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437 空似の事

 その日、地龍本家の大会議室には、多くの者が集められた。

地龍様、筆頭三大家門当主陣、その他龍の爪、四天処(してんどころ)要職と研究員、司法局の要職たち、君崇(きみたか)風穴(ふうけつ)担当スタッフ、在仁(ありひと)真珠(しんじゅ)北辰(ほくしん)隊は武士と惟継(これつぐ)青藍(せいらん)(こう)、あさひ、各主要部隊の隊長副隊長職など、その他関係する多くの者たち。

 ずらっと並ぶ面子は実に物々しい。緊張しいの在仁はドキドキしながら座っていた。

 視界には紫紺(しこん)色の制服。一際目立つ藤黄(とうおう)色の髪を見付ければ、茉莉と目が合う。昨日のミュージアムデートのヘアメイクも可愛らしかったが、いつもの武士姿も素敵だ。在仁は視線を交わして少し落ち着いた。

 「では、皆が揃ったようなので、会議を始める。」

 時間になり、(きょう)が話し始めた。

 議題は晦冥(かいめい)教についてだ。

 この件を真剣に話し合う事は、蜻蛉(かげろう)の存在に迫る事だ。

蜻蛉は(いにしえ)の呪いの残滓だ。龍の木を斬って、野分(のわき)の誕生を助けた。呪いの王たる野分による世の終焉を望むもの。けれど世に聖性を取り戻すために繚乱・真砂(まさご)が生まれた。真砂は龍の木の復活を成さず、繚乱の力で風穴を封じ、野分を消そうとした。そして野分を消す事は出来ないまま、清め人を残し望みを託した。長い時を経て、多くの清め人の力をしても、野分は消えなかった。更に戦により風穴が蘇ってしまった。風穴が開いた今、求められるのは聖性を司る龍の木の復活だ。それを成すのは繚乱。繚乱により、龍の種が芽吹く事が叶えば、風穴と龍の木は互いにバランスを取り存在出来る。更に聖性が野分を消す力になる可能性もあり、そうなれば蜻蛉の目的である野分による世の終焉は潰える。目的を失すれば晦冥教の存在意義は失われる。

 こうした事情は、今までごく一部でしか共有されて来なかった。何故って、在仁が繚乱である事や、清め人が野分を消すために生み出された事などが公になる事で、在仁はじめ清め人に対する世間の目が厳しくなる可能性があるからだ。今地龍を脅かす野分や蜻蛉や晦冥教の存在を、清め人の所為とされてはいけない。繚乱の奇跡の力を当然とされては、在仁に対する無暗な期待や神格化が止まらなくなる。そうした危惧から、公には出来ないのだ。

 だが、晦冥教による呪術テロが激しくなっていく中、ある程度の上層部で事を共有して一丸となる必要があると判断が下された。現在、日本中のどこに晦冥教の拠点や呪術工房があるか知れない。それに対応するためには、各トップ陣は知っておくべきだろうと。

 恭は大きくは無いがはっきりと通る声で説明を終えた。

 資料は無い。二度目も無い。今たった一度話した事を覚えておけという事だ。

 「これらの情報は秘密厳守だ。誓約を。」

 恭が厳しく言い、全員が秘密保持の誓約書にサインした。在仁自身もしっかりとサインして提出した。

件の連続放火事件以降、この誓約書も管理がかなり厳しくなった。これも晦冥教による悪しき犯罪の所為だ。

 「現在、最も望まれる事は、龍の種が芽吹く事。だが、それだけに望みを託すわけにはいかない。葛葉(くずのは)に頼り切りと言う訳にはいかぬ。」

これ以上、在仁の過重を当然とするようではいけない。恭の言葉の重みに皆が頷いた。あの戦を終わらせたのは在仁だと、皆が思っている。たった一人の弱き青年を犠牲にして終戦を迎えてしまった事は、皆の恩でもあり、恥でもある。もう在仁に望みを託してはならない。それは武士の義だ。そして地龍の民としての義務は、武士だけが担うものではない。末端の無力な平民までもが、地龍の民ならば存在理由を問われよう。世の均衡を守るために生まれたのだと。そのために尽くせと。ならばそれを在仁一人に負わせてなるものか。

