429 監視の事
時は戻り、十二月のお茶会の翌日。
在仁は年末の挨拶回りを始める事にした。まめな在仁は、お歳暮を持ってお世話になった人たちを訪ねるのは、結構好きなイベントだ。
本当ならば御年賀もお中元も欠かす訳に行くまいと思うが、御年賀は地龍公式新年会、お中元は地龍公式慰霊祭にて、挨拶が済んでしまう。敢えて家々を訪ねる機会があるのは、この年末のみだ。
今年特にお世話になった人たちを厳選してアポ取りを済ませ、気の利いた手土産を持って、さぁ出発。
本日は鎌倉へ。
転移扉を越えると、そこで要が待っていた。
「おや、要様。おはようございます。」
「紫微星様、皆さま、おはようございます。本日は私がご案内役を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。」
要が待ち構えていたのは別に約束でも何でもない。源氏本家を訪ねる時間は伝えてあったが、鎌倉に来る時間は伝えていない。もしかして、転移扉の前でずっと待っていたのだろうか?
「有難いお申し出なれど、要様はお忙しいのではございませんか?」
在仁には、茉莉と北辰隊武士勢が一緒にいるので、護衛体制も万全。鎌倉はもう何度も足を運んでいて、案内は不要。何故要が案内を申し出たのか謎だ。
「いいえ。頼優様よりの厳命にて、お待ち申し上げておりました。車の用意も出来ております。何もお気遣い頂く必要はありません。本日の日程は存じております。どうぞ、ご遠慮なく。」
「えっ…、はぁ、分かりました。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
驚きながら受け入れた在仁に、要はもっさりした頭を丁寧に下げてから歩き出した。
その後ろを歩きながら、茉莉が在仁の袖を引っ張った。
「どういうこと?なんで要様がいるの?」
「多分、見張りじゃないの?」
「見張り?何の?」
「今日は源氏傘下の家々を回るでしょ?俺が今日、どこの家で誰と会って何を話すか、見張りたいんじゃないの?」
「何で?」
「俺に失礼な事をしないか、とか?まぁ、もう十二月だし。」
こそこそと話す在仁は、不本意そうな苦笑を浮かべていた。もう地龍公式新年会まで一か月を切っている。紫微星様に無礼を働いては、取り返しがつかない。頼優の目の届かない場所で源氏傘下がやらかしたら、大失点になってしまう。そのためのお目付け役として、要は派遣されてきたのだ。
在仁は自分が家格競争に影響力がある事を認めたくないので、何とも言えない気分だ。
「何それ。だったら十二月は在仁と関わらない方が良いって事じゃん。」
紫微星様への失態を恐れるならば、そもそも会わなければ良い。くわばらくわばら。茉莉の意見に、在仁はちょっとショックだ。
「何か、俺が挨拶回りをするのって、返って皆さまにご迷惑をおかしているのかな。」
しゅん…としかけた時、前を行く要がくるっと振り返った。
「そんな事はありません。紫微星様のなさりたい事に、迷惑な事など、何一つとしてありません。頼優様はただ円滑な行程をアシストしたいだけです。この接待は純粋な好意です。」
念押しに念押せ。要が語気を強めて言ったのは、何かを否定したい感情が見え見えだ。
呆れた東は、ずばっとその核心を突いた。
「どうせ、北条が何かやらかすと思ってるんでしょ。」
ぐさっ、と急所にクリーンヒットしてしまい、要はぐうの音も出なかった。
「ああ、なる~。」
超納得した茉莉に、在仁は苦笑した。
「そこ納得しないで…。」
◆
そんなこんなで、まずは安達家を訪ねた。
当主・盛道と、道白が待っていてくれて、本家屋敷の座敷へ案内された。
北辰隊武士勢は、四人が外で待機し、二人が在仁に張り付いて一緒に中へ。襖を挟み、座敷の外に一人、中に一人という配置。何だか貴人にでもなった気分だが、そもそも在仁一人に六人も護衛が付いているあたりビップ過ぎる。今更だが。
在仁の隣にいる茉莉と白蓮もただの同行者ではなく護衛要員みたいな面もあり、皆に守られていると言うのを痛感する。
「本年もたいへんお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。」
丁寧に挨拶をする在仁に、盛道と道白も頭を下げた。
