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439 改心の事

 その日、在仁(ありひと)は乗馬に行ったのだが、思ったよりも寒かったので短時間で切り上げた。昨日四天(してん)総角(あげまき)に厳しく注意されたのを思い出したのだ。絶対に冷やすな、と。季節はもう冬であるから、冷やすなと言うのはイコール外出するなの意になる気がする。それはあまりにも…。在仁は嫌な想像から目を逸らして、転移扉に向かって平家本家内を歩いていた。

 今日も護衛は北辰(ほくしん)隊武士六人揃い踏み、プラスのばら。一昨日の晦冥教案件大会議を経て、在仁が蜻蛉(かげろう)の標的だと言う意識が強くなってしまったようだ。護衛ではなく情報共有役とは言え、司法局からのばらが派遣されてきた事もあり、厳戒態勢と言う雰囲気だ。ただ、のばらは飽くまで在仁には普段通りに過ごして欲しいと、行動制限はしない構えだ。だから在仁は予定通りに行動しているのではある。あるが、フルメンバーで動くのはやはり物々しい。

 「司法局から派遣されて来たのが女性捜査官とは。意外だったな。」

 案内役として歩く惟継(これつぐ)は、のばらを見て言った。その言葉に、のばらがはっきりと返した。

 「どうしてでしょうか。司法局で働いている者の三割が女性です。それは各部隊内の女性部隊員の平均割合を遥かに超えるものですから、部隊と比較して女性局員は決して珍しくありません。なのに、敢えて女性である事に言及したのは、どういう意図でしょうか?」

毅然とした態度で言ったのばらに、惟継が眉を顰めた。

 「意図はない。もしや、女性に女性と言う事が失礼にあたるのだろうか?」

え、怒ってんの?という戸惑いは、在仁も同じだ。

のばらが派遣されて二日目だが、昨日の地点では性格も能力もたいへん良い、という評価だった。だが、当然知り合って二日目であるから、性格の全てを把握している訳では無い。何が地雷なのかは、知る由も無い。

 「いいえ。女性蔑視では無いかと過剰に反応してしまいました。失礼しました。」

惟継の戸惑いに、のばらは素直に謝った。その態度に、惟継は気分を害した様子はなく、ふっと笑って言った。

 「在仁殿は女性を大切にする。北辰隊に女性蔑視は無い。むしろあるのは男性蔑視やも知れぬ。女性の男性に対する評価は常に厳しいものだからな。」

 「おっしゃる通りでございますね。女性は女性のみとなりますと、男性に対する辛辣な御言葉を交わしますので。侮っては痛い目を見るは、こちらでございますよ。」

女子会なんか男の悪口だけで何時間も盛り上がる。普段女を下に見ていたって、陰でボロクソ言われているのだ。偉そうに勘違いしている男は実に滑稽である。在仁がそんな事を示唆して言うものだから、のばらは厳しい表情を崩して笑った。

 「ふふ、よくご存知なんですね。」

 やはり笑うと可愛らしい。在仁はこの笑顔はなかなかに魅力と思った。

昨日の内に茉莉(まつり)にのばらの話をした。その際、のばらの意中の相手が(みさご)である事を話したので、ブラッディ・ジャスミンの覚醒は免れた。笑顔が可愛いとか言ったら、茉莉は嫉妬に狂ってしまいそうだ。だが、在仁の近くにまた一人女性が登場した事を、快くは思わない模様。ただその時「格好良い武士よりはマシ」と呟いたような気がするのは、スルーした。在仁は、茉莉にバイセクシャルと思われているのかと疑問に思ったが、在仁自身が茉莉が男であっても好きになったと断言できるので、まんざら間違いでもない。どうせ、性別などその程度のものなのだ。

