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432 蔵の事

 十二月上旬の九州はまだ紅葉(こうよう)が見頃だった。

最高のロケーションを前に、撮影スタッフたちも気持ちよさそうだ。

今日は、在仁(ありひと)の写真集の撮影日。唯一地方ロケで行われるここは、九州の術者学校に程近い場所。

写真集の売り上げが九州の術者学校の奨学金制度に充てられるという事で、それを意識して九州で撮影する事になったのだ。本日の衣装は和装で、九州と言えば在仁垂涎の瀝青染(れきしょうぞめ)の着物。この撮影のためにエリカが特注した着物は、在仁もうっとりする程に品が良くて美しかった。

 「似合うね。」

 素直に褒める茉莉(まつり)に、在仁は嬉しそうに微笑んだ。

 「着られてない?」

こんな超一級品の着物は大好きだが、自分には過分だ。在仁は嬉しいながら恐縮。汚さないように緊張しつつ身動きをとる。茉莉に見せながら、一緒にいる北辰(ほくしん)隊武士勢と惟継(これつぐ)にも見せた。皆が褒めようとした時、大きな声で答えたのはエリカだった。

 「全然。葛葉(くずのは)さんの為に仕立てたのだもの。葛葉さんでなければ着こなせないわよ。」

 自信満々のエリカを見ると、一緒に現れたのは結城(ゆうき)家当主・雅秋(まさあき)浩然(こうぜん)長定(ながさだ)だった。在仁はおなじみの九州勢に微笑んだ。

 「ご無沙汰しております。本日は撮影にご協力頂きまして、まことにありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。」

九州で撮影するのを快く許可してくれた雅秋に感謝を。在仁が丁寧に頭を下げると、雅秋は厳格な顔つきで首を振った。

 「まさか。術者学校は九州のもの。奨学金制度の話題で入学希望者は増え、奨学金制度を利用し更に優秀な人材が集まります事は、結城家にとってもたいへん喜ばしい事です。こうして紫微星(しびせい)様にお骨折り頂く事、こちらの方からお礼申し上げねばならぬものです。本日の撮影のサポートはお任せください。そして、その他にも出来る事があれば何でもさせてください。」

本日の撮影の差し入れとかケータリングとかお弁当とかはもちろん、その他車や機材の手配、撮影エリアの交通規制や警備、多くの事を結城家が取り仕切っている。しかも、全部結城家の負担で。

確かに、九州の術者学校は厳密には結城家の傘下という位置づけだ。平家における医療術者業界然り、運営において独立性を保っているが、事実上は統治家門に支えられて成っている。土地に根付いた先進専門分野が盛り上がるのは、統治家門にとっても大きな売りであるから、結城家にとって術者業界の最高峰を握っているのは家門政争における優位性を持つ。結城家門を支える大きな力の一つと言う訳だ。だからこの奨学金制度については、結城家は諸手を挙げてバックアップして然るべき立場なのだ。紫微星様が協力しているという制度のクリーンなイメージのおかげで、人々からは好印象。術者学校の好感度も上がっている。今後は更に優秀な人材が入って来る事間違いなし。その事に感謝を持って、この撮影を全面的に支えるつもりなのだ。

 「何かございましたら、なんなりとお申し付けを。」

執事みたいな態度で傅いたのは浩然で、在仁は出たな有能AIめ、と思った。

 「ありがとうございます。」

浩然は気が利きすぎる。何も言わなくても何でもしてくれるだろうという全幅の信頼を持って、在仁は受け入れておいた。

 「長定様も、どうぞよろしくお願いいたします。」

微笑みを向けると、長定は恭しく礼を返した。相変わらず、友だちなのに水臭い事だ。

 そうして撮影が始まったのだった。


 ◆


 絵に描いたような晴天と紅葉のコントラストの下に佇む清廉な在仁は、ド緊張で澄ました表情が逆に美しかった。

撮影は在仁の体調最優先で、休憩が多い。それは大前提なのでスタッフものんびり。用意された食べ物は大活躍だ。

座った在仁は白蓮(びゃくれん)を抱くと衣装に毛が付くとして取り上げられ、浩然が代わりに湯たんぽと毛布を持ってきた。寂しそうに佇む白蓮は何だか妙に絵になって、在仁は何となく携帯で撮影しておいた。

