るものだから、在仁の書斎はすっかりカフェになってしまっている。最近では大体なんでも揃っていて、注文したドリンクが出て来るから恐ろしい。
ルンルンと鼻歌でも歌ってしまいそうに上機嫌の茉莉は、在仁に会ったらまず抱きしめて甘えてなでなでして貰おうっと想像した。
「とんとーん」
口でノックした茉莉は、在仁の返答を待たずに扉を開いた。
すると、そこには鶚が随分と難しい顔をして座っていた。
「あら、先客。日下様、こんにちは。」
何やら超真面目モードだ。いや鶚はいつだって真面目モード。在仁を訪ねて奥州まで来るのに、遊びという事は無い。現在の司法局は晦冥教案件を取り仕切っていて超忙しいはずだ。各家門への立ち入り調査は大がかりな仕事だし、その所為でどこもクリスマスも忘れる程に忙しいと言うのだから、司法局はさもありなん。
だから鶚の真面目な顔はいつもよりもシリアスなのだろう。
茉莉は状況を察しつつ、入室して良いか尋ねるように部屋の中を指さした。
「どうぞ。」
端的な鶚の了承に、茉莉が部屋に入ると、在仁は優しい笑みで手招きしていた。
「どうしたの?捜査に進展があったんですか?」
茉莉は在仁の隣に座りながら訊いた。部屋に入って見れば、そこには胡桃、恵、真赭、そして北辰隊武士たち。何か皆いるなと分かれば、鶚の話が重要案件ではと思うのは当然だ。
「いいえ。特段の進展は無く、申し訳ありません。」
生真面目に謝る鶚に、茉莉が首を傾げた。だったら何をしに来たのかと。
茉莉の前に恵がカフェオレを置いた。茉莉は会釈をして一口。美味い。流石だ。美味しさに一瞬気を取られた時、在仁が解説した。
「日下様、今、櫓家について調べているんだって。」
「やぐらけ~?え、あ、櫓家?あの開かずの蔵の?」
聞いた瞬間なんだっけと思ったが、すぐに思い出した。櫓家と言えば、九州にある開かずの蔵だ。開かずの蔵愛好家垂涎の伝説の開かずの蔵。なんだそりゃ。茉莉は蔵の姿を思い出して鶚を見た。
「何でまた?」
何で鶚が櫓家を調べるのだろうか。茉莉が問うと、鶚が話し出した。
「以前に、紫微星様から、櫓家当主・亮厳が翡翠眼を所持していたと伺いました。現在、翡翠眼の在処を探していますが、杳として掴めません。ですから、過去の蜻蛉の動向を把握する事で、潜伏傾向が分かるのではと考えました。」
「わぁ、呪いをプロファイルしようとしてるぅ。やっべー。」
頭おかしいんか。茉莉の感想に、鶚はノーリアクションだった。そういうのには慣れている。鶚の捜査は変遷の紐解きが多い。それは途方もなく、無駄足も多い。効率の良いやり方ではないため、司法局員たちも鶚のやり方には懐疑的だ。それでも鴎音捜査には役立った。とは言えだ、過去に実績があろうとも、今回は相手が人ではない。蜻蛉は呪いだ。それをまるで擬人化してプロファイルしようなんて、荒唐無稽な捜査方針。頭がおかしいと思われるのは当然だ。それでも鶚は自分の道を曲げない。
「囀漠寺の手記にあった時代から追えば、蜻蛉は京都は長老会、そしてその次に九州は櫓家、そして京都へ戻り福島へ。その後に香川は橡家、山梔子家。その間、神出鬼没にあちこちに現れますが、それらは長期間の拠点としていたと考えられます。此度の潜伏先もまた、そうした拠点なのではと思っています。」
「蜻蛉は弱き呪いでございますから、少しの活動の後にはしっかりと休む場所が必要でございましょう。翡翠眼を安全に保管し回復出来る拠点は、絶対に必要なものでございます。もしその拠点の選定に傾向がございますならば、櫓家を紐解く事は有意義かと存じます。」
在仁が鶚の考えを肯定すると、鶚は少し微笑んだ。数少ない理解者と思ったのかも知れない。
茉莉はその微笑みに、訝し気にした。
「でも、櫓亮厳って相当な好事家だったんでしょ?その翡翠眼が蜻蛉とは限らないわ。」
「まさしく、その通りと。」
ずばり。鶚は深く頷いた。
「それも、櫓家を調べる事で分かるやも知れないと思っております。」
「まぁ、そうかも知れないけど。忙しいのに、余計な事する余裕あるんですね。」