 在仁がのばらの機嫌が直って良かったと思っていると、紅葉が訊いた。

 「司法局も女性蔑視があるのですか?」

 「無いとは言いません。どこも地龍社会の中ですから。嫌な思いはしますよ。」

地龍社会の価値観に抗って生きようとしているのだから、摩擦は不可避だ。それでも強く戦っているのは、実に立派な事だと在仁は感心した。

 そこへ、廊下の外から大きな声がした。何か揉めているようだ。

 「騒がしいな。」

惟継の不機嫌な顔が外を見た。在仁はその視線を追いつつ言った。

 「ここは部隊演習場が近うございますから、仕方ございませんよ。」

廊下は建物同士を繋ぐ渡り廊下のような場所で、腰ほどの高さの塀と屋根の間は吹き曝しだ。陽が当たらないのに、ほぼ屋外のような場所なので一層寒い風が吹き抜ける。

思い出して見れば、この場所で(すばる)に出会ったんだった。突然登場した昴に腕を捻り上げられて骨にヒビが入ったのは、軟弱過ぎて封印したい恥ずかしい過去だ。在仁は墓穴を回避するために言わないでおいた。

 その間も揉めている声が続いていて、その後ガッシャーンと大きな破壊音。

 「見てきます?」

昴が音の方を指さすと、惟継が首を振った。

 「無暗に首を突っ込むな。それより、在仁殿が風邪をひく。急ごう。」

放置一択。惟継が大股で歩き出した時、声が近付いてきた。

 「何で俺がこんな事しねぇといけねぇんだよ!」

何だか聞き覚えのある声だ。在仁たちは物凄く嫌な予感がした。

 「急ごう。」

惟継が言ったが、声はもうすぐそこだ。その地点で既に関わらない事は不可能と悟った。

 「馬鹿にするな!俺を誰だと思ってんだ!」

怒りながら走って来た人物が、追われているのか、渡り廊下の塀を飛び越えた。追っ手を気にして前をちゃんと見ていないのか、在仁の方へ一直線だ。衝突する…と思った時、一番塀側にいたのばらが、華麗に蹴りを入れて外に弾き返した。

 「わお…。」

走ってきた人物は、外に転がって仰向けに倒れた。何が起こったのか分からないのか、呆然として倒れているその顔は、長宗我部(ちょうそかべ)(まさる)だった。

 「…やっぱり。」

 「嫌な予感的中。」

声を聞いてそうかなと思っていたのだ。あの長宗我部の馬鹿息子は情夫事件の犯人であり、罰として絶縁されて平家四神大隊の末端で労役を科されているのだ。

根っからの馬鹿だが、少しは反省してマシになるかと思った。だが馬鹿は反省が出来ないらしい。

問題児の勝は、ある意味で歩く危険人物であるから、北辰隊は在仁を関わらせまいとして囲んで立った。

 そこへ、勝の追っ手と思しき男たちが駆けて来た。

 「勝!逃げても行き場はないぞ。いい加減、現実を受け入れろ。」

ぞろぞろとやって来た男たちは平家四神大隊の制服だ。そして引き連れて来たのは、副大隊長・(たいら)宗一郎(そういちろう)だった。武闘大会でありさに求婚して(いおり)に負けた、あの宗一郎である。

勝を見付けた宗一郎に、惟継が廊下から声をかけた。

 「宗。何をしている。その者の暴走により、紫微星様が害される所だったのだぞ。」

 「こ、惟継様。しっ、紫微星様が!?それはたいへん申し訳ございません。それで、紫微星様にお怪我は?」

慌てて頭を下げる宗一郎に在仁は北辰隊武士の隙間から声だけ返した。

 「俺は大丈夫でございます!宗一郎様、こんにちは!ご無沙汰しております!」

姿の見えない在仁の声を聞いて、宗一郎は怪我が無くてほっとした。

 「宗。そこの痴れ者は部隊の末端に置き労役を科されたはずだろう。何故この本部隊敷地内で遊んでいるのだ。」

 平家四神大隊は平家主力の大きな組織だ。その最下層と言ったら、下部部隊の下働きのような雑用係であるから、この平家本家の本陣にいるはずがないのだ。咎められた宗一郎は、憤りを含んで答えた。

 「この者、罪の自覚が無く、配属に納得せず、抵抗を続け暴れておりまして。無駄に腕っぷしだけは強いものですから、下層では手に負えず、仕方なくこちらで厳しく躾ける事に。ただ、今以てこの有様でして。」