 「なんか食べる?」

 「大丈夫。茉莉食べなよ。おいしそうなものいっぱいあったよ。」

食いしん坊の茉莉に勧めると、嬉しそうに物色しに行った。可愛らしい姿を見送っていると、厳しい顔をした雅秋が長定を連れてやってきた。本日の現場責任者として撮影環境を監視して回っているのだろうか。何かやらかしたらその場で斬って捨ててしまいそうな迫力に、在仁は場違いでは?と思っていると、そのまま目の前にやってきた。

 「撮影を聞きつけて観衆が集まっています。どこで情報が漏れたのか、間者がいるのかも知れません。」

 「や、それは公式…。」

橘藤(きっとう)家公式HPも、北辰隊公式SNSも、本日は九州撮影です!とお知らせしてますから。在仁は何だかちょっとズレている雅秋が面白くて笑った。

 「ふふ。あの…。」

そして、抱いていた湯たんぽと毛布を椅子に置いて立つと、雅秋に向かって美しく礼をとった。

 「結城様。本年もたいへんお世話になりました。旅行や、難民の受け入れなど、多くの事にお力添え頂き、たいへん助かりました。こうして写真集の撮影に、結城様御自らご同席くださる事にも、結城様の誠意を強く感じております。結城様が常からご親切になさってくださるので、俺は些か甘え過ぎと自覚しております。結城様ならびに、御家臣様方から頂きましたお心に、少しでも報いる事が出来ますように精進して参りますので、どうぞ来年もよろしくお願いいたします。」

 「こ…こちらこそ。ご丁寧にごあいさつ頂き、恐れ多い事です。以前より申し上げております通り、九州は紫微星様のおかげで今があるのです。御恩に報いているのはこちらの方。紫微星様から何かを頂戴する由は何もありません。どうぞ、お気になさらず。」

雅秋は、紫微星様からは何も受け取りませんと言う頑としたノーサンキューの態度。そして立っていた在仁の肩を浩然がそっと掴んで、元の椅子に座らせ、湯たんぽを渡して毛布をかけた。その流れるようなビップ待遇に負けてはならぬ。在仁は座ったままで言った。

 「本来でございましたら、改めまして年末のご挨拶に伺いたき所でございますのに、このような場で申し訳なく存じます。」

 「ご挨拶もまた、こちらから伺うが筋でしょう。紫微星様から頂戴する訳には参りません。」

挨拶すら受け取り拒否だと?在仁がびっくりして見上げると、雅秋は譲らない態度だ。

本当は菓子折りを持って屋敷を訪ねるべきだったのに、今日ここで会うからと省略したのは失礼だったと思っていたのに、まさか挨拶自体を不要とされるとは。

 「え…っと、挨拶は基本で、俺の、趣味でございますので、お受入れ頂けない事は、寂しく存じます。」

しゅんとした在仁は、寂しそうな白蓮に似ていた。

それには流石の石頭の雅秋でもおろおろとしてしまった。その肩に、(あずま)がぽんと手を置いた。「どんまい。」

 「ご、ご挨拶くらいは頂戴せねば、礼儀に反します…ね。申し訳ございません。失言でした。」

 何故か在仁を慰める事になった雅秋は自分でも意味が分からない。そこへ、食べ物を調達に行っていた茉莉が戻った。

 「ああ!結城様、在仁の事いじめたんですか?殺しますよ?」

 「虐めてなどおりません!」

 なんだこれ。結局振り回されたのは雅秋なのだった。


 ◆


 衣装替えをして少し移動。

古めかしい風情のある武家屋敷が立ち並ぶ景色を歩くと、タイムスリップしたようだ。

まぁ地龍にはこういう景色はままあるのだが。勝手に『昼』の観光地にされないように出来ているので、通りには地龍の人間しかいない。それも今日は撮影のために通行規制されているので、貸し切りだ。

