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420 運搬の事

 「(そう)が?」

 (こう)(ぎん)が耳を疑った。

 「ええ。例の救済院を訪ね、そのまま捕まりました。」

答えたのは(みさご)だ。

 ここは須磨の紅の家。紅と銀の他、在仁(ありひと)北辰(ほくしん)隊武士勢、惟継(これつぐ)青藍(せいらん)もいる。もちろん、みよもいる。

在仁たちが捜査進捗を共有しつつ、みよの様子を見に行こうと思った所へ、鶚が取り急ぎ報告したい事があると言うので、来てもらったのだ。

 在仁は、こうして見れば大人数が集まれるこの家は、小さいと思っていたが、それなりのキャパだと気付いた。皆でテーブルを囲んで捜査会議が出来るのだから、紅とみよが一緒に暮らすのも問題は無い広さだ。紅とみよは戸籍上は夫婦だが、実際の関係性は不明。師弟もどき、だろうか。紅からすればみよは娘のような年齢であるから、性的な対象ではないのかも知れない。在仁は、微妙な関係の二人に気遣いながら、鶚の話を促した。

 「捕まった、とおっしゃいますと、それを目撃なさったと?」

 「現在、例の救済院は完全包囲状態です。内部の状況を掌握するために、複数の隠しカメラと盗聴器を仕掛けています。その情報により、宇治山(うじやま)蒼殿の身に何が起こったのか分かりました。」

 直接見ていた訳では無いが、証拠がある。言いながら鶚は携帯端末を出して操作し、皆に聴こえるように再生した。

 それは、蒼と、例の救済院の院長・楠井(くすい)の会話だった。

 蒼は救済院内の状況を見て、人身売買を目的とした悪しき施設と推察した。楠井は特に言い逃れはしていなかったが、最初は余裕ぶって話していた。けれど蒼に、紅の名を使って詐欺をした前科を暴かれてから豹変した。素性がバレた事で、蒼を始末するしかないと判断したのだ。楠井は何らかの手段で蒼を眠らせ、そのまま呪術の贄にするつもりだと言った。

蒼が眠ってしまうと、女性がやって来て、また楠井と会話を始めた。その内容で、今夜の内に救済院の患者を全員運び出して、救済院を閉じてしまう計画を知った。

 全ての会話を聞き終えると、鶚が携帯端末を仕舞った。

 その動きを追うように、みよが訊いた。

 「あの、蒼様は御無事なのですか?」

 「殺してしまっては贄になりません。無事でしょう。ただ、すぐに助け出す事は出来ません。今、下手に動いてこちらの存在がバレてしまうと、呪術工房の場所が分からなくなってしまうかも知れませんから。」

 司法局は、救済院が次に贄を出荷するタイミングを待ち構えている。その足取りを追って、その先にあるろう呪術工房を押さえるのが目的だ。もし今、蒼を救出する事を優先すれば、司法局の包囲網がバレてしまう危険がある。もしそうなれば、楠井は一人で逃げ、看護師は救済院ごと焼いてしまうかも知れない。そうなれば、呪術工房の場所は分からず終いだ。

だから、蒼の救出は後回しで、今は当初の作戦通りに救済院と呪術工房を押さえる事を優先するべきだ。

 その優先順位に、みよが戸惑った。素人の一般庶民であるみよにとって、こうしたかけひきは知らぬ世界だ。蒼を危険にさらす事を許容するやり方に不安を漏らした。

 「ですが、その間にも蒼様に何かあれば…。」

 みよが心配すると、紅が不思議そうにした。

 「蒼は、おみよに暴言を吐いた嫌な奴では?何故案じる?」

 「嫌な方などではありません。蒼様のおっしゃる事は間違っていません。私は悪しき思惑のために嫁いだのですから。」

紅を殺す目的で嫁入りしたみよは悪い女に違いない。みよの自省に、紅は不思議そうな顔をしていた。まるで人の心を解さぬロボットのような紅に、みよは何とか理解を求めた。

 「蒼様は紅様を慕っているから、私を悪人と思い罵ったのです。私は人違いで紅様を殺す所でしたから、蒼様にとって悪人に相違ありません。この先、どのような身の振り方を選ぶとしても、私は蒼様に謝らねばと思うんです。」

 「おみよとて宇治山家に騙されていたのだから、おあいこだろう。」

 「まさか。人殺しと結婚詐欺では事の重さが違います。まして、蒼様は昏睡なさっていて、全く関係の無い御立場です。目覚めたら、私のような悪人がいたのですから、怒って当然です。蒼様は何も悪くありません。だから、こんな目に遭って良い人では無いんです。」