宗一郎が憤るのも尤もだ。そもそも副大隊長の宗一郎が扱う案件ではない。宗一郎がこんな案件に関わっているのは、勝の罪科に紫微星様が関わっているからだ。紫微星様関係で罰せられた勝を、適当に扱う訳にいかないので、副大隊長が担当する事になってしまったのだろう。

 「さようか。痴れ者の世話は苦労するな。」

状況を理解した惟継が宗一郎に同情的になると、勝が叫んだ。

 「惟継様!俺は無実です!美知(みち)に嵌められたんです!あの悪女に!」

宗一郎が部下に命じて拘束したので、勝は下手人のような姿になってしまった。だが勝は、それでも諦めないで藻掻いた。

そのまま捨て置けば良いのだろうが、勝のあまりに無知蒙昧たる姿に、惟継は嘆息して言った。

 「美知殿に嵌められた?ああ、ある意味そうなのだろう。だがそれはお前が政敵に負けた事を意味するのだ。単純にお前が愚かで、弱かっただけの事だ。他人を謗るは恥の上塗り。敗北を認め、立場を受け入れろ。」

四国情勢は古くより不安定だった。だが戦後の復興のために、暫定的最大家門である長宗我部家と、次席である美知の生家が、協定を結ぶ事になった。そのために勝と美知は婚約していたのに、そうした事情を知らぬのか、勝は美知を虐げた。美知は勝に愛想を尽かし、在仁が提案した、協定を反故にして四国復興を成す別の道を選んだ。それは勝にとって寝耳に水で、気付いたら罪人にされていたのだろう。だから勝は美知に嵌められたと思うのもある意味で事実だ。ただ、これは美知なりの戦略。元々互いに四国覇権を争う敵家門だったのだから、政敵に負けただけだ。そう言う事が今以て何一つ分からず自己正当化するから、痴れ者なのだ。

 「何故です!あの女が、女の分際で、この俺に逆らったのですよ!どうしてそれが許されるのですか!たかだか女の癖に!どいつもこいつも俺をないがしろにしやがって!」

吠える勝は聞くに堪えない。在仁が不快に顔を歪めたので、惟継が引っ立てとばかりに宗一郎に合図しようとした。だが、そこにのばらが言った。

 「女の分際?男の分際で、ほざいてんじゃねぇ、クソが。」

…ん?

 在仁は護衛たちの隙間から覗き見た。のばらの声で、凄く口の悪い言葉が聞こえたような。ちらっと見たら、波形が憤怒だ。

 「けほ…。」

咳をしたら稔元が抱き寄せたので、胸にしがみ付いて暖をとった。そこから様子を窺うと、勝がのばらに怒鳴った。

 「女!誰に口を利いていると思っている?長宗我部勝様だぞ!」

のばらの黒服が見えないのか、司法局員に立てつくとは、お前こそ大丈夫か?在仁は勝に心底呆れたが、勝は地面に押さえつけられていて、のばらは渡り廊下の塀の内側に立っているので、司法局のトレードマークである黒服がイマイチ認識できないのかも知れない。だとしても、あの態度は無いが。

しかし平家本家内にて、平家傘下の田舎家門子息が俺様気取りとは片腹痛い。長宗我部家は筆頭家門のつもりなのだろうか。偉そうに名乗る勝に、全員が「だから何だよ」と言いたくなった。

 そこにのばらの罵声がとんだ。

 「てめぇはもう長宗我部家から絶縁されてんだろ。名乗る家名はねぇんだよ、馬鹿野郎。」

…わお…。これは本当にのばらか?もしくはこれが本当ののばらか?在仁たちはさっさとここを立ち去れば良いものを、のばらの豹変に気を取られて、つい見入ってしまった。

 「煩い!だったら何と名乗れば良いのだ!」

 「ただの勝とでも名乗れ!もしどうしても家名を名乗りたいんだったら、元・長宗我部勝と名乗れ!」

 「そんな格好悪い名乗りがあるか!」

…ちょっと待って、二人の会話が面白い事に。在仁は怒れるのばらの術力圧に耐えながら、会話の内容に笑いそうになるのにも耐えた。

 「格好悪いに決まってんだろ!例え田舎だろうが、領地と傘下を持つ家門の後継者だったのに、てめぇは無自覚に傍若無人に振舞った。全部自業自得でこうなったんだよ!ああ、格好悪!クソだっさ!」