屋敷の中から撮影を眺める住人に、在仁は人の好い笑みで会釈しつつ、穏やかに撮影が進んだ。

和傘なんか渡されて広げてみれば、ロケーションも相まってなかなかの情緒だ。在仁は緊張しつつも少し慣れて来て、柔らかな笑みがこぼれた。

 休憩時間になり、在仁はのんびりと景色を眺めつつお散歩。そこにぞろぞろと皆が付いてくるので、大所帯だ。

スタッフは次の撮影の準備、雅秋と長定は厳しい顔で周辺を見回っているのが見える。在仁はあまり離れないように、皆が視界に入る範囲を歩いた。

 そこに、優れたAIの浩然が当然のように観光ガイドを始めた。

 「この辺りは特に古い屋敷が立ち並んでいます。戦火を逃れ現存する屋敷は、大切な文化遺産ですから、保存するようにしています。」

 「確かに古い町並みですね。ま、見てる方は良いですけど、屋敷の持ち主は新築に住みたいんじゃないですか?」

茉莉は在仁の手を引きながら言った。

 「屋敷の持ち主はもういないのですよ。」

 「え?空き家ですか?」

驚いた茉莉が浩然を見ると、浩然は古い屋敷を慈しむように見遣った。

 「戦死し家が潰え、屋敷だけが残されているのです。」

 「これだけ大きなお屋敷でございますから、さぞ大きなご家門様でございました事でしょうね。」

いつ失われたにせよ、当時は隆盛を誇った事だろう。想像は古びた屋敷を蘇らせる事はなく、ただ侘しさがそこに佇んでいるだけだ。

これまで戦により荒れた土地は多く目にしてきたが、持ち主に先立たれて残された屋敷は初めて。在仁はこういう悲しさもあるものだなと心を寄せた。

 そしてもう少し歩くと、屋敷の並びの端。そこで足を止めて先を見れば、これまた古くて大きな建物がドーンと構えているではないか。

 「あちらは、蔵でございますか?」

 でっか。象でも飼う気か?在仁が問うと、茉莉も驚きを漏らした。

 「うっわ。こんな大きな蔵、何のために建てるんですか?」

さぞ大きな商家の倉庫だろうと思いながら在仁が見上げると、浩然は意味深な間を置いて、神妙に言った。

 「そこは、いわくつきの蔵なのです。」

 「げっ、なにそれ。」

唐突に始まった怪談に、茉莉が在仁の腕にしがみついた。絶対におばけなんか怖がる質ではない。かと言ってぶりっこなんかするタイプでもない。在仁は茉莉を抱き寄せながら浩然を見ると、浩然は自己演出過剰気味に語り出した。

 「今から三十年余り前の事です。ここには、(やぐら)家という大きな商家がありました。古くからの商家でしたが、それを大きくしたのは当時の当主・亮厳(りょうげん)でした。亮厳の商才により、櫓家の財は九州屈指と言われ、結城家を凌ぐのではと噂される程に成長しました。亮厳は一代にして莫大な財を築きましたが、たいへん偏屈な御仁で、あまり人が好んで寄り付くタイプではありませんでした。寄って来るのは金目当ての者ばかり。親族ですら亮厳の遺産を目当てに擦り寄っていました。それが為に、亮厳は更に人を疑うようになっていきました。」

 茉莉が在仁の体にぎゅっとしがみついたので、在仁は本当に怖いのか?と思って見下ろした。すると、茉莉の顔は怯えも無く真剣に浩然を見ている。ああ、俺を守っているのか。在仁は茉莉がくっついている理由が分かって微笑んだ。怖がりの在仁を守ろうという健気な茉莉に、在仁は嬉しくなってしまった。少々卑怯と思いつつも、怖いふりをして茉莉に抱き着いておいた。