何か想像した感じと違うな。茉莉は鶚がもっと疲労困憊かと持ったのに、何やら面倒くさそうな風呂敷を広げているではないか。そういうのは暇が無いと出来ないと思うが。
「兄が協力をしてくれていますので。」
「浩然様が?ああ、情報源だものね。」
元はと言えば、櫓家の話をしたのは浩然だ。翡翠眼と言い出したのも浩然であるから、在仁はこの件を調べたかったら浩然に問い合わせるようにと言ったのだ。だから鶚が浩然に協力要請したのは分かるが。
「没交渉なんじゃ?」
鶚と浩然は兄弟仲が良かったんだっけか?バーベキュー大会などで同席しているとは言え、関わっている様子を記憶していない。廃された家の生き残った兄弟は、生き別れが如く別々の家に引き取られて、そのまま音信を断った…のでは。
茉莉が在仁を見上げると、在仁も興味深そうに鶚を見た。だが鶚はその視線にもノーリアクションだ。浩然との兄弟仲についてはノーコメントで。口を割る気の無さそうな被疑者に、在仁は諦めた。
「浩然様の御協力がございます事は頼もしゅうございます。して、何かお分かりになられましたか?」
浩然は有能AIだから信頼できる。それに櫓家は九州だ。遠いので、単純に現地捜査員がいるのは有難い。在仁の問いを聞いて、茉莉は本題はこれからなのだと理解した。来たのは丁度良いタイミングだったのだ。
◆
櫓虎太郎の乳母に門前払いに遭った鶚は、再び浩然と合流した。
浩然は鶚の依頼によって、櫓家について調査を続けていた。
別段人目を忍ぶ理由がある訳ではないが、二人は喫茶店の奥まった席を選んで座り、声のボリュームを落として話した。
九州では「日下」は汚職で廃された象徴的な悪。その生き残りの兄弟がこそこそと密談するのは、何だか良く無い見た目だったが、今更二人を一目見て「日下」と知る者もおらず、問題は無かった。
「忙しいのではないか。余計な事に付き合わせてすまない。」
司法局の捜査指揮下に入った全家門は、家門内への立ち入り調査対応で大忙しだ。実際結城家も、調査協力と傘下の反発の抑えで手一杯。その原因たる司法局員である鶚が案じる謎のねじれに、浩然は妙な矛盾を感じつつ首を振った。
「私は問題ない。それに、これも立派な捜査だろう。司法局に協力するのは当然だ。」
晦冥教案件捜査は司法局に全権が委ねられている。鶚の捜査協力を拒む権利は無いのだ。浩然がそれをして言えば、鶚は無表情で頷いた。
兄弟の情で付き合っていると言えば良かったのだろうか、浩然は少しよぎったが、今更と言う気がした。
少しの沈黙を経て、鶚が言った。
「例の女性の家を訪ねた。やはり門前払いだったが、分かった事がひとつ。女性は虎太郎の乳母だった。」
「乳母?では虎太郎の乳母に、虎太郎を引き取らせて育てさせていたと?」
「さてな。何故、乳母が虎太郎を戸籍に入れていたのかは不明だ。」
二人はその理由を、虎太郎を守るためだったと推察している。
藤十郎の兄たちは悉く不審死を遂げ、妾腹で末子の藤十郎だけが残された。それにより盛大な繰り上がりで亮厳の後継者になった。その事に不安を抱いた藤十郎は、自分の子息・虎太郎を不審死から守るために、櫓家の籍に入れなかったのではないか。
そして、結果的に藤十郎までもが不審死を遂げ、隠されていたはずの虎太郎が、亮厳の子として後継者に指名された。
その結果を照らせば、藤十郎が警戒していたのは、亮厳ではないかと想像できる。亮厳は、虎太郎を手にするために、藤十郎を殺したのではないかとも。
紆余曲折の末、櫓家を終わらせたのは亮厳だった。親族家人を鏖にして屋敷を焼き自死。その狂気を思えば、子息たちの不審死もまた、亮厳の手に寄ると言う推察には説得力が生まれた。
「乳母が生きていると言う事は、櫓家から逃げ延びたと言う事だろうか。」
「私の問いに、知らないではなく、話したくないと言った。確実に何かを知っているのだろう。」
乳母から洗いざらい吐かせるのが手っ取り早い。だが司法局はそういう組織ではない。犯人でもなく、まして容疑者でもない民間人を締め上げるような組織であれば、清浄と正常には程遠い。在仁に顔向けできない生き方をする鶚ではない。
