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433 整体の事

 夜明けを臨む荒野は、戦の跡地だ。

 九州の写真集撮影二日目の早朝。在仁(ありひと)は透けそうな薄い着物に身を包んで、裸足で土の上に立った。

これは、この写真集最後の撮影となる。これからここで、在仁は舞うのだ。

 エリカは在仁の写真集をただの娯楽にしたくないと言った。そして、戦を忘れない事、清浄で正常を望む訳、標の星が輝く意味、そういう事を感じ取って貰える写真を載せたいとした。そのために是非収めたかったのが、在仁が舞う姿だった。紫微星(しびせい)様と言えば清め人であるが、連想するもののひとつに、戦没者を慰霊する事が挙げられるだろう。誰もが見惚れる美しさが、死を悼む人々の心を慰める。その光景を写真集に載せたいと言えば、制作スタッフ全会一致の大賛成で決定した。

そしてこの九州撮影にそれをぶつけたのは、結城(ゆうき)家の全面協力体制があったからだ。

在仁は舞うならば撮影のためのポーズではなく、本当に慰霊のために捧げたいとした。だから結城家は九州でも特に被害が酷く、未だ復興ならず荒野のままであるこの場所で舞って欲しいとした。

夜明けと同時に舞うのは、写真集の為のシチュエーション重視であるが、こんな早朝にも関わらず多くの人々が在仁の舞を見るために集まっていた。皆がこの場所の死を悼む結城家傘下の武士たちだ。

 十二月の冷たい風が吹き抜けて、在仁の薄い着物がヒラヒラした。辺りはまだ暗い。陽が上らねば一層寒い。その寒さに向かって、在仁は覚悟を決めて一歩踏み出した。

 カメラのシャッター音と風の音だけがしていた。

 見守るのは昨日に引き続き茉莉(まつり)北辰(ほくしん)隊武士と惟継(これつぐ)、エリカと撮影スタッフ、そして雅秋(まさあき)浩然(こうぜん)長定(ながさだ)ら九州勢。その外側の撮影規制線の外にはぎゅうぎゅうにおしかけた武士や術者たち。誰もが息を殺してじっと見つめていた。

 舞い始めた時はまだ暗かった空が、少しずつ白んでいく。(ひがし)の空が明るくなり始めると、夜明けへの期待感が生まれる。冷たい空気が澄んでいて、北の空に夜明けを臨む北極星を際立たせた。そんなしん、とした空気の中に在仁の一踏が光を放っていた。ふわ、ふわ、と光の粒を散らすと、まだ薄暗い世界を照らして見えた。

 すっと、在仁が細長い手を伸ばした時、ひらりと花びらが散った。白く清らな花びらは、誰が見ても神秘的な美しさだ。在仁が舞う毎に花びらが増えて行き、太陽が昇る頃には、辺りには大量の花びらが降り注いでいた。

 光の花びらを浴びながら、朝日に向かって舞う在仁は、今にも消えてしまいそうな儚さを漂わせた。陽の光に透ける着物が、細い体の線をなぞるように明るくはためいた。それは、このまま光に溶けてしまいそうで、心許ない気持ちにさせた。

 その圧倒的なまでの神秘に、誰もが呆然とただ食い入るように見つめた。

 時を忘れ、ひたすらに見つめていたオーディエンスは、ほんの僅かな時間に感じたが、いつの間にか太陽が完全に姿を現していた。

 夜が明け切り、カメラマンがシャッターを切るのを止めた時だ。

 在仁がゆっくりと地面に崩れ落ちた。

 「在仁!」

待機していた茉莉たちがダッシュで駆け付け、すぐに毛布でぐるぐる巻きにした。

 「在仁、大丈夫?」

 「…つかれた。」

茉莉が頬に触れると冷え切っていた。最近の在仁は、清める時に花びらを放出する事がある。それはとても綺麗だし、清めの威力も以前よりも桁違いだ。だが、その分疲労は半端ないらしく、すぐに疲れたと言う。あの我慢強い在仁がだ。