と言うか、まだ怪談が怖い部分に入っていない。浩然の話が気になってしまい、在仁は視線で先を促した。

 「そんなある時、亮厳の後継者である子息・藤十郎(とうじゅうろう)が死にました。そのあまりに唐突な死の原因は、まったく分かりませんでした。ですが亮厳は、遺産を狙った殺人だと言い出しました。親族は亮厳の遺産狙いですから、藤十郎を殺して相続権を奪おうとしたのだと思ったのでしょうか。疑心暗鬼に駆られて殺人だと言い出した亮厳は、誰の言葉にも耳を貸さずに、すべての財をこの蔵にしまって鍵をかけました。亮厳にしか開く事の出来ない、頑丈で特別な鍵を。以来、親族はもちろんの事、泥棒までもがこの蔵を開こうとしましたが、誰も開いた事はありません。」

 「今も?」

 「ええ、今もです。」

深く頷いた浩然は、三十年程前の話を続けた。

 「亮厳がいなければ蔵が開きませんから、殺される事はないという保険だったのでしょう。ただ、亮厳は高齢でしたからそう長くはありません。遠からず亮厳は正当な後継者を指名し蔵の開錠方法を教えるはずです。そうとなれば、親族内の相続争いは激化していきました。醜い争いが続く中、亮厳が後継者に指名したのは、まだ年端も行かない亮厳の末の子息・虎太郎(こたろう)でした。虎太郎は亮厳の子とされていましたが、亮厳は高齢で、虎太郎を生んだ女は不明と言う、なんとも謎を孕んだ存在でした。ただ、虎太郎の顔が亮厳の子どもの頃にそっくりだったので、亮厳の血筋に相違ないのは確かでした。まるで生き写しの如く自分に似ている虎太郎を、亮厳がたいそう可愛がっていたのは周知の事実でした。亮厳はその虎太郎に、櫓家の財のすべてを相続させると言い出したのです。それには、親族が激怒しました。そもそもが亮厳の実子であるとも知れぬ虎太郎に、まさか全財産を相続させるなどという暴挙があろうかと。ですが亮厳は頑固で偏屈ですから、一度決めたら曲げません。誰の言葉も聞き入れず、虎太郎に相続させるという正式な手続きを進めました。」

 「ど、どろどろしてきた…。」

これは怪談ではなく、昼ドラでは?茉莉が在仁を抱きしめたままで言うと、浩然は目を細めた。それが、まだまだここからだぞ、と言う風に見えた。

 「そんな中、虎太郎が消えました。」

 「え?」

 「亮厳は、虎太郎が相続する事に納得しなかった親族の仕業として大激怒しました。そして法律上の相続権の高い者から順番に、手にかけていったのです。」

 「え?殺しちゃったの?」

 「ええ。次々と。狂ったように。」

浩然がまるで自分が見たことのように言うので、在仁はぞっとした。

 「そ、それで、虎太郎様は…?」

 「虎太郎は、親族が結託して殺してしまったのだそうです。亮厳が愛した顔を焼き、行先不明の転移陣で飛ばしてしまったと。それを知った亮厳は更に怒り狂い、親族のみならず家人を手にかけ、最後には屋敷に火を放ち自殺してしまったのです。そうして、櫓家にはこの蔵だけが残りました。」

 誰も感想が出ず、しん…と嫌な沈黙が落ちた。在仁は話を聞いてから蔵を見ると、めちゃくちゃ不気味に見えるなと思って本気で怯えた。茉莉をぎゅっとすると、茉莉もぎゅっとしたのは、二人で怖がっているように見えるのだろう。浩然が良い仕事したわー的な満足気な顔をした。