恭の言わずと込められた思いに、皆が同意したのが、場の空気の統一感で分かった。

 「四天は野分を消すために尽力している。そのために、龍の種の芽吹きを成す事、風穴に対応する事など、多角的に研究を続けている。」

その言葉に、四天処の面々が軽く一礼。肯定の意だ。

 「それに伴い、風穴は君崇が日々変化がないか調べている。繚乱との力のバランスにより、風穴に影響が見られるが、今の所は大きな変化はないと判断している。ただ、風穴は野分を生み出した未知の存在だ。油断は禁物。それ故、清め人である齋藤あさひ、司法局の八十島(やそしま)の力を借りて管理をしている。」

呼ばれた者たちと、風穴管理スタッフたちが礼を。

 「そして本題は、晦冥教だ。晦冥教自体は司法局案件として、全権を委ねているが、先日の呪術工房の一件を以て、各家門の全面協力体制を敷く必要があると判断した。今後は司法局と情報を共有し合い、晦冥教に関わる施設や拠点の一切を見逃す事無く潰せ。」

はっきりと命令をした恭に、全員が背筋を伸ばした。

 「晦冥教案件で総指揮権は富樫(とがし)に委任する。各家門内で情報を握り潰す事なく、確実に報告せよ。この件で司法局が各家門内を出入りするだろうが、下らぬ敵愾心で捜査を滞らせる事があらば、家格に影響を及ぼすと覚えておけ。」

 ぴりっとしたのは、もう十二月も半ばになろうとしている為。家格順が恭の中でどうやって決められているのか知らず、こうして指標となる事を明言されたのは稀だ。

 司法局の力は少しずつ確かなものになりつつあるが、武家たちが手を取り合って蜂起したりしたら瓦解する程度の立場だ。だから、晦冥教捜査によって全家門を統率する立場に立つと言うのは大きい。これに逆らえば家格を落とすとまで明言されては、司法局をトップに据えた捜査体制に従うしかない。

もしこの捜査で成果を挙げれば、司法局の立場は盤石となり、このまま全面的に力を持てるだろう。正に、司法局にとっては一世一代の、いや千載一遇の好機だ。

武家にとってはまだまだ司法局は邪魔な存在であるが、こうなれば逆らえない。過去の道場破りなどを思っても、晦冥教は必ず撲滅せねばならない存在であるから、司法局の地位確立を間接的にアシストさせられると言う屈辱。だがどうしようもないのだ。

 「蜻蛉は弱き呪いであるが、古来より生き延びてきた知恵は侮れない。野分による世の終焉に対する執念は計り知れず、それを阻むものを排除するのに手段を選ぶ事は無い。その蜻蛉が(かね)てより恐れたものは三つ、共感体質者、清め人、そして繚乱だ。葛葉がその全てを持ち、龍の種が既に芽吹きを待つ状態である事を、蜻蛉は知っている。今後の蜻蛉は必ず葛葉を消そうとするだろう。我々は絶対に葛葉を守り抜かねばならぬのだ。よいか、蜻蛉は人ではない。意思を持つ呪いだ。『夜』だ。これが揺らぎである事を決して忘れるな。」

 念を押された皆々は背筋を正してしかと礼をとった。

恭は何度も同じことを言うつもりはない。皆はただ一度だけと思い、聞き洩らさぬように息を殺して耳を澄ませた。

 「そして、清め人の起源、繚乱の力、葛葉に課せられたもの、それらについては特に口外厳禁。今後情報が洩れる事あらば、今この場にいる誰かを裁く事になる。努々忘れるな。」