 「撮影は終わったよ。終わったよね!エリカ!」

一応茉莉が確認の為に叫ぶと、駆け付けながらエリカが言った。

 「もちろんよ!ありがとう!もう休んで!」

武士たちのスピードで駆け付けるのは無理だ。エリカは諦めて叫びながら手を振った。

 「おけ、じゃ撤収。温まって朝ごはんにしよ。」

茉莉のゴーが出ると、(あずま)は在仁を毛布で簀巻きにしたまま抱き上げてダッシュ。先導する浩然が言った。

 「宿の風呂を確保済みです。」

 「ナイス。じゃあ、このままぶち込みましょ。」

 え、風呂に放り込まれるの?在仁はへろへろになりながら、そんな朝風呂嫌だなと思ったのだった。


 ◆


 半分寝たまま宿の貸し切り風呂に入れられ、半分寝たまま着替えさせられ、半分寝たまま髪を乾かされ、いつの間にか目の前には豪華な朝食が並んでいた。

 「在仁、起きてる?」

隣で茉莉が覗き込むも、在仁はうつらうつら。

 「おきてる。まつり、ひよこ。」

 「ひよこ?ちょっと待って、調術するね。」

おばけみたいにゆらゆらしながら両手を差し出す在仁が、茉莉に調術を依頼する。茉莉は慣れた手つきでそれを始めた。

 撮影スタッフはまだ片付けをしているのか戻らない。雅秋と長定も現場が撤収するまで立ち会うだろう。在仁は最初から撮影が終わったら朝食を取って休み、そのまま帰宅して良い事になっている。だからこの後の日程はフリーだ。

茉莉は在仁が元気だったら遊んで帰ろうかと思っていたが、ひよこの様子は芳しくない。あの寒い場所で、あんな薄着で、長時間舞っていたのだ。エリカもこの企画自体が在仁に負担を強いるとして心配していたが、在仁自身が引き受けたのだ。だから風邪をひいても文句言いっこなしだ。もちろんクリスマスを控える楽しい時期に、風邪なんかひかせる訳にいかないが。

 「ありがとう。もう大丈夫。」

茉莉のお陰で少し回復した在仁が、やっと意識のはっきりした目で皆を見た。

 「すみません。ご心配をお掛け致しました。」

 と言いながら、在仁は自分の服装を見て、いつ着替えたんだとばかりの顔。これは放っておけない。浩然は今日はきちんと最後まで責任を持ってお世話せねばと自覚して、在仁の膳に山盛りのごはんを盛ったお茶碗を置いた。

 「まずは朝食をどうぞ。」

 「…多い。」

幻か?在仁が瞬きをするのを、茉莉が笑った。

 「たんと食べな。」

 「…いただきます。」

小さな口でもそもそ食べ始めるのを見守っている内に、仲間たちはすっかり食後だ。在仁が取り残されるのはいつもの事で、浩然は一生懸命に食べる姿が健気に思えてきた。か弱い生き物は何をしていても庇護欲をそそる。