 「その後も、櫓家に関わる者の不審死が相次ぎ、恐れた遠縁も相続放棄を。結局蔵は開かぬままに残され、今は結城家の預かりとなっております。」

 おしまい。って、終われないんですけど?在仁は怖いながらうずうずした。

 「この蔵の中に何が入っているのか、どなた様も存じ上げないのでございますか?」

 「ええ。ただ、亮厳は骨董などを収集する趣味がありましたので、そうした美術品が多く収められているのではないかと言われています。」

蔵の無機質な佇まいの中には、亮厳の怨念が詰まっているのではないか。実に恐ろしい。

在仁がマジで茉莉にくっついて気持ちを落ち着かせていると、東達もぞっとしたのか言った。

 「骨肉の争いねぇ。おっそろしいわぁ」。

 「何も殺す事ないですよね。」

 「そもそも死に過ぎだろう。実話か?」

 「作り話か、尾ひれの付いた噂話ですよね?」

 「でも蔵は本当にある訳でしょ。」

 「こわ…。」

やっぱり一番怖いのは人間だよね。北辰隊勢が口々に言うと、惟継が腕を組んで何か考えながら言った。

 「櫓家か。聞いた事はあるな。確か、相当な好事家だったとか。そのコレクションがこの中にあるとすれば、とんでもない価値だろうな。」

 「ええ。ですから、強引に鍵を開く訳にもいかないのです。下手な事をして蔵を損壊させては、中の物を壊しかねませんから。」

 誰も相続しないため結城家が預かっているというが、中身が結城家の財を上回るかもと言われているとなると、簡単に取り壊したりは出来まい。

 「三十年も経過しているのだから、結城家の召し上げと言う事だろう?」

 「一応は。ただ、その殺された虎太郎だけは遺体が確認されていませんから、もし生きて見つかれば相続権を認めるべきと。」

 「親族に顔を焼かれて捨てられた幼子など、生きてはおるまい。」

 「となりますと、祟ると致しますれば、亮厳様よりも虎太郎様でございましょうね。」

 大人の身勝手で殺された幼子を思うと実に悲しい。祟るべき相手もすでに亡く、虎太郎の成仏を祈るのみだ。

 「幼子が相続したとて、何の役にも立つまい。親族の怒りも尤もだがな。」

だからって殺す事はないけれど。ふん、と鼻を鳴らした惟継の興味は蔵の中の財だけっぽい。別に蔵が開いたからって、惟継には一銭も入らないけどね。とはいえ、確かに蔵の中には興味を引かれるものだ。

 茉莉は話自体の信憑性を疑うように、蔵を見上げた。

 「開かずの金庫って、大体が何も入ってないよね。」

 「はは。これだけのいわくがあって空だったらずっこけるよね。」

亮厳の遺産を狙って命を落とした多くの人々が浮かばれないにも程がある。だが、欲をかいた人の業と思えば、空の方が良い気もする。

 何はどうでも、この蔵は開かないのだ。開かないからこそ、人々の興味を引き続ける。

 時計を見たら休憩時間が残りわずかだ。話が長くなってしまったと気付いて、撮影場所へ戻るためUターン。そして蔵を背にして歩きながら、惟継が訊いた。

 「しかし、随分と詳しいのだな。結城家では有名な話なのか?」

 「ええ、まあまあ有名な話ではあります。開かずの蔵は魅力的ですから。それと、日下(くさか)家が櫓家の遠縁でして、私は幼い頃に亮厳殿を見たことがあります。それで印象に。」

 「え?実物を?」

ただの怪談で片付けようと思ったのに。茉莉がびっくりして問うと、浩然は頷いた。

 「ええ。日下家は廃されていますから、櫓家の遺産相続の御鉢が私に回って来る事はありませんでしたが。」

 「回ってきたら相続するんですかぁ?」

 「ま、しないでしょうね。祟られたくありませんから。」

ふっと笑った浩然は全然祟りを信じていない様子。揶揄われているのかも知れない。

皆が馬鹿らしくなって話題を放棄して歩き進むと、浩然が立ち止まって後ろから言った。

 「それと。櫓家に関してもう一つ気になる事が。」

 在仁が振り返ると、蔵をバックに立っている浩然の真面目な顔に影がかかった。

 「好事家の亮厳が生涯執着していたのが、翡翠眼(ひすいがん)だというのです。」

 「え?」

 ぞくっとした在仁に、浩然はやんわりと首を振った。

 「翡翠眼は古くからある美術品ですから、ただ好んでいただけとは思いますが。亮厳は大きな蔵を建てた後も、翡翠眼だけは手元に置いて、決して誰にも触らせなかったと言う話もあります。」