 秘密保持の誓約書にサインして尚言われると、これが漏れて何かが起こったら討ち首だなと分かる。

 「最後に、今後いかなる事が起ころうと、そこに葛葉の責を問う事はない。これは俺の誓いだ。」

 龍の種が芽吹かなくても、聖性が復活しない事で風穴が活性化されても、その所為で野分の力が増して封印が解けても、蜻蛉の謀略で呪いが世を終焉に導いても、何があっても在仁一人の責任になどさせない。これは揺らぎ。だから責任は地龍にあるのだ。

恭の強い言葉に、全員が弁えておくべき事をしかと胸に刻んだ。

 「葛葉。」

 唐突に呼ばれた在仁は、びくっとして恭を見た。

 「はい。」

全員に話していたはずの恭が、在仁をまっすぐに見つめていた。深い黒曜のような瞳が、在仁の闇色を捕えていた。

 「忘れるな。一人ではない。勘違いするな。葛葉は、特別な責を負う聖人でも勇者でもない。葛葉は俺の民だ。」

 「…はい。忘れません。俺は、貴方様の臣民でございます。」

地龍の者は等しく地龍様の民だ。在仁はその一人にすぎない。そう言われた時、在仁の肩の荷が少し軽くなった気がした。

 「清め意思のままに生きよ。」

 「仰せの通りに。」

思うままに生きればいい。それが在仁であり、紫微星(しびせい)の光だ。恭の信頼に、在仁は深々と頭を下げた。

 そうして、会議は具体的な話し合いに移行した。

 「富樫、晦冥教捜査における詳細な方針を共有せよ。」

恭に言われて、司法局局長・富樫(さかえ)が話し始めたのだった。

 

 ◆


 「司法局局長、富樫です。」

 いつ見ても反社っぽい物騒な容姿をしている栄は、恭から指揮権を受け取り、低い声で話し始めた。

両サイドに座っているのは副局長・八十島(みなと)、第一取締部部長・日下(くさか)(みさご)。そして数名の黒服が後ろに控えていた。役人とも思えぬ族っぽい集団の威圧感は、部隊とはまた違う雰囲気だ。

 「只今、地龍様より説明があった通り、今後の晦冥教捜査に関して、皆さんには全面的に我々司法局の指揮下に入って貰います。どうぞ、よろしくお願いいたします。」

お願いする態度というよりは、圧力をかけて従わせようとしているように感じるのは、単に栄の顔の所為だろう。在仁は、未だ収束しない司法局と武家の睨み合いが、族の抗争に見えて来た。絵面の話だが。

 「それでは、早速こちらの捜査方針を説明します。晦冥教案件については、地龍様が話した通り、風穴や野分、清め人や、繚乱など、切り離せないものが複数連なっていますので、ケースバイケースでそちらとも連携を取り動いて行く事になりますので、前提としてご理解ください。」

この面子は各担当の要職たちであるから、この場に集まった地点で、全部ひっくるめて晦冥教案件と呼んでいるのだと理解出来た。

 「晦冥教案件に関して目的は蜻蛉を討つ事です。そのために重要なキーとなるのが、翡翠眼(ひすいがん)です。蜻蛉が依り代としている翡翠眼は、唯一の適合物であり、替えの利かないものです。蜻蛉を直接討つ手が無くとも、この翡翠眼を押さえる事が出来れば、蜻蛉は消滅を余儀なくされると考えています。ですから、翡翠眼の捜索に重点を置くべきと言うのが、司法局の捜査方針です。」

 かつて蜻蛉は龍の木を斬った罪で、神々に殺された。故に今存在しているのは実体を持たない残滓なのだ。弱き呪いである蜻蛉は、依り代という宿主が無ければ存在出来ない。その唯一の依り代が、あの翡翠眼なのだ。実体のない蜻蛉を消す事よりも、翡翠眼を壊してしまう事の方が、確実性のある抹殺方法という訳だ。

 「蜻蛉は翡翠眼を隠すために所在を転々としているとされています。特に、(つるばみ)家の蔵にあったとされる事実からは、勝手に潜んでいたのではと思われます。こうしている今も、どこかの屋敷の蔵に忍び込み、さも所蔵物であるかのように擬態して潜んでいると言う可能性もあります。そうした事実から、各家門にはあらゆる情報とデータの共有をお願いします。」