「話す気になるよう仕向けるか。」
「どうやって?」
思案する鶚に、浩然はそんな方法があろうかと首をひねった。
「核心に迫る情報の欠片があれば、それをチラつかせる事で、向こうの反応を見る。より動揺する方へ話を向けて行けば、もう少し何か吐きそうな気はする。」
「はぁ、何だか心理戦だな。どっちにしろ、玄関扉を開いて貰わない事には、話になどなるまい。」
乳母は扉を開く事無く応対している。あの扉は乳母の心の扉だ。あの扉が開きさえすれば、乳母は全てを話してくれるのではないか。浩然はそんな風に思いながらも、その方法は分からなかった。
「三十年余り昔の事で、公的書類から読み取れる情報は少なく、真偽不確かな噂は山ほどある。見つかった生存者はあの乳母だけだ。この状況で、乳母の心を動かす材料などあるか?」
分からないから教えて欲しいのに、何か核心に迫る情報をチラつかせろだなんて、そんな情報は無い。浩然の呆れに、鶚は真面目な顔で黙った。何か考えているのだ
しばし待つと、鶚はコーヒーカップを持った。そしてそのまま飲むでもなく動きを止めて言った。
「最も知りたいのは、亮厳が所有していた翡翠眼の事だ。翡翠眼が蜻蛉であったのか、ただの美術品であったのか。それが重要だ。」
「じゃあ何か?乳母に、単刀直入にそう訊くのか?亮厳は喋る翡翠眼を持っていなかったかって?」
もう、そう訊いた方が良いかもな。浩然はコーヒーを一口飲んだ。
現在の調査では、櫓家と晦冥教との繋がりについては全く不明だ。翡翠眼のヒの字も出ない。また黙った鶚に、浩然は続けた。
「やはり話が古すぎるのだ。生存する関係者も少なすぎる。乳母が口を割らないならば、情報源は無い。まぁ、あの蔵が開けばあるいは…。」
確実なものは、乳母と蔵だ。開かずの蔵は、櫓家が残した唯一のもの。あの蔵の中には結城家を凌ぐ財があると噂されるが、実際はどうなのだろうか。開いて見ねば分からないが、何か真実を知る鍵があるかも、知れない。
「もし蔵から美術品の翡翠眼が出てくれば、これは晦冥教とは無関係だと分かるだろう。」
そういう方法もある。浩然の意見に、鶚は納得したようだ。
「確かに。だが、あの蔵は開かないのだろう。」
「そうだが。」
伝説クラスの開かずの蔵なので、開いたらという仮定自体が馬鹿らしい。浩然も無意味な事を言ってしまったとばかりに項垂れた。
何となく袋小路っぽくなった時、浩然は言いたい事を思い出した。
「そうだ。鶚。ちょっとこれを見てくれ。」
言いながら、浩然は荷物から写真を出した。古い写真はくすんでいた。
「何の写真だ?」
「昔の商工会の集まりの写真だ。見ろ、これが亮厳の父親で、隣のこの男が若かりし頃の櫓亮厳だ。」
どれどれ。鶚が老眼みたいに目を凝らしたのは、画質が悪い上にくすんでいるからだ。だが、じっと見ていると段々と容姿の判別がつき始める。鶚は亮厳の顔をじっと見つめて、じわじわと妙な既視感に襲われ始めた。
「虎太郎は、亮厳に瓜二つだったと言われている。誰もが亮厳の子だと思い込んだ程に似ていたと。だったら、虎太郎が生きていて、大人になっていたら、こんな顔になっているはずだと思わないか?」
「まぁ、そうなんだろうが。」
虎太郎は後継者の証明であるその顔を焼かれて、転移先不明の転移陣で飛ばされた。まだ幼かった子どもがそんな捨て方をされたら、どう考えても生きてはいまい。親族は子どもを殺す事に抵抗感があってそうしたのかも知れないが、どのみち殺人だ。それに激怒した亮厳が狂って、櫓家は終わった。
「鶚、私は先日、この顔によく似た者を見た。」
「なに?」
浩然が唐突に言い出した事を、鶚は写真から顔を上げて訊き返した。
「先日の大会議で地龍本家へ行った時の事だ。その者、鎌倉殿の側近秘書だと言う。」
「…ま、さか。要殿の事を、言っているのか?」
鶚はせり上がるような大きな既視感の正体に気付いて、鳥肌が立った。確かに、この写真の亮厳は、火傷痕が治った要の顔にそっくりだ。
「要?その者について知っているか?」
問われた鶚は、思い出しながら言った。