 「…それは…。」

蜻蛉(かげろう)、と関係があると言いたいのか?在仁が戸惑いと恐怖を混ぜて浩然を見つめると、浩然は歩き出した。

 「今となっては確かめようもない事です。申し訳ございません。思わせぶりな事を。ただお耳に入れておきたかったのです。」

 「さようでございますか。」

在仁がどう受け止めていいやら、と思っていると、惟継は冷めた口調で言った。

 「もし蜻蛉が関わっていたとしても、もう終わった事だろう。翡翠眼に関わる話など、平家の落人伝説の数程ある。真偽は不明だ。」

 確かにもう三十余年経過している上、生存する関係者がいないとなれば、今更真実を追求する術もなく、意味もない。問題は蔵が残っている事だけだろう。ばっさりと切って捨てた惟継に東が笑った。

 「あはは、平家の落人伝説、本当に全国各地にあるわよね。一体どこまで逃げてんのよ。」

 「すべて偽りだ。どうせ坂東の野蛮人どもの浅はかな嫌がらせだろう。」

 「へぇ。」

東と惟継が言い合い始めると、櫓家の話は一気にどっかへ行って、またいつもの明るい雰囲気に戻っていった。

 在仁は茉莉に手を引かれて撮影に戻ったのだった。


 ◆


 休憩を挟みつつ、本日の撮影が終わったのは夜だった。

夜景と星空のロケーションでの撮影をして終了となると、今日は結城家が用意した温泉宿に全員でお泊りだ。

 在仁はこの大人数での宿泊に、修学旅行的なわくわくを抱いた。

 「浩然様と長定様もご一緒いたしましょうよ。」

 雅秋は厳めしい表情で去ってしまったので誘えなかったが、浩然と長定は在仁の世話役として置いて行かれた。二人は仕事中の身だが、在仁は構わず誘った。

 「大浴場がございましょう?皆で参りましょう。」

今回は在仁と茉莉は別の部屋だ。何故かエリカは茉莉と同室。親友同士夜は盛り上がりそうだが、敢えてエリカが茉莉と同じ部屋に拘ったのは、在仁の体を案じてか。在仁は考えすぎか、と思って邪推を払拭した。

在仁に強引に誘われた浩然と長定を含め、北辰隊男性陣と撮影スタッフがみんなで大浴場へ。芋を洗うような人数を、悠々と受け入れるキャパには大感謝だ。

 湯舟につかった在仁が体をほぐすと、皆も気持ちよさそうだ。

 「明日の撮影に備えたんでしょ。また寝坊されたら困るし。」

東が在仁の鎖骨を指先でなぞった。在仁は「ひゃんっ」と変な声を出してしまって顔を赤らめた。

 長宗我部(ちょうそかべ)家の接待で温泉旅行に行った時、在仁は茉莉とハッスルし過ぎて盛大に寝坊した。あれを示唆されていると思うと、更に恥ずかしい。真っ赤になった在仁を見て、佐長(すけなが)が止めた。

 「揶揄うものではない。のぼせてしまうぞ。」

擁護してくれるつもりだろうが、何となく呆れられている気がして気まずい。それを、浩然が何の話だとばかりに視線を向けて、親切ぶって惟継が説明してやるものだから、更に恥ずかしさがこみ上げた。

 「もう!良いではございませんか!」

 皆にイジられて愛されているのは分かるが、耐えられない。在仁は稔元(としもと)(すばる)を誘って湯舟を出た。全身が真っ赤で、それがまた恥ずかしかったのだった。

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