佳代の生家・橡家は善良な武家だったとされる。晦冥教と関わりがある可能性も低く、蔵に翡翠眼があったのは、橡家も預かり知らぬ事だろうと察せられた。となれば、同じ事はどの家にでも起こり得る。

 「各家の呪性検知機能付きの警備ゲートの集積データを、定期的に提出してください。それから終戦後の行方不明者の洗い出しを。放逐・出奔・浪人など、晦冥教徒になり得る可能性の高い者を押さえておく必要があります。そして、監査局による立ち入り調査への協力を。傘下家門に至るまですべての財務状況を掌握する事で、不自然な資産の増減を調べます。晦冥教は活動資金集めのために、家門の財を流用している可能性がありますので。」

ずかずかと踏み込む容赦のなさに、武家や部隊の顔色が変わった。この機に全家門の何もかもを掌握しせしめようと言うのが分かる。だが、恭が黙って聞いているので反論出来ない。否やは無いのだ。

 「そして、各地の商店街などのグレー地帯の掌握を。ただ、これは一斉摘発してしまう事で、返って居場所を失った者が晦冥教徒に堕ちる可能性がありますので、慎重にお願いします。強引な一掃ではなく、飽くまで住人の社会復帰支援という形で、穏便かつ平和な解体を目指して下さい。まずは、住人の掌握を優先し、晦冥教徒を増やさない事に注力してください。」

アングラな場所にいる者たちは、表社会で生きられない事情があろう。そういう者が晦冥教に狙われる。まずは晦冥教から守らねばならない。そのために環境や住人の掌握を。そしてその流れで解体へ向けて行けと。

商店街などは各家門の懸案でもあるが、他人に口出しされる筋合いはない。晦冥教案件の名の元に、どんどんと統治方針にまで切り込んで来られて、気分が良いはずが無い。部屋の空気がどんどん悪くなっていく。

 在仁は黙って聞いている皆さんの不服が膨らんでいるのを、ひしひしと感じて、息苦しくなってきた。こわいよー…、と泣きたくなった時、栄が在仁に向かって言った。

 「紫微星様。」

 「ひゃいっ!」

え、今俺?分かり易い動揺で返事をすると、栄の目が厳しかった。

 「紫微星様は特に晦冥教遭遇率が高く、また蜻蛉の標的です。今後は常に情報を共有していくために、出来るだけ司法局員を同行させてください。」

 「はい?」

 「先日の呪術工房の件について、些か通報が遅かったようです。紫微星様の判断による通報を待たず、(あらかじ)めこちらで動向を把握しておく方が良いと考えました。もちろん、行動制限はしません。ご迷惑にならぬようにしますので、ご理解ください。」

通報が遅かった?在仁が「そうかな?」という目を(あずま)たちに向けると、皆が曖昧に首を縦だか横だかに傾けた。一応晦冥教案件だと発覚してすぐに通報したのだが、司法局からすると遅かったらしい。(惟継がみよの毒にやられた地点で通報していたら、今頃みよも宇治山(うじやま)家も牢の中だ。)

 「えっと、はぁ。まぁ、結構でございますよ…。」

もちろん今この場において、紫微星様にだって拒否権は無いので、仕方ない。北辰隊武士という強い護衛がいるのに、プラス黒服となると物々しい。在仁はちょっと嫌だなと思ったが仕方ない。うーむ、仕方ない。

在仁の了承を得た栄は、話を続けた。

 「蜻蛉は人や動物を操る事が出来る可能性が高く、特に鳥を使い移動しています。鳥にも注意を払うようにしてください。」

 敬語で話しているのに、全部が命令に聴こえるのは何故だろう。誰も拒否権を持たないこの独壇場で、栄は司法局の権限を限界まで広げるが如く、この後もひたすらに要求を続けた。