ちなみに要は在仁の斜め後ろで謎の背後霊になっている。盛道も道白も全く要に触れないので、要がいる事は予め知っていたのだろう。要は会った時に今日の予定を知っていると言っていたので、頼優が家臣たちに確認して在仁のスケジュールを把握したのだと想像。そして当日は要の案内にて、と言ってあったのだろう。だから下手な事するなよ、という牽制だ。
在仁はそれらを想像すると、やはり在仁が訪ねるだけで気を遣わせてしまっているので申し訳ない。茉莉が言うように、この時期は誰も紫微星様に会いたくないのではないか。ちょい卑屈な気持ちになりつつ、話題転換。
「いよいよ福島の街づくりの方も、建物が建ち始めました。道汐様もお引越し作業に追われております。」
「ええ、道汐から聞いています。順調に進んでいるようで何よりです。何か力になれる事があれば何でもおっしゃってください。」
「ありがとうございます。」
道汐から直接話を聞いていると言う事は、安達家と道汐の関係は修復されたと分かる。在仁はほっとした。
思い返せば、北海道旅行で道汐をスカウトしてきたのは今年の事だ。ニック達をスカウトしたのも同じ北海道旅行の時で、その時に八尋にも出会った。道汐の婚約者であるはるかと出会ったのも今年だし、そして街づくりに採用したジョーやソウたちと出会ったのも同じく今年の事。そこまで遡って思い出せば、柴謙に出会ったのも今年だったような。なずなやその師となる元助もこの夏出会ったのだし、輝之や昴宿隊員たちとの出会いは最近の事だ。もしかして今年は人材大豊作の大当たり年だったのではないだろうか。
もっと言えば真珠と再会し弟子にしたのも今年で、妙をスカウトしたのも、お茶会を持ったのもこの夏であるから、出会いの年と言って良いのかも知れない。色んな事があったが、とても良い年だったのではないだろうか。
こうして安達家からの支援の申し出があると、色んな人との縁に支えられているのも実感が湧いて来る。在仁はやはり縁は大切にせねばと思った。
そこへ、盛道が言った。
「奨学金制度の寄付金の方は、相当な額になっているようですね。」
「ええ、ありがたい事です。皆さまのお力添えがあってこそ、成せるものと感謝しております。」
そう、実は在仁が忘れている間にも、橘藤家公式は紫微星様情報を小出しにして煽り、奨学金制度の寄付金を集めていた。お陰で既にとんでもない額が集まっているのだ。これがクラウドファンディングだったらとっくに目標額を達して窓口は閉鎖しただろうが、おあいにく様上限の無い永久窓口であるから、まだまだ募集中だ。
「写真集が発売されれば更に集まるでしょう。発売の目途はたったのですか?」
「う…いいえ。俺があれこれと奔走しては寝込むもので、撮影が滞っておりまして。お恥ずかしながらまだ…。」
そう、事件に首を突っ込んでは虚弱をかましているので、撮影が出来なかった。残念ながら発売日は未定だ。多分、来年には発売されるんじゃないか…な?
「そうでしたか。葛葉くんの体が一番大切ですから、無理せずにやってください。」
道白が微笑んで、在仁は恥ずかしそうに笑みを返した。虚弱はずかしっ、と思ったのだが、道白は真面目なトーンで言った。
「先日も呪術工房壊滅に一役買っていたと聞きました。活躍を耳にする度、また無理をしたのではと気が気ではありません。どうか自重してください。葛葉くんの代わりに動ける者はいくらでもいます。出来る事があれば、安達家はいつでも動けます。それを忘れないでください。」
ちょっと説教されてるくらいの圧があって、在仁はびっくり。隣で大人しく良妻ぶっていた茉莉が、在仁の背をポンポン叩いて同意した。「ほんとそれ。」と言っているのが伝わって、申し訳ないやら情けないやら嬉しいやら。
「ええ。まことに、ありがとうございます。」
あはは…。いちいち寝込まなかったらこんなに心配されないのに。遠くを見つめる虚無の心で無常を感じていると、道白が言った。
「先日の救済院の事件に絡み、美容詐欺師を捕まえたとか。美容詐欺は古くからありますが、治すつもりが一生消えないあざを負わされる事も少なくありません。ですがその被害者たちを、紅殿の助手が助けていると聞きました。今まで治らなかったものを治すのですから、また新しい風が吹きそうですね。」
何だか宇治山家の事も全掌握っぽい含みがあって、道白の情報網の凄さをひしひし感じる。在仁は慄きつつも、返答した。