 「今朝の撮影で、写真集の撮影はすべて終了なのですか?」

在仁を食事に集中させつつ、浩然が皆に訊いた。

 「そうらしいわ。撮影日は少なかったけど、一時期はプライベートにカメラマンが同行してたし、それなりに量は撮れたんじゃないかしら?」

 「あとは編集作業なのだろうな。装丁も拘るのだろうから、発売まではまだまだかかるだろう。」

 「とは言え、来年中には発売しますよね?」

 「そりゃあ、奨学金制度の資金集めだから、なるはやで発売するのが良いんじゃないか?」

 「どのくらい作るんでしょうか?」 

 「さてな。販売方法についてもまだ公表されていない。受注販売になるかも知れないな。」

 「本屋さんに並ばないんですか?じゃあ出遅れたら買えないんですね。」

 「奨学金制度の資金集めとすれば、売れれば売れるだけ良いはずだ。時期をずらしながら、何度か受注して生産するのではないか?」

あれこれ言っている全員が発売を待ち望んでいるのが分かった。聞いている浩然とて、早く手に取りたいと思うものだ。

 「世の中には物好きが多いのでございますね…。」

もぐもぐ。食べながらぼそっと言った在仁は、俺の写真集なんか気持ち悪いだけだし、と言わんばかりだ。その意見に、茉莉は面白そうにした。

 「物好きが多くて良かったね。おかげで奨学金制度の資金集めまで出来ちゃう。人気者は凄いなぁ。」

 「もう、茶化さないでよ。」

 照れた顔が可愛らしい。この顔も載せたら需要あるな、と皆が思いながら見守っていたのだった。


 ◆


 スーパースロー映像かと思うようなのんびりとした朝食を終えた頃、撮影スタッフたちがやってきた。

スタッフは朝食を終えたら急いで帰るスケジュールらしく、慌ただしく食事にありついていた。

在仁は忙しそうなエリカたちスタッフに挨拶をして別れた。

 部屋を出ると、雅秋と長定が待っていた。

 「結城様。長定様。お疲れ様でございました。お陰様にて、無事に撮影を終える事が出来ました。まことにありがとうございました。」

撮影中のあれこれは去る事ながら、宿泊場所などのお世話も全部が結城家の采配だった。結城家完全監修の危なげなさに感謝を。在仁が茉莉の腕を頼りにゆっくりと歩くのを見て、雅秋は恭しく申し出た。

 「いいえ。当然の事をしたのみにて。それより紫微星様。よろしければ、もう少し休んでいかれませんか?」

 「え?ええ…予定はございませんので、結構でございますが…。」

あとは今日中に帰るだけで予定はない。少し休んでから帰ろうと思っていた所だったので、別に構わない。茉莉たちも許可したので、在仁は雅秋の申し出を受ける事にした。


 ◆


 雅秋が誘ったのは、旅館内にあるマッサージルームだった。

予約制でプロのマッサージを受ける事が出来るサービスで、希望すればエステもある。

 「朝からこれは…贅沢、過ぎる…う。」

マッサージ用のベッドに仰向けに寝た在仁は、岩みたいな顔をした巨体の男の繊細な施術を受けていた。

部屋の中には引き続きの仲間たち。施術を受けているのは在仁だけだが、何も全員で取り囲んで見学している訳では無い。カーテン越しに在仁の声を聞きつつ、それぞれに椅子に座ってお茶を飲んだりしてまったりしていた。

カーテン内にいるのは在仁と、岩と、茉莉。

カーテンのすぐ外に控えているのは、浩然と雅秋と長定。この布陣にはちょいと過剰接待を感じる。

 「その者は特殊な技術を持った整体師でして。術力器官に効くと言う触れ込みです。」

 「術力器官に?凄い。そんなのあるんだ。」

 カーテン越しの浩然の解説に、茉莉が目を輝かせた。整体師の技術を盗もうとしている模様。整体師はプロであるから、見様見真似で習得できるはずが無いと思ったけれど、整体師は親切に茉莉に教えた。