蒼を庇うように必死になるみよは、その勢いで皆を見回した。

 「(さつき)も何も悪くなかったんです。あんな目に遭って良い人では無かったんです。楠井は皐を死に追いやった悪人です。これ以上、楠井の良いようにさせないでください。」

 楠井はかつて美容詐欺を働いていた。皐とみよはその被害者だ。みよも苦しんだが、皐は死んでしまった。その恨みは一生忘れない。みよは楠井を殺すために生きてきたが、楠井は思ったより大きな標的だった。もうみよの手には余る。だから頼むのだ。どうか、仇を討ってくれと。

 その懇願の目が、紅を見上げた。

 「どうか、蒼様を助けてください。」

 その真っ直ぐな目に、紅は長いため息を吐いた。

 「どうして、おみよに頼まれねばならないのだろうか。おみよと話しているとよく分からなくなるな。蒼は私の弟だ。頼まれずとも、助けに行く。」

蒼を助けに行くと明言した紅に、鶚が戸惑って口を開きかけた。それより早く銀が言った。

 「蒼は正義感が強くて生真面目だから、作戦を知れば、救出が後回しになった事を納得するはずだ。もちろん蒼の救出手順は、司法局の方針に委ねる。だが、呪術工房制圧には俺も同行させてくれないだろうか?」

 銀まで同行を言い出して、鶚が反対しようとすると、そこへ在仁が賛成するように手を挙げた。 

 「日下(くさか)様。今夜、すべての入院患者が呪術工房に運ばれます。もちろん保護後の受け入れ先は確保なさっておられるのでございましょうが、保護なさった地点での現場対処が出来ました方が、より良いと存じます。銀様はプロでございますれば、お申し出は有難くお受けになられるべきかと。」

 「…ですが、現場は危険です。」

呪術工房がどういう場所なのか不明だ。

山梔子(くちなし)家の一件を思うと、危険レベルはマックスで見積もっておくべき。ならば、山梔子家の時と同等かそれ以上の布陣を用意すべきだろう。

 「日下様。銀様は(かさね)大隊の小隊長様でございますよ。」

 天下の重大隊より強い部隊は無い。在仁の言葉に、鶚は引き下がらざるを得なかった。

 渋々了承した鶚に、在仁が更に言った。

 「重大隊と、平家にも増援をお願い致しましょう。万全を期し、二度と悔いる事の無いようにしとうございます。」

二度と悔いる事の無いように、と言われると、「ごめんなさい妖怪」を思い出す。在仁はきっと未だに山梔子家で蜻蛉(かげろう)を仕損じた事を悔いている。だからこそ、二度と同じ轍は踏まないと決めているのだ。

 闇色の瞳は、譲らない。鶚は元より、呪術工房制圧に清め人抜きは不可能だと思っていた。作戦の要である在仁が、増援を必要とするならば是非も無い。紫微星(しびせい)様の鶴の一声があれば、地龍中の武士が力を貸すだろう。

 「では、作戦決行は今夜です。詳細を共有しますので、ご準備を。」

 格好つけて司法局だけで解決しようとしても、本当の所力不足だろう事は分かっている。鶚は素直に受け入れて、無事の作戦成功だけを目指す事にした。


 ◆


 日が落ちてから、救済院付近のとある道場に、作戦参加者が集まった。

司法局員の黒服。重大隊の各小隊だけでなく、平家四神大隊からも多くの隊員が招集された。そこに異彩を放つのは、やはり北辰隊の白だ。在仁と武士勢、惟継、青藍。何物にも染まらぬ清廉な白を纏った者たちの中に、紅の顔があるのは珍しかった。

白衣に似たデザインの北辰隊の制服を肩から羽織った紅は、マントを纏ったおっさんみたいだ。在仁は似合っているんだかいないんだか分からないなと思いつつ訊いた。

 「おみよ様は?」

 「留守番だ。子どもでも留守番くらい出来るだろう。」

 「だから二十歳だってば。」

思わずツッコんだのは銀だった。重の医療術者たちを率いる立場として、きちんとした制服姿だ。紅はそれが物珍しいのか、じろじろと見ていた。考えたら銀は紅を訪ねる時はいつも私服だ。私服と制服とでは精悍さが違う。