「ええ。紅様が惚れ込まれ、自らスカウトなさった助手でございますので、きっと素晴らしい星影でございましょう。」
と言っても紅はみよの毒草栽培の才能に惚れ込んだみたいだが。在仁はそれも意味不明過ぎて恐い。
そこに、茉莉がさらっとぶっこんだ。
「おみよ様は毒草を育てるのが上手らしいです。紅様はそれが気に入ったみたいですよ。だから紅様の庭は更に毒草だらけになるんじゃないですかね…。」
「ちょ…。」
「なるほど。毒草ですか。まぁ、毒も薬と申しますから、有用なのでしょう。ほら、術力干渉剤に使われているのも、毒草を精製したものですし。葛葉くんは術力干渉剤を服用していますから、葛葉くんにとっても毒草は必要なものでしょう。」
「「え?」」
道白の感想に、在仁と茉莉がびっくりしてハミング。
「あれ、知りませんでした?術力干渉剤の主成分は何とか芥子とか言う毒草ですよ。ほら、石川薊が源頼秀様に頼優様を暗殺させるために術力干渉剤を渡したでしょう?あれは石川薊が自らつくったものではないでしょうか。」
「何とか芥子…、もしかして、妖芥子でございましょうか。名は存じておりますが、用途までは存じませんでした。」
思い出して見るに、薊が教えた毒草の中に妖芥子というものがあったが、深くは言及していなかった。術力干渉剤に使われると言う事は普通に栽培されているので、珍しくもないのだろうから、薊自身そう興味が無かったのかも知れない。
薊を思い出すと少々気持ちが悪くなってしまい、在仁は胸を撫でた。
茉莉がその背を優しく撫でながら言った。
「術力干渉剤て毒草が使われてたんですね。あ、だから在仁の薬の調合って難しいのかな。在仁って毒耐性があるから。」
「そうか…そうなのかも知れない。」
だとすれば、煤竹にはつくづく苦労をかけているな。
「だとすれば、その助手、紅殿が惚れ込む程の毒草栽培の腕があるのですから、良質な妖芥子を栽培できるでしょう。葛葉くんの薬の精度が上がるかも知れませんね。」
「わお…。」
思わぬ着眼点に、在仁は驚いた。みよの毒草栽培の才能が一体何の役に立つのか、紅しか知らないゾーンと思っていたが、在仁にも関係があったとは。ちょっとこの辺りはきちんと確認しておかねば。在仁はいい勉強になったと思った。
◆
安達家を後にしてから訪ねたのは、北条家。
着いた時には春家とツインズが揃ってお出迎えしてくれた。当主・春家と後継者・春文は分かるが、春純は在仁来訪に合わせて帰省してくれている…のか?もしそうなら申し訳ない。在仁の斜め後ろに立っている要からは、頼優の名代ですと言わんばかりの緊張感が放たれていて、それも申し訳ない。そんな申し訳ない気持ちを含めて、在仁は丁寧に挨拶をした。
「本日はお時間を頂戴いたしまして、まことにありがとうございます。」
招かれた広い和室は、アポ取りしてあったためポカポカに暖めてあった。
在仁は持って来た菓子折りを差し出し、丁寧に礼を取った。
「本年はたいへんお世話になりました。年内もあと僅かとなりましたが、皆さまにおかれましては、恙なくお過ごしください。そしてまた来年もどうか、よりよき世のためにお力添えくださいますよう、お願い申し上げます。」
美しき所作で心からの言葉を伝えると、ツインズは有難い経典でも聞いたみたいな恭しさで礼を返した。
「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、紫微星様には大変お世話になりました。本来ならばこちらから出向かねばならぬ所を、このように御来訪頂きました事、心よりお礼申し上げます。これまで紫微星様に頂きました多くのご恩に報いる事ができますよう、来年も精進してまいる所存です。」
「来年こそは、北条家門を挙げて、必ずや紫微星様の御役に立ってご覧に入れましょう。どうぞ、どのような事でも御申しつけください。我々はその時を常に待ち望んでおります。」
まるで在仁の忠臣のようにツインズが答えると、後から春家がへらっとした軽い態度で言った。
「どうして葛葉くんの方から来ちゃうかね。お陰で俺はまたも怒られまくりだよ。しかも、今日は要までいるじゃない。何なの?俺の一挙手一投足を頼優にチクるための要員なの?誰一人として俺を信用していないこの四面楚歌状態は何なの?俺が葛葉くんに何をすると思われてんのよ?むしろ教えてくれ。期待に応えるから。」