「確か、戦災孤児で、源頼経様に拾われ、育てられたと。そのまま頼優様の側近秘書になった。」
「戦災孤児か。ようするに出自は不明という事だろう?櫓家親族は、虎太郎を転移先不明の転移陣で飛ばしてしまった。それが関東の戦地であってもおかしくあるまい。」
「まさか、要殿を櫓虎太郎だと言うのか?」
問う言葉は定型だ。鶚ももうその線の濃厚さを内心では抱いている。何せ、本当に顔がそっくりなのだ。
「この顔だ。まさか他人とは思えまい。だが、そうなると顔を焼いたと言う話に矛盾が生まれるか。」
浩然が腕を組んだが、鶚は首を振って言った。
「いや。矛盾は無い。要殿は拾われた当時、顔に酷い火傷を負っていて、つい最近まで容姿すら判別出来ない程の火傷痕に覆われていた。それが治ったのは、紫微星様ルートで薬が手に入ったからだ。要殿の顔を知ったのは本人含め、ごく最近の事だ。」
ここまで条件が揃ったならば、要は櫓虎太郎なのではないか。
二人の沈黙の中に、確信が共有された。
「鶚。もし…いや、もうほぼ確定と思うが。もし要殿が櫓虎太郎ならば、あの蔵が開くのではないか?」
浩然が言うと、鶚は思案した。
「確かにそうだろうが…。事はそう単純だろうか。」
「何か問題があるか?」
「分からない。要殿の心の中の事だからな。唐突に出自を突き付けられて、受け止められるのか…。これは少々繊細な事だと私は思う。」
ううむ。今すぐに要に事情を話して蔵を開いて貰いたいのは山々だが、やはり人の心の事であるから、勝手な都合を押し付けるべきではない。それをするならば、乳母に強引な聴取をしている。
鶚の意見に、浩然は微笑んだ。
「確かに、その通りだ。」
心無い役人でなくて良かった。浩然の安堵には、兄としての親愛が垣間見えて、鶚は何となく目を逸らした。照れただけだ。
「兄さん、この話は誰にも口外せず、一旦私に預からせてくれ。」
「もちろん、構わない。だが、どうするつもりだ?」
元より鶚の手伝いであるから、指示に従って全面協力するつもりだ。それでも、浩然は鶚がどうするつもりなのか興味はあった。
「紫微星様に相談する。」
「紫微星様に?」
「ああ。紫微星様は鎌倉様とも要殿と親しいはず。要殿の出自に関わる話を、うまく伝えてくれるはずだ。」
「確かに、紫微星様ならば相手を思いやって話すだろう。適任だ。」
在仁は自らのルーツに関わる捜査を共にしてきた。鶚は当時を思い返しても、在仁には痛みを伴うものだったと思う。そうした経験を持つ在仁であるから、要の出自についても、要の気持ちに寄り添って話してくれるはずだ。
「もし要殿の協力が得られれば、蔵を開く事が出来るだろう。」
それを強制する権利は無い。これはまだ晦冥教案件ですらなく、捜査と呼ぶための名分も無い。鶚は在仁が要と交渉してくれれば、もしかしたら蔵を開く事になるかも知れないと、そう僅かに期待した。
「兄さんは、引き続き櫓家について、調べてくれるか?」
「ああ。ここまで関わって中断は気持ちが悪い。出来る限りの事はする。」
司法局員として命じるのではなく、気遣ってお願いする鶚に、浩然はもう少し答えようがあるかと思い直して付け足した。
「可愛い弟の為だ。」
言ってみたら、鶚が物凄く嫌そうな顔をした。
鶚が求めている対応とは違ったようだ。
◆
「という訳でして。」
浩然との捜査で得た情報を全て話した鶚は、例の写真を差し出した。
在仁たちは興味深く目を凝らした。
「本当だ。要様にそっくり。」
茉莉がいの一番に気付いて声を上げ、在仁も同意した。
「確かに…要様だ。」
そして写真を仲間たちにも回した。皆がそこに映っている男を、昨日見た要の顔と同じだと思った。
「拾われた状況などからも、ほぼ確定ではないかと思うのです。DNAや術力鑑定などにかけようにも、照合すべきデータがありませんので、絶対とは言えないながら、その顔が何よりの証拠ではと。」
鶚の意見に、皆も頷いた。流石に他人の空似は無理がある。
「あの時、浩然様が要様をご覧になり、他人の空似とおっしゃっておられたのは、櫓亮厳と似ていると思われたから、だったのでございますね。」