 「ここがツボです。全身のチャクラを意識して、それと術力循環に添っていきます。」

 「やば、何言ってるか分からないけど、面白い。」

茉莉が面白がっているのは何だか恐いが、在仁は心地よさに抗えない。やばい、骨抜きになりそうだ。

 「ほかほかして参りました。」

 「循環が整ってきた証拠です。体が冷えているのは、循環が整っていない場合があります。」

 「なにそれ、調術じゃない?」

 「術力整体には術力異常を改善する程の効果はありません。日常に蓄積した疲労を和らげ、歪みを整える程度です。」

 「それでも凄い。何、術力整体って。私もやりたい。」

在仁はもう眠りかけで、茉莉は大興奮。この状況に、雅秋は大いに手応えを感じた。

 カーテンの前でガッツポーズをする雅秋に、東たちはちょっと引いた。

 「涙ぐましいわね。綿毛ちゃんの為に必死に接待して。ま、もう十二月だしね。やらかす訳にはいかないわよね。」

 在仁に気に入られようと必死、という感想に、雅秋は憤った。

 「そんなんじゃない。紫微星様は恩人だ。結城家は恩義を決して忘れない。紫微星様には結城家子々孫々に渡ってご恩返しをしていくが道理だ。」

 「綿毛ちゃんは不老不死じゃないのよぉ。」

結城家が子々孫々て、その頃は在仁だって天寿をまっとうしているはずだ。東が呆れたツッコミをするも、雅秋は相手にしなかった。

平家傘下の結城家が在仁にナイス接待をしているのを、惟継は高評価の顔で見ていた。

 「しかし、術力整体とは。面白い者を探して来たな。」

 「恩寵障害は不治の病でしたから、術力整体は知名度も無く古く廃れた分野です。調術の発展に伴い、必要性も薄れました。今では数人しかいないのですが、疲労回復には一定の効果が認められています。撮影でお疲れの紫微星様に、気に入って頂けるのではと。」

 「良い着眼点だな。在仁殿はさぞ満足した事だろう。」

 「恐悦至極です。」

カーテンの中の在仁の気配が完全に眠っている。相当に気持ちよさそうだ。

岩と茉莉がそれなりの音量で話しているのに、全く起きる気配がないのだから、効き目はばっちり。惟継は雅秋の接待を褒めて遣わす。機嫌が良さそうな惟継は、在仁の代弁のような口ぶりで結城家を褒め始めた。

 「在仁殿は、結城家が引き受けた難民たちの扱いにも、大いに感謝をしていた。ただの難民保護ではなく、社会復帰の手伝いをし、職業訓練まで受けさせたそうではないか。お陰で全ての難民が行き場を得た。手厚い対応に、在仁殿も満足していた。」

 「当然です。彼らは紫微星様からお預かりした者たちです。ぞんざいになど出来ません。」

 今年の二月。晦冥教(かいめいきょう)案件で在仁が保護した多くの難民たちを引き受けたのは結城家だった。その前に在仁と茉莉の夫婦旅行で、結城家のやらかしがあった為、その分の贖罪として受け入れたのだ。ただ贖罪とは言え、多くの難民を保護するのは、それだけで金や場所や人手が要るので相当な負担だ。

結城家に保護された後、難民たちの多くは在仁がつくった雇用助成金制度で再就職を決めて出て行った。だが、在仁の街づくりプロジェクトへの就職を希望した者たちは結城家に残っていた。結城家は彼らの採用試験合格のために全面支援をし、お陰で全員が見事合格を勝ち取った。彼らは来年には結城家を出て福島へ引っ越す事になるが、今はまだ保護し続けている状態だ。

そのため結局一年近くも難民を保護していた事になるので、結城家にとってはやはりかなりの負担であった。

もちろん負担した甲斐はあり、在仁は大いに感謝した。義理堅い家風の結城家としては在仁が喜んでくれたら、それだけで嬉しい。雅秋は満足している。

 「とは言え、戦後間もないタイミングだ。なかなか厳しかったのではないか?」

 惟継は在仁が爆睡していると思って、切り込んだ。雅秋は少し音量を下げて言った。

 「西家門はどこも戦による被害甚大ですから、今以て復興は終わりません。自家門の再生が途中である中、進んで難民を受け入れ、手厚く保護する事は出来ません。財政的にも、人手的にも、民の心情的にも。ですから多少無理をしたのは事実ですが、長い目で見れば必ず価値があると考えています。紫微星様との繋がりの強固たる事実が、結城家を守るはずと。」

難民を押し付けたのは、魔王様こと智衡(ともひら)の強引さであったから、拒否権は無かった。それでも手厚い待遇を選んだのは、将来の事を考えたからだ。これは一種の先行投資に似ている。在仁がこれを恩義に感じて、結城家を優遇してくれる事を期待しているのだ。何かあらば助けてくれる存在となってくれるはずと。