「「煩い、黙れ。殺すぞ。」」
ツインズが猛烈な殺気で強引に春家を黙らせた。季節は十二月であるから、春家のアホ発言で命取りになりかねない。ツインズの怒りは北条家門の代弁だ。
その術力圧に、在仁は胸を押さえた。茉莉が背を撫でて、何とか耐えてから言った。
「けほ…。お元気そうで何よりでございます。」
春家とは下着泥棒の件で関わってからまだ日が経っていないので、久しぶりと言う感じが無い。在仁は変わりなくて良かったと思った。
「先般の件にて、北条家には少々無理を強いてしまいました。世間の風評の影響もまだございましょうし、御心易き年越しではございませんでしょう。ご心中、お察し申し上げます。」
在仁の要求にて北条が行なった、連続放火の被害者支援は結構な額がかかっただろう。春家にはまだ下着泥棒説が残っているし、悪しき噂の根絶は難しい。それでも北条家は地位を守り、誇りを取り戻しつつある。やはり真に強い家門は、何があっても揺るがないのだろう。北条が度重なる失態やら何やらがあっても、こうして権力を持つ大家門として存続しているのは、その価値と実力が本物だからだろう。
「いいえ。まさか。紫微星様のお陰にて、我が家は救われたのです。まことに、ありがとうございました。」
キリの無いお礼合戦は、年末に一年を振り返ってしまった所為だ。だが、在仁はその作業のお陰でひとつ思い出した。
「そう言えば、春純様。六波羅探題にお引き受け頂きました、木曽のお猿さんは、いかがお過ごしでございますか?」
夏に、木曽勝久を成敗したのを覚えているだろうか。人間以下のお猿さんだったので、源氏中から恨まれて地位を剥奪され、六波羅探題で労役を科された。あの時、その後の生死の保証はしませんよ、というスタンスだった。生きてる、よね?と思いつつ尋ねると、春純は嘆息してから言った。
「しぶとくも、まだ生きてはいます。」
生きてはって、どういう意味だろうか。恐くて訊けない。在仁は色々と残酷な想像をしてしまって、勝手に怯えた。
だがそんな事は全く考えもつかない茉莉が訊いた。
「生きてはって、何して暮らしてるんですか?」
「まつ…。」
恐い恐い。訊かないで。在仁が止めようとすると、春純は普通に答えた。
「時若の下に配しました。今は若にしごかれています。」
「時若様に?時若様って確か、鞍馬基地の門番してたんじゃ?」
茉莉が北条時若の存在を思い出しながら問うと、在仁ははっとした顔になった。
「それはまた、絶妙な配置でございます事。なればお猿さんはさぞ大人しくなられた事でございましょう。」
「まぁ、それなりには。六波羅探題の鍛錬はとても厳しいですから、己の実力を知ったでしょう。ここから這い上がれるかは、まだ分かりません。」
六波羅探題は地龍イチ厳しい部隊として名を轟かせている。その鍛錬の辛さは並ではなく、一種の懲罰と誤認するレベル。それを科されるだけでも十分に山猿を懲らしめるに値するが、時若の下という配置が更に山猿を苦しめているだろう。
在仁が想像しながら頷くも、茉莉は首を傾げた。
「え、何で?時若様ってアレじゃないですか。山猿を調教出来る気がしないんですけど。」
アレって言うのは、茉莉的には大っ嫌いな人であると言う嫌味だろうか。アレに入る言葉は良く分からないが、馬鹿とかアホとか?在仁は茉莉の言い方に面白がりながら解説した。
「いやいや、時若様はお優しいけど、お強いから。ほら、時若様は、元・六波羅探題隊長・時松様のご子息だよ。時松様が六波羅探題隊長を続けていたら、その後を継ぐはずだった人だ。だからお血筋も実力も間違いのない強者だよ。例の失態がために地位を追われ、今は六波羅探題内の下位の職に就いているだけ。実際の強さは言うに及ばないよ。その時若様が、俺程度に負けるようなお猿さんに劣るはずが無い。でもお猿さんは世情に疎いから、そんな事知りっこない。地方基地の門番風情でしかない時若様がとんでもなく強いって事は、六波羅探題の実力水準が余程高いと感じるはずだよ。時若様に勝てないお猿さんにとっては、六波羅探題の殆ど全員が格上って事になる。だからなかなか絶妙な配置なんだよ。」
「え~、詐欺じゃん。山猿騙されてんの?」
実際は時若の実力は六波羅探題でも上位に当たるのだろうが、地位が低いので詐欺だ。そうとも知らない勝久は、六波羅探題の強さを思い知って傲慢な態度を鎮静化、させているのだろうか。