挑発するように言いまくったのばらに、勝は真っ赤になって怒鳴った。

 「ふざけやがって!殺すぞ!」

 その殺気は本物だったが、のばらはものともしなかった。

 「ああ?誰を殺すって?ぶち込むぞ。粗チンが。」

やばいやばい。こわい。その時在仁は昨日ののばらの言葉を思い出した。「私、以前はやんちゃでして」あれって、元ヤン的な?

 「女ぁ!」

勝が一際激しく叫んだ時、宗一郎がブチ切れた。

 「やめんか!馬鹿者!」

ぶわっと強力な術力圧が放たれて、勝は白目をむいて気絶した。さすが平家四神大隊の副大隊長ともあろう者は、術力圧だけで相手を倒してしまう訳だ。そして死体のような勝は、宗一郎の部下たちにズルズルと引きずられて去って行った。

 「けほ、けほ…。」

 「申し訳ございません、ウチの者がお騒がせしまして。」

 残った宗一郎が丁寧に謝ったのは、責任者として当然だ。末端とは言え勝は平家四神大隊で預かる身だ。組織人は大変だな。ドンマイと返したいが、在仁のひよこは寒さと術力圧の攻めに耐えかねた。

 「けほ、けほ…。」

 「紫微星様、大丈夫ですか?」

稔元が背をさすったが在仁の咳は収まらなかった。見かねた惟継が言った。

 「青藍(せいらん)殿に調術して貰えば収まるやも知れん。」

 それを聞いた宗一郎がすぐに駆け出した。

 「では俺が呼んで参ります。」

責任を感じた宗一郎が、一も二も無く走って行ったのを、誰も止める暇は無かった。青藍はモコを通して連絡すれば済むのに…。


 ◆


 暖められた部屋は、急場で用意されたため、この大人数には多少手狭。だが狭い方が部屋がすぐに暖まるという意図だった。

 「けほ…。」

青藍は調術を終えると、在仁を抱き寄せて背を撫でた。

 「冷えたのだろう。温まってから帰りなさい。」

 「…すみません。けほ。」

 在仁は呼吸を整えながらも、青藍の肩に頭を預けた。母と同じ香が安心感を与え、背を撫でる手が温かくて優しくて心地よい。

 「白湯(さゆ)を。」

青藍の指示で惟継が使用人に白湯を持てと命じた。

 ようやく咳が収まった在仁に、下座で正座している宗一郎が頭を下げた。

 「申し訳ありませんでした。」

 「…いいえ。宗一郎様は何も悪くございません。こちらこそ、申し訳ございません。」

弱々しい声で言われると、宗一郎は更に申し訳なくなって困った顔をした。そして、その顔のままのばらにも頭を下げた。

 「貴殿にも、すまない事を。司法局に対する害意ではありません。どうかご容赦ください。」

 「分かっています。あのような痴れ者の戯言を、まさか平家の意向などとして難癖をつける気は毛頭ありません。」

毅然としたのばらの凛々しい姿は、先ほどの荒々しさとは別人だった。二面性あり過ぎんか。在仁は激しい人だなと思った。

そこへ、使用人が白湯を持ってきた。受け取った紅葉が在仁に差し出して、在仁がゆっくりと口を付けている間に、惟継が言った。

 「一昨日の大会議にて、司法局の捜査妨害は家格順に大きく影響を及ぼすと明言されている。あの痴れ者が白鳥(しらとり)殿に喧嘩を売った事が、それと判断されては平家のペナルティーになる。このド年末に減点されては、もはや絶望的だ。」