 「まぁな。九州には在仁殿の別荘もある。瀝青染(れきしょうぞめ)も御用達だ。そして此度の奨学金制度。在仁殿と結城家は切っても切れない繋がりを持っている。この関係を、大切にせよ。」

別荘の管理も結城家負担だが、在仁の拠点があると言うのは大きな価値だ。瀝青染の知名度は既に周知で、高級品だがひとつのブランドとして確立した事で、結城家を支える大きな財源となった。そして奨学金制度。話題性だけで入学希望者は増え、今後実施されれば優秀な人材が集まる。九州に最高峰術者の卵の集結は約束され、結城家にとって大きな力となる。それら多くの恩恵にあって、難民保護など何てことはない。

在仁が望む世とは、努力が報われる世だ。結城家の誠実に、在仁は必ず応えてくれる。その見返りを求めるのではなく、その正しき循環が成立する事に感謝を。共に理想を求める清き心を持たん。

 「清浄と正常を違える事なく勤める事でしか、紫微星様はお認めにはならないでしょう。我らはその光に顔向けできない生き方はしません。」

 雅秋の頑固な顔を見て、惟継は良い面構えだなと思った。惟継が平家や傘下に求めるのは、武士としての義だ。芯の通った武士たれ。汚職に塗れ家門を腐らせた過去の在り方を払拭するためには、正しき精神性が必要だ。結城家には雅秋という芯がある。だから大丈夫だと確信出来た。

 「とは言え、義で金は生み出せん。あまり頑なになり過ぎて困窮するなよ。民を飢えさせてはならぬ。」

 真面目な顔をして言った惟継を、東たちがぽかんとして見た。

 「何だ?」

 「い、いえ。なんでも。」

皆が目を逸らして、惟継は雅秋との会話を続けた。

 惟継は元々は平家当主となる身だった。それが無位無官の謎の男になった。東たちにとって、食えない参謀役という感じだったが、こうして見れば端々に統治者じみた部分をのぞかせる。この人本当は平家当主になる器と資質を持っていたのでは、と思わせる。在仁は惟継の事が大好きだし、信頼している。もしかしたら、こういう部分を知っていて慕っているのだろうか。

東たちは視線で会話したが、結論は不明。惟継は謎の男だ。

 この間も、惟継と雅秋は難しい顔でああだこうだ言っていたが、しばらくすると、惟継が思い出したように言った。

 「そう言えば、あのいわくつきの蔵は、このまま放置するのか?」

 惟継の唐突の問いに、雅秋が首を傾げた。

 「くら?」

何のこっちゃ。そこへ浩然が言った。

 「昨日、休憩時間に撮影地の近くを散策しました。その際、(やぐら)家の蔵を。いわくについては私が説明済です。」

 「説明って。浩然、楽しんで脚色したのではあるまいな。」

 「まさか。事実をありのままに話しただけです。」

 「櫓家については皆が脚色して語る故、最早原型を留めぬ怪談まである。ただの開かずの蔵だと言うのに。」

馬鹿らしいとばかりに雅秋が肩を竦めた。

そこに、東が興味を向けた。

 「でも一家郎党殺しちゃったんでしょ?」

 「財を奪い合ってな。まこと愚かな事だ。命を落としては財など意味は無かろうに。結果残されたのは、開錠方法の分からぬ蔵だけだ。それも当人が死んだからという単純な理由だ。祟りなどではない。」