茉莉が詐欺、と言うのに対して、春純は澄ました顔で言った。
「ま、知らないと言う事はそれだけで損と言う事です。」
そういう事。地龍で世を渡って行くには、それなりに世情を把握し、時代を読む力がなければ。信州の山奥で小さな世界の大将をして満足していた勝久には、そういう力が皆無だ。だから猿と呼ばれるのだ。
「幸せとも言うがな。」
春文の嘆息には、侮蔑が含まれていた。
「猿が一人で幸せな世界な。」
春純はそれを完全否定。その視線がちらりと要を捕えた。要は相当に勝久に虐められていたらしいので、憐れまれているのだろうか。在仁も気になって要をちらっと見たが、要は顔を隠すように髪を伸ばしているので、元々あまり表情が見えない。
今更蒸し返しても、と思った在仁は要をそっとしておいて話を変えようと思った。だが、そこに春家がさらっと言った。
「要も良かったじゃん。いじめっ子が断罪されてさ。すかっとしたっしょ。」
うわわ、と驚いた在仁が触れて良かったのかな、と思って要を見ると、要はただ頭を下げただけで何も言わなかった。要は頼優の側近秘書という立場。戦災孤児で出自も不明であるため、頼優の後ろ盾無くば何の力も無い。ここにいるのは頼優の厳命にて監視しているだけ。余計な事を言う権利はないと、身分を弁えて控えているように見えた。
春家はそれを気にもせずに言った。
「ま、要を虐める奴なんて、いくらでもいるもんな。猿一人消えたくらいじゃ、変わらんか。」
「え?」
そうなん?在仁がびっくりして見ると、要は首を振っただけだった。この場で発言する気は無いのだ。
それを見た春家がどうでも良さそうに説明した。
「出自不明で大した才があるでもないのに、頼優のお気に入りだからな。やっかみも合わせれば、各方面から睨まれるのもしょうがない。」
頼経は幼い要を拾ってから、頼優の側近にすると決めて育てて来た。頼優と要は兄弟同然に育ったのだから、頼優は要を家族として扱い、大切にしているのだ。そんな要を面白く思わない者は、確かにいるのだろう。けれど在仁は、大した才が無いと言う評価は聞き捨てならない。
「俺には、要様が頼優様に欠く事の出来ません大きな存在と思われます。要様は、優れたる御方。大した才が無いなどとは、誤解でございますよ。」
「紫微星様、結構ですから…。」
やっと口を開いた要は、在仁をやんわりと制止した。
「なれど…。」
言い足りない在仁に、要はもうやめてくれと言わんばかりの態度だ。要に迷惑をかける事は本意ではないので、在仁は不完全燃焼ながら引き下がった。
北条ツインズはそれを、「紫微星様は親父の事すら良い人だと言うからな。」とか言っていて、全然真に受けていなかった。在仁はたいへん悔しい気持ちになったが、我慢した。
◆
北条家を後にした在仁は、たいへんもやもやした。
要の評価が低いからだ。要は頼秀の謀略にいち早く気付いて、一人頼優を守り抜いた人だ。そのお陰で頼優は生きているのだから、源氏に欠かせぬ大きな功績を持っているはず。なのに、頼優のお気に入り程度の評価と立場なのはおかしい。
もやもやしたが、要が受付拒否しているので言えない。在仁は息を殺すような気持ちで本音を飲み込んで我慢した。そのストレスだろうか、胸のあたりが苦しかったが無視した。
そうして予定通りに各家を周り、恙なく挨拶をしていった。
午後もそこそこの時刻となり、最後に源氏本家で頼優に挨拶をしてフィニッシュという段階になれば、在仁も終わりが見えてほっとする。要のタイムキーパーのお陰で時間に余裕が出来て、頼優との約束の時間まで三十分くらいありそうだ。休憩時間が持てるのもありがたい。
「要様のお陰様にてスムーズでございました。まことにありがとうございました…。」
車が源氏本家に到着した時。
在仁にいつもの発作が起こって、前のめりに倒れかけた。
そこを東が危なげなく抱き止め、皆でやれ薬だ水だと対応し、茉莉が調術を。素早い対応で救出された在仁だが、苦しそうにしていて立てそうにない。
在仁が「こんな所で…。」と思ったところへ、要が呼んだ。
「紫微星様をこちらへ。暖かい部屋に布団を用意させました。」
「はや!」
思わず茉莉が言った言葉を最後に、在仁はゆっくりと目を閉じ、意識を手放した。