 「老けたな。」

 「実際老けたけどね!」

そりゃあ老けますよ。酷い感想に銀はむっとしたが、紅はその不機嫌な顔に言った。

 「蒼も、もう大人になったのだろうな。」

 その言葉からは、蒼の身を案じる色を感じた。銀も同じ色を滲ませて言った。

 「そりゃあ、十四年も経ってるからね。会っても分からないかもな。」

 「それは無いだろ。蒼は親父によく似ている。」

 「はは。顔だけな。」

 よく似た二人の波形を眺めながら、在仁は改めて兄弟なのだなと思った。今日の二人は蒼を助けるためにここにいる。在仁はその事をしっかりと理解した。

 今日これから行われる作戦には、多くの患者の命がかかっている。本来ならば患者の命を最優先にして今すぐに救済院を押さえるべきなのだろう。だが、呪術工房を見過ごす訳にはいかない。そこを放置しては更に多くの犠牲を生むかも知れないからだ。それが分かっているから、紅も銀も蒼の救出を優先にしない。

在仁もその事を肝に銘じた。本作戦の失敗により、多くの犠牲が出る。絶対に失敗は許されない。呪いと戦うためには、在仁の力が不可欠だ。責任重大なのだと自覚すると、緊張してしまう。これまでの多くの実績よりも、繚乱として足りぬ身である事の方が、在仁の中では大きい。不安要素を抱える身で、どれだけやれるのか。つい、弱気に引っ張られそうになる。

 そこへ、総指揮官である鶚が晋衡(くにひら)蘇芳(すおう)と共にやってきた。

 「先程、救済院に大型のトラックが二台、入って行きました。」

鶚が言いつつ真ん中へ。集まっていた者たちがそれを囲んでドーナツ状に立った。在仁も場所を開けて下がると、隣に茉莉(まつり)がやってきてくっついた。見ると、藤黄(とうおう)色の瞳が在仁を照らすようだ。

 「大丈夫。」

 「うん。」

茉莉がいれば大丈夫なのだ。そう決まっている。在仁は茉莉の手を握って、弱気を打ち消した。

 改めて顔を上げると、鶚が作戦の説明していた。

 「救済院内にはおおよそ百人の患者がいると思われます。おそらく全員が昏睡者だろうと思います。その人数をトラックに運び込むのは重労働ですから、時間がかかると思います。その間に、配置について待機します。出発したトラックを追跡する方を、重大隊と北辰隊と司法局で構成する作戦本部隊とします。目的地の呪術工房を見つけ次第、人命救助最優先にて、制圧作戦を開始してください。それから、トラックが出発後に救済院の方も制圧します。そちらは司法局と平家四神大隊の応援部隊で対応を。看護師一名が残り建物ごと焼却するつもりのようですが、あそこには証拠が山ほどありますから、絶対に損壊させないで下さい。他のスタッフも逃がさずに確保を。特に楠井は必ず捕まえてください。」

 こうして見れば山梔子家の時よりも盤石なメンバーと配備だ。

 「それから、どこかに翡翠(ひすい)眼があるかも知れません。蜻蛉の存在の如何は問いません。破壊してください。」

 翡翠眼を見たら問答無用で速攻ぶっ壊せ。鶚の指示に、皆が頷いた。躊躇ったら後手に回る。とにかく一も二も無く破壊あるのみ。そうすれば、蜻蛉はもう依り代を失う。削られても休む場所が無いので、消えるしかない。

 そこまで説明した鶚は、皆を見回してから訊いた。

 「何か言いたい事があれば、どうぞ。」

これから作戦開始となる。皆で集まるのはここが最後で、後はそれぞれの配置に散る。全員に言いたい事があれば今しかない。鶚が一応問うと、在仁が手を挙げた。

 「あの…。」

 皆の視線が在仁に向いた。在仁は少し緊張しつつ、持って来た袋を開けた。

 「何の確証も無いのでございますが、各配置にこちらをお持ち頂ければ、何かの助けになるかも知れません。」

 そう言って袋から取り出したのは、龍の涙だ。清め石。在仁が舞うと生まれる、清き石。

在仁は言いながら、鶚、晋衡、蘇芳をはじめ各行動班の代表者に石を配った。石の数はそう無いので、特に危険地帯を担当する者に厳選した。

 「俺は未熟な清め人でございます。不安定な力を補うために何か使える物は無いかと思案いたしました。その石を通して、俺の力が届きますれば、呪いの中でも皆さまをお守り出来るやも知れません。どうぞ、お持ちください。」

 足りない繚乱である事を自覚して、足りない分をどうしようかと考えた。苦肉の策ではあるが、補助道具として清め石を追加投入してみる事にした。あれは制御装置であり増幅器ともなる。上手くすれば、呪いの中にあって、いつもよりも清められるかも知れない。そう期待して、出来る事は何でもやってみるのだ。