 ◆


 その会議は朝の九時に始まった。だが終わったのは夕刻だった。まさかフルタイムぎっちりの会議になろうとは。

終わった途端、全員がほっとしたのが分かった。張り詰めて静かだった部屋に、ざわっとした緩みが満ちた。

四天たちが足がしびれたと文句を言い、研究者たちは何か話し合いながら出て行った。君崇も忙しそうに部下を連れて去り、あさひは欠伸をしながらのんびりと廊下に消えた。お偉いさんたちは文句を言う訳にいかないだろうが、疲れたのは一目瞭然だった。彼らに張り付いている秘書たちも秘密を共有する身であるから、緊張の面持ちで疲労を分け合っていた。

 皆がどんどん去って行く中、在仁は帰宅ラッシュの混雑を避けて、もうしばらくその場に残った。帰り際に皆が在仁を気遣って一礼したり声をかけて去って行くので、在仁は必然的に最後まで皆を見送るべきだろうかと思い始めた。

 「綿毛ちゃん、疲れたでしょう、大丈夫?」

東が在仁の顔色を確認して問い、在仁は皆を見回した。

 「ええ。皆様もお疲れでございましょう。こうした会議は座っているだけでございますが、なかなか疲れますから。」

頭を使うのも、気を遣うのも疲れるものだ。在仁が言うと、後ろから声が同意した。

 「本当ですね。特に本日は地龍様の気迫が伝わりましたから、緊張感がありましたね。」

 「頼優(よりまさ)様。お疲れ様でございました。」

 在仁は大好きな頼優に声をかけられてハッピーだ。何だか憧れの先輩に話しかけられてはしゃぐ後輩女子的な絵面である。

それを呆れて見る仲間たちは、頼優の斜め後ろに立っている男に首を傾げた。

 「あら、今日は(かなめ)はいないの?」

いつも頼優にくっついているデフォのオプションである要がいないなんて、どうしたんだ。源氏傘下ではニコイチだと認識されているのに。その時、在仁はその男の顔を見てはっとした。

 「え、もしかして、要様?」

 「え?」

頼優の斜め後ろは確かに要のべスポジだが、その男の顔に見覚えが無い。というか、要の顔を誰も知らない。ぽかんとした皆に、頼優が面白そうに笑った。

 「流石は紫微星様。気が付かれましたか。そうなんです。要なんですよ。」

嬉しそうな頼優が要の肩を掴んでぐいぐいと在仁の前に押し出した。要は普段、伸ばした髪で顔面を隠している。だが、今の要はその髪を後ろでひとつに結っているのだ。そして晒された顔面は、あの酷い火傷痕ではない。容姿不明な程に爛れた肌は嘘のように、今は少々酷い肌荒れを起した人という感じで、容姿もよく分かる。こういう顔だったのか、とはっきりと認識出来た。

 「まさか、本当に、要様でございますか?何てこと…。」

在仁は感動して、思わず要の頬に手を添えた。要はそれをびくっとしたが受け入れた。以前は触れただけで逃げられてしまったのに。

 「紫微星様のお陰です。例の薬がてきめんに効き、みるみる内に良くなりました。症状を詳細に聞いて、改良を重ねて下さり、数日でこんなにも改善を。これまで二度と治らないと思っていましたので、激的な変化に、私自身が最も驚いています。」

 「ああ、おみよ様のお薬で。」

 要の火傷痕みよの薬で何とかならんかな、と思った在仁は紅とみよに相談したのだ。そして要にはモニターとして試作品を使って貰う事になった。協力者としての立場であれば要も固辞すまいと思い、在仁はその内に良くなるだろうと、勝手に解決した気になっていた。だが「その内」がこんなに早いとは想定外だ。だってまだ数日しか経っていない。