やれやれとした言い方は、のばらが勝の行為をそれとしないと言ったから。惟継が言うと、宗一郎はもう一度のばらの理解ある許容に感謝を示すように頭を下げた。

在仁はゆっくりと白湯を飲みながら、宗一郎を眺めた。

 宗一郎と言えば、平家の主力部隊である平家四神大隊の副大隊長であるから、超エリートだ。強く、統率力と判断力、牽引力を持った立派な武士であり、上からも下からも信頼を寄せられる。家格・地位・実績など総合的に社会的立場は確立され、とても発言力のある人だ。武士として申し分ない素晴らしい人、と言うのが彼の印象。

けれど、同時に人としては多少難があるのも周知の事実だった。古式ゆかしい男尊女卑の申し子なのだ。ただ、これも地龍社会ではよくある事。生まれ育った環境が植え付ける観念であり価値観なので、決して宗一郎が絶対的な悪ではない。ただ、物凄く女を下に見ている。女は嫁に行き子を生み育てるのが当然であり、夫を立て、男に逆らわず、常に慎ましくあれと言うのは、女性本人の努力ではなく生まれながらに定められた姿と思い込んでいる。平気で詰り誹り、傷付けてもそうと自覚をせず、自分の価値観に疑問を持たない。女性からしたら言葉の通じない宇宙人みたいなものだ。

 その宗一郎が、まさか司法局員だからと言って、女性であるのばらに頭を下げるだなんて。

 人は変われば変わるものだ。

在仁は湯呑で手を温めながら感心した。背には青藍の大きくて暖かい手がずっと添えられていて、その温度で大分落ち着いてきた。術力器官の大敵は冷えとストレスだと、総角は言う。多分さっきの在仁は冷えていて、更に激しい喧嘩を前にストレスを感じたのだろう。凄い術力圧だったので。

 やっとほっとしてきた所へ、のばらが言った。

 「平宗一郎様と言えば、武闘大会で八十島(やそしま)庵様に負けてから、世の女性たちにモラハラ男のレッテルを張られて冷ややかな目を向けられるようになったとか。女性の私に頭を下げるという事は、多少は学んだという事でしょうか?」

ずばっと切り込んだのばらに、在仁はびっくりして咽た。

 「けほ…けほ。」

のばらは何でもはっきり言うタイプだとは思ったが、場合によっては誰にでも喧嘩を売るタイプとも言えるかも知れない。在仁は宗一郎がキレて喧嘩になるのではと危惧した。惟継もそう思ったのか、窘めるように呼んだ。

 「宗。」

 「いえ。事実を言われて怒るようでは、高が知れた者。」

宗一郎の正座した腿の上で握られた拳に力が込められていて、我慢しているのが分かるが表情は冷静だ。在仁はそれを見て、大人だなと思った。のばらもそう感じたのか、別段それ以上の挑発的な発言はなかった。そもそも挑発の意図はないのかも知れない。

 宗一郎は在仁に向かって、懺悔するような態度で言った。

 「あれから、あんなにあった縁談が一つも無くなりました。引くときは一斉です。」

終戦後の武士は超モテ期到来で、宗一郎は四十歳だが未婚で地位もある事から、多くの縁談が来ていた。けれど、暗黙の内に知られていたモラハラ体質が表に出た事で、一切の縁談が立ち消えた。その事で宗一郎は自身の価値を損なったと感じたのだろうか。

 在仁は湯呑を置いて、柔らかく言った。

 「武家のご縁組みは政治的な御時勢が重要でございますので、一時的なものでございますよ。宗一郎様が大部隊を率いて終戦に寄与なさった事実は動かぬご功績でございますから。」

 モラハラ体質を許容する訳ではないが、宗一郎が優れた武士なのもまた事実だ。宗一郎は責任感が強く、戦に集中するために結婚を後回しにしてきた。自分を犠牲にして、勤めをまっとうして生きてきたのだ。そんな宗一郎の極端に突出した特性の、片一方を認知してもう一方を捨てる事は違う。まして政略結婚における目的は家の繁栄であるから、宗一郎の人格に難癖が付いた事による縁談の立ち消えは、単なる様子見だ。その内にまた縁談が舞い込んでくるだろう。在仁が肩入れするつもりは無いながら言うと、宗一郎は懐疑を漏らした。