 「分かりました。ありがとうございます。」

 鶚はしっかりと石を握りしめた。見れば、皆が在仁に忠を示すように姿勢を正していた。

 「どうか、御無事で。」

いつも言っている通り、自分の命最優先でよろしく。在仁の意を理解して、皆が礼を取った。

 そして作戦決行となった。


 ◆


 救済院から二台の大型トラックが出発したのは、日付を跨ぐような時刻だった。

待機していた追跡班は複数の車に乗って出発した。絶対にトラックを見失わないように、そして追跡を勘付かれないように、細心の注意を払って包囲しながらの追跡を続けた。

 「結構遠いね。」

 司法局が用意した車は様々な車種。在仁がいるのは、東の運転によるマイクロバスだ。北辰隊勢と茉莉と銀と部下たちが一緒に乗り込んでいる。

 茉莉が言う通り、想定よりも遠い。トラックは高速道路に乗って走って行く。追跡部隊が追いつかなかった時の為に、転移術者の手配もしてあるが、距離が遠くなると心許なくなる。鶚が色々と考えつつ言った。

 「救済院が押さえられても、呪術工房に繋がらないように、立地が離れているのかも知れません。」

 「もしくは、こうした救済院が各地に複数存在しているか、だな。」

惟継が嫌な想像を口にすると、在仁は難しい顔になった。

 「戦時中の医療現場は相当な激務でございましたでしょう。その混乱を利用なさって、患者を呪術の贄とせんとは、度し難い所業でございます。絶対に、一つたりとも見逃してはなりません。」

 声音を強くして言う在仁が怒っているのが分かった。そりゃあそうだ。誰だって怒りたくなる。病院だと思って入院したら、病院では無かったなんて、有り得ない詐欺だ。

 「現在調査中ですが、終戦後は患者の数が減っていますから、救済院自体の需要が減っています。かつて必要とされて乱立した無認可の救済院の多くが既に閉鎖しているようです。そのどこかに、晦冥(かいめい)教の施設があったかは、まだ分かっていません。」

 「どちらにしろ、もう無認可の救済院は違法にせねばならんな。」

 犯罪の温床になるような場所は無くさねばならない。惟継の意見に、在仁も賛成だが、未来の対策よりも気になるのは、過去に失われた命だ。

 「もし、被害者の方々のお名前や御身分などがお分かりになりましたら、きちんと御弔いをさせて頂かねばなりません。戦に尽くされた功労者でございます。決して、軽んじてはなりません。」

 「ええ。出来るだけ被害者も明らかに出来ればと。」

鶚が頷いた時、運転席から東が言った。

 「下りるわよ。」

 トラックが高速を下りる。

 呪術工房が近いのか。皆がいよいよと息を飲んだ。


 ◆


 蒼が目を覚ますと、真っ暗だった。

 一体何があったのだったか、と思い出しながら術で光を灯すと、そこは四角い空間だ。そして、大量の人間が乱雑に横たわっていた。

 「!」

死体の山かと思ってヒヤリとしたが、よく見れば生きている。

蒼が目の前に倒れている男の肩に触れた。温かい。だが目覚める様子は無い。これは昏睡者だ。そう思った時、蒼に何があったのか思い出した。

 長く入院していた救済院にお礼を言わんと訪ねた所、そこが晦冥教の施設だったと発覚した。入院していたのは多くの昏睡者で、彼らは家族からも世間からも見捨てられた身であるから、密かに呪術の贄にするのにぴったりだったのだ。

蒼は、院長である詐欺師の楠井と話している最中に意識を失ったのを思い出した。眠らされて、患者と一緒に閉じ込められた。ここは何処だ、と冷静に考えてみると、コンテナ風の四角い場所。そして振動。

 「トラックか。どこかに運ばれている…まさか、贄にされるのか?」

救済院から運び出されているとすれば、贄にされるに決まっている。

 気付いた蒼は、改めて周囲を見た。大量の死体では無く、大量の昏睡者だ。これは全てが贄。これから全員が殺されるのだ。

 気が付くと、背筋がぞっとした。

 「折角生き残ったのに、ここで死ぬのか?」

 約六年の昏睡から生還した蒼は、これから人生をリスタートさせる気持ちで、気合を入れたばかりだった。なのに、まさか死ぬのか?無様に昏睡し続けても生きていたのは、こんな風に死ぬ為ではないはずだ。そう思いたいが、蒼は非戦闘員だ。戦う術はない。