 今の要の肌はざらざらして色も赤茶っぽいが、元が酷かったので、このペースならば今年中につるつるの肌になるのではないだろうか。在仁は物凄く期待感が高まった。

 「素晴らしい事でございます。要様。ああ、このようなお顔をなさっておられたのでございますね。イケメンでございますね。きっとおモテになりましょう。」

感動して要にべたべた触ろうとする在仁を、東が強引に止めさせた。

 「どうどう。落ち着きなさい。」

 「あはは、ありがとうございます。紫微星様。ただ、薬を継続しないと元に戻ってしまうんですよ。完治までは時間がかかるはずです。」

 「さようでございますか。なれど、ここまで良くなられたのでございますから、絶対に治りましょう。」

みよの美容詐欺で負ったあざも、一度で綺麗に治って見えたが、薬を続けねば完治しないと言っていた。不思議な事だが、術力火傷に効くと言う魔法の薬である事は変わりない。在仁は嬉し過ぎて小躍りしたいくらいだ。

今日はもうこのままお祝いの宴を開催したい気分だが、残念ながら頼優は忙しい。司法局のあれこれを受け入れる為に、各家門は調整に忙殺される事になるだろう。傘下や家臣からの反発を抑えるのも大変そうであるから、心中お察しする。

 「紫微星様にお会いするので敢えて顔を隠さぬよう言ったのです。完治したら髪を切らせます。乞うご期待と言う事で。」

嬉しそうに言った頼優は、足早に部屋を出て行き、要は深く頭を下げてついて行った。

それを見送った在仁が、仲間たちと喜びを分かち合おうとした時、ぬっとやって来た者が言った。

 「あれは誰ですか?」

 「うっわ、びっくり致しました。浩然(こうぜん)様…気配を消して近付いて来られないでくださいませ。」

 在仁は心臓が飛び出すかと思った。見れば浩然だ。どうやら雅秋(まさあき)の秘書役として付いて来たらしい。在仁の通常気配探知に引っかからないのは、一流の武士の技だ。浩然の底知れなさを思いながら、在仁は居住まいを正した。

 「すみません。驚かせましたね。して、紫微星様。先程鎌倉様と一緒にいた者は、何者ですか?」

 「え?要様でございますか?頼優様の側近秘書様でございますよ。何か?」

何故浩然がそんなに興味を持つのか分からない在仁は、要の後姿を思い出しながら扉の方を見遣った。

 「いえ。見覚えのある顔だと思ったのですが、鎌倉様の側近秘書では、他人の空似でしょう。」

未練のある顔で言う浩然に、在仁が何か言おうとした。けれど、雅秋の声でかき消された。

 「浩然、行くぞ。紫微星様、お疲れ様です。また是非九州へお越しください。では。」

 「紫微星様、失礼いたします。」

忙しそうな雅秋に引っ張られるように、浩然は去って行った。

 「何でございましょうね。」

何だったのか気になるが、もう浩然は帰ってしまった。

 「浩然殿は九州から殆ど出られないから、要の事も知らないんでしょう。きっと他人の空似よ。」

 「それはそう、でございましょう。」

近所なら分かるが、九州と鎌倉では接点が無い。きっと似た人と間違えたのだ。そうは思うものの、あの有能AIの浩然が人を間違えるだろうか。在仁は何だか引っかかるものを感じながらも、スルーするしかなかった。

 部屋の中はいつの間にか在仁たちだけだ。皆が忙しく出て行ってしまった。在仁はゆっくりと部屋を出ながら、仲間たちに言った。

 「司法局員のご同行のお話、ご存知でございましたか?」

 「初耳よ。こっちも調整しないとね。」

 北辰隊も多少の影響はありそうだ。在仁はただでさえ年の瀬で忙しい年末にぶっこんだのは悪魔的だと思ったが、同時にだから敢えてなのかとも思った。年の瀬と言う事は、新年会が近い。家格順の公表が迫る中、絶対に逆らえないトップダウン案件が付きつけられたら、ごちゃごちゃ言って喧々諤々している時間は無い。とにかくやれ、とどこの家門もケツに火がつく。

司法局の指揮下に入って統率が取れるのか、という懸案を、勢いで強引に成さんという腹だろう。ああ、マジで強引だ。在仁は他人事であるから、大変そうだな、と思ったのだった。

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