言い切った雅秋の憤慨に、(すばる)が首を傾げた。

 「あれ?蔵は祟りで開かないんですか?」

 「いいえ。鍵がかかっていて開かないのです。」

浩然は当然の如く言った。事実をありのままに話した浩然は、祟りだのなんだのとは言っていない。それに気付いて、雅秋は咳払いした。

 「と、とにかく、あの蔵はもう長くあのままだ。年々妙な噂が増長して恐怖スポットと化している。いい加減、何とかせねばと思っている。」

 「何とかって?」

他人事だが気にはなる。皆の問いに、雅秋は辟易とした態度で言った。

 「専門家を雇って蔵を開くか、最悪は蔵ごと取り壊すか。所有者が死んで三十年程が経つ。もう良いだろう。」

 「だが、中には結城家をも凌ぐ財があるのだろう?開錠して無事に蔵を検めるがベストだろう。」

惟継は蔵の中の財に期待しているのだろうか、取り壊しには懐疑的だ。雅秋は困ったような顔で答えた。

 「ですが、これまでも蔵を開こうとした者はありましたが、結局は失敗です。どうやら鍵は特定の人物の生体自体だとか。亮厳(りょうげん)が死んだ以上、一生開く事は無いのでしょう。」

 「生体?それはなかなかどうして…。」

食えねー。惟継が悔しそうな顔をした。人間そのものを鍵にしちゃったら、死んだら開かないに決まっている。

 「絶対に誰にも財を譲り渡したくなかったのね。執念深いわぁ。」

 「強欲だから死んだんですから、因果応報ですよ。」

 「結局その財をあの世まで持っては行けなったって事だしね。哀れー。」

やんややんや言い出すと、惟継は結局皆この手の話好きだなぁと思いつつ、自分もそうなんだけど、と自嘲。

 「では、結局蔵を壊すしかないのか。」

 開かないとなると、壊すしかない。

 「壊すとなると、それはそれで祟りが何とかかんとか、周囲が煩いのですよ。過去何度もこの論争がされていますが、出口がありません。すっかり結城家の懸案と化しています。」

 「ま、開かぬ蔵はただ邪魔なだけだからな。」

 触らぬ神に祟りなし。結局あのまま放置するしかない。それが結論として、これから先ずっとあのままなのだろうか。

惟継は自分だったらとっくに壊してるかもな、と思った。だが結城家預かりとは言え、あの蔵は櫓家のものだ。もう櫓家は無く、遠縁も全員が相続放棄した。宙に浮いた蔵の所有権は暫定的には結城家にある。

 「なれど、もし虎太郎様が生存なさっておられれば…。」

 不意にカーテン越しに在仁の声がした。

 皆が起きたのか、と思ってカーテンの向こうを見ると、ゆっくりとカーテンが開いた。

 「虎太郎様は亮厳様がご指名になられた正当な相続人でございます。蔵の鍵は虎太郎様ご自身でございましょう。」

ベッドからゆっくりと降りる在仁を、茉莉が支えた。

 「でも、虎太郎って殺されちゃったんでしょ?」

 「ご遺体は見つかっておられないのでございましょう。なれば、可能性はゼロではございません。だからこそ、櫓家のお話は更に膨らみ、恐ろしい噂話をまことしやかに語られるのでございます。今後あの蔵に着手なさるとすれば、虎太郎様のご存命の可能性皆無と判断できます、七十年後くらいになるやも知れませんね。」

 虎太郎が何歳か知らんが、三十年前に幼子だったので、足す七十年くらいで寿命はとっくに尽きたって事で良いか。在仁が雑な事を言うと、雅秋ががっくし。

 「それはまた…。たかだか蔵を壊すだけの事を、子孫に残さねばならぬとは、馬鹿らしい限りですよ。」

 「まことにな。」

雅秋も惟継も蔵の祟りよりも、大きな蔵が邪魔と言う判断のようだ。二人が同意して、蔵の話は終わった。

 「マッサージ、とても気持ち良くございました。何だか元気になったような気が致します。まことにありがとうございました。」

 先程よりも顔色も良くなった在仁が笑って、皆が心から安堵した。

 「良かったです。気に入って頂ければ、また呼びますから、いつでも言ってください。」

 雅秋の満足顔には、整体師に金一封を、と書いてあった。在仁は丁寧に礼をとって別れを告げた。


 そうして体力回復した在仁は、九州に別れを告げ帰宅する事にした。転移扉で別れる最後の最後まで、浩然はしっかりと見送ってくれた。今回も安定のクオリティーだったな。在仁は結城家に浩然あり、と思ったのだった。

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