もしトラックから脱出出来たとしても、ここにいる多くの昏睡者を運び出す事は出来ない。

 「どうしたら…。」

 ポケットを探ったが、携帯端末は無かった。荷物は救済院に置いて来てしまった。どちらにしても奪われていただろうが。

救助を呼べないとなると、家族が自発的に捜索してくれる事を願う。今日は部隊復帰の手続きをしに行くとしか伝えていない。救済院に行く事は言っていないので、すぐには見つからないかも知れない。時間がかかれば、間に合わない。既にトラックは走り出しているのだ。

 ざっと見ても五十人程の人間がいる。だが救済院にはもっと多くの昏睡者がいた。蒼はそれを見て回ったのだから知っている。だが、五十人だろうが百人だろうが、蒼一人で助ける事は出来ない。一人運ぶのが精一杯だし、追われたら自分だけ逃げるしかない。

だが、自分だけ逃げるなどできようか。ここにいるのは昏睡者だ。ついこの間までの蒼も昏睡者だった。このまま放置すれば死ぬと知っていて、見捨てられる程冷酷になれないし、他人事には思えない。蒼とて、少し違っていれば贄にされていたはずの身だ。

 そう思えば余計に、どうにか全員で助かる道を探すしかない。

 だが、どうすれば。蒼は非力な自分が悔しかった。せめてもっと筋力があれば。長い昏睡の分の衰えを加味せずとも、蒼には人間を担ぐ体力は無い。ここにいるのが昏睡者でさえ無ければ。そうすれば自分の足で逃げられるのに。そんな詮無き事を考えた時、ふと思い立った。

 「そうか、自分で逃げれば良いのか。」

 そう、全員を起して自分で脱出して逃げて貰えば良いのだ。

 蒼は医療術者だ。昏睡から覚めて、ブランクを埋めるための情報を学んだ。その中に、昏睡者の治療法があった。

 「今ここで、全員を起せば…。」

 荒唐無稽に思える策だが、一人で全員を運び出すよりも現実的だ。

トラックはこうしている間も走り続けている。蒼は迷っている時間を惜しんで、早速に取り掛かった。

 プロセスを思い出して、術を組み上げた。集中し、雑念を廃し、冷静に。蒼が凄まじい勢いで工程を確立させ、目の前の男で実験。何の準備も無く実験体にして申し訳ないが、失敗したとて害はない。ついでにこのままでは贄にされて死ぬ。色々と天秤にかけても、実験体の方がマシのはずだ。

 蒼が自分に言い訳をして施術を行うと、目の前の男がゆっくりと目を覚ました。

 「…ここは?」

ぼうっとした顔で言った男に、蒼はほっとした。成功だ。

だが、この成功に喜べない。何故ならまだ大量の昏睡者がいるのだ。これを全員にせねばならない。集中力と術力が足りるのか?そして時間があるのか?一気に去来する不安を押し込めて、蒼は男に言った。

 「すまない。説明している時間が無いんだ。協力して欲しい。」

 「…え?」

 「貴方は戦で昏睡していた昏睡者だ。ここにいるのは全員が同じ昏睡者だ。そしてここはトラックの中。訳あって、私たちは呪術の贄にされるために運搬されている。私は何とか全員で助かりたいと思っている。」

 「贄?昏睡?え?」

 「意味が分からないだろうが、時間が無いんだ。どうか、全員で助かるためと思って、今は理解を後回しにして、助けてくれ。」

酷い事を言っている自覚はあった。だが、一人では無理だ。蒼が必死に言うと、男はゆっくりと起き上がりながら頷いた。

 「分かった。とりあえず今は信じよう。何をすれば?」

 「私がこれから全員を起す。皆に同じ説明をしてくれ。そして、トラックが目的地に到着したら、全員逃げるようにと伝えてくれ。」

 「了解だ。アンタは医者か?」

 「一応な。私も先日まで昏睡者だった。仕事復帰はまだなんだ。ブランクがあるから心許ないが、今は背に腹は代えられない。」

正直すぎる蒼に、男は好感を持ったようだった。

 「分かった。センセ。思うに、昏睡者は殆どが武士か術者だ。起こしてさえくれれば、逃げるために戦える。俺がそう説明しよう。」

理解の早い男の対応は、たたき上げの武士だと分かった。

長い間鬼と戦ってきた経験は、急な事に対処する能力として備わっている。

 それに、救済院は定期的に患者を贄にして来た。単純に考えて、今残っている患者は、昏睡者になってから日が浅いはず。おそらく終戦直前に昏睡者となったのでは無いだろうか。ならば、ブランクはまだ浅い方。対応の速さも頷ける。

 「では頼む。」

 蒼はすべてを男に押し付けて、自分は全員を起す事に集中した。

 何とか間に合ってくれ、と願いながら。

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