 「そうでしょうか。武闘大会の結果により、俺の実力にも疑いを持たれています。立場が回復する見込みは無いかと。」

 「まさか。このように申し上げては失礼でございましょうが、(かさね)大隊は地龍イチの部隊なのでございます。留紺(とまりこん)深緋(こきひ)紫紺(しこん)に次ぐ実力でございますれば、他家の主力大隊を凌ぐは当然。宗一郎様はじめ平家四神大隊の皆さまはお強き猛者でございます。なれど、重大隊はその上を行く部隊。八十島小隊長様に敗北なさった事で、宗一郎様の実力を疑われるのは大きな間違いでございますよ。」

負けは実力差。留紺小隊は四神大隊より強いのだ。ただそれだけの事実が、宗一郎が弱いという証明になど成りえない。庵が強いだけだ。現に宗一郎は庵に敗北した事の責にて降格される事はなかった。順当な結果だからだ。在仁の示した歴然たる事実に、宗一郎は苦笑した。

 「はは…実に厳しいご意見ですね。」

つまりは、宗一郎が実力を見誤って強者に喧嘩を売ったという事。とんだ愚行であるから恥だろう。

 「宗一郎様。俺はかねてより、重大隊のまことに凄い所は、死者数の少なさでございますと考えております。重大隊を創設なさったは藤原晋衡(くにひら)様でございます。晋衡様はかの鎌倉七口は極楽寺坂(ごくらくじざか)隊を鬼専門部隊となさった御方。ご存知の通り、鬼狩り隊は隊員の死を許さず、結成から終戦までに戦死者がおりません。その鉄の掟を生み出した晋衡様の創設部隊でございます重大隊もまた、戦死を禁じております。故に地龍イチの強き部隊にして、戦死者数が極めて少ないのでございます。もし重大隊が他部隊と同じように、武士ならば命を惜しまず戦えと命じられておりましたならば、戦果は更なるものでございましたでしょう。」

 「それは…。」

 ギリギリの戦況はいくらでもあった。重はその時撤退を選択してきたが、他部隊ならば死んでも戦い抜けと命じたろう。同じ命令がされていたならば、重の戦果は更に多かったのではないのか。そう想像すれば、宗一郎は在り方の違いを実感する。

 「もちろん俺は、どなた様も生きてこそと思うております。命を消耗品になさるお考えは断固否定致します。なれど、価値観も主義も、御意見は様々でございます。御生まれ、御育ち、御環境、あらゆる御事情が人格を作られるのでございますから。」

多くを許容する柔軟な微笑みを浮かべた在仁は、宗一郎の辛い心にそっと手を差し伸べるように言った。

 「宗一郎様。各御家門様、各部隊の在り方がこれ程までに異なりますように、男性と女性もまた異なるのでございます。どなた様にも御心がございます。そして信念や矜持がございましょう。なれど、本当に大切と思われる御相手でございましたら、そのようなものは容易く捨ててしまえるものでございます。宗一郎様は、まだそうした御方と巡り合っておられないのでございましょう。宗一郎様にもいずれ良きご縁がございましょう。なれど、これまで通りの御振舞でございますれば、そのご縁はそうと気付かぬ内に逃げてしまいましょう。大切なご縁を逃さないためには、日頃から、女性の御言葉にお耳を傾け、御心を少しだけ寄せて頂き、人としての尊厳をお認めになられますれば良いと存じます。そうしておりますれば、自ずと醜聞は消え、以前にも増して尊敬と羨望を抱かれるご立派な御方となりましょう。」

 穏やかに、包み込むように、在仁の言葉が宗一郎に伝わると、宗一郎は深く頭を下げた。

 「ありがとうございます。紫微星様のお言葉しかと胸に、努めて参ります。」

 何だか教祖様のありがたいお言葉みたいになってしまった。在仁は「がんばれー」と心の中で軽く応援しておいた。モラハラ体質は簡単に治るものではないが、治らずとも風評はその内に収まるし、縁談も復活するに決まっている。いずれどこかの家の娘が宗一郎に嫁ぐのだろうが、それが生贄のようでは可哀想だ。少しでも悪癖が緩和していれば。在仁はそんなうっすらとした望みを抱きながら、宗一郎に微笑んだのだった。

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