「兄は櫓亮厳を見た事があるようです。老いていたとは言え、面影があったのでしょう。」
流石は有能AIだ。それを感じ取るとは。おそらく若き亮厳の写真を探したのは、要の顔が亮厳に酷似している事を確かめたかったから、ではないだろうか。気になったら、確かめたいのは当然だ。
「うわぁ、流石は浩然様。で、どうすんの?」
どうすんの?は茉莉から在仁への問いだ。鶚は、要への説明を在仁に託す意向だ。今日の用事はこの依頼にあった訳だ。それを受けて、在仁はどうするつもりか、茉莉の問いに、在仁が真面目な顔をした。
「そう、だね。これは責任重大なミッションだ…。要様はご出自を恥じておられないし、現状に満足なさっておられる。もしかすると、櫓虎太郎様でございますとお話させて頂いても、そう驚かれないやも知れない。でも、内心でご家族やご出自に対するお気持ちが渦巻いておられないとは言えない。どう話せば要様を傷つけずに済むのかは分からないけれど、俺は要様は絶対に知るべきだと思う。」
自分のルーツを知ると知らぬとでは、何かが違うはずだ。
在仁は自らに重ねるように思案してから、ゆっくりと鶚を直視した。
「日下様、この件、しかとお引き受けいたします。なれど、まずは、頼優様に相談させてください。要様については、頼優がどなた様よりもご存知でございます。頼優様にとって要様は御家族でございますから、頼優様にも知る権利がございます。必ず頼優様のご同席の上で、お話せねばなりません。もし要様の中に思わぬ感情がございましても、きっと頼優様がお支え下さいましょう。」
頼優と要は血の繋がらない兄弟だ。在仁はずっとそう思ってきた。だから要を支えられるのは、頼優をおいて他にいない。
在仁の意見に、鶚は少し微笑んでから頷いた。鶚と浩然の兄弟を再会させたのは、在仁だ。その意図はお節介交じりであったが、純粋な好意だった。今こうして普通に捜査協力などして貰えるのは、在仁の橋渡しがあったからだ。それが無ければ、一生浩然とは縁が無かったかも知れない。
兄弟の縁を特別なものだと示唆する在仁に、鶚は納得したのだ。
「それから、要様を櫓虎太郎様でございます事を証明する唯一の方法は、あの開かずの蔵を開く事でございます。俺は是非とも、要様に自己証明のためにも、蔵を開いて頂くべきと存じます。」
「確かに。鑑定方法が無い以上、蔵を開く事よりも確かな証明はありません。」
あの開かずの蔵にかけられている難攻不落の鍵は、生体認証なのだ。亮厳は虎太郎を鍵の主にしてしまったらしいので、それが本当であれば要に蔵を開かせる事で、櫓虎太郎である証明が出来る。
「浩然様は、蔵の中の所有権は今以て櫓虎太郎様にございますとおっしゃっておられました。もし要様が蔵を開く事が出来ますれば、蔵の中身はすべて要様のものでございます。」
「…それは。確かに。」
となると、一躍大富豪になる事に…。鶚は驚愕の事実に慄いた。
要は顔が治ってからモテ期。その所為で襲われて怪我をした。更に大富豪となるとすれば、要にとってあの顔がどれ程命運を握っていたのかと思う。
「とりあえず、すぐに頼優様に文を出します。なれど、今はお忙しゅうございましょう。お時間を頂戴出来ますのは、すぐにとは参りませんかも、知れません。」
大切な事であるから、直接会って話すべきだろう。だが今は司法局の立ち入り調査対応などで各家門忙しいので、年内のアポ取りが可能かどうか。在仁は想像しつつ、鶚に釘を刺した。この状況では、皆が早く蔵を開けて欲しいと思うものだ。だが、急ぐ事は出来ない。
「ええ。急いては事を仕損じるものです。腰を据えて待ちましょう。」
「そもそも晦冥教案件かどうかも、まだ不明ですしね。」
茉莉が根本的な事を言うと、在仁は苦笑した。
「これが晦冥教案件なら、司法局は強制捜査権を使って、もっと強引に全部を進めるよ。」
「そっかぁ。」
まるで関係者全員を締め上げてしまうような言われ方に、鶚は少々不本意だ。
「司法局は心ある機関です。」
むっとして言った鶚に、在仁は笑った。
「さようでございましょうとも。」




